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研究者と作家のあいだ-円地文子「源氏物語私見」その1

2007-08-15 08:13:57 | 源氏物語
円地文子の「源氏物語私見」(講談社文芸文庫)は、
源氏物語現代語訳の発刊にあたって、
考えてきたこと、新たに発見したことなどが綴られたものです。
藤壺、六条御息所、夕顔、明石の上、女三宮など、
源氏に登場する人物像について、
作家の目からいろいろに分析しています。
独自の見解もありますが、
今の時点からすると、たぶん否定されるようなことも、
それもありかなと思わせるのは、
作家としての視点の確かさがあるからでしょう。

柏木と女三宮の最後まですれ違った思い、
柏木の一方的な恋は、
柏木の最後の消息文に対して、催促されて仕方なしに送った宮の返歌、
を独りよがりに解して、煙のように儚く散ったわけですが、
この2人のズレは研究者の解釈で定説になっていることです。
でも、円地さんは、源氏の真綿で首を締めるような迫害に
(あの源氏が老醜をみせるところですね)
耐え切れなくなった宮は、
ようやく若いひたむきな柏木の思いが身に染み、
いとおしむこころになった、と解したいとします。
湿った愛憎で結びたかったのです。

いまのようにたくさんの研究の財産がなかった時代だったのでしょうから、
それはそれでいいのだと思いますが、
円地源氏は原文にない挿入文で補ったところが結構あるといいます。
そうなると、話は少し違うように思う。
著明な作家の現代語訳、って結局はその作家の解釈した作品論、
両作家の源氏を楽しめばいい、と思わなくもないのです。
でも、なかには研究者の地道な細部にわたる資料分析をもとにした見解、
それをとても尊重し、謙虚に学ぶ姿勢を示している
竹西寛子という作家もいらっしゃいます。

紫式部という作家によって源氏物語にこめられた真意に迫りたい、
源氏を読むということはそういうものを求めているのではないでしょうか。
なぜ現代人の私たちが源氏に惹かれるか、
千年前に書かれたものに人間の普遍性があるからなんですね。

30歳で、源氏研究の講義を故郷松坂で始めた本居宣長、
源氏に心酔した国学者の辿り着いた源氏物語の神髄「もののあはれ」
(これもまた、宣長源氏の域内、との解釈もあるのですが…)
日本人の根っこの泉、
いま現代にこそ必要とされているものかもしれない。

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