しおんえつこの聖書の学び

~しおんえつこの聖書の学びとキリスト教の本物の信仰への道~

聖書は神さまの育児書~私たち幼子を成人へ育ててくれます

【固定】 【あなたの本当の親は神さまであなたは神に従う立場】『人間の価値観』で決めて解禁になっても神ヤハウェさまがそうお決めになっていないなら罪を犯すことになる

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
昨日(2018年4月26日)に、ネット上のあるところで知人が発言されていた内容とそれについた他の人のコメントとその発言をした人とのやりとりを見て、私も聖書の教えと自分が聖書を学ぶ前に気づいたこと、教えていただいていたことを用いて私もその発言にコメントしたのですが、

そのコメント2つをそのまま掲載して、それに関連してくることを追加で加筆します。
(*^人^*)

相変わらず超長文です。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

すごく長文になってしまうけれど、今、聖書を勉強しているので、日本人は聖書を知らないから野放しなんだなとよく思います。
「複数の異性を愛する権利が広がる」というのは姦淫の罪をしていいんだとしているという話なのかしら。
神は姦淫の罪を禁じておられます。
あなたがたが日本神道であろうが仏教であろうが無神論者であろうが神さまにはそんなことは一切関係がないのです。

万物の造り主である神さまは『御自分のなさりたいこと(神さまが私たち人間でこの地球という星において実現したいこと)がおありの為、私たち人間を造りました。

ですから私たち人間の本当の親は神さまなのです。

私たちは肉体の乳幼児時代において母親や周りの人が何もできない小さな体である自分のお世話をしてくれ続けたことによって、

「自分以外の人間や他の存在は自分になにかをしてくれて自分に利己を与えてくれる存在である」

と思い込んでしまったのです。

なぜかというとそれは両親とくに母親があなたが大人の心の持ち主になれる教育ができず乳幼児扱いし続けて子育てしたことの結果があなただということです。

そのため、あなたは神さまに対して、

「神さまは私の(利己の)ためにある。」

と勘違いしてしまう神さまが忌み嫌う邪悪な心の持ち主になってしまったのです。

神さまは「私たち人間で実現したいことがおありだったので私たち人間を造った」のですから、

「神さまのために私がある」

のです。

つまり、

「私は神さまがなさりたいことの為に働きお仕えする僕(しもべ)であり神さまが私の主(しゅ)であり私の神なる王さまであられる」

のです。

ですから、

「神さまは私のママである。
神さまは乳幼児期のイヤイヤ期までのあのとてもとても優しかった私を怒って叱って戦くことがなかったのあの優しいママが神さまやイエスさまやお釈迦さまや聖母マリアさまや観音さまや聖人聖女や聖職者やお坊さんや尼僧であり、宇宙もそうである」

と私たち日本人は小さなころから神社参拝を体験したことによって神さまをそうだと思い込んでいるのですが、

完全な勘違いの的外れなのです、それは私たちが勝手にそうだとイメージしている神さまで私たちが心の中で勝手な利己のための我欲で造り上げてしまった偶像の神さまなのです。

私自身が聖書を学ぶまでずっとそう思い続けていたのです。

でも実際は赤ちゃんの頃から周りの人間に『優しいママの愛』をもらえず周りは邪悪な悪魔憑依者の心がジャイアンな人たちばかりでさんざん過酷な試練を生き続けてきたことによって、奇跡のヒーラーのブルーノ・グルーニングさんに出会って「私とブルーノさんに執り成していただいての神さまとの体験」により、

「私は乳幼児の頃の優しいママのような御方を神さまだと勝手に思っていたのだ」

ことに気づき、「神さまのことが知りたい」と思い、「それなら聖書だ」と聖書の勉強に向かったのです。

新共同訳聖書と新改訳聖書(いのちのことば社)の旧約聖書を読みながらイエスさまのことが書かれている新約聖書の御言葉の意味などのことを本物教師である聖霊を賜ったクリスチャンから教わらないと本当の神さまとはどういう御方なのかを知ることができません。

ですから、人間が神さまの御心(みこころ)とは違うことを勝手に決めて勝手にそれをしていていいんだというのは神さまがお造りになったこの万物の世界と地球上でしてはならないのです。

その最初の話が創世記のアダムとエバが善悪の知識の木の実を食べたお話の個所『蛇の誘惑』(創世記3章1節~19節)から旧約聖書は人間と神さまと悪魔との関係と悪魔の手口がすべて書かれているのです。

悪魔は人間にそれを知られたくないので私たち人間に聖書を読ませないようにとし続けてくるのです。

それで私たちは悪魔の嘘に騙されてこの世界、この人間世界という邪悪な利己心まりれの人間同士で繰り広げている狂った人間同士の世界によって、この地球という星がこんな破壊的な悪魔の大喜びする世界になってしまっているのです。

人間が勝手に決めたことは神さまの世界において通用しません。
なぜなら神さまの御心(みこころ。神さまの主観と価値観のお考え、御心、御決めになっていること、神さまの真理と真実)とは違うから神さまは人間の勝手な考えとその行動言動を御認めにならないのです。

そこを踏まえておかないと聖書を読まない道を生き続けて堕落し生きている時にかならず生き地獄を体験し、肉体の死後は悪魔の生きる世界の地獄で永遠に生き続けることになります、なぜなら神さまにとって悪魔・堕天使と同じ罪人だから地獄に放り込むしかないからです。

輪廻転生はありません。
悪魔によって輪廻転生の嘘の記憶を持たされてしまうだけです。

この一度きりの肉体人生において神さま(イエスさま)か悪魔のどちらかを選ばないとならず、チャンスはこの肉体人生一度きりです。

そこを踏まえてこの先を読んでいただきたいです。


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~旧約聖書より~

モーセの十戒 「姦淫してはならない」(出エジプト記20章14節)


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~新約聖書より~

「1イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。 2ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 3イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。 4彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。 5イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 6しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。7それゆえ、父母を離れてその妻と結ばれ、8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 9従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 10家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。 11イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。 12夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」(マルコによる福音書10章1節~12節)


゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。☆。。

イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されていない人は愛を知らないので万物を愛するという神の愛なんてまるでできず、できるのは我利(われり)の利己(りこ)のエゴの愛なだけでそれは偽物の愛で私たちは愛する者などではなく、『好き』という感情が高まった時の状態を愛なんだと勘違いしているとのことで、

私がスピリチュアルTVのテディさんから教わったのは、

「好きは愛ではありません」
「愛情は愛ではありません」
「人情は愛ではありません」
「情愛は愛ではありません」
「私たちはそれを愛だと勘違いしているけどね」


です。

(※前のコーチから教わったことで聖書から教わったことではなくて申し訳ないのですが、的を得ているのことなのでこれはそのうち聖書でも教えていただけるだろうと思っているので覚えていてもいいのではと思っているので載せます)

私はまだイエスさまに接ぎ木されていないのでこれらは実感でわからない、私は愛を知らない者、愛することがまるでできない者です。

イエスに接ぎ木された人から聖書を学んでいるけど、スーパークリスチャンの仲間入りができた人は失敗はもちろんするから時々納得いかないですってメール出すけれど、一般のエゴの人とはやっぱり違うなって自分との違いを感じます。

私たちは自分がまるで愛することができない者だと認めるのがプライドが邪魔したりエゴでドロドロな心でとても汚い者でイエスさまのおっしゃる『この世の狼』なんだと認めるのが怖くて嫌で認められないのだとも言いますね。

神が聖書で遺した御言葉の言うことに耳を貸さなくてこの世の『肉』の人生は幸福を満喫しても、死後にふさわしい行先は地獄ということで。

日本人は神という存在を自分に都合のよい仏さまみたいな存在だと勘違いしていますからね。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。

すると最初の発言をなさった『ある方』から、
キリスト教が同性婚についてどのように対応するのかを見届けているところだとお返事してくださったので、こうお返事しました。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

また長くなってしまうのですが、
同性愛のことはまだクリスチャンご夫妻から教わっていないのですが、旧約聖書時代で男性が一夫多妻をしていたり、神殿娼婦や遊女をやっている人が出て来て、長いこと女性には人権が与えられていなかった、男性にとても都合が良い世界になっていた、ってクリスチャンご夫妻に言ったことがあるんです。

そしたら、

「それはヤハウェを形だけでしか信仰していない人間が勝手にやっていることでヤハウェが認めていないことなんですよ。」

とおっしゃっていたのです。

イエスという木に接ぎ木されることができたクリスチャンのご夫妻は、

「聖書をしっかりと学んで聖書の教えがしっかり入ってくると、自分を神に明け渡せるので、イエスが心と体に入って来てくださり、聖霊をプレゼントしてくださるのです。
そうすると神の愛を知り、神の想いを知ることができるようになるんです。
聖霊が家庭教師となって教えてくださるんです。」

と先に教えていただいていて、イエスというぶどうの木に接ぎ木されたクリスチャンのの中で、特に信仰がすごく強い方とかのことをスーパークリスチャンと言うのかなと思っているのですが、
スーパークリスチャンの方たちは神さまと会話ができるんです。

しかしキリスト教徒には『クリスチャンの看板を掲げただけの者』が圧倒的に数が多く、本物のクリスチャンがクリスチャン人口のわりにさほど数がいないんです。

なので、クリスチャンの看板を掲げただけの者がキリスト教会の中で地位を持って権限と権威を行使していることで、神の声を聴かないで決めてしまったりするんだなと、宗教事情であることだなと思いました。

ただ、同性愛者は本物のクリスチャンの方たちが口を揃えておっしゃるのですが、同性愛者になるのは堕天使の憑依だそうです。だからイエスさまが救ってくださると本来の自分に戻るそうで、性同一性障害も堕天使の憑依で、憑依されている時に性適合手術を行ってしまった方のことを救う時に主がどのように救うかは主がお決めになるけれど、神は再創造が簡単にできるので、性適合手術を受けたその肉体を再創造で作り変えてしまって元の性別に戻すことも神さまには簡単にできるとのことです。

私は赤ちゃんの頃から愛される体験をしないで生きて来て、愛がわからないし、エネルギーヒーリングに長年取り組んだけど心が救われていないことに気づき、心が救われたい、本当の愛を知りたい、と思ってキリスト教への信仰に導かれるよう聖書を学んでいます。

長くなってごめんなさい。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。☆。。

この2つのコメントはその最初の発言をした『ある方』が「イイネ!」をしてくださったのですが、

最近、『ジェンダー』と呼ばれている方々や、ご自分で『ポリアモニー』だという方々も、そして男性だけどなぜか女装や女性としてのお化粧に興味が出て女装するようになった方々も、女性だけどなぜか男装したくなり『男心』を持つようになった方々も、その原因は堕天使の憑依だということをスーパークリスチャンの方々はお言いになると思います、リーハイバレージャパニーズミニストリーズの動画で悪魔・悪霊(堕天使)について語っている動画を観ているとそういうことをおっしゃる本物のクリスチャンの方の動画があります。

以下の動画は同性愛者の方に観ていただけたらと思っている動画です↓

【動画】イエスさまに救われたクリスチャンのお話
「元同性愛者から教会へのメッセージ」
ケーガン・ウェスリー
https://youtu.be/C2YY7jC63Gk

【動画】イエスさまに救われたクリスチャンのお話
「元同性愛活動家の証」
Charlene Cothran - Gay Activist Finds Christ
https://youtu.be/2r7w-yGyNlM

【動画】イエスさまに救われたクリスチャンのお話
「レズビアンからの解放NO1」
Christie May-The Progression of Lesbian Confusion
https://youtu.be/7aaPCt1ONck

【動画】イエスさまに救われたクリスチャンのお話
「レズビアンからの解放NO2」
Christie May-The Progression of Lesbian Confusion
https://youtu.be/8qtPOu9ZmJ4


かくいう私も新刊書籍のライン発送という野郎がやる仕事で野郎が担当する場所でこき使われたら、自分の内に『男』が目覚めて、女性にムラムラくるという困ったことになったのを2度だったか体験したし、あきらかに堕天使の憑依されているなとわかる体験があるので堕天使の憑依によるもので、イエスさまに救われた時に。神さまが本来の私に戻してくださるのだろうと思っているところです。
(*^人^*)

ところで宝塚歌劇団の男役の方も心が男性的になってしまうようなのですが、男役の方は仕事だから堕天使の憑依によって心が男性的になるのかそこらへんはどうなんだろうと思ったけど、
男役の方も本物のクリスチャンになれた方じゃないなら、人間への堕天使の憑依はよくあることのようなので、男役をやっていることで堕天使が憑依しているかもなので、
男役の方たちも退団してから本物のクリスチャンの方に出会えてイエスさまに導いていただけて『悪霊(堕天使)からの解放』をしていただけるといいなぁと思います。

ちなみに元(元、です)悪魔崇拝者の高祭司(ニューヨークで3位だったそうです)をしていてそこをイエスさまに導かれて助けられて回心し、今はスーパークリスチャンとして伝道師か牧師をやっているジョン・ラミレスさんは、悪魔・悪霊(堕天使)からの解放のクリスチャン活動をしておられるのですが、

ジョン・ラミレスさんが日本に来られた時の集会の様子をこちらのユーチューブチャンネルで公開してくださっていて、

ジョン・ラミレス日本
https://www.youtube.com/channel/UCbaOiksOhZUfr7RCfCxPo6Q


ジョン・ラミレスさんのその他海外での活動の動画は、ユーチューブチャンネル『Freedom in Christ』さんで公開されていますが。
ジョン・ラミレスさんも他のスーパークリスチャンの方たちのように、
熱い!熱いです!
熱意が伝わってくる!

Freedom in Christ
https://www.youtube.com/channel/UC-VniFpTxKygUyX1Mvygz4A


これがイエスさまのおっしゃった、「私を信じる者にはしるしが伴う。」の「手で蛇をつかむ」(蛇とはサタンのことです)の方なんですねぇ。

話は反れましたが、キリスト教で今まで認められていなかったことが、どこぞのキリスト教会やバチカンで認めたとしたら、それは神ヤハウェさまの声もイエスさまの声も聖霊さまの声も聴けないという『クリスチャンの看板を掲げているだけの方たち』が、神さまの声を聴かないで人間の自分勝手な『この世の価値観』で決めたことのはずなので、

「ヤハウェさまが認めておられないこと」

の可能性が高い、もしくは可能性があることになるのだろうと思います。

だからキリスト教で解禁になったから「していいんだ~!」ということじゃありませんので、キリスト教で解禁になったとしても、人間が自分勝手に決めたことなら、
神ヤハウェさまが認めておられないなら神ヤハウェさまに背く罪を犯し続けることになり、死後の自分にふさわしい行先が『地獄の火と硫黄の池』ということになりますから、

私自身もそうですが、あなた自身が聖書を学ぶことで、
神さまのことを知り、神さまの愛を知り、
神さまが信頼できる御方なのだということがわかってくるようになって、
聖書を学び続けることによって神さまに自分を開け渡す作業をしていきながら、
神さまとイエスさまを強く求める心を養っていって、
神さまに目を留められて神さまがイエスさまと聖霊さまをくださる日が来るよう『主を待ち望み』、
神さまがイエスさまと聖霊さまをくださった時、自分でキリスト教で禁止されてきたことをしていいのかを神さまに尋ねてみることだと思いますが、
聖書で神さまが禁じていますのでまず聖書を学ぶことです。
私もまだ旧約聖書は申命記を読んでいるところです。(これを書いている2018年4月30日時点でですが)


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【固定】【イエスさまの十字架の愛とは?】イースター(復活祭)について調べる宿題でレポートを書いてみました

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
※この記事は2018年3月28日に投稿しましたが、『イエスさまの十字架の愛』がどういうことかを知っていただきたくて、レポート内容についてのクリスチャンご夫妻の指導がまだですがみなさんに目を通してもらいやすい固定記事の中に入れておきます

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

2018年4月1日がキリスト教最大の最重要なお祭りであり礼拝の日であるイースター(復活祭)の為、私に聖書を教えてくださっているクリスチャンご夫妻から、イースター(復活祭)について調べてまとめるという宿題をするよう課題が出されました。

イースター(復活祭)について私はまるで知らなかったので検索をかけてイースター(復活祭)に関連してくると思われるものを調べてレポートをまとめてみました。

大学に行ったことがないのでレポートというのはこういう風に書くものなのかがわかりませんが、以下のようにまとめてみました。

なお、復活祭に関して布池教会に何か特別な儀式は行うのかお聞きした所、前日に復活祭のための儀式的なものは行うとのことでしたが、どんなことを行うのかまでは電話口では教えてはいただけませんでした。

レポートの内容に関してのチェックなどは、まだしていただいておりません。

スカイプ聖書の学びにおいてクリスチャンご夫妻が内容をチェックして間違いや補足について教えていただく予定でしたが、ご連絡はできない立場になり、また、おかしいなと思うことがあったためクリスチャンご夫妻にはご連絡ができない事態になりました。

もし未来に良い本物教師から聖書を学ぶことができて、レポートの内容に間違いや補足がありましたら後ほどこの記事を修正・加筆することになりますのでよろしくお願いいたします。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。


イースター(復活祭)についてのレポート

アダムとエバが蛇(サタン)の誘惑に負けて善悪の知識の実を食べてしまうところからイエスさまの十字架刑と復活という神の御計画による贖いの御計画が始動する。

神さまは善悪の知識の木の実を食べると必ず死んでしまうとアダムにおっしゃったが、その善悪の知識の木の実を食べても死なないということと、この実を食べると目が開け、神のように善悪を知る者になると蛇に乗り移ったサタンはエバに言い、エバがまず先に食べ、アダムに勧めてアダムが食べたことで、人は死ぬ者となった。

これによりサタンは死の力とその支配の力を持つ者となった。

サタンは自らの意志による悪意を興して確信犯としての堕落をしたため神の裁きで滅ぼされなければならないがゆえに、自身の存在を永らえさせるために神さまの愛する人間を巻き添えにして人間を堕落させた目論見があり、なぜなら堕落したサタンを滅ぼすのであれば神さまは同罪を持ってしまった御自分の愛する人間も滅ぼさなければならないからである。

サタンはアダムとエバに善悪の知識の木の実を食べても死なないと言うことによって神さまをウソつきにし、神さまの命令や助言や導きなどは不要のものとしました。
つまりそれはサタンは

「人間は神の命令や導きに従わなくても生きることができる」

と神さまに異議申し立てをしたということになり、善悪の知識の木の実を食べたアダムとエバとその子孫は、『肉の思い』によって利己的判断で罪を犯し続ける者となってしまいました。

アダムとエバは神さまの命に背いて善悪の知識の実を食べた時、神さまに対して罪を犯したことになるため、これが原罪と呼ばれ、アダムとエバの子孫であるすべての人々が受け継ぐ罪となった。
そして善悪を知ったことにより、原罪以外に『肉の思い』による罪、すなわち利己心による利己的な行動言動による隣人愛の無い行いの罪というものも犯す者となった。

神さまは愛の御方であるけれどもそれと同時に義(正義)の御方でもある為、人間の罪に対して怒るのであり、人間が犯した罪をそのまま放任して赦すということは義の神としてできないししてはならないことであるため、

「罪の支払う報酬は死です。」(ローマ人への手紙6:23)

とあるように、罪の償いである贖いは『命をもって贖う』すなわち『死んでお詫びをする』ということをしなければならない。

その為、原罪があるアダムとエバから始まる子孫である人間すべては罪の贖いの為に全員が死ななければならないという『死』に定められている者となり、この『死』とは肉体の死という『第一の死』だけでなく、神の裁きである最後の審判を迎えた後の『第二の死』である『霊』の死は、地獄の火と硫黄の池に投げ込まれ永遠に焼かれるという責め苦を受け続けて苦しみ続ける『永遠の死』『永遠の滅び』と呼ばれる『死』がアダムとエバとその子孫であるすべての人間に定められてしまった。

サタンもまた堕落して罪と死が定められたわけであるが、サタンの場合は天使だった時に自ら悪の意志を興して堕落した為、確信犯で堕落したのであるが、エバは蛇(サタン)に誘惑されて堕落しアダムはエバに誘惑されて堕落したので間接的に堕落しており自らの意志によって悪の意志を興したわけではないので堕落に関して間接的である為、そこに神の愛による情状酌量があり、神は人間を愛しているので神はなんとか人間を『永遠の死』から救いたいと思い、アダムとエバが原罪を犯した時点で神さまの贖いの計画が始動した為、神さまは蛇に、

「彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」(創世記3章15節)

とすでにイエスさまの十字架と復活での勝利を宣言し、サタンの死、滅びを予告していた。

神さまはイスラエルの民を御自分の民としてお選びになり、『神を愛し隣人を愛する愛の世界作り』のお手本の民として預言者を生まれさせて教育し続けたが、イスラエルの民は形だけでしか神を信仰していない不信仰な者たちであった為、イスラエルの民たちは預言者を迫害し、形の上で律法は守る者も多かったが神さまへの信仰においては不信仰で神に背くことをし続けていた。

贖いのために命の代価としてよく肥えた羊の初子を生贄として捧げて屠るのはカインとアベルの時には行われていたが、アブラハムの時代、神さまがアブラハムの信仰を試すために息子イサクを犠牲の生贄として捧げるようにアブラハムに命じてアブラハムが主に指定された山で祭壇を築きイサクをいざ屠ろうと刃物を振り下ろそうとしたその時、主の御使いが止めに入り、アブラハムが主を畏れる者であることがわかり主への信仰心が認められたためイサクを屠らなくても良くなったその時、すぐそばのやぶに1頭の雄羊が角を取られていてそれを献げ物の生贄として屠られ、イサクが犠牲の献げ物とされたことがイエスさまの十字架刑の予表と言われている。

また、イサクの代わりに神さまが犠牲の献げ物として雄羊を用意しイサクの身代わりの献げ物となさったことで、その後モーセの時代に神さまが幕屋を造らせ犠牲の献げ物を捧げるための祭壇を築かせ、犠牲の献げ物である雄牛や雄羊や山羊や山鳩の頭に手を置くことで人間の罪をこれら献げ物の動物に転嫁させて屠ることで『命をもって罪を贖う』ための儀式をすることを神さまが定めたのは、イスラエルの民に理解しやすいようにイスラエル周辺諸国の民たちが彼らの国の神々に犠牲の捧げ物をしていたことからイスラエルの民に理解しやすいだろうと思って神さまがお決めになったことだという説がある。

しかしアダムとエバから始まった子孫たち、すなわち未来の裁きの日までを含む過去・現在・これから生まれてくる未来のその子孫すべての人間のすべての罪を贖う犠牲の生贄は動物何頭とかでは贖えないものであり、すべての人間のすべての罪を贖える犠牲の生贄になれるのは罪のない神にしかできないことで、それゆえにイエスさまはダビデの子孫としてイエスさまが御生まれになるにあたって、神の子の器としての『肉』は、聖霊によっておとめマリヤが身籠ることで人の子としての『肉』を得て、人間の姿を取った神として地上に生まれて来てくださった。

それは罪により神さまから離れてしまった私たち人間が神さまと直接お会いし、直接話し、神さまの御言葉を直接聞くことができるということであった。

しかしイエスさまは人間を永遠の死から救うための神さまの贖いの御計画により、神ヤハウェさまに人間の罪をすべて赦していただくための神の愛のお恵みとしての献げものの犠牲の子羊となり十字架にかかって殺されなくてはならず、それは実現しイエスさまは十字架上で殺されて死んでくださり、イエスさまは生きておられた頃にまったく罪を犯さなかった為、

聖い肉であるイエスさまのお体を『死』によって朽ち果てさせるということは違うため、また、罪のないイエスさまが犠牲の子羊となって贖いをしすべての罪の赦しが完了したため、悪魔の力である『死』の力の支配はイエスさまがお受けになるものではないため、神さまはイエスさまを復活させて肉体を生き返らせたことによって、イエスさまは『死』の力の支配と『罪』の力の支配に勝利することができ、

アダムとエバとその子孫であるすべての人間は罪を赦され、イエスさまを信じる者たちは水のバプテスマを受けることによって新しい命を得て古い自分を捨てて神さまに向いて生きる方向転換ができるという『新しい命』に生まれ変わらせていただくことができ、悔い改めるという方向転換、すなわち罪を犯したことによって神さまに背いていた自分を神さまのほうに向きなおさせて、『新しい命』として生きるにあたって、人間は神の子となっても神ではないため完ぺきではないのでやはり『肉の罪』を犯してしまうことはあるため、罪を犯すたびに悔い改めをし続けて神さまに向き直り続けて生き、

イエスさまを信じることができた者はこの世に属さない『神の子』となり、悪魔の鎖を断ち切り『悪魔の砦』から出て川向うにある『神さまとイエスさまの砦』に入ることがしっかりとでき、神の御心に適う者として生きる努力をし続け、神を愛し隣人を愛する世界作りのために、神さまのために働く者となり、人間としての『本当の命』を生きるようになりその状態は『永遠の命』を生きる神の子となれて、肉体の死である『第一の死』を迎えたあとの最後の審判で『天の国』に入って新しい世界で神さまとイエスさまと共に新しい御国で生きるという『永遠の命』に預かれるという祝福をいただける、

それはイエスさまを信じればすべての人間が神の子となって『永遠の命』を得て、天の国に入れるという神の救いである本物の幸福を体験できるということである。

イースター(復活祭)はこのすべての人の救いとなるイエスさまの復活を喜び祝う日であり、イエスさまが私たちのすべての罪を背負って殺されて死んでくださり神さまによって生き返りイエスさまがすべてに勝利したことで私たち人間は無罪の者となるという神さまの祝福をいただけて『永遠の死』から救われたことを神さまに感謝し喜ぶということそのものが神さまとイエスさまをお祝いすることであり、神さまの大きな愛と恵みに感謝し喜ぶ日であるというキリスト教最大の最重要なお祭りである礼拝の日である。


イースターについてヘルパーさんはどう思ったか
「それを聞いてもどう思っていいかわからない」

イースターについて布池教会の電話対応をしてくださった方はどう思っているか
「主が復活したことを喜べばいいんじゃないですか。主が復活したことは祝福なんだから。」


イースターについて私はどう思うか

「私もどう思っていいかわからない。私には愛がなく神さまを愛する心も神さまをゆるぎなく信じているという信仰心もまだ得られていないため、また、神さまに触れられたことが無いため神さまを感覚で実感したこともなく、イエスさまが目の前に現れてくださったこともないためイエスさまのことも感覚で実感したこともなく、聖霊さまも降りて来ているわけではない段階なので、イエスさまの復活を喜びたくても感情や感覚を伴う喜びや嬉しさの気持ちがまるで湧き起らないため、どう思っていいかわからない。

しかしもし私が信仰できた暁には、私が地獄の火と硫黄の池に投げ込まれて永遠に責め苦にあって苦しく辛い思いをしなくてもいいように神さまとイエスさまがしてくださったこと、死後に神さまの国に行けたとしたら、そこは平安と喜びと愛が体験できる本当の幸福を体験しつづけて神さまとイエスさまに愛されながら生きることができるということなので、それもやはり想像もできないことのため感覚や感情や気持ちを伴う実感としての嬉しさや喜びを感じられないことを残念に思う気持ちがあるが、

神の国に入れたとしたらその時私は地上で生きた時にこの信仰の道を進めたこと、私が聖書を学ぶのにAさんとBさんが命を使って熱心に真剣に私に聖書と信仰についてを教え続けてくださったことに感謝するだろうと思います。
信仰が持てず肉として人生が終わってしまったとしたら、神さまとイエスさまを想う気持ちを持っていても、最後の審判で地獄の火と硫黄の池に投げ込まれるのであれば、その責め苦の苦しみと辛さも想像もできないので、これもどう思っていいのかがよくわからない。

私が今わかるのは、神さま、聖書の学びをし続けますので、少しでもいいから聖書の御言葉とその意味を覚えさせてください、という気持ちと、
神さま、イエスさま、あなたにお会いしたいです、という気持ちと、
本当に愛することができるようになりたい、愛を知りたい、という気持ちを持っているということと、

一般的な日本人としてこの信仰への道を考え始める前までは、一般的な日本人として小さな頃から神社を体験し、神社に本物の神さまだけにお会いしに参拝していた私としては、どうも「神さま」と思う時、本物の神様であるヤハウェさまのことしか考えていなくて、イエスさまが神さまであることもわかったしイエスさまに特別な想いも抱いているのに、どうも「神さま」とお呼びした時、私はヤハウェさまのことだけを考えているので、イエスさまと聖霊さまもヤハウェさまと一体なのだということがどうもうまくつながっていないような感があることに気づきまして、神さまにこのことでどうしたらいいかわからないことを伝えて助け導いてくださいとお願いしています。」

ヘルパーさんと意思確認をしてみましたが、一般的な日本人として神さまに対して思っている概念が、『仏さま』のように思っていないかについてお訊ねしてみましたが、それにはなにかコメントはいただけませんでしたが少し首を傾げておられるところがありましたので、神さまが怒る存在だというのは概念としてお持ちだったようです。

それで、ヘルパーさんに確認はしませんでしたが、神さまが怒ると思っているのなら、それはもしかしたら、

人間のお父さんやお母さんのように悪いことをすると怒るけれど「ごめんなさい」と謝れば結局は優しく許してくれて保護し続けて育て続けてくれる存在だと人間のお父さんやお母さんに対して思っているので、
神さまのこともそんな風なイメージを抱いている概念があるのではないかということを思い、ヤハウェさまが人間の罪に対して命をもって贖わなければ赦すわけにはいかないというくらい激しくお怒りになる御方であることがいまいちピンと来ない、せいぜいちょっと悪いこと、不幸だなと思う出来事を私達が体験すればそれが天罰としての神さまの罰でそれによって神さまは私たちを赦してくださる優しい御方である、

という概念を持っているのではないかと思いました。


゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*

以上です。

イースター(復活祭)について調べるために資料として読ませていただいたサイトはこちらになります↓

【サイト】クリスチャンサイト
横浜指路教会
『主イエスの復活』

http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message040411mf.htm

【サイト】クリスチャンサイト
仙台福音自由教会
『復活信仰に生きる』

http://sendaiefc.com/mission/messages/2003/20030420.html

【サイト】クリスチャンサイト
静岡キリスト教会
キリストの十字架と復活について
キリスト教Q&A2

http://www.dct3.net/index.php?%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6%E3%81%A8%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

【ブログ】クリスチャンブログ
聖書から人生を考えよう
★キリストの復活の意味は何か

https://blog.goo.ne.jp/goo1639/e/5348ce7576b26dbd6d02a1f9abb97432
※特にこの方のこの記事はとてもわかりやすかったです。
以下のこれらを説明してくださっているのでとてもわかりやすいのです。
【1】キリストの復活は、聖書が神のみことばであることの証拠です。
【2】キリストの復活は、神の実在を疑う予知なく証明しています。
【3】キリストの復活は、明らかにキリストの神性を示します。
【4】キリストの復活は、キリストの無罪性を証明しています。
【5】キリストの復活は、キリストが救い主であることの証拠です。
【6】キリストの復活は、キリスト者が神の前に義とされることを保証します。
【7】キリストの復活は、信者(クリスチャン)の復活の保証です。
【8】キリストの復活は、キリストが悪魔に勝利した証拠です。
【9】キリストの復活は、キリストの再臨を保証します。
【10】キリストの復活は、罪人のさばきが必ずあることを確証します。

これらのテーマの記事が書いてあり、とてもわかりやすいのです。

【サイト】クリスチャンサイト
ディレクターズ・コーナー
主に仕えるあなたのために
そのすべての核心にあるもの:救い―神の計画

https://directors.tfionline.com/ja/post/heart-it-all-salvation_ja/

【サイト】クリスチャンサイト
『肉に従う、霊に従うとは』ローマの信徒への手紙8章1~11節

http://www.kinan-ch.org/shuho-msg/year-2015.msg/msg15-4.5.6/msg15-6.21.htm

【サイト】クリスチャンサイト
お茶の水クリスチャン・センター
2013年2月14日
『日々の聖書とメッセージ』

http://ochanomizu.cc/dairybible2/dairybible001-01.php?gyyyymmdd=20130214

【サイト】クリスチャンサイト
Rennant キリスト教読み物サイト
終末と新世界
終末の時代に起こる事 第9章
サタンの起源と滅亡
悪の勢力の主体=サタン。その起源と現在、そして滅亡の時。

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/shumatsu09.htm
※イエスさまの復活が悪魔に勝利したことについて調べて紹介されたんだと思います。
まずサタンを知らなくては主の復活の『悪魔に勝利した』の意味がわからないためです。

今回、イースター(復活祭)について調べていて、他のお経を唱えて現世利益を得ようとする仏教信仰や唯一絶対神であるヤハウェさまとイエスさまを信仰しない宗教というのはなにも私たちを本当の命で生かすことができるものでもなければ、肉体の死後に霊魂の行き先がどうなるのかについてもまったくはっきりとしていないものであり、『神ではないもの』を信仰していることでおかしなことなのだというのがよくわかり、

キリスト教信仰への道に進むことは間違いではないのだ、ヤハウェさまとイエスさまが本物だとはっきりとわかりとても勉強になりました。
(*^人^*)

神さま、イエスさま、私たちへの大いなる愛と恵みに感謝いたします。
私はヤハウェさまとイエスさまについていきます。
キリスト教が本物の神さまへの信仰の宗教です。


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【固定】 『イエスさまを信じる祈り』を求められたらまずは断ったほうがいいという理由について

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
聖霊を賜って本物のクリスチャンになれた『聖徒』の方たちが、『アウトリーチ』と呼ばれる初代教会がやっていたイエスさまの御名をもって命じての即時治癒と悪魔・悪霊祓いの『しるし』『証』をして、

その病気治癒(または悪魔・悪霊祓い)に驚いた人たち(特に若者をターゲットにしているようです)に、聖霊を賜ったクリスチャンである『聖徒』の方たちが、

「イエスさまを信じますか?」

と訊いて、即時治癒や悪魔・悪霊祓いに驚いた人たちがイエスさまをすごいと思って、

「信じます」

と頷いて言うと、すぐに『イエスさまを信じることを宣言する祈り』を、

「じゃあ私の後についてこの言葉を言ってください」

と、

「~~~~~~~でイエス・キリストを信じます」

と祈らせて宣言させる、いわゆる

『信仰宣言』

をさせている聖霊を賜った本物のクリスチャンになれた(らしい?)『聖徒』らしき方たちがいます。

しかも、大学生や社会人になったばかりなのかなという若い子ばかりを狙って宣教活動のアウトリーチしていますが、宗教団体が大学生や若い子を狙って入信させるので大学も注意をよびかけています。

信仰への道に向かって何度も挫折しそうになりながらえっちらおっちら聖書勉強中の私から言わせていただきますと、

聖徒や信徒がアウトリーチでイエスさまの奇跡の力にびっくりしてイエスさまを信じると言った人にすぐ『信仰宣言』をさせるのは、クリスチャンの身勝手な行為です!!

私に聖書を6か月教えてくださっていたクリスチャンご夫妻は、私に『信仰宣言』をさせたことは1度もありません!!
クリスチャンご夫妻は聖書の学びのあとに1人ずつ神さまにお祈りする時間を設けて私もクリスチャンご夫妻に聴かれる神さまへのお祈りをしていましたが聖書の学びの時にするお祈りにはあるルールみたいなのがあるので、信仰宣言や『主の祈り』を祈ったりすることはなく、
クリスチャンご夫妻は1度も私に『信仰宣言』をするように祈りの言葉を言われて後について繰り返して『信仰宣言』を言うようにとさせられたことは1度もありません!!

プロテスタントの一般福音教会の聖書勉強会の聖書の学びの最後にも1人ずつ神さまに祈る祈りの時間があり、祈れない人は「すみません」と次の人に声をかけてパスさせてもらえ、全員が手短に祈り終わると『主の祈り』をみんなで祈るのはありましたが、『信仰宣言』をするようなことは1度もありませんでした!!


私のこのキリスト教信仰への道のこのブログを見てメールをお出しになった方がいましたが、その方は別の地域の共同体で暮らしているキリスト教団体でみんなでアウトリーチをしにいくと言っていて、その方もアウトリーチでイエスさまの御名をもって命じての病気治癒と悪魔祓いをしてその人がイエスさまを信じると言ってくださったら、『信仰宣言』をしていただくのだと言って、

「信仰宣言をすれば、その人にイエスさまが来てくださるから、あとはイエスさまがやってくださるから」

と自分たちで責任を取ることもしないのにイエスさまに丸投げすることを言っていたので、それを聞いた時に私は、

「誰がそんなデタラメ教えた!!
『使徒言行録』に12使徒のペトロさまとパウロさまとフィリポさまが異邦人にしっかりと福音を伝えて信仰宣言を“させた”という御言葉なんて書いてない!!
私なんてカトリックの日曜ミサに毎週通って『使徒信条』をみなさんと一緒に何度も祈っている、
だけど堕天使の攻撃の腰の激痛や手首の激痛でイエスさまの御名をもって神さまに助けを求める祈りを何度もしたけど、病気治癒なんてしていただけなかった!!

外のことで食べ物のことと医師のことでは願いを叶えてもらえることはよくあるけど、イエスさまが来てくださってやってくださる、なんてそうなのかどうなのかよくわからないと思うこともある!

私はクリスチャンご夫妻から教えてもらっている、

「イエスさまがやってくださるから私たち見ていればいいよね、は違います、私たちがやるんです」

って、イエスさまに丸投げするのではないと教えてもらっている!!
イエスさまを信仰することがどういうことなのか何もわかっていない教えてもいない若い子たちやさまざまな年齢の人たちなど一般人に『信仰宣言』を“させて”イエスさまがその人に来てくださってやってくださるなんてデタラメ、誰が最初に教えた!!」


と思いました。
(~_~;)

新約聖書の12使徒の福音宣教の話の『使徒言行録』で、福音を伝えた人にペトロさまやフィリポさまやパウロさまが『信仰宣言』をさせるような話は書かれていません。

新共同訳聖書の『使徒言行録』8章26節~40節に『フィリポとエチオピアの高官』の話の御言葉の個所があります。

新共同訳聖書
使徒言行録
8章26節~39節
フィリポとエチオピアの高官

26さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。 27フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、 28帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。 29すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。 30フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 31宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 32彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、
口を開かない。 33卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」 34宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 35そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 36道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 37*フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。 38そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 39彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。


この御言葉でわかりますか、使徒フィリポさまはエチオピアの宦官に福音を伝えて、
「私のあとについてこの祈りをしてください」
なんて言ってイエスさまを信じる祈りを「言ってください」と言って“させる”ことはしていません。

宦官:「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
使徒フィリポさま:「真心から信じておられるなら、差し支えありません」
宦官:「イエス・キリストは神の子であると信じます」
←ここで宦官が自ら『信仰告白』をしたということになり『信仰宣言ではない』のです。

フィリポは『信仰宣言』も『信仰告白』も宦官に「してください」と言って“させて”いないのです!

私が行かせていただいているカトリック教会の日曜ミサでは、毎回、『使徒信条』という『信仰宣言』を言うのですが、それは水の洗礼を受けてクリスチャンになった信徒さんたちが神父さまのバチカンから指示された通りの日曜ミサの『儀式』の通りに『信仰宣言』を必ずするようになっているので、『使徒信条』の『信仰宣言』は『水の洗礼や聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンの人たち』が宣言する祈りをしているのです。

他に使徒ペトロさまが異邦人(ローマ人と解釈されている)のコルネリウスとその家の者たちに福音を伝える話の御言葉が『使徒言行録10章34節~48節『ペトロ、コルネリウスの家で福音を告げる』『異邦人も聖霊を受ける』』の個所に書かれていてこの話は話の流れとしては『使徒言行録10章1節~33節『コルネリウス、カイザリアで幻を観る』『ペトロ、ヤッファで幻を見る』の個所の御言葉から始まっていますが、ペトロさまが熱心に福音を伝えている最中に御言葉を聴いている一同の上に聖霊が降(くだった)ので異邦人コルネリウスとその一同はペトロに『信仰宣言』も『信仰宣言』をするように言われてなんていないです。

他にも『使徒言行録16章16節~34節 パウロたち、投獄される』の御言葉の個所でも、使徒パウロさまとシラスさまが投獄されて真夜中に讃美歌を歌って神さまに祈っていたら大地震が起きて牢の扉が全部開いて囚人の鎖が全部外れて目を覚ました看守が囚人が全員逃げたと思って自殺を図ろうとしてパウロさまに止められ、その看守はパウロさまとシラスさまに救われるためにはどうすべきかをお訊ねになり、パウロさまとシラスさまは主イエスを信じなさいと伝えて、看守はパウロさまとシラスさまの傷の手当てをしてすぐ水の洗礼を受けますが、看守が『信仰宣言』や『信仰告白』の言葉を言った話の御言葉は書かれていないです。

他にも『使徒言行録』にはパウロさまが福音を述べ伝えて水の洗礼を受けた人たちの話が書かれている箇所をケリー篠沢さんの新約聖書の漫画『使徒』を辞書代わりにして探して新共同訳聖書の御言葉の個所を確認したけれど、聖書の御言葉には水の洗礼を受ける時のやりとりの言葉が書かれていなかったので割愛します。

イエスさまが地上におられた頃にイエスさまご自身がお選びになった『初代教会の12使徒たち』が、
福音を伝えて病気治癒や悪魔祓いをしたあとにその人たちに「イエスを信じますか?」と言って「はい」と答えたら、
「じゃあ私の後についてこの祈りをしてください」
とイエスさまを信じる祈りの言葉を言わせて『信仰宣言』を“させたりしていない”のです!!

12使徒たちに福音を伝えられて主を信じる心を開いた人は、そこに洗礼を受けられる水、つまり水に体を沈めることができるだけの深さの水があるということですが、水の洗礼を受けられる水がそこにあると、自ら「水の洗礼を受けたい」ということを望んで言ったのです。
(使徒ペトロさまの場合は水の洗礼を超えてその人たちに聖霊が降(くだ)りましたね)

聖霊のバプテスマも授けられない聖徒らしき人たちが、なぜアウトリーチでしっかりとした福音を述べ伝えるのに必要なだけの時間をしっかりその人(たち)に割いてもらってしっかりと福音を述べ伝えることもできないような接する時間が短いしっかりしていないアウトリーチで、

声をかけ少しの時間付き合ってくれたその子・その人たちに、現世利益と死後利益をちらつかせただけだろうと思われるイエスさまのことのちょろっとした話で、

キリスト教信仰についてのあれこれを何も知らない、聖書もほんの少しでも読んだことが無い、まだ若者の中でも若すぎて世間知らずで社会の荒波に揉まれてもいないパパやママに保護されている大学生や社会人になったばかりのまだまだ世間知らずな幼稚な子たちや、歳だけは取って社会の荒波にも揉まれたけど心がまだ幼稚なままで「ママのおっぱい」を未だに他者に求めているような『図体のでかい子ども』みたいな本気で信仰する気持ちがあるわけでもない人たちに、12使徒もなさらなかったような『信仰宣言』をなぜさせたりするのですか?

(高齢になって肉体が老化して体が弱ることで心も弱って脳の関係で童子返り(わらしがえり)してしまったご年配の方は幼稚園児や乳幼児みたいになってしまうのは死へ向かう方だから仕方ないことなのでここでは省きます)

それにその若い子たちとか中年の人たちは、男性で長男ならその家の先祖代々守って来た仏教の先祖のお骨を納めたお墓の『墓守』(はかもり)になる立場の人なのは確実だし、今は長男が墓守にならなくて親が気に入っている次男とか三男が墓守になる場合もありますが、

男性でも女性でも一人っ子で『墓守』の立場の人もいますし、

女性でも女姉妹の家庭だと、家の存続にこだわる物の考え方の家族だったりすると女姉妹の誰かが必ず『墓守』になってほしいと親や姉妹たちが思ったりして『入婿(いりむこ)』をもらいなさいと言われたりする古い物の考え方の家庭も日本の女系家族の家庭にはあるかもしれず、

『墓守』になることが決まっている立場の方は『先祖代替の宗教であるどこかの宗派のお寺の檀家(だんか)であるという『仏教』や、親が『新興宗教団体』の熱心な(または妄信的な)信者さんで『●●2世』『●●3世』の子たちになると、先祖代替から受け継いだお寺の檀家であるという『仏教』や『新興宗教』からのクリスチャンへの改宗に長年かかるひと悶着が親子間だけでなく親戚一族間でもある場合は多いだろうと思いますし、なんとか認めてもらえて改宗させてもらえても檀家のお寺の『お墓』を永大供養するのに高額なお金の支払いをお寺にしないとならないのですから、

その新しく信徒になった方の親御さんとの話し合いなどにも教会の先輩クリスチャンは責任もって協力して神さまとイエスさまの『証』をその親御さんに体験していただいてその家庭で揉めてる親御さんと話し合ったり神さまとイエスさまの『証』を目の前でしてさしあげたりすることで、親兄弟や親戚一同の信頼を得てその信徒さんがクリスチャンに改宗しやすいのかもしれないし家族どころか一族まるごとクリスチャンに改宗させられるだけの協力ができるのか、するのか、

親世代が亡くなった方は墓守については自己責任だけど、お墓の永大供養して手放すとか、先祖のお骨をお寺のお墓からキリスト教墓地に埋葬してお寺の檀家をやめるのに高額なお金がかかるとかで信徒にお金がなかった時にご寄付を集めて支払ってあげるのか、それともその信徒さんのお家の先祖代々檀家になってるお寺のお坊さんと話し合って聖徒さんが支払えるお金で檀家をやめさせていただいたりする交渉に協力したりだとか、3代前の親が新興宗教の熱心な(または妄信的な)信者さんでその新興宗教でのお墓があったりした場合は祖父母と親共々、福音をしっかり述べ伝えて神さまを証(あかし)して家族ごと改宗させて新興宗教から脱会させてその新興宗教のお墓も高額なお金を支払わないで済むようにして遺骨をキリスト教墓地に埋葬できるのか、

そういうことまできちんと教会の信仰者としての責任を教会全体で持つ覚悟で、『墓守』かもしれない立場の若い子たちや中年の人たちにアウトリーチしたり、ネット上で『近くならうちの教会の信徒になりませんか』の教会活動をしているのですか、と私は思います。

『信仰宣言』をさせるならすぐにその場でその人の頭に手を置いて聖霊のバプテスマを授けられないのであれば、『信仰宣言』をさせたまだ幼稚な世間知らずの若い子、社会人のその人に『信仰宣言をさせた信徒としての自己責任』が取れないのだということです。

未成年でパパとママの被保護下にいる学生さんに声をかけてその子に声をかけた信徒さんたちの教会に所属する信徒になってもらうのなら、その教会のクリスチャンの方々は、その未成年者の保護者に対してクリスチャンとしての信仰においての責任と教会においての責任をちゃんと取り、保護者の信頼を得なくてはならない責任を課されるので、ちゃんと親とその被保護下の子どもに対しての責任を背負って責任を取らなければならないということをしているだというのを教会リーダーと共に理解しておられてその覚悟をもって教会活動をしているのですか、と私は思います。

信徒数の少ない小さな教会ほど、こういうことができず、また献金額も少ない場合があるので、

「それはその人の家の墓のことだから私たちには関係ない」

って責任放棄なさっているのではないですか?


私もこのブログでキリスト教の信仰、神ヤハウェさまとイエスさまと聖霊さまの信仰は私たちにはとても大事なんですよ、ということを伝えている記事や『聖書の学び』のことを記事にしていたり、キリスト教信仰に絡めた自分の体験談などの話しを書きますが、キリスト教信仰にかなり挫折することを何度も体験している記事を書いているので、

「キリスト教を選べば、イエスさまを信仰すれば、幸せでキラキラよ~♡‥*。。☆‥♪」

なんて「素敵なクリスチャンの私たち」という姿は見せていません。

(この人こんなに心が汚いのかという不様な心を見せています。
クリスチャンがやってはいけないとおっしゃっている「地獄に堕ちろ!!」とか「みんな地獄に突き落とされて滅びればいーんだよ」になったとかを書いていますし)

そういう点ではリーハイバレージャパニーズミニストリーズさんが紹介している海外の聖徒さんたちの集会での話や個別陰他Bチューの話しで、悪魔崇拝者になっていった人生と悪魔崇拝者として活躍していた頃のことの話や、占い師や黒魔術師の人たちに会いに行って福音を伝えて悪魔祓いしている聖徒さんによってクリスチャンに改宗できた人の大変だった話や、パートナーが突然怒り出すようになってしばらくの間祈り続けた話など、

「イエスさまの信仰者である私は愛に溢れていてキラキラで心も物質的環境も経済的に豊かに恵まれていて幸せなの♡」

なんて話はしていなくて、イエスさまに救われるまで自分の心の弱さによって選んで生きていた人生は悪循環だったのだとそこからイエスさまによって救われて抜け出せた人生体験談などを、聖徒さんによっては動画で顔を出して話しにくいような辛い体験談も話をしてくださったりの動画で、今はその体験から隣人を助けるためにどういうことをしているかとか話してくださるので、彼らは非常に素直で正直な聖徒の方たちが多いみたいだなと思います。

日本のキリスト教団体の信徒さんのアウトリーチで『信仰宣言』をさせるのはクリスチャンの身勝手さだと申し上げておりますが、
リーハイバレージャパニーズミニストリーさんの動画でアウトリーチの動画はありますが、信仰宣言や信仰告白をした若い子にすぐにその場で頭に手を置いて聖霊のバプテスマを授けていた若い男性聖徒さんがいましたが、海外の聖徒さんのアウトリーチでも『信仰宣言』をさせている動画は見たことありません。


聖書はこちらのサイトで無料ダウンロードできます↓
携帯、タブレット、パソコンに
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https://www.bible.com/ja


そのアウトリーチをしている『聖徒』たち(聖霊を賜ったクリスチャン)たちは、最近増えているらしい家庭教会と言えばわかりやすいかもしれないですが、『ハウスチャーチ』とか『シンプルチャーチ』という形態の小規模な教会が各地にできているようで、根となっている海外のキリスト教教会団体がどうもあるようなんですが、
どうも日本における教会団体としては規模の小さな個人運営レベルかなというような小さな教会なのかなとは『シンプルチャーチ』などで検索するとそういう教会に所属している人のブログがちらほら引っかかるのでそうなのかなと思っているだけではありますが、
その小さな教会のリーダー(指導者、弟子育成者)である人は、『シンプルチャーチ開拓者コース』などを受講して教会リーダーの独自資格か何かを取得したらしい立場のクリスチャンのようですが、その小規模教会リーダーの立場の人は、牧師や宣教師が所属していると思われる海外の大きなキリスト教団体に所属したりしていて、実はその小さな教会には根になるキリスト教団体があるんですという教会リーダーの小さな教会・家庭集会をしている教会の『聖徒』たちだったりするようですし、

そういう小さな教会が信徒たちの人数が増えてきて規模が大きくなってきたり、その教会のリーダー(指導者)に神さまのお命じによって共同体での生活で信仰活動をする為の場を造るよう神さまが命じられた時に多額のご寄付金が得られて広い土地を買って農地にしたりして共同体生活をしながら信仰活動をしている教会団体などが他の地域にはどうやらあるようで、そういう所の『信徒』さんたちのようです。

ですがキリスト教について何も知らない段階で「イエスさまを信じます」という『信仰宣言』はなさらないでいただきたいのです。

なぜなら、

イエスさまへの信仰とは究極を言えば、

イエスさまのために
殉教できますか


ですからね。

大切な人を、家族を殺されてもその人をゆるしなさい。
大切なパートナーの女性や娘や自分自身がレイプされてもその相手をゆるしなさい、
大切なパートナーの女性や娘がレイプされて妊娠しても、自分自身がレイプされて妊娠しても、
聖霊を賜っていれば、神さまと共にあれば、その子種は神さまが授けた子種なのだから赤ちゃんを産んで神さまと共にその子を愛して育ててあげなさい、
その子を育てあげてその子が成人した時、
「ああ、この子を育てたことで知ることができたことがいっぱいあって良かった。」
と思えることがあったら、それが神さまがあなたに教えたかったことなんですよ、

どんなに誰かにひどいことをされてもゆるしてその人のために神さまに祈りなさい、
(その罪なことを自分にしてきた人がクリスチャンなら話をして戒めて忠告するのはする)、

というのもキリスト教の神さまの信仰の教えにあり私はそれを教わりレイプで妊娠についての信仰の教えや、『聖徒』が隣人に『利己の利己』『利己の利他』をしていることで信仰への気持ちが萎えたり信仰への心の力を失ってきてしまったりして、信仰への道にしょっちゅうつまづいているくらいです。


もし「イエスさまを信じますか?」と言われたら、

「聖霊のバプテスマを授けられる牧師さんが水の洗礼を受けてすぐ私の頭に手を置いて聖霊のバプテスマを授けてくれるんですか?」

と質問して、信徒・聖徒(クリスチャン)の答えが「NO(いいえ)」だったら、

「なにかでキリスト教のイエスさまへの信仰は究極を言えばイエスさまのために殉教できるかで聖霊を賜っていないと殉教は覚悟できないことなんだと言っているのを何かのブログで見たことがあるので、
キリスト教について私は何も知らないので、聖書を読んでみてイエスさまを信仰するとはどういうことかわかって、自分が受け入れてからにしますので、今は信仰宣言はお断りします。信仰宣言は自分が決めた時にいつでもできるからアウトリーチで声をかけられて病気治癒や悪魔祓いしてもらった時にしなくてもいいのだとなにかのブログで見ました。」


と言って交わして逃げてほしいのです。

病気の即時治癒と悪魔・悪霊祓いという『現世利益』と、

「イエスさまを信じると死後の最期の審判でイエスさまが神さまに取り成してくださって天の国に入れて永遠の命を生きることができるので地獄に堕とされないのですよ」

という『死後利益』という、さもあなたに都合の良い幸福のメリット(利益)しかありませんよというのを提示して(チラつかせて)イエスさまへの『信仰宣言』をさせるのは『信徒』として間違っていると私は思います。

なぜなら、宗教勧誘によくある入信させるための騙しの手口と共通するようなことをやっていることになるからです。

宗教勧誘によくある入信させるための騙しの手口とちょっと違うのは、『信仰宣言』をさせた後に、連絡先の名刺や教会のちらしを渡すくらいのようなので、その『聖徒』たちの教会にまだ所属させるとかいう段階でやっていることではない場合だけ悪質とは言えない、そう言いにくいことなのかもしれないというだけだと思います。

その場で『信仰宣言』をさせてその『聖徒』が『聖霊のバプテスマ』をすぐに授けられる牧師や『聖徒』だった場合、

「後日、うちの教会で水の洗礼をしましょう」

ということになったとした場合、もしかしたらもうその聖霊のバプテスマを授けた『聖徒』には自分が所属している教会団体にその人を所属をさせるという意図が『聖徒』にあったかもしれなくて、
その人が聖霊のバプテスマを授けられる牧師や『聖徒』の教会団体に所属して水の洗礼を受け所属してもらうということをするのなら、『信仰宣言』のすぐ後に牧師や『聖徒』が『聖霊のバプテスマ』を授ける前に、

「私の所の教会団体に所属することになりますがいいですか?」

という説明をしておかなければならないし、その説明も無しに『聖霊のバプテスマ』を授けたりしてそのクリスチャンの所の教会に引っ張って来ることをしているのであれば、ちょっとこれはクリスチャンとしての宗教活動(福音活動)としては問題行動になると私は思います。

一般人の方や他宗教の方や無神論者の方に知っていてほしいことは、
外で聖霊を賜ったクリスチャンである『聖徒』たちに声をかけられてイエスさまの御名によって命じての病気治癒や悪魔・悪霊祓いをしてもらったあとすぐに『信仰宣言』をしても大丈夫なケースには例外があって、

その場でその『信仰宣言』をした人の頭に手を置いて『聖霊のバプテスマ』を授けることができる『聖徒』である方が聖霊のバプテスマを自分は今すぐに授けられるということをその『聖徒』(聖霊を賜ったクリスチャン)が先に言って、所属教会が私の教会になりますよと説明されてからなのであれば話は別です。

あなたが「イエスさまを信じます」と信仰宣言をしてすぐに頭に手を置いて『聖霊のバプテスマ』をまず先にしてくださった場合は聖霊が先にプレゼントされるので、その後でそこの教会で『水のバプテスマ』を授けてもらえばいいから聖霊を賜った本物のクリスチャンになれてしまうので、神さまとイエスさまがあなたを信仰者にするとお決めになられたということだから問題はないだろうと思います、

ただし、『クリスチャンとしての人生を生き福音を伝えながら神さまのことを『証』する信仰活動をする信仰者生活』になるということですので、信仰者というのは立場は聖職者と何も変わらない、神父や牧師やシスターという公的に認められる聖職者の役職に就いていないだけでの立場になって生きるということですので、

「俗世のこの世の人たちと同じような人生生活はほとんどしなくなるし神さまへの信仰の上でできなくなったりする」

ということです。
(俗欲の我欲を色々満たすような人生ではなくなるようで神さまのために生きるようになることをクリスチャンご夫妻との聖書の学びで気づかされたり教わったりしました)

だからイエスさまへの信仰を若い子が自分個人でパッと決めて信仰者になった場合、親が先祖代々やってきた家の宗教や墓守についてのことなどで親とひと悶着あるかもしれないし、親との確執が起きてそれが長引いてしまったり、キリスト教信仰者になったことで親兄弟や親戚から迫害を受けたり縁切りをされたりとか、親が必死でやめさせようとしてきたりなどあるだろうから、理解していただけるまで親や親族と向き合っていくか、親や親族に縁を切られて家を出なければならないということなどがある場合もその家系の家庭の家族・親戚関係であるかもしれません。

所属させようとされている教会団体がセクト(カルト)ではない団体かどうかもわからない段階の場合は、『信仰宣言』をしたりしないで交わしてほしいのです。

なぜなら、イエスさまを信じる『信仰宣言』は『使徒信条』と言う祈り言葉があるので、自分で本当にこのキリスト教信仰をしたいと思った時に自分1人で祈ればいいし、カトリックの日曜ミサでは毎回『使徒信条』を祈る時間があるのでプロテスタントの一般福音教会の日曜礼拝でもそうではないかと思いますから、アウトリーチの『聖徒』たちと一緒に祈らなくてもいいからです。

使徒信条
(信仰宣言の祈り言葉が書いてあります)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E4%BF%A1%E6%9D%A1


『信仰宣言』をすぐにさせられそうになったら、

「信仰宣言をしたあとすぐ、あなたが私の頭に手を置いて『聖霊のバプテスマ』を授けてくださるんですか?」

とその『聖徒』に尋ねてみていただければと思います。
「それはできません」なら『信仰宣言』はしてはいけません。


『信仰宣言』のあとすぐに『聖霊のバプテスマ』を授けてもらえない場合、『イエスさまを信じます』と宣言する祈りはイエスさまに約束することですから、それを守らないと万物の創造主(唯一絶対神)の神ヤハウェさまとイエスさまにウソをつくことになりそれは神さまに背く罪となり、死後は地獄行きになってしまいます。

イエスさまを信じると宣言する『信仰宣言』をしたのに、信仰について聖書を学んだりして信仰する気持ちになれなくなった時に、

「やっぱり無神論者で生きます」とか、
「やっぱり仏教がいいです」とか、
「やっぱり日本人なので日本神道で」とか、
「親が宗教に関わるなって言うからやりません」とか、

そういう理由でこの『信仰宣言』の約束を守らない場合、死後に神さまとの約束を破って約束を守らなかった罪によっても地獄行きになってしまうのだろうと思います。
(旧約聖書のエズラ記7章から読んでいったら死後に霊が辿る道のことが書いてありました)

「イエスさまを信じます」というイエスさまの信仰者になることは、多神教の八百万(やおよろず)の神々の1人として信仰するのとは違うので、神社参拝みたいに教会のミサや礼拝に行って説教を聴いて讃美歌歌えばいいんだなとかいうようなことではないんです。

この信仰は、まず究極を言ってしまえば、イエスさまの信仰者になった場合、『殉教』する時は『殉教』して死んでいく、つまり、

『イエスさまの名の為に迫害されて自分を迫害した人たちのことを主に「この人たちに罪を負わせないでください」とお祈りして殺されていく』

ということも究極的にはすることが、まず究極の神さまの為に働くことの中に1つあり12使徒はみんな殉教していったとのことですし、12使徒ではないその後の聖職者にも殉教していった方がいます。

イエスさまが心と体に入って来てくださって救ってくださって聖霊をプレゼントしてくださると(聖霊を賜ると)信仰者は殉教ができるようにされるはずですが、

それは必ずしも自国で殉教するとは限らず、外国で殉教するかもしれず、そうなると親も妻も夫も彼氏彼女も自分の子どもも孫も親友も友達もペットも置いてイエスさまの名のために殺されて死んでいくということです。


殉教は『堅いものを噛む信仰』という成人の信仰(大人の信仰)をしている人たちの身に起きたりするのだと思います、12使徒の方々がそうでパウロさまがそうでしたから、ただ私たちはイエスさまが生きておられた時に直接選ばれた者である12使徒の方たちとは人としての器もイエスさまからの扱われ方(?)も違い過ぎるはずだから、

人としての器が小さいと、小さき弱き者ほど神さまは護るそうなので、殉教という神さまの為の働きは『究極を言えば』の話ではあるのだろうと思いますものの、自分という器を神さまがどのように見てくださっているかで、自分がその器として選ばれた場合は信仰者生活の人生において神さまのお命じにより海外に行くことになって『迫害』を受けながら神さまのための活動をして『殉教』して死んでいく信仰者人生がが実は自分の人生にあるかもしれないのです。

カトリックの神父さんもシスターも、ある日突然、「どこどこの国に行って神さまの活動をして奉仕しなさい」と上の立場の聖職者の方に言われたり、神さまから直接お命じがあったら、すぐに「はい、聞き従います」と言ってすぐにカバン1つに最低限必要なものを詰めてその国に出発して、聖霊の働きによってその国の言葉を勉強しながら、迫害を受けようがなんだろうが奉仕活動をするのです、

マザー・テレサさまもそういう聖職者の信仰人生だったので、マザー・テレサさまのことを伝える本やマザー・テレサさまの日々の言葉の本を読んだり、マザー・テレサさまが生前に聖職者に宛てて書かれた『魂の暗夜』の心を書き綴った書簡の本もあるそうですし、マザー・テレサさまのドキュメンタリー映画やマザー・テレサさまを取材したDVDもあるので観るといいです、カトリックのキリスト教書店に売っているはずです。

(カトリックの修道院は身寄りの無い自分が老後に信仰者として入って修道士になって、最終的には仲間の聖職者たちに老後介護をしてもらって死んでいくことを望めるような老人福祉施設代わりにするような所ではないですから、カトリックの聖職者になるのはプロテスタントの神父より手厳しい道ですから、老後は修道院を老人福祉施設代わりにしようなんて甘い夢は見ないことです。)

信仰者として大変な思いをしながらもたくさん体験しながら信仰者として成長していったりしながら、結局は平安に幸福に生きて死んでいけて殉教ではありませんでした、という信仰者の道を歩む人もいるとは思いますが、

この信仰をしたら、神さまとイエスさまに護られて平安で平和で幸福な現世利益の人生を生きていけます、ということではないんです。

本物のクリスチャンになれた『聖徒』は必ず悪魔・悪霊(堕天使)との戦いをすることになるから、神の戦士として生きるのがこの信仰なのです。

そしてこの信仰は、『神さまの命(めい)に素直に聞き従うこと』なので、神さまからお声をかけられたら、即座にひれ伏して、

「はい、神さま、僕(しもべ)は聞いております」

神さまからのお命じがあったら即座に、

「はい、神さま、僕(しもべ)は聞き従います」

なので、

「神さま、私はそれはやりたくないです、嫌です」
「神さま、私はそれはやりません」

の自分中心主義選択はもう神さまとイエスさまと聖霊さまを信仰していないということでそれだけで不信仰者になり、自分中心信仰で神さまを信仰していない者になってしまうのです。
(ということをクリスチャンご夫妻との聖書の学びで教わっています)

聖霊をプレゼントされると我欲と性欲はとても薄くなると聞いていますが、今まで自分が当たり前に楽しんでいたような自分の我欲を満たすことはできず、

「神さま、私に何をしてほしいと思っておられるでしょうか、私は神さまが私にしてほしいことを一生やり続けます、例えそれがあなたのために迫害されて殉教していく道なのだとしても。」

というのが神さまとイエスさまへの信仰なので、自分の我欲を満たしたいと思ってそれを行うと、神さまがそれに嫉妬して遠く離れてしまうそうです。

この信仰の重要な掟は、

「神を愛し隣人を愛する」

なんです。つまり、

「神さまを愛し、神さまが愛している隣人を愛するので、隣人に対して『利他の利他』次に少し『利他の利己』をするようにし、どうしてもしょうがない時だけは『利己の利己』『利己の利他』をするしかないところはあります」

ということで、

『神さまとイエスさまと隣人(ひと。他人)のために命をかけて仕えさせていただき働かせていただいて愛します」

ということです。

しかしそれは他者の我欲を満たしてあげて、「いいこいいこ、よちよち」としてあげて甘えさせてあげることではありません。
私は人生46年間のうち21歳からそれをやり続けましたが、私から優しくされて「いいこいいこ、よちよち」をされて、欲しいメリットを要求してきて私を奴隷よりひどい扱いをした人たちは、誰も心が大人に成長せず幼稚な幼子のままで自分が相手から愛されないことをしていることすら自覚のない人たちでそれを指摘すると利己的な言い分の文句を言ってきたり怒ったりするどうしようもない人たちでした。

クリスチャンとしての隣人愛は福音を伝えて聖書のことを教えて『隣人を立ち上げることを言う』ことです。

そして『打ち砕かれて』『へりくだる』。

そして神さまは『愛』と『義』であり『聖(せい)そのもの』、『聖(きよ)らかそのもの』なので、今まで楽しんでいた俗なもの、下俗なことはもう楽しませてもらえません、聖霊を賜ると上品であるか品のある行いをし、心が美しく聖(きよ)らかであることを求められます。

スマホゲームなどのゲームは避ける、

娯楽としての漫画もほとんど読まない(『聖☆おにいさん』や聖書の漫画や歴史漫画や科学についての漫画などはOKだと思う)

俗もしくは下俗で品のないお笑い番組やバラエティやドラマを見るのも避ける、

暴力的な映画やテレビ番組やゲームや漫画やアニメは避ける、

魔法を扱ったものは悪魔崇拝だから観ないやらない、例えばディズニーやハリーポッターやファンタジー漫画やファンタジーアニメや魔法少女物漫画は読まない、アニメなら観ない、ゲームならやらない、

映画はキリスト教信仰に関することのものだけをなるべく観る、

えっちな本とかポルノなDVDとか観るのもダメ(他人の妻や夫になる人だから姦淫の罪)、

18未満禁止アダルトゲームをプレイするのもダメ、

可愛い女の子やイケメンの男の子に告白される恋愛ゲームもダメ(初期は『ときめきメモリアル』とか『アンジェリーク』みたいなゲームですが、最近のだとゲームCMから見てどうやらもっと身もだえするような砂を吐くような甘いセリフやエッチ要素が入っているらしいですがそれダメ)、

男女交際で付き合って別れての複数の異性との男女交際も男女の営みもダメ、

彼氏彼女になっても『婚前交渉』は一切ダメ
(結婚の儀式を済ませる前の男女の性の営みは一切ダメで寝屋を共にしてはならないということ)、

すなわち『彼氏彼女とお泊りデート(旅行)♡♪』なんて神さまに対する『罪』なのでダメ、

浮気、不倫もダメ、他の人の妻や夫(その人が独身でも誰かの妻や夫になる人なので他人の夫であり妻である)を淫らな目で見てはならない、なぜなら姦淫の罪になるので浮気と不倫は『地獄への超特急便』、

芸能人や有名人を含め誰かの夫や妻になる人を思い描いての自慰も妄想デートや空想デートもダメ、

なぜなら芸能人や有名人は他人の妻や夫になる人なので淫らな目で見ることは『姦淫の罪』なのでダメ、
「抱かれたい芸能人NO1』ランキングで誰か芸能人異性に投票するのはダメ、

離婚再婚ダメ、離縁された女を妻にした者は男も女も姦淫の罪を犯すことになるから信仰者になって主が神結びした相手と結婚・再婚する、

占い、エンジェルカード、オラクルカード、オカルト、スピリチュアル、宇宙人(これは堕天使)、守護霊(堕天使)、アセンデッドマスター(堕天使)、古代神宇宙人説、日本神道含め世界中の多神教(偶像崇拝をすることで悪魔が神のフリをする)、神社のお宮参りや七五三やなにかの祈祷を受けること(悪魔や悪霊という堕天使にお願いすることになる)、悪魔崇拝(黒魔術の祭司、占い師、霊能者、スピリチュアルカウンセラー)、仏教信仰(お釈迦さまの言った言葉が聖書とどう違うのかを知るために本を読むのは良し)、瞑想(悪魔による神秘体験をすると一瞥体験をして悟りだと勘違いする)、レイキなどの伝授やアチューメントを受けるエネルギーヒーリング、ライフヒーリング、前世療法、催眠療法、催眠術、黒魔術、呪い、白魔術などをやらない、

自分の我利の為の正義で隣人に対して怒らない、妬まない、

朝5時までに起きて顔を洗ったらすぐに神さまを賛美する讃美歌を1曲歌ってから神さまへのお祈りをして聖書の勉強を1~2時間するというデボーションをする、
(仕事している人は出勤日はおそらくできないですが休日はやる)、

などなどということをすることになるんです。


しかも『少しでも自分のための義で怒ったり嫉妬したりすると悪魔・悪霊(堕天使)にオープンゲート』で、『神さまの為の義により怒る』以外はするわけにいかなくなります、
自分の義の為に怒れば悪魔と悪霊(堕天使)は大喜びで憑依してきて働きかけてきますから、クリスチャンの看板を掲げただけの人や他宗教の人や一般的な日本人は腹の立つことをパッとゆるせるわけがないですから、怒りを鎮めるためのことをしないとならないわけです。

そして旧約聖書と新約聖書を一生勉強し続ける。
「娯楽をするのに時間とエネルギーを使うなら、聖書を勉強するのに当ててください」
なのです。

「毎日少しでもいいから聖書を音読しなさい、旧約聖書の始めから最後まで、何度も読みなさい」

なのです。

アウトリーチの『聖徒』たちによって『信仰宣言』をしてすぐに頭に手を置いてもらって『聖霊のバプテスマ』を授けてもらえるわけじゃなく、

「よかったらうちの教会ここですから、来てくださいね」

と教会のちらしや名刺とかその『聖徒』の教会用携帯電話番号を渡されるだけで、自分がその『聖徒』のいる教会に関わらなくていいやと日々を過ごし始めると、

『信仰宣言』をした人は、神さまとイエスさまとの約束を守るために・・・というか神さまによってその約束を守らされる道を歩まされるようになってしまうのだろうと思います、

それは神さまがあなたを信仰に向かわせるために人生で行き詰るように追い込んでいく場合があるんです、追い込むと言っても神さまは無理矢理引っ張ってくることはなさらないので、黙って見ておられて堕天使が周囲の人々などに働きかけてあなたをボロボロに追い込んでいくのを見ているのです、堕天使の働きで思考を支配されている利己的な自分と人との関係で心と体をボロボロにされていってしまったりなどの人生を歩むようになって心と体が使い物にならなくなってしまったり精神障害の病気になってしまったりなど・・・

私のように赤ちゃんの頃から人間関係がおかしくて心と体をボロボロにされて救いを求めて信仰を求めて聖書を勉強しながら、水のバプテスマも聖霊のバプテスマも受けられない段階や状況だと、

聖書の勉強で疑問を持つたびに信仰について挫折しそうになり心と体がダメージを受けてグッタリしたりしながらなんとか持ち直したりするような翻弄をされながら、

しかも真剣に信仰へ向かおうとすると悪魔・悪霊(堕天使)の攻撃も頻繁に受けるようになり、仕事や生活にも影響が出るのです。

『聖霊のバプテスマ』を『信仰宣言』のすぐ後に『聖徒』の私が授けられるんです、ということなら別ですが、
私が書き記していることを教えていない人たちに現世的メリット、死後メリットだけをちらつかせて『信仰宣言』をさせるのは違います。

私に聖書を教えてくださっているクリスチャンご夫妻は、『聖書の学び』のあとに神さまへのお祈りの時間を設けて私も神さまに祈っていますが、クリスチャンご夫妻は一度も私に『信仰宣言』をさせませんし、
札幌キリスト召団の北海道恵泉熟の体験談のキリスト教書籍の『壊れた私、元気になった』(株式会社ヴィタポート 文泉書院)を読んでも、

恵泉塾に来た人たちは、恵泉塾で立ち直るまではおそらく『信仰宣言』はさせられていないんだろうなと思います、
キリスト教の生活であるということを受け入れて早朝の聖書の学びに参加できる状態の人は参加して農作業をしたりなどして隣人愛をする共同生活をして、神さまを感じるようになってから信仰したいと思ったら『信仰宣言』をして『信仰告白』をして水の洗礼を受けるのだろうなと思いました。

新約聖書はだいぶ読み進めたけど、ペトロさまやパウロさまが病気治癒をした時にその病気だった人はユダヤ教徒も異邦人もいたけど、病気治癒の後に、

「イエスを信じますか?」

と訊いたりしていないし、病気治癒や悪魔祓いで助けてもらった相手が神を褒めたたえた時に、

「では、私のあとについて祈ってください」

とイエスさまを信じる『信仰宣言』をさせている御言葉は出てこないです、

ペトロさまや12使徒のどなたかから福音を聞いた人が、すぐに洗礼を受けたいということの言葉をペトロや使徒たちに言って水の洗礼と聖霊のバプテスマを授けられている話が出てきます、異邦人コルネリウスの話などはそうです。(『使徒行伝』10章1~38節)

いったい誰がアウトリーチにおいて「すぐに信仰宣言をさせよ」と決めたのでしょうか。
信仰者に成りたてで赤ちゃんみたいな信仰者で聖霊のバプテスマを授けることもできない信仰者にアウトリーチに行かせて、

「すぐに私のために信仰宣言をさせなさい」

なんて、12使徒に聖霊を与えるとお約束なさったイエスさまが赤ちゃんみたいな信仰者にそんなことをお命じになるはずがありません。

ユーチューブのクリスチャンチャンネルの『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』さんの動画にアウトリーチの動画はいくつかありますが、奇跡治癒をした相手に『信仰宣言』させている動画は観たことがないんですが、『Onfire Japan』さんの『種まき』(アウトリーチ)の動画で何人かの若い男の子たちが『信仰宣言』をさせていて信仰者としての身勝手なことをしているんですよね。

現世的メリット、死後メリットだけちらつかせて信仰宣言をさせるって、宗教勧誘の騙しの手口みたいなものだと私は思います。

このキリスト教の信仰は甘くない信仰です、いつまでも柔らかいものを噛む幼子の信仰をしていてはいけない信仰で、堅いものを噛む成人の信仰(大人の信仰)をすることをパウロ様はおっしゃっていますよ。

キリスト教信仰は我欲を満たすための現世利益信仰・死後利益信仰はできませんよ。
神の国へ入る門は『狭き門』ですよ。
柔らかいものを噛む信仰、幼子(おさなご)の信仰をイエスさまは求めていないのではないかと思います、
パウロさまがコリントの信徒たちへ宛てた手紙に書いているように。(新約聖書『コリント信徒への手紙一』)、
成熟した大人になって『堅いものを噛む信仰』をしてほしいことをパウロさまはおっしゃっているくらいなのですから、
そうでなければイエスさまの福音を述べ伝えていく、信仰者つまり聖職者と何も変わらない立場の『この世に属さない信仰者という神の子』としての日々の生活と人生を生きることができないということだと思います。


自分で自分を幼稚な幼子のままで生きる者として、『ママのおっぱい』をイエスさまや他者に求めて、他者をママにして奴隷にして奴隷よりひどい扱いをして、自分は自分の世界の中心で自分は『王様』『女王様』『王子様』『お姫様』で、とにかくすべてにおいて優しくしてもらい続けて自分の心を認めてもらって「愛されたい、愛されたい」と幼子(おさなご)の心のままでいて、自分で自分に厳しくして自分を律して自分で自分のご機嫌を取ったり神さまに祈ることできよらかな気持ちになったり、美しい音楽を聴いたり『美しい(←ここ強調)讃美歌』を歌ったりして自分で自分の心のバランスを取ったりすることの割合がとても多い大人になればいいのに、

(話を聞くプロに話を聞いてもらいたいというのは有りですが自分の武勇伝や自慢話を話して褒めてもらおうとするようじゃダメですけどね)

「こうされないと夫(妻)に愛されていると思わないというのがあるのでどうされたら愛されていると感じるかをお互いに確認して相手が愛されていると感じることをしてあげる」

という、『この世に属した我欲まみれの俗人のママのおっぱい欲しい星人』が求めていることを信仰者が夫婦関係でやっているのかしら?
それともそれは自分たちはしていないけど単に『この世に属するママのおっぱい欲しい星人』たちの為の説明の為だけの動画を作成しただけに過ぎないのかな?
と私は思った『夫婦関係の鍵について』に関する動画が『Onfire Japan』さんにありまして、

「この世に属する人たちは夫婦関係を良好にしたいならこうするといいですよ」

的なメッセージとして配信しているだけならいいんですけどね、仏教僧の大愚元勝さんがパートナー関係で愛されることについての相談内容に答えるのにこの話と同じ話しをしている動画があるけどまったく同じこと言っていましたね、

「人によって愛されていると感じる行為は種類が違う」

ということについての話をして相談に回答しておられましたのを2017年のたしか春あたりに観たんじゃないかなと思いますが、『Onfire Japan』の信仰者さんはなんか醸し出している雰囲気が幼子に見えましたが、大愚元勝さんは若いけど大人だなこの方は、と感じる人相と表情、雰囲気、佇まい、居住まい、凛とした姿でしたねぇ。

一般人のキリスト教信仰者たちは修道院の修道士やシスターとは違って修道院での厳しい修行生活を体験しないので、今まで甘やかされて我儘も叶えてもらったりして親に護られた人生を歩んできましたという、戦争がなくて銃社会でもない平和ボケした日本人の一般人としての人生を歩んできた人が聖霊を賜る信仰者になれましたって場合は、幼稚園の女の子や小学校低学年の女の子のような人相と雰囲気を醸し出しているんですよね。

仏教の修行僧は滝行とか山の上のお寺へのものすごい高い階段を駆けおりたり駆け上ったりとか、正座し続けて写経し続けるとか、何時間もの座禅とか、そういう心にとっても体にとってもとっても厳しい修行僧生活をして厳しさに耐える心と養い体を徹底的に鍛えるので、忍耐力を養い自分に厳しくする心を養いながらきちんとしたお作法などを心と体に叩き込まれ、母親がやってくれていたことは全部修行で自分がやれるように教えられるから、大愚元勝さんのように大人としての心を持てるのではないかなと、

だから一般の信仰者はイエスさまをママにして幼稚なままなのか、仏教僧のほうがよっぽど神さまの信仰者になれそうだと、仏教僧に負けてるじゃない(負けてるやん)って溜め息です。

(私も負けてる1人なんですけれど子ども時代は修道僧より手厳しくされ大切にされたことが無く人間サンドバッグとネグレクト(育児放棄)の人生でひどかった子ども時代だったのですが、私が台所に立つと火事になるから火に触らないでくれと言われて料理は覚えられなくて料理まったくできなくてダメですし、物をほとんど与えられないから片付ける必要がほとんど無かったのでたくさんの物を整理整頓して片付けるということがわからなかったりで、9歳の頃に自分の着ている物は自分で手洗いで洗濯するよう言われて外の駐車場の水道で手洗いでお洗濯をしていたその記憶はあるくらいの、まとまりのない文章を書くことしかできないなんにもできないダメ人間ですが・・・)

話は柔らかいものを噛む信仰と堅いものを噛む信仰の話からちょっと飛んでしまいましたが、

関西のほうで活動しているユーチューブチャンネル『Onfire Japan』さんのところはどうやら教会は『シンプルチャーチ』という形態のようですが、私はここの動画は神さまが「観なさい」と示してくるし説明がいいのでブックマークにリンクを貼って紹介したり動画を紹介する記事を書いたりしたものもありますが、

『Onfire Japan』に所属するのはちょっと待った、『Onfire Japan』は根となっている団体が『ベテル教会』のはずです、『ベテル教会』だけがカテゴリー造られて海外動画を日本語訳つけたものをたくさん貼られているので教会リーダーの外国人男性のJさんがベテル教会の信徒の人だと思われます、

『ベテル教会』でgoogle検索をかけると『ベテル教会のカルトの闇』についてや『ベテル教会のカルトから抜け出すことができたクリスチャンの方の証の記事』の日本語訳を掲載しておられるブログさんが引っかかるのでその記事を読んでいただきたいです、

その証の記事は元記事は海外のサイトの記事で、ベテル教会のB・Jという人の教えは聖書に沿わないことをして非日常的感覚体験をしたりとか、神秘的感覚の非日常感覚体験をしたりの体験をすごいと感じていきこれがイエスさまに愛されていることを感じるということなんだと思うことででのめり込んでいき、でもある日なんとなく聖書を読んだらそれらの非日常的感覚体験は聖書の沿うものではないと気づき、それらの非日常的感覚体験はイエスさまのフリをした悪魔や悪霊によるものだと証している海外のクリスチャンの方の証だという記事がありますから、

昔から「火のないところに煙は立たぬ」と言いますから『ベテル教会』の教えをやっている教会がみんなそうなのかはわからないけれど、でもこの信仰は、

新共同訳聖書
マタイによる福音書
7章17節~20節
実によって木を知る

17すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。18良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。19良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。20このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」


この『ベテル教会』がカルトであるという海外の方の証の体験記が本当なのかは海外の元記事が掲載されているサイトの記事をgoogle翻訳して色々読んでみるとかしないと本物のカルトの証の記事なのかはなんとも言えないのですが、

少なくともその『ベテル教会』のカルトから抜けた証(あかし)の記事はgogoleでトップページ1番上にリンク貼られているのでgoogleスタッフさんがカルト宗教被害者にならないよう1番上にリンクを貼ることに決めたはずだから、信用していいブログ記事と思っていいだろうとは思っています。

なのでまずは『Onfire Japan』さんについては所属や礼拝などで関わるのはまず、

「待った、彼らの動画への反応をしてみて様子見をし続けしましょう。それで彼らの反応がどうであるかを見続けて、彼らについてまず動画反応が神の愛、イエスの愛、聖霊の愛であるかの実を見分け続けてみて、自分で彼らをどう判断できるかがしっかりしてきてから礼拝とか所属とかで関わることということはそれからでも遅くないです。

もし彼らが悪魔から来た実を生らす人たちなら、エゴで利己的でプライドが高くて幼稚な心であなたの反応の何かには必ず反応してくるから、だからあなたの反応に対して「おまえの言うことなど聞くものか」と逆らうような反応をしたりなんかするし、

イエスさまの愛から来るものとは思えないなという反応をすることがある、彼らがイエスさまの愛からの行動言動を自然としているなという反応を返してくることばかりなら、彼らは良い木で良い実の可能性が高いと考えてもいいかもしれない。

まずは根となっている『ベテル教会』がセクト(カルト)でないかの海外のカルト体験報告の『証』の情報があるかもまず探してみましょう」

を伝えます、動画にコメントしてみたり、彼らの動画で一般的にまともな記事内容であると判断してもらえるようななにか感想や意見や疑問などを書けるような動画があれば、ご自分のブログに動画のリンクを貼って記事を書いてみるといいです。

私はそれをやったこともあるのですが、その結果、動画内容が撮り直しされて書き換えられていたという体験をしたので、あなたが彼らの動画を記事を書いたりコメントしたりして彼らがどういう反応をするか、その彼らの反応がどういう実であるか、聖霊が生らせてくださった実なのであれば(神さまの)『愛』から実った実なので誰が食べても甘くて美味しい実で『神の愛』から来る行動言動をするはず、彼らが悪魔によって生らせた実なら悪い木には悪い実しか生らないので彼らから来たものが『嘘』『騙し』『破壊』など『神の愛とは正反対のもの』なら、彼らの胸の内に住んでいるのはイエスさまのフリした悪魔や悪霊ということです。


私はこのイエスさまの御言葉から、動画の撮り直し、しかも内容が最初のものを超えない内容に書き換え、という点と、『バイリンガル賛美:イエス、愛します。』の動画でのJさんの行動言動で、『悪い実が生る木』と判断するパーセンテージが高くなっていることは否めません。


クリスチャンの方たちの動画で学びたい場合は、『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』さんと『フリーダムインキリスト』さんのチャンネルがかなり信頼性が高いとみていいと思っているのでチャンネル登録をしておいてから、神さまに、

「どの動画で勉強すればよいですか、神さまどうか私に紹介してくださいませ、私がハッキリ見なさいとお示しくださっている動画であることがはっきりわかるように示してくださいませ」

とイエスさまの御名をもってイエスさまのお父さまである神さまにお尋ねするお祈りをしてから、ユーチューブのトップページのリロードをして、神さまが見なさいと示してくださったとハッキリわかった動画だけを観るだけにしておいたほうがいいです。

キリスト教団体なら大阪なら私がお世話になっているクリスチャンご夫妻が所属している『札幌キリスト召団(2代目になって名称が変わって日本キリスト召団になったそうですが)の水谷幹夫先生に育てられた聖徒や聖徒たちがおられる恵泉塾関西事務所や恵泉エクレシアというところや兵庫に丹波教会と三田教会がありますし、京都、奈良、姫路に家庭集会がありますし、日本人とは感覚が違う欧米人の教会リーダーの団体より、日本人がリーダー(指導者)のほうが感覚的なものとか文化や習慣的なものにおいて話し合うと理解しやすいのではないかという所もあります、他にもネットでは活動していない良い羊飼い(牧師)さんがいる教会や団体さんもあるかもしれません。

『Onfire Japan』さんの教会の聖霊を賜っているらしいクリスチャンさんたちも大学前や駅前広場などでアウトリーチをしてイエスさまによっての病気治癒をしている顔出ししている若い子の動画がありますし、自分は手だけしか出演していない若い男の子の声だなという感じのアウトリーチの動画もありましたが、どうも視聴いたしますとあまりこの信仰について教えたりしない段階で『信仰宣言』をさせているんだとわかるので、どこのアウトリーチをしている団体のクリスチャンの人でも『信仰宣言』をすぐにさせようとするかもしれないので、『信仰宣言』はしないように交わしたほうがいいです。

この『Onfire Japan』さんのシンプルチャーチの教会は、信仰者になれてもまだ信仰が弱い『柔らかいものを噛む信仰』をしているようだというのが動画で言っている言葉とか聴くとわかったりするんです、

神さまにとって美しくない賛美歌に聴こえていらっしゃるだろうなぁと私は思う『バイリンガル賛美の歌』を彼らは自己満足で歌っているのだと様子を見ていてわかるので、私は過去のものを7つくらい聴きましたが50代近い私にも50代のヘルパーさんにも彼らの『バイリンガル賛美』は美しくない音楽なので神さまへの讃美歌には聴こえないと同意見だったのですが、

特定の人たちが自己満足で歌っているなと様子を見ていてわかるので創世記のカインとアベルの個所の話の神さまが目をおとめにならなかったカインの捧げ物と同じ捧げ物の讃美歌なので、神さまへの献身の信仰になっていないと視聴していて思いますし、この讃美歌だと主を畏れていないし敬ってもいないなって見ていてそう感じるのですね、それについては別の固定記事のこちら↓

【記事】
「自分の言葉で、自分の歌を神さまに捧げましょう」というのは『カインの捧げ物』と同じ『罪』であり幼子(おさなご)の信仰なんですね
https://blog.goo.ne.jp/sion-etsuko/e/4943f30693872a47bdbb160d451010bf


に書いておきました。

私はここの動画の『神さまの為に働かないで!』という動画を神さまだと思いますが何かが示しておいでになって紹介されたので観てみたら、私が神さまのために働くということについて間違ていることを神様に対して質問し続けてきたのだということがパッと理解できたので、
とても素晴らしい動画だから皆さんにも観ていただきたくて私のブログに専門記事を書いて体験談と共に紹介したら、この動画が撮り直しされていて聴いても初心者はパッとわからないような説明のされ方になっていて撮り直しがされて書き換えられていたので、
ここの教会は主の喜ばれないことをしている・・・と思いましたし、讃美歌についてのアドバイスの私のコメントも削除されたようなので、隣人に対して『利己の利己』をしたりしているので、信仰者として甘いものを噛む信仰をしている教会であるか、カルトだという体験者の証がある『ベテル教会』の教えのところなので(SOZO解放ミニストリーの告知記事があるけれど『ベテル教会』が教えているものなのです)、だから『Onfire Japan』さんの人たちベテル教会の教えを実践していたりするのなら大丈夫なのかな、ベテル教会の聖書や信仰の教えをカルト洗脳とかまったくされないで上手い具合に利用できる賢さがあるとかなのかな、と、

『ベテル教会』の聖書に沿わない教えを学んではまり込み聖書を読むことによってカルトから抜けたと言う体験者の証をした人が言うように、イエスさまのフリをした悪魔や悪霊の堕天使に騙されてしまっている教会の可能性も否めないのかなと考えるような動画の撮り直し上書きがあったから、その動画をなぜ撮り直しをする必要があると私の動画紹介記事を見てご判断されたのか、私にはまるでわからない変な動画撮り直し行動をなさったりしているので、

この動画撮り直しの件についてや今までのバイリンガル賛美と『イエス、愛します。』の動画のことなど、どうもイエスさまを信仰している人とは思えないことをしているのなぁと感じているので、『Onfire Japan』さんの信徒として所属するかどうかは彼らの礼拝に参加してみたり一般人も参加させてもらえる集会があれば参加させていただいたりとかしてよく調べて吟味してから所属するかしないか、別の教会を探すかどうかについて考えるといいと思います、どこのキリスト教教会でも信頼性があるかをしっかり確認できるようなことがあってからにするという点では、宗教はカルトなところもよくあるのことなので、

とにかく聖書と信仰についての核心部分を学んで、聖書に沿うキリスト教教会かどうかを注意深く信徒さんを観続けて判断するようにして、所属をパッとしないように気をつけたほうがいいと思います。

『Onfire Japan』のシンプルチャーチはアウトリーチですぐにクリスチャンの身勝手さの『信仰宣言』をさせるのが問題行動と言っていい行動になると私は冒頭から書いた意見によって思っていますが、それ以外はネット上で動画を見る限りにおいて話の内容は『バイリンガル賛美:イエス、愛します。』での言動や歌詞記載の仕方が彼らの作詞作曲の讃美歌だと誤解をされるようなことをしていたというのはありましたが、

でも『Onfire Japan』さんの聖書の話や信仰の話については、神さまからなのかそれとも悪霊からなのかわからなくなってきた今日この頃の私なのですが、神さまは私を取り戻したいのだとクリスチャンご夫妻の旦那さまのAさんに言われましたので、私は神さまがなさっていると勝手に思って感謝のお祈りをしていますが、神さまだと思いますが私に『Onfire Japan』さんの動画を「これ見なさい」「これ見なさい」と何度もしつこくお示しになるのでその動画を観ると私が今学ぶ必要だったことを言われておられたり、後から必要になることを先に教えられたりする場合もあるので、

聖書や信仰の話については今のところ私が示された動画では良い話をしておられると私程度の超初心者レベルの聖書勉強歴でも思う動画がありますので、コメントへの反応については削除されるか残されるかなどの反応の様子を見ますが、

今のところ私はチャンネルを閲覧できないようにブロックはされていないですが、チャンネル閲覧ブロックをされたらユーチューブに異議申し立て申告とかできるかもなので、調べて対処してみますが、

「自分の気に入らないコメントをし続ける人がいたらその人は閲覧ブロック」

っておかしなことですからね、共感・同感・賛同のコメントだけが投稿されるわけではないのがコメントですから、そういうコメントが嫌ならコメント受け付けないようにすればいいのですから。
(と言っても私はこうやってブログで彼らの動画を紹介する記事とかこういことされた~って書いたりしますから彼らがその記事見てしまえばコメントと変わらないんだけれど・・・)
クリスチャンチャンネルの動画って何をアップロードしても無神論者や多神教の人や科学信奉主義の人たちなどからも批判コメントをされたりしていますけど、クリスチャンの方は聖書の御言葉や信仰の教えから愛をもって簡潔丁寧に答えていらっしゃいますからね。

『Onfire Japan』さんの信徒さんたちは信仰において利己的なことをするイヤイヤ期の2歳児や幼稚園の幼子のような信仰活動をされたりしているなって思ったりする出来事があったので、
私なら別の団体を探しますね、自分のお手本となるような大人の信仰をしている牧師さまと聖徒さんたちがうじゃうじゃいる団体に所属して彼らから色々教えていただいて心の成長をしながら今の自分より良い自分と言えばいいのか、私は心も体もダメにして何を学ぼうとしても途中でそれを手放さないとならない事態になり、文章を書くこと以外になんの能もない社会の無駄飯いだから、せめて少しでも神さまがこれしてねって言われたことをやれるようになって自分の実力にできる修行を積めたらいいなって、そんな風に思うし、『母親からの精神的自立』はしてしまったから、『ママのおっぱい』を求めているような信仰者には囲まれたくないからですね。

【記事】横浜指路教会公式サイト
◆ 「本当の成長」
(柔らかいものを噛む信仰をしている人についてのテーマ説教です)
http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message060813mf.htm


関西方面で行われているクリスチャンたちに『信仰宣言』を求められたらまずは交わしてくださいね。
もちろんその他日本全国、どこかの地域でクリスチャンがあなたにイエスさまの御名をもって命じての病気治癒や悪魔祓いをして、「イエスを信じますか?」と訊かれて「信じます」と答えたあとに「じゃあこの祈りを一緒に祈ってください」と言われたらこの記事の最初のほうで書いた言葉を言って交わして逃げてください。

なぜなら、イエスさまを信じる祈りの『信仰宣言』の『使徒信条』の祈り言葉はいつでも自分がこのキリスト教信仰の道に行くと決めた時に自分で祈ればいいから自分でできますから、外で声をかけてきたクリスチャンと共に言って祈らなくていいからです。
このこと忘れないようにお願いします。



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【固定】真剣に本物のクリスチャンに出会いたいという理由がしっかりとあり願った人は神さまが本物のクリスチャンと出会わせてくれるのだとわかりました

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
私が札幌キリスト召団ニューヨーク恵泉塾の本物のクリスチャンになれたご夫妻に出会えたのは、私が本物のクリスチャンから聖書を教えてもらいたいと思ったから、神さまが願いを聞き入れてくださったのだとわかりました。

日本のクリスチャン人口は人口の20%で、その内、真のクリスチャンになれた人は1%だそうです。
本物のクリスチャンである札幌キリスト召団の水谷幹夫牧師さまの恵泉塾のCDを、札幌キリスト召団の名古屋の生きた教会の礼拝に特別参加させていただけた時に聴かせていただきましたが、
そのCDでは私に聖書を教えてくださっているクリスチャンご夫妻の旦那さまのAさんが水谷幹夫牧師さまにお会いできたいきさつと、ニューヨークに恵泉塾を作ることになったいきさつが話されていたのですが、
Aさんは、「本物のクリスチャンに出会いたい」と思ったら、ある女性が日本からやってきて、その女性から水谷幹夫牧師さまの話と恵泉塾の話をされて、水谷幹夫牧師さまを知り、水谷幹夫牧師さまをニューヨークに呼んでお会いしたのが真のクリスチャンにご自分もなれたことの始まりだったそうです。

実は私も、別の言葉で「本物のクリスチャンに出会いたい」ということを思考したことがあるのです。

それは、聖書を勉強しに、最初、ある名古屋のプロテスタントの一般福音教会の聖書勉強会に通いました。
そこで、既婚男性のクリスチャンに目をつけられて、初めて話しかけられた日に、ある話からその既婚男性クリスチャンが私に小走りで駆け寄って来て、体を密着されたのです。
そして1年後の聖書勉強会の前の時間でその男性と2人きりになってしまった時、その男性が満面の笑顔で私に小走りで駆け寄ってきたのでこれは目をつけられた、下手すると不倫相手にと思っている可能性だってある、と思って、やっとこの男性に体を密着されて嫌だったことをその教会の牧師に話したら、
その牧師は既婚男性クリスチャンの肩を持ち、私のことをまるで思いやらず、私はその既婚男性クリスチャンはエセクリスチャンだと思ったし、その牧師はエセ牧師だと思いました。
そこで私は別の教会を探した時、

「私が名古屋で通えそうな教会は、ほんのいくつかしかないだろう。
もし他に行ける教会の牧師もエセ牧師だったり、エセクリスチャンがいて、そこの教会でも誰か特定の人に目をつけられてああいうようなことがまた起きたら、私が聖書を勉強できるところはどこにもない。
ネットで聖書を教えているところはどこの宗教団体がやっているかわからないから危ないかもしれない。
私は聖書をしっかりと勉強したい。
私に目をつけてくる人たちはおかしい人たちばかりだ、まともな人間関係が築けない人たちばかりだ、人間関係がここまでおかしいのだ、
もう私には聖書を学んでイエスさまの御言葉、神さまの御言葉、聖書の教えとお釈迦さまのお言葉を学ぶ以外、人間関係で助かる道はない。
ちゃんとしたクリスチャンの方に聖書を教えてもらいたい。」

そう真剣に『考えた』、つまり『思考した』のです。

「本物のクリスチャンに会いたい」

という『本物のクリスチャン』という言葉ではなく、『ちゃんとしたクリスチャン』というちょっと別の言葉で『思考した』のです。

それを神さまが聴いていてくださったのだと思います。

そしたら、今通っている教会を見つけて通ったらそこの牧師さまと出会い、この牧師さまは私の発言にすぐにイラッとする反応を2度見せたので、イエスさまが心と体に入ってきているクリスチャンかはわからないのですが、変な教え方はなさらなかったのですが、同席していたご年配の信徒の女性に一般人である私への思いやりがないことをされて、この教会のこの時間の聖書のお話の会は信徒さんばかりが参加していたので、

「内輪の会になっていて一般人が学びに来るところじゃないんだな」

とわかり、2018年4月中でこの一般福音教会の聖書のお話会も立ち去りました。

そして去年、私の誕生日に、支配的な人ではありましたが、私を回心させたいと私のブログを見てメールを出して来た人が、ユーチューブにチャンネルを作って色々と真のクリスチャンの方たちの動画をアップロードしている、『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』さんにメールを出したらどうかとその私のブログを見てメールを出して来た人がおっしゃり、

それで勇気を出してリーハイバレージャパニーズミニストリーズにメールを出したら、ニューヨーク恵泉塾の真のクリスチャンご夫妻を紹介していただけたのです。

「本物のクリスチャンに出会いたい」

と真剣に求めた人、本物のクリスチャンに出会いたいという真剣な理由がある人というのは、神さまがそう考えていることを聴いていてくださり、働きかけてくださるのだとわかりました。

私がクリスチャンご夫妻のAさんみたいに、『真のクリスチャン』を求めたことを願っていたのだとわかった時、使徒言行録のパウロさまの話を思い出しました。

新約聖書の『使徒言行録』を2017年の大晦日に一気読みしましたが、パウロさまがまだサウロという名前でイエスさまを迫害していた時、
つまりイエスさまを信じている人たちを迫害して牢に入れて十字架刑にしたりする活動をサウロがしていた時、
サウロがその為の活動のために旅をして、ダマスコに近づいた時、イエスさまがサウロに呼びかけられた所の箇所を思い出したのです。

新共同訳聖書 旧約聖書続編つき
使徒言行録
9章3節~9節

3ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。4サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。5「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。6起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなずべきことが知らされる。」7同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも姿も見えないので、ものも言えず立っていた。8サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。9サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。


私はこの個所を思い出したのです。

「神さまが選んだ人は、神さまからの働きかけがあるんだ。
本物のクリスチャンに出会いたいと真剣に求めた人、それは本物のクリスチャンに出会いたいと思うしっかりとしたゆるぎない理由がある人のその思いを聴いた神さまに選ばれた人は、神さまからの働きかけがあるんだ」

と。

去年の私の誕生日にメールを出して来た方は、支配的な方で、また、なにか「ちゃんとしていない方」で、イエスさまに出会ったというその体験談を読んでも、
イエスさまがお腹の上に頭を乗せて悲しそうな顔をしていらしただとか、
足のくるぶしの上に指を置いてからスーッと行ってしまわれたとか言っておられ、
サタンがイエスさまに偽装したんだなとしか思えない体験談を話される方で、

しかもこちらの話をまるで聞かない支配的な人だったので、
どうも私への働きかけでチョイスされた人物はどうもよろしくないなと思うちゃんとしていない人だったのでメールアドレスはブロックをかけたのですが、

それでも神さまは私にリーハイバレージャパニーズミニストリーズにメールを出すという勇気を出させてくださる人物をチョイスしてくださって、ニューヨーク恵泉熟のクリスチャンご夫妻にマンツーマンで2時間30分、しっかりと聖書のこと、神さまのこと、イエスさまのことを教えていただけている今があるわけです。

そして私は、神さまとイエスさまへの信仰とは、イエスさまのおっしゃった『第一の掟』と『第二の掟』の、

『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
(マタイによる福音書22章37節)

『隣人を自分のように愛しなさい』
(マタイによる福音書22章39節)

これを見てやっと、神さまとイエスさまへの本当の信仰とはこれなんだ、とやっと気づけたところまで来ました。

真剣に聖書を学んでいます。
そしてしっかりと神さまとイエスさまを信仰し、神さまのために働ける私になれる日を待ち望みます。


「本物のクリスチャンと出会いたい。
本物のクリスチャンから信仰のことと聖書のことを教えてもらいたい。
そうでなければ本当のキリスト教の信仰ができるようにならない。
本物のクリスチャンからでなければ本当の聖書のことは学べない。」

と『本気で心底思う』ことになる『その時』があなたに来た時、神さまはきっとその願いを喜んで叶えてくださいます。

なぜなら、私はそう思って半年後に願いが叶いましたし、

私に聖書を教えてくださっているご夫妻の旦那さまのAさんも「本物のクリスチャンに出会いたい」と願ったら本物のクリスチャンである恵泉塾の水谷幹夫牧師さま(牧師を引退されると発表されていました)を紹介されて出会うことができたのだそうです。

そしてその水谷幹夫牧師さまのご著書『聖書の神に教えられたこと~愛する力~』を読んだら、ちらっとだけですが水谷幹夫牧師さまも「本物のクリスチャンに出会いたい」と神さまに願ったことで本物のクリスチャンの方に出会ったというようなことがちらっと書かれていました。

だから、あなたが『本物のクリスチャンに出会いたい』と本気で願えば、神さまは喜んでその願いを叶えてくださるということだと言えると思います。


本物のクリスチャンになれた方は、聖書のことを神さまに教えてもらえるのだそうです。
聖書のことでわからないことがあると神さまにお尋ねすると、聖霊が家庭教師となって教えてくださるのだそうです。
聖書は神さまが著者なのだそうです、だから聖書のことを一番よく知っているのは神さまなので、神さまにお尋ねするのだそうです。

聖書を学ばせてくださって、神さま、イエスさま、北海道恵泉塾の水谷幹夫牧師さま、恵泉塾のクリスチャンご夫妻のAさんBさん、ありがとうございます。
この聖書の学びの記事を率先的に読みに来てくださった皆さま方、聖書の学びの記事が掲載されるのを楽しみにしてくださっている皆さま方、聖書に触れてくださってありがとうございます。

口語訳聖書ですが、ユーチューブに聖書朗読のチャンネルがあります。
聖書朗読 でユーチューブを検索すると出ます。

聖書朗読 口語訳聖書
マタイによる福音書
https://www.youtube.com/watch?v=3WjN_MBt4uQ&list=PLo7A0mNsNsI1wFrwPNqKUQ-tyHA5uLLQn

聖書朗読 口語訳聖書
創世記 旧約聖書
https://www.youtube.com/watch?v=oXy-9o8GVZ0&list=PLo7A0mNsNsI2BclOTCdlI_zukf-8_lTWa

聖書を聞いてみてくださった方、ありがとうございます。

本物のクリスチャンの方たちの話が聞けるユーチューブチャンネルはここです↓
Lehigh Valley Japanese Ministries
(リーハイバレージャパニーズミニストリーズ)
https://www.youtube.com/channel/UC1DwW7Il7-7JEiZHvRBa6lA

ぜひいろいろ動画をご覧になってみていただけたらと思います。
m(_ _)m


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【固定】 【神が忌み嫌う占い・霊能力鑑定】『オカルトの力はどこから?悪霊の働きに気をつけよう』占い・霊能者・スピリチュアルカウンセラーを頼っている方はご一読いただきたいです

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
聖書で占いを禁じていることで占いについて調べていた時に、このページが引っかかりました↓

キリスト教読み物サイト
Remnant
オカルトの力はどこから?
悪霊の働きに気をつけよう

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/049okaruto.htm

ワードパッドにメモしておいてあとで記事を書いて・・・と思っていた所、やっと記事を書くに至りました。

子どもの頃からカンの良い女性がなんとなく友達の手相を見たら、いろいろその人のことがわかって、口コミで広まり、占い師になった女性がやめたいのにやめることができないでいたところ、

ふと聖書を読みたくなって、本棚に埃をかぶっていた聖書を取り出して、抵抗の力と戦いながらなんとか1文字1文字追って聖書を読んで教会に行き、牧師さまに手を置いてもらって祝福を与えていただいて、占いをしていることを告白し、さらに手を置いて祈ってもらって占いから縁を切ることができた女性の話と、

七つの悪霊についてのことが書かれています。

『占いの霊』
『口寄せの霊』
『その他の超能力の霊』
『憎しみの霊』
『淫行の霊』
『疑いの霊』
『不従順の霊』

のことの説明が書かれています。

私も霊媒師、スピリチュアルカウンセラーさんを利用してその方たちのことをブログで紹介してしまった過去がありますが、

2017年6月に聖母マリア信仰のクリスチャンだと言うエセクリスチャンのスピリチュアルカウンセラー(霊能者)を頼ってしまって、勝手に霊能力の封印を解いたと言われて1か月経った頃から映像で幻覚を観るようになり、幻聴幻覚を抑えるお薬のリスパダールを最大の12mlまで増やす羽目になったりして、

霊媒師、霊能者、チャネラー、スピリチュアルカウンセラー、占い師は利用してはいけないんだと、自分なりにわかりました。

霊能者はエゴと共にあるので悪の心もあり、悪霊(堕天使)とつながっている霊能力で自分勝手なことをするからです。

ただ、まだ神さまが口寄せや霊媒を忌み嫌うのがなぜなのか、まだ聖書を創世記から順番に読んでいって申命記を読み始めたところなのでまだわかっていません。

口寄せや霊媒を神さまが忌み嫌うなら、なにゆえそういう能力が生まれつきある人がいるのか・・・

スピリチュアル王子の江上さんが公式サイトで、

「人は生まれつきシックスセンスがあるが、それを悪霊(堕天使)に利用されてしまう」

ことについて書いておられましたが、もしかして、生まれつき小さなころから霊能力があるという人は、赤ちゃんの頃とかその幼い頃の時点で、悪霊に憑かれていて霊能力を目覚めさせられてしまっているのでしょうか・・・

私も、実は『エンパス』の能力の1つを持っていました。
遠隔レイキや遠隔QE(クォンタム・エントレイメント。瞬間ヒーリング)をしていたら、相手の体の不調なところを自分の体に痛みとして感じる、というのがあったのです。

それは自分で能力を開発したとかではないんです。

でもクリスチャンご夫妻はおっしゃいました、

「その霊能力者はイエスさまと関係がないんでしょう?
イエスさまと関係のない霊能力なんでしょう。」

つまりイエスさまへの本物の信仰によって視えたりして知ることができる霊的な力というのは大丈夫な霊能力ですが、
それ以外の生まれつきだという霊能力や霊感というのはイエスさまと関係がない霊能力や霊感なので、その霊能力や霊感を与えたのは悪魔・悪霊(堕天使)だということで、堕天使は『第二の天』にいるので(天にいるんです、だからこの世のことなんでも知っていますから)当てごとが得意です当たりますが、信頼してはいけない霊能力で、日本にいる霊能者・霊媒師・スピリチュアルカウンセラー・チャネラーはすべて堕天使の手下になっている偽物鑑定師しかいません。


新共同訳聖書 旧約聖書続編つき
申命記
18章9節~14節

9あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。10あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者(ぼくしゃ)、易者、呪術師、11呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。12これらのことを行う者をすべて、主(しゅ)はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。13あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。14あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者(ぼくしゃ)や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。


という神さまからの御言葉がモーセさまに伝えられています。
どうぞこちらの牧師さまが書かれた記事をお読みいただきたく思います。

異邦の民のならわしをまねるな!
・・・霊媒、占いの恐怖・・・

http://www.shinshiro-church.or.jp/content/backnum/030824.html

クリスチャンの方はレイキは悪魔のエネルギーだと言いますが、その言い出した存在はどなたなのか、神さまがそうメッセージをクリスチャンの方たちにおっしゃるということなのか、バチカンが言い始めたのか、そこらへんがわかりませんが、

キリスト教は神への信仰がなくなるもの、神さまへの信仰がゆらぐものに関しては全て「悪魔のもの」にする風習があるそうなので、レイキが悪魔のエネルギーだというのもそれなのかなと思っていますが、

レイキはキネシオロジーテストにおける意識レベルの数値が340だと聖者デヴィッド・ホーキンズ博士がキネシオロジーテストで結果を出しているので、意識レベル340は愛のレベルである意識レベル200以上なので波動は愛のレベルのエネルギーなのがキネシオロジーテストという科学でわかっているのです。

なので私は「レイキは悪魔のエネルギー」だというのがどうもその言い出した存在はどなたなのか、出所をハッキリさせたいなと思っていますが、いずれ私が神さまと主イエスさまへの信仰がとてもしっかりとして強い信仰心を持つようになって神さまからのメッセージが聴けるようになった時、ハッキリするかもしれません。

ほんとに、レイキは悪魔のエネルギーだと言い出したのは、どなたなんでしょう?

もし悪魔のエネルギーなのだとしたら、悪魔は愛のレベルのエネルギーを流せますという存在になります。

話は反れましたが、上記『オカルトの力はどこから?』の記事、占いが好き、霊能者に視てもらっている、という方は、ぜひご一読していただきたいなと思います。

占い師、霊能者は占いの手法や悪霊とつながっているだけの悪霊の当てごとの霊能力での霊視でちょろっとしたことを言って、あとは個人の体験からの主観的価値観での意見を言って、高額な金を儲けている偽物が多いだろうと思います。

私は、霊媒師、スピリチュアルカウンセラー、占い師を利用してしまったことを悔い改め、神さまに何度も謝りました。

今でも時々、オラクルカード・エンジェルカードに頼りたくなる気持ちがちらっと湧き起ってしまって、慌てて神さまにお祈りするということをする時があります。

カード自体は綺麗だったので、オラクルカード・エンジェルカードが悪霊(堕天使)とつながってしまうものだというのが残念なところですが、

神さまは占いの道具は使わない、祈りによって答えをもたらす、とのことなので、オラクルカード・エンジェルカード・タロットカード・OSHO禅タロット・クロウカード・タロット関連書籍・クロウカードガイドブックは捨ててよかったです。

また、こちらの記事も大切で、

聖書には白魔術についてなんと書いてありますか?
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-white-magic.html


上記ページも目を通していただきたいのですが、
白魔術は人にとって良いこと、人が幸せになることをしているように見えるけれど、魔術なので悪魔の道のものなので、白魔術は悪魔崇拝をしているということになることが書かれています。

今、知っている人は知っている、エンジェルカードやオラクルカードは天使からのメッセージとしか思えないものが書かれていますが、悪魔・悪霊(堕天使)が私たちにカードを引かせていると考えられるものなので、エンジェルカード・オラクルカードは白魔術を行っていることになり、悪魔崇拝ということになりますので、

エンジェルカード、オラクルカード、エンジェルタロットカード、タロットカード、漫画家CLAMPさんのクロウカード、OSHO禅タロット、越智啓子さんの出しておられる『なんくるカード』、
その他の方々が出しておられるシャッフルしたりして引くやり方のカード、
そしてパッと開いたところのページのメッセージが今日のあなたへのメッセージというメッセージ本や、これと同じことを行う聖書占いも、
占いという神ヤハウェさまが忌み嫌うもので魔術で悪魔崇拝なので、聖書は持っていてもいいけれどメッセージをもらうための占いには使わないことと、
カードデッキ類と占い関連書籍は全て可燃ゴミに出して捨てたほうがよろしいのと、
聖書勉強会に通ったりカトリックの信仰入門コースの聖書を学ぶ入門コース(2年らしいです)に通って聖書の御言葉とその意味を学んで神ヤハウェさまとイエスさまへの信仰をすることで『神の武具』を身に着けられるようになるそうなので、
これにより悪魔を追い払えるようになるそうですから、悪魔の憑依から身を守ることをなさったほうがいいと思います。

真言宗の真言や、ガヤトリーマントラなどのインド宗教のマントラ、陰陽道の清明桔梗の五芒星のお守りとかは、神ヤハウェさまから出ていないものの可能性があり、五芒星自体が魔術の記号だとウィキペディア情報の『五芒星』の項目を読むとありますので、五芒星のお守りをつけていてもそれが悪魔崇拝でしかない可能性もあります。

また、六芒星に関してはユダヤ教で秘儀としてのシンボルと認められているような教えはトーラ―にはないそうなのですが、アレイスター・クロウリーという有名な魔術師が考案した六芒星もあって魔術師は悪魔崇拝者なので、六芒星の描かれたお守りも悪魔崇拝のアイテムかもしれない可能性があるため利用しないほうがいいと思います。

もしお守りをなにか身に着けたいなら、『キリスト教書店』で売っているイエスさまの十字架のペンダントトップの、できればイエスさまが両手を少し上にあげている復活の勝利のポーズの十字架がおすすめですが、イエスさまが十字架に釘づけられているペンダントトップは種類が多いです。

この十字架のペンダントトップの金具の輪に太めの紐(手芸店で売っています)を通して縛ってペンダントにするか、メッキではない金属のチェーンをアクセサリーショップで購入してペンダントにするかなのですが、

その十字架をただつけるだけではダメで、ちゃんと神さまに、

「このペンダントトップをロザリオの代わりにお祈りの道具として身に着けます。
神ヤハウェさま、イエスさま、どうか私をお護りください。
私を助けてください。」

とお願いするといいと思います。

なお、アクセサリーショップで販売されている十字架のペンダントは、商売繁盛の金銭利益目的に造られているのでもしかしたら祈りの道具として神さまがお認めになるかわからないところなので、十字架のペンダントが欲しければ『キリスト教書店』を検索して探して買いに行くか、

google検索で『クリスチャンショップ』で検索するとクリスチャングッズを販売しているネットショップが引っかかります。

ただ十字架のペンダントトップは『キリスト教書店』で1つ180円とか200円で手に入るので、ネットショップで買うとそれより高いかもしれないし、送料を考えると往復の電車賃を支払うのと送料を支払うのとどちらが安上がりかというところですが、

『キリスト教書店』に足を運ぶと、信仰に関する本も中を少し読めて読んでみたいと思った気に入った本を買えたりする楽しみや、シスターが店番をしていらしたりすることもあるので、本物のシスターとキリスト教についての質問や聖書のことの勉強をしている話を聞いてもらえてお返事をいただけたりする楽しみもあると思います。

悪魔・悪霊(堕天使)という魔の存在からの攻撃から身を守る一番のお守りと言えるものは、聖書の御言葉とその意味を学び洗礼を受けてクリスチャンになった時、水の洗礼時もしくはその他の時期の信仰生活において聖霊の働きがあったときに、神さまとイエスさまのことを本当に信仰できる本物のクリスチャンになれると、イエスさまの御名と血潮をもって悪魔・悪霊(堕天使)を追い払えるので、これが本物の神さまからのお守りですが、

まだキリスト教信仰者になっていない場合は、やはり真剣に神ヤハウェさまとイエスさまを心から求めて悪魔・悪霊から護ってくださいとお願いするお祈りをしながら、聖書の御言葉とその意味を学ぶ一般福音教会(日本キリスト教団の教会)の聖書勉強会に参加することだと思います。

聖書を学ぶと教えがしっかりしているので信仰を考えるようになっていくなと、聖書を学び始めて思います。
私は最初は知識の為に聖書を学びに行っていましたし、私に聖書を教えてくださっているクリスチャンご夫妻の旦那さまも最初は自分を高めるために聖書の知識を学びに行っていたそうですが、信仰へ導かれていきました。

私が知識のために聖書を学びに行き始めた時、最初の勉強会から、牧師さまの聖書の御言葉の解説を聴いたら、とても面白いと思い、ずっと勉強したいと思って聖書勉強会に通い続けて、そして助けてもらいたいところから信仰への道を歩むための聖書の学びになっていきました。

聖書を学ばせていただいているので、信仰を強めていって信仰をしっかりさせて、イエスさまが心と体に入ってくるようになって聖霊が降りてきてくださるといいなと、そこまで信仰が強めていけたらいいなと思っているところです。

「時々、そこまでいけるか不安になるのです。
イエスさまが心と体に入って来てくださって、
聖霊が降りてきてくださるようになるのか、
そこまでいけるか不安になるのです」

と、私に聖書を教えてくださっているクリスチャンのご夫妻に言ったら、

「悪霊がそういう風に思わせることをするんですよ、そうしてシオンさんを神さまへの信仰から遠ざけようとしたりするんですよ、大丈夫、聖書をしっかり学べば神さまへの強い信仰をするようになります。聖霊が降りてきてイエスさまが心と体に入ってくるようになるから大丈夫。」

と力強く言っていただけました。
ほっ。
(*^。^*)=3

聖書をしっかり学べるまで、絶対に生きていなくちゃ・・・
そして、聖書のことを教えていただいたことをこのブログに書いて、みなさんに聖書に触れていただこうと、それが今のところ私が役に立てるものになるかな、と思っています。

神さま、レイキのことについて本当のことを教えてください。
そして生まれつきの霊能者だという人たちのこと、例えば木村藤子さん、江原啓之さん、美輪明宏さんのような人たちのことも、どういうことなのか本当のことを教えてください。

神さま、答えのメッセージが受け取れるまで、私は待っています。

【後日談】2018.4.17

レイキが悪魔のエネルギーであるかについて、『レイキ 悪魔』で検索したら、クリスチャンの方が書いてくださっている記事がトップページ1番上に紹介されました。

SAMURAI CHRISTIAN さん
あなたを真実から遠ざけるたった1つにして最大の問題。それは今も昔も、人も天使も変わらない問題。

http://nakayamaj.com/?p=6285

上記記事に、レイキヒーリング発祥の地の京都の鞍馬山は、650万年前(650年ではない)に金星から地球に降り立ったというサナート・クマラ(護法魔王尊)という者を祀る者の1人として祀るためかなにかで鞍馬寺が建てられたようですが、
サナート・クマラという存在は、

「その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという」

とウィキペディアには説明があると上記紹介記事にあり、

~ここから引用~

ちなみにレイキと呼ばれるヒーリングテクニックは臼井氏という人がこの鞍馬山でサナトクマーラから啓示を受けたものです。つまり、レイキはルシファー、つまり悪魔から来たもので本物のヒーリングではありません。

~引用ここまで~


堕天使ヘイレル(サタン。魔王ルシファー)は堕天する前、とても優れた天使だった時に『明けの明星』と呼ばれていた為、金星は堕天使ヘイレル(サタン。魔王ルシファー)と関係があるのだそうです、サナート・クマラはその金星から降り立った者で堕天使ヘイレルだとのことで、そのサナート・クマラが金星から降り立った鞍馬山が発症のレイキヒーリングは悪魔のエネルギーということなのだということについてが上記紹介記事に書かれていました。

私がレイドウレイキの第一段階の伝授を受けた時にいただいたテキストを見ながら説明を受けた時、ウスイミカオ氏が京都の鞍馬山で21日間の断食修行をして21日目に意識を失い、意識を回復した時に大宇宙の靈気と繋がっていたという説明でしたので、

「レイキはサナート・クマラから啓示を受けたもの」

というのはレイキの伝授において隠されているのか、もしくはこの上記記事のクリスチャンの方が本物のクリスチャンであるか、本物のクリスチャンの方たちには聖霊がレイキについて真実を教えてくださっていることでわかったことかもしれません。
(つまり神さまがレイキは何かを聖霊によって本物のクリスチャンの方たちに教えてくださった可能性が高くなる)

また、おすすめクリスチャンチャンネル『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』さんの動画で、この動画が紹介され観ました。

【動画】クリスチャンのお話
「レイキマスター、イエスに出会う」
Reiki Master Meets Jesus
https://youtu.be/0JZGzG-d8-k


上記動画の中で、この元レイキマスターの女性が、聖書のどこの個所かまではおっしゃってくださいませんでしたが、

「レイキは魔術の一種だということが聖書に書いてある」

ということをおっしゃっていましたので、もうこの2つの説明でレイキが悪魔のエネルギーであり神から来ているエネルギーではないということを受け入れるに十分です。

なぜなら、私はブルーノ・グルーニングさんのハイルシュトロームによる『神の治癒』にも3年ほど取り組んでいたので、レイキエネルギーはハイルシュトロームほどの治癒の力はなかったのを体感・体験していますし、
ブルーノ・グルーニングさんが生きていらした当時に起きたその場でブルーノ・グルーニングさんがお話をしただけで即時の奇跡治癒をその場で体験される方がものすごくたくさんいらしたのですが、レイキは即時の奇跡治癒が起きるというような体験をしている人の話は聞いたことありませんとレイキティーチャーはおっしゃっていましたし、

ブルーノ・グルーニングさんは、

「最高のヒーラーはイエスです」

と言っておられます、リーハイバレージャパニーズミニストリーズさんの動画で街中に出てイエスさまの御名をもって命じてその場で足の悪い人か普通に歩けるようになった即時治癒や、目がとても悪い人が何回かイエスさまの御名をもって命じてもらって目が良く見えるようになった即時治癒の動画などの動画も観ていますから、

イエスさまは神の御独り子という神の子で神さまであり、神ヤハウェさまの右の座におられる方ですから、その神であるイエスさまに治癒をしていただけるようになるよう、神さまとイエスさまを信仰できるようになり神ヤハウェさまとイエスさまに助けていただき、

自分がほんとにこれは困っているという病気について我利の病気治癒のお願いのものであっても、神さまとイエスさまにお願いのお祈りをするとそれが治る必要があると神さまの御一存があれば病気治癒をしていただけますし、

病気が治ることが神さまのために役立つことなのだということなのであれば、
「この病気が治ると私はこれこれこのように神さまのお役に立つことができます」
と祈って神さまが御一存で認めてくださると病気治癒をしていただけるとクリスチャンご夫妻からお聞きしています、

ブルーノ・グルーニングさんが神さまの命により私にハイルシュトロームを流すことをおやめになられ、私はひどい鼻詰まりが再発し点鼻薬を使いながらお薬が切れると鼻呼吸ができず苦しんでいた時、
クリスチャンご夫妻からイエスさまにお願いする『いやしの祈り』という祈り言葉を教えていただき、それを毎朝唱えるというのをやり始めたら、次の日から片方の鼻が通るようになり、祈りを毎朝続けていますが、両方の鼻が快適に通る時間があったり、ちょっと粘膜が閉じ気味ではあるけど鼻呼吸ができて点鼻薬を使わなくても済むようになりました。

癒しの祈りをさぼるとひどい鼻詰まりになりましたが、癒しの祈りを再開したら次の日には鼻が通るようになりました。

つまりイエスさまの病気治癒はレイキや他のエネルギーヒーリングのような手のひらを上に向けてエネルギーを長時間、毎日受け取り続けるというようなものではなく、神さまとイエスさまに短い時間で『お祈りをする』ことで治癒していただけるんです。
(まだ本物のクリスチャンになれていない人の場合は、神さまへの信仰に向かう真剣な気持ちがないとお祈りしてもダメだと思いますが)

病気治癒のお願いを神ヤハウェさまとイエスさまにお願いするほうが100%本物で100%安心できる信頼ができる『神の治癒』だと思います。

ブルーノ・グルーニングさんのハイルシュトロームによる『神の治癒』は、ブルーノ・グルーニングさんは神さまと約束してきて生まれてきた方だそうですから、ハイルシュトロームは神さまからのエネルギーと思われるのですが、
現世利益主義に突っ走ると病気治癒とかお願い事は悪魔・悪霊が叶えている場合があると思いますので、100%信用できるものとは言えないだろうと思います。

なぜブルーノ・グルーニングさんのハイルシュトロームが神さまからのエネルギーと『思われる』と私が言うかというと、ブルーノ・グルーニングさんが伝えている『教え』というのが、最新スピリチュアリティで言われていることでニューエイジ(悪魔崇拝もしくは神から出ていないものから来ている話)で伝えられているものと同じようなことを伝えている為、

ブルーノ・グルーニングさんはカトリック信者だったのですが、私がわずかに知っている聖書の教えと通じるような教えというもので私が知っているものは、「神さまを信頼すること」くらいしか、3年間の入門でのインターネット会合では教えてもらえなかったなぁと思っているから、

自分が現世利益主義で病気治癒や現世利益を求めてなにかのあらゆるお願い事をブルーノ・グルーニングさんにお願いした時、神が現世利益主義に沈黙されることでブルーノ・グルーニングさんもその人には手を出さず、その人の病気治癒や願い事を叶えているのは悪魔・悪霊側かもしれない可能性がある場合があるというのが、神ではない被造物であるブルーノ・グルーニングさんの場合、起きるということはあるはずだ、あるだろうということになるため、自分が悪魔・悪霊につけこまれることをしてしまうという点で、100%信頼できるわけではないですよと申し上げたいのです。

イエスさまは神の御独り子で神さまにお願いすることができる方で、また神の右の座に着くものとして天地のすべての権威を神さまから与えていただいている御方だから、被造物であるブルーノ・グルーニングさんとは身分が違う神の権威を持っている御方なのです。

というわけで、レイキヒーリングやリコネクティブヒーリングやシータヒーリングや、とんでもないことですがハンズ・オブ・ジーザスとか、そういう『アチューメント』『伝授』を受けるようなエネルギーヒーリングのエネルギーは悪魔がエネルギーの根源で悪魔のエネルギーだと思っていいと思います。

聖書に、サタンが光の天使を装うということが書いてあります。

新共同訳聖書 旧約聖書続編つき
コリントの信徒への手紙二
11章14節~15節
偽使徒たち

14だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。 15だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。


サタンが光の天使を装えるとあり、クリスチャンご夫妻からは悪魔も病気治癒をするんですと聞いていて、
聖者デヴィッド・ホーキンズ博士の生徒だと自称しているクリスチャンでもあるらしいスピリチュアル王子E氏のサイトの記事で知ったのは、レイキエネルギーはキネシオロジーテストで意識レベル340だったかな、中立のレベルの愛のレベル(ポジティブエネルギーのレベル)の意識レベルの数値が出るという結果を聖者デヴィッド・ホーキンズ博士がキネシオロジーテストで調べているのと、

病気治癒ができるエネルギーの意識レベルの数値は確か500か540からだと聖者デヴィッド・ホーキンズがキネシオロジーテストで結果を出しているからスピリチュアル王子E氏の公式サイトに掲載されているんだと思いますが、

もしこのキネシオロジーテストという科学と、このキネシオロジーテストの意識レベルマップの数値は、聖者デヴィッド・ホーキンズ博士が神さまに質問して調べた研究結果と聞いていますが、神さまに質問しているつもりでいても実は悪魔が答えていたとするならば、悪魔側から来た情報である場合もあり、

このレイキエネルギーのキネシオロジーテストの意識レベルの数値340が愛のレベルの中立のポジティブエネルギーだというのが実は悪魔側から来た情報でも、悪魔は本当の情報も言ってきたりするそうですから、本当にレイキが愛のレベルのエネルギーだということなら、悪魔はある程度までの愛のレベルの意識レベルの数値の愛のエネルギーを扱える能力があるということになるのではないかなと思いました。

神ヤハウェさまと御子イエスさまの『神の治癒』は祈りによってもたらされるので、レイキヒーリングその他の『伝授』や『アチューメント』を受けて扱えるようになるエネルギーヒーリングは『神から出ていないもの』『神から来ていないもの』のエネルギーだということになるので悪魔崇拝になるはずなので、手を出さないようにお願いします。

神ヤハウェさまとイエスさまを信じ祈ることなのです。

私が過去に運営していた雑記ブログ『目心口窓Ⅱ』と、
『天使たちのことづて~オラクルカードリーディング』
(ブログタイトルの改名を2回していて、『天使たちのことづて~心の救済求めて勉強中』と『しおんえつこの心の救済求めて勉強中』というブログタイトルを使ったりしました)

のブログに、レイキのキネシオロジーテストの意識レベルの数値は300台で愛のエネルギーだから悪魔のエネルギーではありませんという間違った記事を、間違っていると知らずにずっと掲載していたことがあります。

私も聖書を勉強していなかった頃だった為、スピリチュアルの知識を悪魔崇拝のニューエイジだと知らず学び騙されていたので、どうぞおゆるし下さい。



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【固定】神さまはメッセージを伝えるのにオラクルカード・エンジェルカードなどのシャッフルして引くカードはお使いにならないそうです

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
私が2000年か2001年からずっとお世話になっていたある有名な占い掲示板で、過去にオラクルカード・エンジェルカードを天使や天界の存在とつながってメッセージをいただけるカードだと思って、
その占い掲示板でおすすすめしてしまっていたので、その占い掲示板に次のように書き込み、もう訪れないという最後のご挨拶をその占い師さんにしました。

あの頃の私は、孤独で、苦しくて、自殺したい思いを抱えて、その掲示板しか頼れるところがなかったため、その占い掲示板を利用していた時期があったのです。

私は占いというのは人助けをするものなのだと思っていて、悪魔・悪霊(堕天使)についてまったく知らなかったので、占いに関わってしまったのです。

神さま、知らなかったとはいえ、あなたに背く占いや霊能力鑑定に頼ってしまったことごめんなさい。
どうかこの罪から私のことを浄めてください。


゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

私がおすすめしたオラクルカード・エンジェルカードを引くようになった方へ

私は聖書を学ぶようになり、本物のクリスチャンになるための信仰ができるようになるための道を歩み始めました。

それにより、聖書を読み、本物のクリスチャンになられた方から聖書を教えていただいて信仰へのスタートラインに少しずつ向かっているところなのですが、

旧約聖書のモーセさまのところの話で、このような神さまの御言葉が書かれています。

新共同訳聖書 旧約聖書続編つき
申命記
18章9節~14節

9あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。10あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者(ぼくしゃ)、易者、呪術師、11呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。12これらのことを行う者をすべて、主(しゅ)はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。13あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。14あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者(ぼくしゃ)や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。


また、元悪魔崇拝者でニューヨークで5位くらいの高祭司だった過去がある、今は回心して牧師をされて悪魔と戦う活動をしておられるジョン・ラミレスさんのキンドル書籍2冊と、Dr.あいこ・ホーマンさんのキンドル書籍1冊と、

【書籍】
『悪魔の大釜からの脱出』
元悪魔崇拝者の高祭司で今は回心して牧師の
ジョン・ラミレス氏

悪魔の大釜からの脱出
クリエーター情報なし
リーハイバレージャパニーズミニストリーズ


※2018年5月30日現在ではジョン・ラミレスさんのご著書はAmazonでこの本だけしか販売されていないです

【書籍】
『祈りの力
~肉体・感情・経済・人間関係の癒し』
女医で本物のクリスチャンの
Dr.あいこ・ホーマン女史

祈りの力: 目的別の祈り〜肉体・感情・経済・人間関係の癒し〜
クリエーター情報なし
リーハイバレー・ジャパニーズ・ミニストリーズ・メディア


ユーチューブチャンネル『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』『Eden Media』『Freedom in christ』『ジョン・ラミレス日本』の動画で本物のクリスチャンの方々が悪魔・悪霊(堕天使のこと)を色々教えてくださっていて、

「スピリチュアル、ヒーリング、占い、オカルト、ヨガは悪魔から来たものだから関わるな」

ということを教えてくださっているのも知りました。

特にジョン・ラミレスさんの書籍で、タロットカード、オラクルカード、エンジェルカード、占いは少しでも関わっただけで悪魔の道、魔道に行くものだと教えていただき、

私はタロットカード、OSHO禅タロット、オラクルカード、エンジェルカード、エンジェルタロットオラクルカード、漫画家CLAMPさんのクロウカード、タロット教科書第一巻、タロット解釈実践辞典、クロウカードガイドブックのすべてを可燃ごみに出して捨てました。

私自身の体験で、オラクルカードヒーラーとしての仕事を辞めるために税務署に廃業申請書を出しに行こうとしたとき、ものすごい寒気が襲ってきて税務署に行けなかった過去があるのですが、

神さまとイエスさまに祈りを捧げるようになり、聖書を音読し、日本キリスト教団の一般福音教会の牧師さまから聖書の話を聞き、本物のクリスチャンになれたご夫妻からマンツーマンで毎回2時間30分ほど聖書を教えていただくようになり、

やっと今日(2018年3月12日)に、何事もなく税務署に廃業申請書を提出し、オラクルカードヒーラーとしてのお仕事用口座の通帳を解約する手続きを全て済ませることができホッとしましたが、

過去にものすごい寒気で税務署に廃業申請書を提出しに行けなかったのは、オラクルカードやタロットカードなど占いのカードデッキ類と、関連書籍を捨てていなかったことで悪魔の道にいるものと悪魔・悪霊側(堕天使側)が思っていて、寒気によって税務署に行けないようにされていたんだとわかりました。

また、私がネガティブに心が向いていた時期、自分に起きている抜けた黒髪が敷布団やトイレマットの裏にどんどん付着していくという黒魔術か呪術らしきもののことで、私に黒魔術をかけている者は誰なのか、どんな理由でなのかを、『アセンデッドマスターオラクルカード』の『Yes』やそれに近いカードとそうでないカードとで二者択一で情報を得ようとしましたが、
私に黒魔術をかけている者だけは教えてもらえたけど、それ以外の質問はすべてはぐらかされるというカード結果ばかりで、オラクルカード、エンジェルカードが信用できないものであること、堕天使がオラクルカード、エンジェルカードを使うのだということを知りました。

エンジェルカードを作られたドリーン・バーチュー博士がアセンデッドマスターもオラクルカードもやめてクリスチャンになられた動画がユーチューブにあり、

【動画】
「ドリーン・バーチューがイエスに出会い、占いもアセンデッドマスターもオラクルカードも止める!」
https://youtu.be/6qVnUxdXhkU


この動画はドリーン・バーチュー博士がクリスチャンになられてオラクルカードや今までのことをやめることを決意表明している動画です。

ジョン・ラミレスさんも、Dr.あいこ・ホーマン博士も本物のクリスチャンになれた方たちですが、

「神はメッセージを伝えるのに占いも占いの道具も使わない。
神は祈りによってメッセージを与える」


と伝えておられます。

神さまとイエスさまに祈ることで、答えとなるものがなんらかの形でやってくるということです。

クリスチャンのご夫妻が私におっしゃるのは、

「神さまに「教えてください」と祈ったときに、聖書を開いて読んでいたらそこに書かれている御言葉(みことば)が今の自分にとても当てはまっていて心に入って来て答えを得たと思ったり、クリスチャンの人たちの信仰についての本を読んでいる時にそこに書かれていることが自分に当てはまって心に入ってきて答えを得たり、神さまはそういう形でメッセージをくださいます。
必ずしも感覚などで神さまの声が聴こえてとかでメッセージを得るということだけではありません。」


と何度か教えていただいていますので、
悩んでいるのでしたら神さまとイエスさまに悩みを話して「教えてください」と祈り求めていただきたく思います。

というわけで、私はドリーン・バーチュー博士の言葉を信じてオラクルカード、エンジェルカードが天使や天界の聖なる存在とつながりメッセージがいただけるものと思っていましたが、悪魔と繋がるもの、魔道つまり悪魔の道に行ってしまうものだと知り、おすすめして申し訳なかったと思います。

占いのカード類、占いは少しでも関わると悪魔の餌食になることをジョン・ラミレスさんがキンドル書籍に書いておっしゃっています。
堕天使のご馳走は私たちの苦しみの悲鳴の声と苦悩の表情です。
堕天使はそう簡単には私たちを殺しません。
長く苦しませて悲鳴を上げさせて楽しみたいのです。
元気なうちはあまり攻撃してこないかもしれませんが、肉体的な体力が衰えて心も弱った時、力が衰えた時、すごく攻撃をしかけてきます。
(過去の私が心と体がボロボロになったときにそれが起きました)

タロットが魔術、つまり魔道(悪魔の道、悪魔がもたらしたもの)なのは知られていると思いますが、オラクルカードとエンジェルカードは天使や天界の存在とつながってメッセージがいただけるものではないので、どうかオラクルカード、エンジェルカードから離れて、

そして神ヤハウェさまとイエスさまに謝罪と悔い改めの祈りをしていただければと思います。
こんな感じで祈ります。

「天におられるイエスさまのお父さまである神さま、イエスさま、聖霊さま、
私は悪魔のものと知らずに占いに手を出してしまい魔道の道に行ってしまいました。
ごめんなさい。
私はもう占いに手を出しません。
どうか私の罪をお赦しください。
どうか私を浄めてください。」

自分の言葉でいいので、神さまとイエスさまと聖霊さまに謝って悔い改めの祈りをしていただければと思います。

冒頭に書いた聖書の御言葉を読んでも、

「私はそれでも占いを利用するわ」

というのであれば、神さまを無視して神さまに背く罪を犯し、『悪魔の砦』に居続けて悪魔の鎖に縛られ悪魔によっていずれは滅ぼされていく道を進むということですが、
(死後に神に背いた者として堕天使のいる地獄の火の池に投げ込まれるということです)

※『悪魔の砦』とは、『この世は悪魔が支配・治める世界』だという意味、悪魔は『この世の偽りの父』と表現されているのですが、意味合いとしては『やくざのお父さん』みたいな意味合いですが、この世を支配しているのは悪魔で、この世には『神さまとイエスさまの砦』と表現される『神さまに護られた神の国』もあり、神さまを本当に信仰できるようになるとこの『神さまとイエスさまの砦』の中に招かれます。
ただし、へんてこりんなキリスト教団体に入らないよう、口コミでの悪い噂があるようなキリスト教団体には入信しないよう気をつけてほしいです。


神さまとイエスさまに護られる道を進むか、悪魔に現世利益を与えられながら長く苦しまされていずれは滅ぼされていく道を進むかは、あなたの自由意志になります。
(これについては聖書の勉強を続けていくといずれわかります)

この記事は占い師であるEさんにとても都合の悪い記事なので、削除されることも覚悟の上で書いて投稿しております。
ほんのわずかな方にだけでも読んでいただければ上出来だと思っています。

そして私は本物のクリスチャンになる道へ進み始めている者として、もうこの掲示板には訪れませんので、この記事にお返事をくださっても訪れないので読みませんので、この記事にはどなたもお返事を書き込まれないようお願いします。

Eさん、長いことお世話になりました。
Eさんが悪魔の餌食になって悪魔に利用されて悪魔の手先になってしまっているのだと本物のクリスチャンを目指して聖書を勉強している今の私は思っています。
Eさんやこの占い掲示板を利用されている方たちがイエスさまに導かれて回心なさる道が目の前に現れるといいなと祈っております。

☆シオン★

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。☆

これを書き込んだ占い掲示板は、もうずいぶん前からほとんど利用してはいなかったのですが、
私がオラクルカード、エンジェルカードをおすすめしてしまったことで引くようになってとても助かっているということをおっしゃっていた方がいらっしゃるので、最後にこの書き込みを投稿しておきました。

占いというものが人助けをするものだと思ってしまう方々は多いかと思います。
ですが魔道、悪魔の道で悪魔の餌食になるだけなので、どうぞ占いや霊能力鑑定、スピリチュアル鑑定には近づかないようお願いします。

神さまとイエスさまに助けを求め祈りましょう。
神さまとイエスさまに護られる信仰の道に行き聖書を学びましょう。

~補足~

『オカルトの力はどこから?悪霊の働きに気をつけよう』の記事を紹介したもう1つの記事に掲載しましたが、この記事にも補足として掲載しておきます。

聖書には白魔術についてなんと書いてありますか?
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-white-magic.html


上記ページも目を通していただきたいのですが、
白魔術は人にとって良いこと、人が幸せになることをしているように見えるけれど、魔術なので悪魔の道のものなので、白魔術は悪魔崇拝をしているということになることが書かれています。

今、知っている人は知っている、エンジェルカードやオラクルカードは天使からのメッセージとしか思えないものが書かれていますが、悪魔・悪霊(堕天使)が私たちにカードを引かせていると考えられるものなので、エンジェルカード・オラクルカードは白魔術を行っていることになり、悪魔崇拝ということになりますので、

エンジェルカード、オラクルカード、エンジェルタロットカード、タロットカード、漫画家CLAMPさんのクロウカード、OSHO禅タロット、越智啓子さんの出しておられる『なんくるカード』、
その他の方々が出しておられるシャッフルしたりして引くやり方のカード、
そしてパッと開いたところのページのメッセージが今日のあなたへのメッセージというメッセージ本や、これと同じことを行う聖書占いも、
占いという神ヤハウェさまが忌み嫌うもので魔術で悪魔崇拝なので、聖書は持っていてもいいけれどメッセージをもらうための占いには使わないことと、
カードデッキ類と占い関連書籍は全て可燃ゴミに出して捨てたほうがよろしいのと、
聖書勉強会に通ったりカトリックの信仰入門コースの聖書を学ぶ入門コース(2年らしいです)に通って聖書の御言葉とその意味を学んで神ヤハウェさまとイエスさまへの信仰をすることで『神の武具』を身に着けられるようになるそうなので、
これにより悪魔を追い払えるようになるそうですから、悪魔の憑依から身を守ることをなさったほうがいいと思います。

真言宗の真言や、ガヤトリーマントラなどのインド宗教のマントラ、陰陽道の清明桔梗の五芒星のお守りとかは、神ヤハウェさまから出ていないものの可能性があり、五芒星自体が魔術の記号だとウィキペディア情報の『五芒星』の項目を読むとありますので、五芒星のお守りをつけていてもそれが悪魔崇拝でしかない可能性もあります。

また、六芒星に関してはユダヤ教で秘儀としてのシンボルと認められているような教えはトーラ―にはないそうなのですが、アレイスター・クロウリーという有名な魔術師が考案した六芒星もあって魔術師は悪魔崇拝者なので、六芒星の描かれたお守りも悪魔崇拝のアイテムかもしれない可能性があるため利用しないほうがいいと思います。

悪魔・悪霊(堕天使)という魔の存在からの攻撃から身を守る一番のお守りと言えるものは、聖書の御言葉とその意味を学び洗礼を受けてクリスチャンになった時、水の洗礼時もしくはその他の時期の信仰生活において聖霊の働きがあったときに、神さまとイエスさまのことを本当に信仰できる本物のクリスチャンになれると、イエスさまの御名と血潮をもって悪魔・悪霊(堕天使)を追い払えるので、これが本物の神さまからのお守りですが、

まだキリスト教信仰者になっていない場合は、やはり真剣に神ヤハウェさまとイエスさまを心から求めて悪魔・悪霊から護ってくださいとお願いするお祈りをしながら、聖書の御言葉とその意味を学ぶ一般福音教会(日本キリスト教団の教会)の聖書勉強会に参加することだと思います。

聖書を学ぶと教えがしっかりしているので信仰を考えるようになっていくなと、聖書を学び始めて思います。
私は最初は知識の為に聖書を学びに行っていましたし、私に聖書を教えてくださっているクリスチャンご夫妻の旦那さまも最初は自分を高めるために聖書の知識を学びに行っていたそうですが、信仰へ導かれていきました。

私が知識のために聖書を学びに行き始めた時、最初の勉強会から、牧師さまの聖書の御言葉の解説を聴いたら、とても面白いと思い、ずっと勉強したいと思って聖書勉強会に通い続けて、そして助けてもらいたいところから信仰への道を歩むための聖書の学びになっていきました。

キリスト教はちゃんと本物のクリスチャンの神父や牧師がおられるちゃんとした団体のところだと本当にすばらしい教えがしっかりしている本当に信仰すべき宗教で、他の仏教系とかなにかの宗教に騙されないと思います。


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【固定】 (動画より)「クリスチャンなのに悪魔・悪霊(堕天使)に一度も遭遇したことがない人の主との関係に疑問を持ちます」について

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
別の記事でご紹介したユーチューブのクリスチャンチャンネルの
『Freedom in Christ』さんの動画の、

【動画】本物のクリスチャンのお話
「あなたの祈りと悪魔」
(昼間の閲覧推奨)
https://youtu.be/7qOTevaAF88


に、ずっと謎だったプロテスタントの一般福音教会の牧師さまや信徒さんたちと、日曜のミサで通っているカトリック教会の信徒さんたちが悪魔・悪霊(堕天使)とまるで関係ありませんという人たちばかりのようだなと思っていたので、動画に『しおんえつこ』の名前のほうを使ってこうコメントしましたら、お忙しい中、お返事をいただけたのです。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

すみません、動画の感想を書くのを忘れていました。
この動画で、クリスチャンなのに悪魔・悪霊(堕天使)に一度も遭遇したことがない人の主との関係に疑問を持ちますというようなことおっしゃっておられましたよね。

私これを聴いて、謎が解けたような気持ちです。

なぜなら2つのプロテスタントの一般福音教会の聖書勉強会に通ったのですが、そこのクリスチャンの人たちはまるで悪魔と堕天使と関係ないって感じでしたし、日曜のミサで通っているカトリック教会のクリスチャンの方たちも堕天使が関係なさそうな感じで、1人の神父さまは、

「神さまから声をかけられる人は特別な人で僕はそういうの体験したことがありません」

と言っていたし、ミサで親切にしてくださった信徒さんは、50年間クリスチャンをしているそうですが、神さまから声をかけられたことは一度もないとおっしゃっるので、

「えっ、50年やっていて本物のクリスチャンになれないの、カトリックって」

と目が点になったしその方に聖書の御言葉の話をしたら、「あら、そうなの、知らないわ」って言われてほんとに知らないのか未信者から聖書の話をされたらそう言って交わすようにする暗黙のルールがあるとかなのかと思ったのですが、

私は未信者だけど本格的に聖書の勉強をさせていただくようになってから、おそらく堕天使の攻撃だろうという体の痛みや信仰をやめようかと思ってしまう思考の支配を体験したりしていて、本格的に聖書を学び始めた人のことを悪魔は神さまに向かわせまいとしてものすごく攻撃するんですとクリスチャンご夫妻から教わりましたが、

一般福音教会のクリスチャンの人たち、悪魔・悪霊と無縁って感じの人たちで、私はてっきりそれを、

「水の洗礼を受けたからイエスさまが護ってくださっているってことなのかな、聖霊がプレゼントされていなくてもってことなのかな」

と疑問に思って謎だったので、この動画を観て、

「主を信仰してないとされて堕天使に相手にされていないってことなのかな」

って思いました。

クリスチャン漫画家のケリー篠沢さんの聖書の漫画で、悪魔が手下の悪霊に、

「お前たちは小物は相手にしなくていい」

と言っている悪魔の考えていることを書き記してあるシーンがあったからです。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。☆。。

すると、『Freedom in Christ』さんから『注目の返信』としてこうお返事がありました。
こちらのブログでも紹介させていただきます。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*

Freedom in Christさんのお返事
(上記紹介動画から転載)

コメントありがとうございます。

祈らない、聖書を読まない、神を求めていない人は、クリスチャンでも未信者でも、悪霊や堕天使たちの脅威になりません。

脅威にならない、っていうことは、彼らはやられっぱなしで、ボコボコにされて生きているか、悪魔が築いた嘘の中に生きているかどっちかです。

でも、本当にイエスキリストの真理を携えて生きていこうとするとき、イエスに心から従うクリスチャンの祈りは暗闇を揺るがすので、私たちは暗黒界の脅威となります。だから、それだけ悪霊たちにマークされてしまうのですが、神に従って生きることで必ず勝利を手にすることができます。

今ワールドカップでサッカーをやっているので、サッカー見ればわかると思いますが、ゴールを入れそうな有能な選手は、必ず敵チームによってマークされています。その人にボールが渡らないようにです。何もしない人、何もできない人はマークされません。クリスチャンでもそうです。

でも、何もしない、何もできないクリスチャンは、結局のところ、神を知らないということなので、本当のところ、実は救われていないのは、と思います。


゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

どこぞのキリスト教教会団体で、水の洗礼を受けましたというクリスチャンの方が悪魔・悪霊(堕天使)との戦いをしたことがないなら、聖霊を賜っていないんです。
(聖霊のバプテスマを受けていなくて聖霊がプレゼントされていない)

新共同訳聖書
マルコによる福音書
16章17節

17信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。 18手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」


水のバプテスマを受けた時に聖霊が働かなかった人は『我(われ)』が勝っていて打ち砕かれていないからという話を札幌キリスト召団(日本キリスト召団)の水谷幹夫先生が聖書の講義の質疑応答でおっしゃっていました。

牧師さんによっては水のバプテスマと悪霊祓いを聖霊のバプテスマを授けることができる牧師さんがいるのですが、そこらの教会ではそれができる本物のクリスチャンになれた牧師さんがいないので、聖霊のバプテスマが授けられないのです。

それで水のバプテスマを受けたあとに神さまが聖霊のバプテスマを授けると、上記の聖書の御言葉の『イエスさまを信じた者に伴う5つのしるし』が与えられて、聖霊を賜ったクリスチャンはこれが全部できるんですと、私に聖書を教えてくださるクリスチャンご夫妻のBさんから教わっています。

私などまだ微妙に求道者の端くれになれたのかという段階なのですが、まだイエスさまの御名をもって命じての悪霊祓いができないのに、変なスピリチュアル情報を書き込んで人々を惑わしている情報に聖書の御言葉を書いてツッコミを入れたので堕天使攻撃が来ました。

そこらのプロテスタントの一般福音教会でも、カトリック教会でも、本物のクリスチャンになれた人っていないんじゃないですかね。

私が今、求めているのは神さまに取り成しの祈りをしてくださる本物のクリスチャン・・・
だっておかしなスピリチュアル情報に聖書の御言葉から間違いを訂正すると堕天使攻撃来るんだもん・・・

日本キリスト召団さんに電話して事情を説明して病気治癒を祈っていただくといいのかなぁ~

クリスチャンだという方で、悪魔・悪霊との戦いが一度もありませんという方、クリスチャンになれていないので悪魔・悪霊に相手にされていない、つまり、

新共同訳聖書
マタイによる福音書
7章21節~23節

21「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 22かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。 23そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

ということで、主に「あなたのことは知らない」と言われてしまうクリスチャンだということ
だと思いますので、

あなたが所属しているそこの教会、何年所属しても神父や牧師が本物のクリスチャンになれるように魂の導きをしてくださる羊飼いじゃありませんから、

「本気で本物のクリスチャンになりたい、本物のクリスチャンに会わせてください」

と心底神さまにお願いし、神さまが出会わせてくださった本物のクリスチャンの方の指導を受けるといいですよ。



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【固定】【昼間閲覧推奨】悪魔のことについてきちんと知ると神さまとイエスさまへの信仰が大事だということがわかります

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
本物のクリスチャンの方のお話が聴けるユーチューブチャンネルの1つに、『Freedom in Christ』さんがあり、このブログのブックマークにもリンクを貼っています。

【動画】本物のクリスチャンのお話のチャンネル
Freedom in Christ
https://www.youtube.com/channel/UC-VniFpTxKygUyX1Mvygz4A


宗教についてのことで、宗教団体の勧誘を受けたり助けて欲しくて宗教団体に関わると、『悪魔』や『地獄』のことを言われて『脅される』ことをされてしまったという方もいると思います、

なので『悪魔』について言われると、

「宗教勧誘の脅しの手口だ!」

と思われる方いると思います、悪魔についてちゃんとした知識を取り入れていないからそう思ってしまうということもありますが、

確かにそういう手口に使われているなという宗教団体勧誘の体験が私にもあります、

ですが『悪魔』についてはその存在が神さまが著者である『聖書』に書かれていて存在していて、イエスさまも受肉して地上に来られた時に悪魔に色々な誘惑をされてそれを退けられたという話が書かれていて、それが詳しく書かれているのは

『マタイによる福音書4章1節~11節』
『ルカによる福音書4章1節~13節』

と、イエスさまやお弟子さんが悪霊祓いをしたお話が新約聖書にはいくつも書かれていますので、悪魔・悪霊(堕天使)はちゃんと存在していて私たちに働きかけて攻撃したりしています。

新共同訳聖書
マタイによる福音書
4章1節~11節

1さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。 2そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。 3すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 4イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 5次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、 6言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」 7イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。 8更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 9「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。 10すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」 11そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

ルカによる福音書
4章1節~13節

1さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、 2四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。 3そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」 4イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。 5更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。 6そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。 7だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」 8イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」 9そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。 10というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』 11また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」 12イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。 13悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。


聖書は神さまが著者だと教えてもらっています、ペンを持つと聖霊がダダダーッと書かせたと教えていただいています。
新約聖書に書かれていることは12使徒が書いたのですが、12使徒は聖霊がプレゼントされているので書や手紙を書く時に聖霊に満たされて書や手紙を書いたりしているのだと思いますので、聖霊(神の霊)によって書いているのだと思います。

悪魔について言うと「悪質な宗教勧誘の脅しの手口だ!」と思う方もいると思いますが、そういう手口に使っている悪質な宗教団体の信者の方たちもいると思います、確かにそこは気をつけてほしいし脅しに負けないで欲しいです、
だからちゃんと本物のクリスチャンになれた方たちから聖書を教えていただいたり神さまとイエスさまへの信仰のことについてのお話を聴いてほしいです、その為にこのブログのブックマーク(リンク)には4つのクリスチャンチャンネルを貼ってあります。

で、悪魔について脅しだとか、こわいからとか、ネガティブに意識を向けるとネガティブが起き続けるからとか、気にしなければそんなのは近寄ってこないとか考えていて、悪魔に対しての知識を何も取り入れず、本物の神さまである神ヤハウェさまとイエスさまと聖霊さまを信仰することと聖書の御言葉という神の武具とによってのお護りもない無防備な状態でいていいというわけではないということを、やはり知っておいて欲しいなと思いまして、この記事を書きます。

私が『スカイプ聖書の学び』の中でクリスチャンご夫妻から教わったのは、

「この世には2つの『砦(とりで)』がある。

『悪魔の砦』と『神さまとイエスさまの居る砦』で、この2つの『砦』は川で挟まれている。

『悪魔の砦』は『悪魔が支配するこの世』のことで『悪魔の鎖に繋がれた状態で悪魔の嘘の中で生きる世界』で神さまとイエスさまに護られず『ただ生活はしていけた』という悪魔の支配や攻撃を受けたり現世利益を与えられたり突き落とされたりする人生、私たちが「人生ってそういうものだよな」と思っている人生を最期まで歩む『この世』のこと。

『神さまとイエスさまの砦』は『この世で神さまとイエスさまを信じた者がイエスさまに招かれて入れる砦で神さまとイエスさまの愛とお護りがある本当に自由で幸福で鎖に縛られない神さまと隣人を愛する世界』で『神さまの戦士としてトレーニングされ神さまの戦士として生きる神さまのために働く隣人を愛する世界』のこと。

『悪魔はこの世の偽りの父、この世の神。ヤクザのおとうさん、ヤクザの組長みたいなもの』

私たちは赤ちゃんの時に初めからアダムとエバの『原罪』を持ってこの『悪魔の砦』に産まれてきて我利(われり)の利己心で判断して行動言動することで『隣人を愛さない』罪やそれ以外の神さまに背く『罪』ばかり犯す罪人として生きるので、赤ちゃんの時から『神さまとの正しい関係が切れている』ので『悪魔のもの』になっている。

イエスさまを信じて信仰するのは『神さまとの正しい関係』に戻り『悪魔のものではなくなる』こと。」


こういう風に教えていただいています。

この『悪魔の砦』と『神さまとイエスさまの砦』の2つの世界のことについてこのことを頭に留めておいていただければと思います。

昨日(2018年6月23日)の午前深夜に久しぶりに本物のクリスチャンになれた方たちのお話が聴けるクリスチャンチャンネル『Freedom in Christ』さんを観に行ったら、悪魔について教えてくださっているこの動画がありました。

【動画】本物のクリスチャンのお話
「あなたの祈りと悪魔」
(昼間の視聴を推奨します)
https://youtu.be/7qOTevaAF88


かつて私は悪魔崇拝だと知らずにニューエイジ(スピリチュアルやスピリチュアリズムのこと)の知識を勉強したりエンジェルカードやオラクルカードを使ってのカウンセリングという魔術的癒しをしていたのですが、
スピリチュアルでは、特に日本のスピリチュアル界で有名でわかりやすい書き方でたくさんのスピリチュアル本を書いている人を1人挙げるなら、霊能力者である精神科医の越智啓子さんでしょう、越智啓子さんのご著書に書かれていることがわかりやすいけれど、こういったスピリチュアル本を読んだりスピリチュアル動画で知識を取り入れると、

「ポジティブに意識を向ければポジティブが続き、ネガティブに意識を向ければネガティブが続く」

ということを教えていることから、スピリチュアルの知識を取り入れた人たちは『天使』『大天使』『守護天使』に意識を向けてそれらに現世利益をお願いして願いを叶えてもらうということをするようになる、している人が多いと思いますが、
悪魔・悪霊(堕天使)のことは『ネガティブ』だし自分に都合が悪いから『悪魔』『悪霊』(堕天使のこと)にはまるで意識を向けなければ『悪魔』『悪霊』(堕天使)と関わらなくて済む、天使にお願いすれば悪魔・悪霊(堕天使)から護ってもらえると勘違いしているようだなというのがあります。

けれど神ヤハウェさまは聖書によって悪魔のことを教えています。

キリスト教の世界では、本物のクリスチャンになれた時、つまり本物のクリスチャンとは、

『イエスさまが心と体に入って来てくださってイエスさまが聖霊をプレゼントしてくださってキリストの体に属するキリストの一部になれたクリスチャン』

のことなのですが、本物のクリスチャンになると悪魔・悪霊(堕天使)との戦いを必ずするようになり、イエスさまの御名をもって命じての悪霊祓いや異言で神さまに祈っての悪霊祓いをするようになるのだと、本物のクリスチャンの方であるご夫妻や動画を視聴してお話を聞くことで教わっています。

私に聖書を教えてくださっているクリスチャンご夫妻が何度か私にこう教えてくださっています。

「聖書の教えがしっかり入って来てイエスさまが心と体に入って来てくださって聖霊をプレゼントされると、悪魔は私たちの敵ではなくなる。」
(イエスさまによって悪魔と戦えて追い払うことができるようになるということ)


本物のクリスチャンになるとイエスさまが心と体に入って来てくださり聖霊をプレゼントしてくださるので、『内にいましたもうキリスト』があるため、悪魔や悪霊が怖くなくなるようです。

新共同訳聖書
マルコによる福音書
16章17節~18節

17信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。 18手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」


ただし、この「しるし」そのものができるようになることを求めて信仰をするのは違うのです。
これらの「しるし」は神さまがあなたを救うとお決めになられたその時、イエスさまが来てくださってイエスさまによって救われてイエスさまが心と体に入って来てくださってイエスさまが聖霊をプレゼントしてくださって聖霊によって信仰心を与えていただけて信仰ができるようにしてくださるとこの「しるし」が与えられるようになっているので、
信仰できるようになることを求めること、聖書をしっかり勉強していくことも信仰できるようになる道に進むことの1つなのだとクリスチャンご夫妻から教わっています。

そして、『神さまとイエスさまを本当に信仰していない人』が現世利益を求めて神さまや日本神道の神ではない神々や世界の多神教の神ではない神々や『天使』や『大天使』に願うようになると、それらの神々や天使のフリをした悪霊(堕天使)に憑依され、天使のフリをした悪魔や悪霊が優しい光の存在のフリをしてメッセージを伝えてきたり現世利益を叶えているだけなのに、スピリチュアルをやっている人たちはそれを、

「本物の天使さまが、神さまが願いを叶えてくれている^^」

と勘違いしてニコニコしていたりするんだというのを、本物のクリスチャンになれたクリスチャンご夫妻から聖書を学び、本物のクリスチャンになれた方たちのイエスさまのお話の動画を視聴して学んでいると知るようになります。

私に聖書を教えてくださっている本物のクリスチャンになれたご夫妻の旦那さまのAさんから教わっているのは、

「悪魔は神が大嫌い。だから神に愛されている私たち人間が大嫌い。悪魔は愛が大嫌い。」

「神さまは自分が得する為だけの我利(われり)の我欲の願いごとは叶えないんです。

隣人を助けるための隣人を愛するためのお願いごとは神さまは喜んで叶えてくださる。

だから自分のこれが困っているということのお願いはどう隣人の力になって隣人を助け隣人を愛することをするというお願いなのかということなのです。

自分が得するだけの我利(われり)の我欲の為のお願いごとを叶えるのは悪魔なんです。

我利(われり)の為のお金儲けのお願いを叶えるのも悪魔なんです。

神さまは隣人を助けるためのお金はいくらでも与えてくださるけど、自分のためのお金は与えないんです。」


とのことで、自分が悪魔のことを無視していれば悪魔が自分や自分の大切な人を攻撃しないでいてくれたり地獄への道連れにしないでいてくれるのかというとそうではないのです。
悪魔を無視していれば自分たちに手出ししないでいてくれるようなそんな可愛らしい存在なんかじゃないのです。

悪魔は自分たちが最終的には地獄に閉じ込められて滅ぼされるのを知っていて、それが書かれているのが『ヨハネの黙示録』で、
悪魔は私たち人間を地獄へ道連れにしたいのだということ、悪魔から助けて救いたいのが神ヤハウェさまと神の御独り子であるイエスさまだということを、本物のクリスチャンになれた方たちのお話が聴ける『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』さんなどのユーチューブチャンネルの動画をたくさん観ていくとわかります。

【動画】本物のクリスチャンのお話のチャンネル
Lehigh Valley Japanese Ministries
https://www.youtube.com/channel/UC1DwW7Il7-7JEiZHvRBa6lA


旧約聖書の創世記で蛇(サタン)がエバを誘惑して善悪の知識の木の実を食べさせたのですが、それは神さまのお命じに背いて善悪の知識の木の実を食べたというのは神さまに対する罪を犯すことで、アダムとエバとその子孫の人間が地獄に突き落とされて滅ぼされるということで、蛇(サタン)がエバとアダムとその子孫である神さまの愛する人間を地獄に道連れにしたいからだということ、

そしてその原罪で堕落して利己的になったことによってさまざまな神さまに対する『罪』を犯し続ける罪人である私たちを神ヤハウェさま(万物の創造主。私たち人間の本当の御親)は、とてもとても愛している我が子である人間を地獄に突き落として滅ぼしたくないので、
そのすべての人間のすべての罪を神ヤハウェさまが赦すためにイエスさまが十字架にかかって殺されてくださり贖いの犠牲の子羊となってくださって、神さまの人間への罪の怒りを宥めてくださったのです。

罪人である私たち人間1人1人のすべての罪を神ヤハウェさまがすべて赦してくださる準備をイエスさまが十字架の愛で整えてくださった、
全ての人の救いはイエスさまの十字架刑と3日後の復活ですべて完了していて、私たち1人1人それぞれがイエスさまを信じる信仰者になった時、その信仰者になった1人の人は原罪も他の罪もすべて赦されてイエスさまによって浄めていただけて、『神さまとイエスさまの信仰者という神の子』になれて『天の国』に入れて死後は神さまの元に行くことができるのです。

そしてイエスさまは罪がない神さまなので『罪によって死ぬ者ではない』からイエスさまの御父上である神ヤハウェさまが3日後にイエスさまを生き返らせて復活させてくださったことでイエスさまが完全に悪魔に勝利してくださった。

イエスさまが神さまに対する罪の贖(あがな)いと償(つぐない)をその命を持って償(つぐな)って贖(あがな)ってくださった、なぜなら、

「罪が支払う報酬は死です」(ローマ人への手紙6章23節)

なので、神さまに罪を赦していただくには『死んでお詫びをしないとならない』ものなのですが、神さまに罪を赦していただくその『命』は罪を犯した穢れた命ではダメだということ、だから罪を一度も犯さなかった神さまであるイエスさまの聖(きよ)らかな『命』をもってイエスさまが十字架で殺されてすべての人間の罪を償(つぐな)って贖(あがな)ってくださったのです。

そして罪を犯していない聖らかな神であり受肉して『人の子』としても生きてくださったイエスさまは『罪のために死ぬ者ではない』ため、神ヤハウェさまがイエスさまを生き返らせて復活させてくださったことで、人間は『悔い改めて神さまに向かい神さまとイエスさまと共に生きる者』になれば人間は『永遠の命』を得るため、蛇(サタン)は人間を地獄に道連れにできなくなるということでイエスさまが『サタンに完全勝利した』ということなのです。

けれど私たちが神さまに肉体を造っていただいて命の息を吹き込まれた時、罪人であるアダムとエバの子孫として生まれて来ることで始めから(赤ちゃんの時から)原罪の堕罪を犯した者なので、『悪魔が支配するこの世』という『悪魔の砦』に生まれてくることで『神さまとの正しい関係が切れている』ことで『悪魔の鎖につながれて悪魔の支配を受けている状態』、

つまり私たち人間は赤ちゃん第一日目から『悪魔の支配するこの世という悪魔の砦』に産まれて『悪魔のもの』になっている状態というのが神さまとイエスさまを本当に信仰できていないクリスチャンではない私たち人間なのです。

元悪魔崇拝者でイエスさまに救われて今はスーパークリスチャンとして悪魔と闘う活動をしている悪魔についてとてもよく知っているジョン・ラミレスさんのご著書にこういったことが書いてありました。

「私たちはお腹の中に居て体を造られている時は神さまによって聖別されているが、産まれてきて息を吸った瞬間に悪魔に狙われ続ける」
(原文そのままではないですがこういうような言葉です、ご著書を読んでいただければと思います)


産まれてきて息を吸ってオギャーと泣いた瞬間、人間が大嫌いな悪魔に狙われて手下の悪霊たちがうじゃうじゃやってきて憑依したり思考を支配したりして攻撃を始めるということです。

(少しでも自分の利己のための正義で怒ると『悪魔にオープンゲート』『悪魔にドアを開く』で悪霊(堕天使)が憑依します、例え自我が目覚めたばかりの乳幼児や幼児でもです)

しかも日本神道の神々は神ではない者を神として祀っているので偶像崇拝の上に悪魔崇拝もしているのが日本神道と神社になります、なぜなら偶像崇拝をするとそこにつけこんで悪魔・悪霊が神のフリをするので悪魔崇拝になってしまうのです、本物の神さまである万物の創造主ヤハウェさまとイエスさまと聖霊さまだけを信仰していないものなので神さまへの信仰ではないということなので、

赤ちゃんが産まれてすぐに神社で『お宮参り』なんてして祈祷してもらったり七五三で祈祷を受けたりすると神ではない日本神道の何者かわからない悪霊(堕天使)かもしれない神々のものになってしまうので、乳幼児、幼児の頃から完全に悪魔の手下に憑依されるということなのでしょう。

日本神道の『造化三神』(あめのみなかぬしのかみ、たかひむすひのかみ、かみむすひのかみ)はヤハウェさまとイエスさまと聖霊さまのことなのかどうかわかりません、少なくとも万物の創造主ヤハウェさまはイエスさまを地上に送ってイエスさまが復活なさった後、

18わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19だから、あなたがたは行ってすべての民をわたしの弟子にしなさい。」(マタイによる福音書28章18~19節)

とおっしゃっていますので日本人も含まれるということ、イエスさまはすべての日本人のことも「私の弟子にしなさい」(わたしの信仰者にしなさい)とおっしゃっているのです、それは万物の創造主である神ヤハウェさまの元に人々を連れて行くことなので神ヤハウェさまの御意志だということです。

赤ちゃんが産まれてすぐに神ヤハウェさまに護ってもらうというのならキリスト教の幼児洗礼をして本物のクリスチャンになれた親が子どもの為に熱心に神さまに祈ることになるけど、親が本物のクリスチャンじゃないと神さまのお護りが受けられないのかもしれないですね。

そして『少しでも怒ると悪魔にオープンゲート』なので、乳幼児・幼児によりますが2歳頃に自我が目覚めて我利(われり)で怒るようになるとその時点で悪霊(堕天使)に憑依されるってことだと思います。

霊能者は悪魔によって霊能力を与えられているので神ヤハウェさまとイエスさまと聖霊を信仰している者ではないので霊能者のエクソシストに頼んでもダメってことです。
本物のクリスチャンによって悪霊祓いをしてもらって水の洗礼と聖霊のバプテスマを受けるか、本物のクリスチャンから聖書を教わって求道者になって神さまとイエスさまへの信仰をしようと神さまに向かっていってお祈りしたり聖書をしっかり勉強していって、神さまが救うとお決めになった時、水の洗礼がまだでもイエスさまが来てくださるとイエスさまに救っていただけてイエスさまによって悪霊が自分から出ていくということなのだと、『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』などの本物のクリスチャンになれた方たちのお話の動画を観るとわかります。

【動画】本物のクリスチャンのお話のチャンネル
Lehigh Valley Japanese Ministries
https://www.youtube.com/channel/UC1DwW7Il7-7JEiZHvRBa6lA


スピリチュアルやスピリチュアリズムを学んだり神ヤハウェさまが禁じておられるタロットカード・エンジェルカード・オラクルカード・なんくるカード・その他の人のシャッフルして引くメッセージカード・星占い・手相鑑定など占いをやったり霊能力鑑定・スピリチュアル鑑定・リーディング鑑定・チャネリング鑑定・イタコ・ユタ利用・魔術(白魔術、黒魔術)、呪術、レイキヒーリングなど伝授やアチューメントを受けてやるエネルギーヒーリングなどをやるだけで悪魔の手下の悪霊が色々と憑依するので、越智啓子さんなどスピリチュアルな人たちが言っているような、

「ポジティブ思考をして天使やアセンデッドマスターや女神にメッセージをもらったりお願いしたりしましょう!」

をやると天使や女神のフリした悪霊(堕天使)が憑依して現世利益を与えて地獄に道連れにしようとするということですから、神さまとイエスさまに祈るようにしながら聖書をしっかり学んで、その上で悪魔という敵についても聖書や本物のクリスチャンになれた方たちから教えてもらって取り入れてほしいです。

新共同訳聖書 旧約聖書続編つき
申命記
18章9節~14節

9あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。10あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者(ぼくしゃ)、易者、呪術師、11呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。12これらのことを行う者をすべて、主(しゅ)はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。13あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。14あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者(ぼくしゃ)や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。


という神さまからの御言葉がモーセさまに伝えられています。

冒頭で紹介した『あなたの祈りと悪魔』の動画でおっしゃっていますが、
「自分は洗礼を受けたクリスチャンです」
という人が悪魔や悪霊に一度も狙われていなくて攻撃されたことがなくて悪魔や悪霊との戦いをしたことがないですという人は、主との関係に疑問を持つとのことでしたよ。

「水の洗礼を受けたし悪魔から護っていただくお祈りもしているからイエスさまが護ってくださっているから悪魔や悪霊が来ないんだ」

と思ったら大間違いですよ、ということです。

新共同訳聖書
エフェソ信徒への手紙
6章10節~17節
悪と戦え

10最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 11悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 12わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 13だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 14立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 15平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 16なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。17また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。


本物のクリスチャンになると悪魔と戦うようにと神さまはイエスさまの御名と血潮をもって命じての悪魔祓いができるように「しるし」を与えてくださるということ、

「イエスさまを信じる者に伴う「しるし」を使って隣人を助けて神さまを証(あかし)し福音を伝えることがクリスチャンのやることで、これをやらないクリスチャンはクリスチャンではありません」

と私に聖書を教えてくださっている本物のクリスチャンになれたご夫妻は私に教えてくださっていますし、『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』の動画を観ていけば動画に出ているクリスチャンの方々は悪魔・悪霊と戦っている話をされています。

宗教勧誘や宗教団体に入信させられて悪魔の攻撃の話で脅されて信徒でいれば現世利益が与えられると言われてその宗教団体を脱会しないよう言われたり団体に入会しろと言われたりしているなら、その団体には関わらないように、

「私はイエスさまを信仰する本物のクリスチャンになり堕天使と戦う神の戦士になります!」

と誰にも相談せずその団体の事務所に行って勇気を出して退会手続きをして脱会したり、勧誘の時点で入会を断るようにしたほうがいいです。

キリスト教の団体でも『本物のクリスチャンになれた牧師や信徒』がいない団体に入信して信徒になってもダメですので、神ヤハウェさまに、

「本物のクリスチャンに出会わせてください!
本物のクリスチャンから聖書と信仰について教えていただかないとちゃんとした聖書のことと神さまとイエスさまへの信仰についてのちゃんとしたことは学べないです!
本物のクリスチャンの方に私の魂の導きをしていただかなければ本物のクリスチャンにはなれないです!」

ということや、

「神さまとイエスさまへの本物の信仰の為のこのことで私は本物のクリスチャンに出会いたいんです!」

ということのご自分の気持ちを神ヤハウェさまに心底願うと、神ヤハウェさまはとても御喜びになってその願いを叶えてくださいますから、『神さまの時』に本物のクリスチャンと出会わせてくださいます。

本物のクリスチャンになれた方から聖書をしっかり教えていただくと、神さまとイエスさまが本物の神さまだとわかるようになってきて信仰心が芽生えるようになります。
私も最初は知識のために聖書を学びに行き始めたし、私に聖書を教えてくださっているクリスチャンご夫妻の旦那さまのAさんも最初は知識の為に聖書を学び始めて、Aさんはある教会で神さまに触れられる体験をして信仰への道に進んだそうです。


私は原因不明の病気を長年患ってもいるし、最近ではなにも体に負担をかけていないはずなのに腰の左側に激痛が起き、その腰の痛みは『信仰に関すること』をしていない時は痛みをほとんど感じないのに『信仰に関すること』をやり始めると激痛になるという不思議な痛みで堕天使だなって思いますし、
やたら空腹になって食べ物を買って食べてしまって散財して貯金ができなくて糖尿病の数値が悪くなったりする時期もあったりすることが5年は続いたりなどもあって権利擁護センターに通帳を預かってもらって金銭管理をしてもらうようになったら異常なほどの空腹にはならなくなったり、
2018年6月19日に起きたら右手首をひどく痛めてしまっていたり、
幻聴幻覚の症状も悪魔・悪霊によるところがあって幻聴幻覚を抑える精神病薬を飲み続けなければならない人生を2000年3月頃から歩んでいるし、
病気になるというのも堕天使の攻撃によってなるものもあるので、私は堕天使の攻撃をけっこう受けているし、心と体がダメになっているから本物のクリスチャンになって信仰しようと、聖書を勉強しています。

堕天使は元気で生命力に満ち溢れている時はあなたに手を出してこないかもしれないけれど、あなたが歳を取って弱ってくると攻撃が始まったりしますし、
あなたが元気いっぱいでも自分の身内やパートナーに堕天使の攻撃が来る場合もあります。
子どもが産まれなくて家系が途絶えてしまったりというのも堕天使によってのことだという『家系の呪い』の話が『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』の動画でありますよ。

日本神道やっている霊能者のエクソシストの女性がいるのですが、7年かかってもエクソシストができないでいる相談者がいるってサイトに書いてありましたが、悪魔を従えさせられるのは神ヤハウェさまとイエスさまと聖霊だけで、日本神道の神ではない神々にエクソシストしてもらおうとしてもダメってことです。


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【固定】本物のクリスチャンの隣人愛の在り方が『利己の利他』をやっていて『利他の利己』じゃなくパワーゲーム的な時があるんですよね

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
ここは本物のクリスチャンになれた人のチャンネルだなとわかったクリスチャンチャンネル『Onfire Japan』さんの動画で、

『全てのクリスチャンは、献身者です!』

という動画があったので見てみたら、コメント欄に若い男性らしい方が悩みを書き込んでおられてそれに返信したのがこのチャンネルの外国人の方の教会に所属しているどなたなのかわからないけれど、

「興味があれば直接連絡ください」

ということと、連絡方法についてお返事されていたんですね。

だからコメントした若いだろう男性の相談内容の1つは公の場で書くことじゃないと思ったからその回答は直接メールで伝えないと、としたのだとしても、

もう1つの質問については公の場に答えを書いてもいいものなのだから、それについてはコメントでお返事してあげれば他のもこの方の質問と同じことを思っていた人が見て知ることができるという、主の為の貢献ができることのはずだと私は思ったのですね。

それで私はその『興味があれば直接連絡してください。』のコメントにこんな感想のコメントをしておきました。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*

宗教団体の手口の1つに連絡先を教えたらしつこく勧誘の為のちらしとかの封書を送ってきたりして送ってこないでくださいと電話で連絡をしても「送らないようにします」って言って手続きをしないで封書を送り続けてくる迷惑な宗教団体があるから日本の一般人は宗教団体とその信者には警戒しているんですよ。

30代前半とか20代から下くらいの若い子は知らないみたいだけれど、特に日本ではカルト宗教団体が起こした『地下鉄サリン事件』があったり仏教系の宗教団体の教祖が仏教の経典に書かれている言葉から女性信徒に性被害暴力をして逮捕されたりする事件が時々あるし、キリスト教の一般福音教会でも男性信徒が女性にセクハラするから、20~30代の若い子の親は『地下鉄サリン事件』を知っているから宗教と宗教団体とその信者には日本人は警戒しているんですよ。

だからリーハイバレージャパニーズミニストリーズさんやFreedom in Christさんのチャンネルみたいにコメントで質問があったらコメントで返信して教えてあげるのがコメントしてきた人を信頼させて安心させる方法です。

コメントで答えればいいことなのにメールで連絡してきて連絡先教えてくださいっていうのはちょっとここは怪しいなと思われますし不親切だなと思います。

なぜならリーハイバレージャパニーズミニストリーズさんやFreedom in Christさんのコメントの動画の質問に対して、このチャンネルのクリスチャンの方はちゃんとコメントという方法でちゃんとした答えを書いてくださって質問に答えてくださっているから、そのお返事を見て私(たち)も学べたりしますから。

コメントしてきた方のプライベートに踏み込むことになるからコメントでは伝えられないんですということもあるかもしれないけど、
他の人にも見せても良い範囲内でお返事してコメントしてきた人を安心させてコメントしてきた人の信頼を得てからもっと深い所まで教えてほしいということならメールしてきてくださいならわかりますけれど、

私に聖書を教えてくださっているイエスさまというぶどうの木に接ぎ木されたクリスチャンご夫妻が何度か私に対して『利己の利他』をやってきたり目の前の人の心をまったく思いやらない(思いやれない)ことをしてきたりしているので、私がわかったのは、

「イエスさまに接ぎ木されても、信仰できていなかった時の基本の心が『利己の利己・利己の利他』の人は結局信仰してても隣人愛のやり方が『利己の利他』なんだな。
信仰の隣人愛は基本『利他の利己』をメインにして立場的に自分の体や命を守らないとならないとなった時は『利己の利他』をしなきゃいけない時もあるだろうけれど、基本は『利他の利己』がメインだと思うな」

と信仰者のクリスチャンご夫妻と関わっていて気づきましたよ。

なぜならそのクリスチャンご夫妻は日本人だけどニューヨークに長年住んでいるからアメリカ人の心になっているのかなというのもあるけど、

「目の前の人の気持ちを思いやる」をしないで「自分の心を優先する」をわりとよくしていますから、「自分さえよければいい」というところあるんだろうなと思ったりすることあります。

奉仕についても『利己の利他』の人は、

「私はあなたにこれをしてあげたいの、だって私はこれが愛だと思っているから。それで私がこれをしてあげたらあなたが受け取って喜んでくれたら私が(私は)嬉しいの。」

をやっているんですよね、これは相手が望んでいることをしている場合は相手の役には立ち隣人を助けている場合もあるけど『利己』なわけです。

『利他の利己』は「あなたの喜びが私の喜びだからあなたが求めている愛や与えてほしいものを私は与えるよう行動します」なのでそこには自分がやりたいと思わないような要求もあるので嫌でも我慢して忍耐でやる自己犠牲が伴うことがあるのが『利他の利己』なわけです、なので『利己の利他』だと自己犠牲がないんですね、『嫌ならやらない』わけです、
 
それゆえに『利他の利己』で相手の心を思いやろうとした時などに日本人がやりがちな、

「相手を思いやるあまり思ってもいないことを言う場合がある」

になってしまう場合もあるのでこれを『ウソ』であり『罪』であると神さまとイエスさまが判断なさるのかはまだ私ではわかりませんけれど、福音を伝えたり信仰の話などは聖書の神さまとイエスさまの愛を伝えることですけれど、

「質問に答えて欲しいならメール出してきてください」に
「質問に答える代わりにあなたの連絡先を知ってこちらもメリット得たいんですよ」
というのがあるのなら、この隣人愛は『利己の利他』ではないかなと私は思いました。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜

とコメントした後、『すべてのクリスチャンは献身者です』という動画についてのことで、こう別投稿でコメントしました。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*

日本には江戸時代の時代劇でよく見かけますが、『滅私奉公(めっしほうこう)』というのがあり、それは江戸時代以前からあるのではないかなと思います、旧約聖書でも女性は結婚相手を自由に選ぶことができなかったし恋愛結婚は男性ができるものだったのでユダヤの民でも異邦人でも女性はずっと滅私奉公的な立場だったしょう、

日本でも平安時代の古来から女性は結婚相手を自分で選べないので『滅私奉公』だったのですが、江戸時代の時代劇でよく見る『奉公(ほうこう)』において『滅私奉公』を日本人は古くからしていたので、それを日本人は『美徳』だと思って実践してきた民族ですが、戦争が終わって物に恵まれて生きるようになった人たちは利己主義者になって『自分が王さま他人は奴隷』になっている人もけっこう多くなってきているんだなと感じたことがあります。

それと日本人は小さい頃から神社に参拝している人たちなどは神さまについては『現世利益主義者』がとても多い民族で、

『お賽銭は5円か10円か二重にご縁がありますようにで25円でも神さまに色々願いごとを叶えてもらおう』

な民族なわけですから、「神さまは私たちの為にある」な民族なわけですね、それはどこの国でもそうなのかは知らないのですが・・・

アウトリーチでイエスさまに治癒してもらったり悪魔祓いしてもらったりしてすごい現世利益を得たから「イエスさまを受け入れます」っていうお祈りをすぐにやらせてその子たち祈っているけど、
病気治癒の『現世利益』によって「イエスを信じます」ってなっているけど現世利益目当てじゃないかなって動画観ていて思いますし、
イエスさまを『八百万(やおよろず)の神の1人』だと受け止めているんじゃないかなって思います。

で、『現世利益を得られるんだ』と思ってちょっとした短い時間で話される聖書の中のどこかの福音の話を少しばかり聴いているのだと思いますが、現世利益しかイエスさまと神さまに求めていないので、アウトリーチで治癒してくれたり悪魔祓いしてくれた教会と関わって聖書を学んでいたらこの信仰が、

『神さまを愛し隣人を愛する』
『自分が我欲でしたいことではなく神さまがお命じになったことのために働き、それは自分がしたいと思ったことではないことをやるように言われたりする』

ということがこの信仰なのだということについて先に知った時、

「我欲が満たせない・・・」

ということでこの信仰の道に入る意志をすぐに持つ人はそんなにはいなさそう、
その人が人生で色々追い込まれて追い詰められて

「もう神さまとイエスさましか私を助けられない!」

という所まで追い詰められたり自分がダメな人間で無力なんだと打ち砕かれて救われたい人だけが残るんだろうなぁ、と思いました。

「(本物の)クリスチャン」になれた人が悩みに対して目の前の人の立場や心を思いやれなかったり、『利己の利己・利己の利他』をやっているので神さまのお命じになったことはやっているけれど、献身者と言っても失敗が多いんだなぁ、これ主がそうしなさいっておっしゃったからこうしたのかなぁ、

どうもこれについては自分たちで勝手に決めてやったりしていて主が望んでおられることとも思えないなぁと首を傾げることがあったりしますよ。

その1つがあなたがたのアップしている動画の『神様のために働かないで!』で、あなたがたが『神さまの為に働かないで!』の動画の撮り直しをしていて撮り直しする前の動画の説明で理解力のない私がやっと『神様の為に働くとは』がわかったくらいにとてもわかりやすい説明で教えてくださっていたので、そのことを私がブログで報告し動画を簡単な説明と共に紹介したら撮り直しがされていて、前の説明がすごく良くて初心者でもわかる説明だったのに後から撮り直しした動画説明ではさっぱりよくわからない説明になっているので、ちらしをもらった初心者の人たちが見ても意味がわからないだろうなと思いました。

私のブログでの動画紹介の仕方がいけなかったのなら動画についての紹介の説明文を変えればいいことなのではと思うので、前の説明の動画に戻していただきたいなと思いました。

ちょっとこの件であなたがたがしたことがなんか信用性がないことするクリスチャンだなって私は思ったりしましたよ。
だって前の説明の動画を観た人がまた観たいと思ったら前と違う、って思われるんだから「なんで?」ってその人たち思いますよ。

主が「撮り直しをしなさい」とお命じになったから撮り直したんですということならもっと主のために働くことについてがどういうことなのか初心者でもわかるように御言葉の説明をしないとですし、
主がお命じになっていないのに自分たちの「なんらかの理由(主のためではない理由)」で撮り直しをしているのなら主の為に働くことについて『利己の利己・利己の利他』をしているだけなのではと思います。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

と、コメントしておきました。
私のブログにはお問合せのためのメールアドレスは表示されているので、動画を紹介されて記事の動画紹介の仕方が嫌だったなら、この説明の仕方をやめていただきたいのですとメールしてきてお言いいになればいいんですよ。

クリスチャンご夫妻が、

「クリスチャンじゃない人に嫌なことをされたらあなたがたがあれこれ言う立場ではありませんよ、ということが聖書に書いてあるんです。何も言わずその人のことを神さまに祈りなさい、なんです」

と言われたことがあるので、私はその御言葉は聖書のどこに書かれているのか色々検索キーワードを考えて検索してみたのですが、それを言っている御言葉についての記事が見つからないんですよ。

なので通っているカトリック教会か布池教会に電話して聴くか、聖パウロ書院に行くとクリスチャンの店員さんやシスターがいらっしゃるので訊けるかも・・・と考えています。

で、クリスチャンじゃないエゴの我利(われり)の人たちでね、
『思いやり』とか『親切にする』ということが『どういうことか』がわかっておられない人たちって多いみたいなんですよ。

「自分がこの人にこうしたい」とそれを申し出た時、相手が断って来たのにその人の前に立ちふさがって「自分のこうしたい」を相手に認めさせよう、何度相手が必要ない、私はこれこれこうするから、と言ってもそれを認めないで「俺が(私が)こうすることのほうがいいだろ!」っていうことを言って来る幼稚な人がいるんですよ。

これは『親切の押し売り』だし、相手の嫌なことをしているのに「自分は相手に親切にしている、相手を喜ばせてあげたいと思っている」って勘違いしているけど、これは

「自分が喜びたいだけ」

です。

相手が「必要ない」と断って来たらさっと引きそれ以上言わない。

相手がほんとはそれをしてほしいのにすぐに飛びつくのは恥ずかしいことだからと謙遜して断って来た場合とは違うんです、

「必要ないんです」「いえ結構です」という言葉や、
「それをしていただく必要性がないのです」
ということになることを言って相手が断って来た場合はさっと引くのが大人です。

さっと引かない人というのはただの「利己」で自分が満足して喜びたいだけです。
相手が嫌なのにしつこいから仕方なく応じた場合は相手はあなたのことを毛嫌いしていて嫌で嫌でたまらないのに自己犠牲して忍耐して我慢して迷惑だと思っていますので、その相手にあなたが好かれることはないです。

この間の2018年5月22日にクリスチャンご夫妻にお会いしましたが、別れの挨拶の時に握手を求めたらBさんが日本人だけどアメリカ人になってしまっているからなのかハグを要求してきて『利己の利他』をされ、私は嫌なのにBさんとAさんのハグの要求に応えるという自己犠牲をし、大変嫌な思いをしました。

日本はハグ文化ではないので、もともと日本に住んでいた日本人が海外生活が長いといっても日本に来て日本在住の日本人にハグを求めるのはマナーが悪いと私は思っています。

相手が握手を求めてきた時、自分がハグを求めたら、そこで『対決』があるんです。
「こっちが引くか、相手に引かせるか」
の対決、戦いがあるんです。
折れることを決めたほうが『相手のために負けることを決めた』(利他の利己の自己犠牲をした)ということになります。
これは『パワーゲーム』で、この場合の『パワー』は『愛』のことではなく『力で勝つか負けるか』の意味です。

「えつこさん、あなたは握手を求めて来たけど挨拶はハグすることが愛の表現なんだからハグしましょう。アメリカでは挨拶はハグなのよ。」

これは『ハグ』に関しても『握手』に関しても『私』に対しても、

「私のハグの要求をえつこさん叶えてください」

なので「自分さえよければいい」ということで、日本人としてハグは挨拶ではないから握手をしようとしている日本人である相手への配慮、思いやりがないのです。

私はクリスチャンご夫妻に虐待されて幼い頃から暴力を何年も何年も受け続けてきたことを話してあります。
それを知っているのに暴力を振るわれた人にハグを求めるのはしてはいけません。

赤ちゃんの頃から何歳かまでは愛されて抱っこしてもらったり膝の上で甘えたりした経験があるから虐待の暴力を受け続けてきたからハグされて愛されたいという人もいるかもしれませんが、

暴力を受け続けて来て親に抱きしめられたりタッチングされたりして育ってきたわけではない人は、自分の体に他人が触れることは暴力しか体験がない人の場合、他人が自分の体に触れてくるのが心でも嫌だし感覚的にも嫌だから挨拶にハグは求めてはいけません。

日本でしか暮らしたことのない日本人に挨拶でハグを求めてはいけません。

というわけで、『本物のクリスチャンになれた人たち』が神への献身の為の隣人への奉仕活動でやっていること、隣人という他人に向かっているその接し方が、
『利己の利他』か『利他の利己』かをしっかり見る必要があり、行う物事によって『利己の利他』をされるのが嫌だったら相手にその行為がどう『利己の利他」であるかを戒めないとかなと思います。

私はその場で負けて後からメールで戒めることしかまだできません・・・
(_ _;)

イエスさま、あなたの強さをください・・・
虐待の暴力とネグレクトの人生体験は根強いです。


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【固定】アダムが神ヤハウェさまに子育てしてもらう存在として造られているから私たちには依存心とママの愛を求める気持ちがあるのではないか?

2022年12月31日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
先日、こういう、エゴの人間の『あなたが好き』の正体を暴く記事を書きました。

【超長文】
『私たちは愛することがまるでできず我利(われり)のエゴ、ママの愛を求め続けている心が幼稚園児なのです。』
https://blog.goo.ne.jp/sion-etsuko/e/306d51fa7a7befafef4c17ab17c33724


この記事の最後のほうで新たに今日(2018年4月30日)にケリー篠沢さんの『ジェネシス(創世記)』の神ヤハウェさまとアダムとの関係の話を見ていて気づいたことを書いたのですが、

改めてこの記事にも書いて、さらに加筆します。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*

そしてなぜ私たちが『聖母マリア的優しい母親の愛』を求め続けるかというと、
これは旧約聖書の創世記のアダムとエバの個所の所と、ケリー篠沢さんの『創世記』第一巻の漫画を読めば理解しやすいと思います。

ジェネシス~天地創造~ (ゴスペルコミックシリーズ―旧約編)
クリエーター情報なし
いのちのことば社


神ヤハウェさまはアダムとエバを不完全な者として造っておられるんです。
どう不完全だというのかというと、『成長していく者』としてお造りになっておられるのです。

そしてその人間の成長のための子育てをするのが神ヤハウェさまのなさりたいことだったのではないかとしおんえつこは個人的に思っています。

神ヤハウェさまは産まれたばかりの愛する幼子のアダム(体は成人している体に造られている)にとても優しく色々と教えてくださっていたのだと、ケリー篠沢さんの『ジェネシス』の解釈ではそう描かれています。

そして一般福音教会でアダムとエバの個所を教えてもらっていたのですが、
アダムは神ヤハウェさまとは母親とほんと小さな子という関係だったのです。

善悪の知識の木の実を食べてしまって裸であることを知った時、名前を呼ばれて隠れなければならなくなってしまったけれど、善悪の知識の木の実を食べるまでは、名前を呼ばれるともう嬉しくて神ヤハウェさまの前にすっ飛んでいっていた、神ヤハウェさまとアダムはそういう母親とほんと小さな子みたいな関係だったのです。

アダムとエバは善悪の知識の木の実を食べてエデンの園を追放されたあとも、エデンの園の近くに住み、わからないことがあると子羊の捧げ物を持って神ヤハウェさまに会いに行って色々と教えてもらったという解釈を、ケリー篠沢さんが漫画『ジェネシス(創世記)』の中で解釈して描いておられます。

だから私たちの先祖、最初の人アダム(イシュ。男)と1人目の女(イシャ―。エバ)は自分を守ってくれて優しくしてくれて助けてくれて導いてくれる神ヤハウェさまに幼子として頼り護ってもらう存在として造られている、それが私たちの先祖なのです。

だから、私たちは『依存する』という『依頼心』をもともと肉体に持つよう造られているんじゃないかと思いました。

それゆえに、アダムとエバがエデンの園を追放されて、アダムがエバの所に入るようになってエバを知り、
(聖書ではセ●●●のことを「入る」「入って知る」「入って知った」というような言い方をします)
エバが妊娠してお腹で子どもを育て出産するようになってそれがエバの子孫である女で赤ちゃんを産む者はみんなそれを体験するわけですが、赤ちゃんを産んだらおっぱいをあげ(母乳をあげ)、四六時中側(そば)に居て、2歳くらいまで抱っこし続けて、育てるわけです。

赤ちゃんの方はほんとに何もできない小さき弱き者として生まれてきます。
なにかで聞いたのですが、赤ちゃんはお世話してても優しい愛を与えてあげないと死んでしまうという、とてもか弱い生き物だというような話を聞きましたが、

とにかく0歳児~2歳児まで、お母さんがずっと赤ちゃんを抱っこし続ける時間が圧倒的に長く、赤ちゃんは「お母さんにべったり」を人生の出だしの最初の2年間で体験し、常にお母さんに抱っこされている状態が赤ちゃんにとって一番「安心できて」「甘えの欲求を満たしてもらえる」わけです。

でもこの0歳児~2歳児になって自我(エゴ)が目覚めるまでは、赤ちゃんとのべったり関係はお母さんもまとまった睡眠が取れなくて睡眠不足の辛い時期であることと、ギャン泣きをこらえないとならないのでとても大変ではあるけど、自我(エゴ)が目覚めていない赤ちゃんは

「要求がとても少ない」

ので、「自分の気持ちを言葉で喋らない」(泣くが訴える手段であるか、笑うかのどちらか、ミルクかオムツか癇の虫かお母さんがそばを離れた時の不安で泣くかくらい)なのでお母さんも赤ちゃんとべったりな関係をしてもなんとかなってしまうし、赤ちゃんは可愛いので、ましてや自分のお腹の中で育ててお腹を痛めて産んだ子ですから、格別な想いが赤ちゃんにあるわけです。

で、自我(エゴ)が目覚めてくる2歳児くらいになると『イヤイヤ期』が始まって、『魔の2歳児』と呼ばれる時期が来て、お母さんはそれはもう大変、子どもに手を焼く親もいるんですが、

まずここが1つの大人になった人間が他人に対して通用しないことを要求することの1つである体験期間なんです。

この、『イヤイヤ期』の『魔の2歳児』の期間、まだ2歳ですから、母親のほうも、

「ダメ!」

とは言っても、2歳児がどれくらいそれをわかっているのか・・・

「いやっ」「いやっ」

と言って逃げ回り、自分のやりたいことをやることをやめないのです。

で、お母さんは我が子がとっても小さな2歳児だからまだ叩くわけにもいかないし、その我が子が手に持っている物は取り上げて、我が子がギャン泣きするのを耐えるわけです。

それは相当お母さんは精神的にキツくて体力的にも疲れるんだろうと思います。

※ちなみに私と6歳半違いの妹の面倒は私もつきっきりで見ていましたが、妹はイヤイヤ期がなかったように思います。私は妹のイヤイヤ期を見た覚えがないのです。

で、この自我(エゴ)の目覚めた『イヤイヤ期』『魔の2歳児』での人生の出だしでの、

「自我(エゴ)を持つようになって初めての人生体験での我儘の押し通し」

のほとんどが許されてしまっているような体験を、2歳の『エゴの我儘初体験』で体験してしまうので、そこがまず人間の育っていく過程での他人との関係の心の基盤として記憶してしまうのです。

しかし、3歳になると幼稚園に通い、自分と親ではない他人(クラスメイト)との世界を体験し、自分の我儘が通用する場合と通用しない場合があったり、自分は可愛がってもらって甘えたいのに幼稚園の先生が自分のことは甘えさせてくれないのに、あの子のことは甘えさせてるとか、そういう甘えたいさかりの幼子には辛い体験をしたりすることを幼稚園で体験していくわけですね。

しかし、家に帰ると料理をしている母親がもう抱っこしてくれないので、母親の太ももにしがみついて甘えて、『お母さんにべったり』の欲求を満たして甘えるんですが、それをさせてくれる親と、4歳くらいでもう甘えさせてくれない親といるわけです。

で、小さな幼子にとってお母さんは力強く自分を守ってくれる存在なわけです。
そして自分が与えて欲しいものをお母さんが与えてくれる。

子ども時代は、親は「やってくれて当たり前」の存在なんです。
ご飯を作ってくれたり、お洗濯してくれたり、お部屋を片付けてお掃除してくれたりをしても、お礼を言わなくてもやってくれる、それがお母さんというものだと思っているので、

私たちは「お母さん」のことを奴隷よりひどい扱いをしていることに気づかないんです。
なぜなら「お母さん」のほうは子どもに色々とエゴの愛でやってあげたいから、子どもが喜んでくれればそれでよかったりするし、自分は「お母さん」で「子育て本能」があるから「お世話するのは当たり前」なので、子どもからお礼を言われなくてもずっと子どもが赤ちゃんの頃からそうだったので文句を言うとかも頭になかったり、子どもがお礼を言わないことをなんとも思わなかったりするのが「お母さん」なんじゃないでしょうか。

子どもはそれで親元を離れる18歳(高卒)か、22歳くらい(大卒)まで、お母さんにお礼も言わずに甘えまくって生きてくるし、就職後も結婚するまで親元に居て、その結婚が40代になってからとかだと40歳まで親がごはんを作ってくれたりお洗濯してくれたりして、自分は会社に働きに行って遊んで帰って来るだけで、40代まで母親に甘え三昧だったりする人もいる。

母親から家事手伝いを仕込まれなかった男性や女性は、

「自分は人のお世話をする立場の者じゃない」
「家事はお母さんがやってくれるもの」

という認識を、子どもを妊娠して脳の一部が変化して『母親脳』になって子どもが産まれて『子育て本能』を持つまで、自分が『王様』になってしまっているのですが、

しかし自分が『お世話する者』という認識を持つのは『我が子』にだけなんです。
彼氏や夫とか、友達とかママ友とか、他人の子ども(たぶん)に対しては、

「自分がお世話して愛を与えてあげる」

という認識は他人に対して持たないのではと思います。

しかし、私たちはアダムがそう造られているように、神さまに頼り、神さまに『愛されて』生きる者として造られている。

だから、アダムやエバの肉体本能や脳の機能の仕組みの中に、『愛されたい』という願望を持つようにできているのではないだろうかと思ったのです。

だから、特に独身時代、子どもを産んでいない女性はいつまでも娘のようで、少女のようで、子どもがいない男も少年のようで、母親の愛を求める『本能』『機能』かなんかがあるんじゃないかと。

「優しくされた~い」
「愛された~い」

これって、心が幼子(幼稚園児)なままで、大人になれていないってことなんです。

でも、子どもを産んだ70代の女性でも、うちにいらしていたヘルパーさんは70代の女性と60代の女性が長く通ってくれましたが、私に愛されたいだけ、私のことを娘みたいなと思いながら、私に聞き分けの良い娘という者の見方をしていたかもしれないけれど、扱いは奴隷よりひどい扱いをすることを私にしてきたことがありましたので、一概に子育てした女性で「お母さん」したからと言って心が大人になれているかといったらそうじゃなくて、

やっぱり「お母さん」になっても少女のように甘えたい、愛されたい、という『本能』『機能』みたいなのがあるのではないかと思います。
神ヤハウェさまに頼って愛される者として造られていることがそうさせるのではないでしょうか。

それで、他人に『聖母マリア的お母さんの愛』を求めて、0歳児~2歳児の頃までのエゴの無かった赤ちゃん時代の母親とのべったり関係と、2歳児の頃のエゴのわがまま体験が許されていたべったり時期のように、

「私のことをなんでも許してくれて、私のことをなんでも受け入れてくれて、私のことをなんでも認めてくれて、この人が私を嫌いになることは絶対に無くて、私がどんなことをしてもこの人は私のことを嫌いにならないで許してくれて当然、私はこの人に与えなくていい、お礼も言わなくていい、甘えて、甘えて、甘えまくって、優しくしてもらい続ければいいんだ」

という認識を持ったままで、容姿が「優しいお母さん的」な容姿で、さらに性格も大人しくて気立てが優しいと思い込んだ相手に対して、

「私にとっての聖母マリア的お母さんになれ!」

ってやってくるんだと思います。

私、それをずっと人生でやられ続けたんですよ。
だからこれを書いて言っているんです。
それ、はた迷惑です、って。

ハッキリ申し上げますが、誰であろうと神ヤハウェさまとイエスさま以外の肉体を持つ『他人』に、『聖母マリア的お母さんの優しい愛』を求めたら、人間関係壊れます。

なぜならその他人は決してあなたの『お母さん』にはなれない、そういう心を持っていないからです。
(マザー・テレサはみんなのお母さんですが、聖母マリア的などこまでもあなたに都合の良い優しい愛を与えるわけじゃありませんよ、マザー・テレサは手厳しい面も持っておられたそうですよ)

そして、人は赤ちゃんの頃から育ってくる過程で、お母さんを自分の『神』にして心の中心に据えてしまうんです。
もちろん、守ってくれた『お父さん』も神にして心の中心に据えてしまうんです。
その自分の心の中心に「お母さん」と「お父さん」という存在を『神の王座』に座らせているか、自分が神の王座に座ってその両隣の席とかに「お父さん」と「お母さん」を座らせて心の中心に据えてしまっているから「お母さん」と「お父さん」という肉親からの精神的自立ができないんです。

特に『お母さん』が自分に付き添って守ってくれたから、肉親の母親を自分の心の中で神さまにして心の中心に据えてしまっているのですね。

ただ、戦争時代、閉じ込められて死んでいった人だったかな、や、戦闘機に載って人間魚雷になった戦士たちは、最後は「お母さん!」とお母さんに助けを求めてお母さんを呼んだという話があったりしますので、子どもにとってどうやら『お母さん』はとても心の奥深くまで入ってきているのだと思います。

※私は母親を知らないようなものなので、「お母さん」が心にいないんです。
聖母マリアさまを心のお母さまにしていますが、とっさの時には人は「お母さん」と呼ぶそうですが、私には「お母さん」と呼ぶ相手がいなかったので、とっさの時にだれのことも思い浮かべられないんです。
とっさの時にだれも思い浮かべることがなく、ちょっと間を置いてから、ああ、産みの母は●●さんで、継母さんは●●さんで、お父さんもいたっけ、でも産みの母も継母さんもどちらも私は母だと思えるわけがない人生体験だったし、聖母マリアさまもとっさの時に思い出さないんだよな~、私は心の中に『お母さん』がいないんだよな~、という感じです。

「お母さん」が心の中心に据えられている神だというのは、それはもともとは神ヤハウェさまを頼って生きていた、神ヤハウェさまから愛されて優しくされて生きていた、それがアダムという私たちの先祖であり、人間なわけです。

科学が色んなことができて自分に色んな便利なものや料理やお菓子やお茶などを物質的に与えてくれて一時の満足を得て幸福“感”を感じて一時的に心を満たせても、心のほうはといえば、『絶対的な強き者』に頼る心が満たせずにいるのを、ずっとアダムとエバが善悪の知識の木の実を食べてエデンの園を追放されて神ヤハウェさまから離れてしまった時からアダムとエバもその子孫である私たちも、神ヤハウェに満たされていないという『心の欠乏』を受け継いでいるのだと思います。

けれど、もう一度言います、私たちは肉体を持つ『他人』にその『聖母マリア的母親の優しい愛』『神ヤハウェさまのような愛』を求めると人間関係がぐちゃぐちゃになってうまくいかないのです。

私たちが心の中心の『神の王座』に据える存在は神ヤハウェさまであり、その右の座に御子イエスさまがいらして、私たちは御子イエスさまの足元にひれ伏すんです、私たちは神の被造物だから、神ヤハウェさまと御子イエスさま(神の子)とは身分が桁違いに違うんです。

でもイエスさまは私たちが神ヤハウェさまとイエスさまを本当に信仰できるよう信仰心をプレゼントしてくださって、イエスさまというぶどうの木に接ぎ木された時に『永遠の命』を与えてもらえて『天の国』に入れて、王であり主である神の御子イエスさまにお願いしたり、神ヤハウェさまとイエスさまのなさりたいことを実現する為に働き、イエスさまが与えてくださるものを待つことができる。

そして、『天の国』ではイエスさまに招かれた時に、きっと『天の国』での王の食卓に招かれたりするんじゃないかなぁって思います。
聖書に天の国でアブラハムとラザロが食卓についていた話が確か出てきたので。

私たちの本当の親は神ヤハウェさまであり、イエスさまにとっても私たちは「子どもら」なんです、そしてイエスさまは私たちの『花婿』でもあり、私たちはイエスさまを信仰できるようになった時、イエスさまの花嫁になってイエスさまと結婚するんです。

肉親の母親や『聖母マリア的お母さんの優しい愛を与えてくれそうな他人』から愛を与えてもらおうとするのではなくて、神ヤハウェさまと御子イエスさまから愛されているのだということを信仰ができた時に「わかる」のだということ、

そして、神ヤハウェさまと御子イエスさまを信仰できるようになった時、私たちは「愛されたい」という思いを持つ「愛される者」という幼子から、「愛を与えたい」という「愛する者」という成人になるんです。

神ヤハウェさまと御子イエスさまを本当に信仰できていないうちは、偽物のエゴの愛しか持っていない、

『我利の利己のエゴ丸出しの人間で、愛することがまるでできない者、本当に相手を好きになることもできない者』

で、私が辛辣に言う、

『ペニスの快感だけはいっちょまえに求める半ズボンやミニスカートをはいた心がまるで幼稚園児』

にしかなれず、年齢だけ年を取って体が大きいだけのペニスの快感だけはいっちょまえに求める幼稚園児にしかなれないで、一生本当の愛、真実の愛である神の愛を知ることもできなくて、

自分と同じようにエゴの心が幼稚園児でしかない相手から、偽物の愛でメリットを与えてもらい、与えて、また、与えられなかったり、与えなかったりで不満を抱いて怒りを感じるという、

『エゴのドラマの人間関係』
『見返りを求めないと与えられないという者同士が繰り広げる、愛を与えてもらおうとして与えてもらえない、与えたつもりが的外れでお礼も言われなくて怒りや不満を感じる、心が絶対に幸福になれないエゴのドラマの人間関係』

をして生き続ける、それが神ヤハウェさまと御子イエスさまを信仰しない『不信仰者』や『クリスチャンの看板を掲げているだけの者』の、

「肉で始まって、肉で終わるのか」

とイエスさまはおっしゃっている人生なんだと、この言葉はどうも聖書には書いていないようなので、本物のクリスチャンの方たちがイエスさまから直メッセージを受けての御言葉かもしれないのですが、

神ヤハウェさまとイエスさまを本当に信仰できる信仰心を聖霊さまから与えられて、イエスさまというぶどうの木に接ぎ木された信仰者のように『永遠の命』を得ない人生を生きることを、

「肉で始まって肉で終わる」
(土の塵に過ぎない、というものだと思います)

と言っているのです。

もし、私たちが人間関係をうまくいかせたいなら、イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されて、聖霊さまをプレゼントしていただいて、神ヤハウェさまと御子イエスさまを本当に信仰できるようになり、心の中心の『神の王の座』にお座りになるのは神ヤハウェさま、そしてその右の座に御子イエスさま、そして自分はイエスさまの足元にひれ伏す、

という、肉親の『母親』と『父親』という存在を心の中心の『神の座』から退いてもらい、さらに自分が『王の座』『神の座』に着くのをやめて、イエスさまの足元にひれ伏すという謙遜の気持ちを神さまによって持たせていただくことです。

これができない、しない、というのなら、あなたは一生、心が救われなくて幸福にならないし、人間関係がうまくいかない、ということです。

少なくともエゴの我利の利己心の人間で生きるのを選んだとしても、他人に『聖母マリア的優しい愛』を求めるという、私はそれを別の言葉で『ママのおっぱいを求めている』と私は表現していますが、そういう幼稚園児みたいに相手に向かって行くのをやめて、大人として人に対して振る舞うことですね、相手に『聖母マリア的優しい愛』を求めて向かって行くと相手にとってはやっかいな人だとなって好かれませんから、人間関係がうまくいかないのですと伝えておきます。

神さまとイエスさまという神さまが、神に愛されないと生きていけない幼子である私たちを愛して育ててくださるということで、神さまと御子イエスさまが私たちの御親です。


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【固定】 【悪魔による人間への破壊行為】食べてもすぐお腹が空く~「おかしい、変だな」と思い困っている方へ~キリスト教信仰の世界から

2019年01月30日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
食べてもすぐ空腹になる、食べたそばからすぐ空腹になり食べてしまう方へ

このブログはキリスト教信仰への道を目指して本物のクリスチャンになれたご夫妻から聖書を教えていただいたことが半年間だけある者のブログです。

札幌キリスト召団の水谷幹夫牧師さまの聖書講義のCDを聞かせていただきながら水谷幹夫牧師さまの元で学んでいるニューヨーク在住のクリスチャンご夫妻からこのキリスト教信仰の基礎中の基礎を半年ほど学び、

現在は独学で学びながら万物の造り主である本物の神ヤハウェさまとイエスさまのお命じに従う神の戦士として戦う求道者人生を歩みちょっとした迫害を受ける毎日を生きている身なのですが、


神さまへのお祈りによる『主(しゅ)と私との個人的な関係』で『安息日に断食する』ことのお示しと、ベジタリアンになることの主からの働きかけによって、とてもシンプルなベジタリアンな食生活をしていますが、神さまがモーセさまに食べてはいけない穢れた生き物についてお命じになっておられ、それを食べると胃がすごく痛み泣きを見て、

「これ、食べちゃいけないんだ~」

と知ることになり、それを食べないことを決める自分になるまで月日はかかりますが、神さまのお命じに従い食生活にかなりなってきました。

糖尿病なので喉が渇きやすいので、安息日は白湯だけは飲ませていただいていますが、神さまにお願いすることによって喉を乾かない時間をかなり長くしていただけるようになりました^^

お腹がすくことを我慢できないという私たちの心の弱さに堕天使はつけ込んできます。
断食は神さまのお決めになった堕天使祓いの1つの条件なのが新改訳聖書(いのちのことば社)の御言葉に書いてあります。


新改訳/新約聖書(日本国際ギデオン協会贈呈 いのちのことば社)
マタイによる福音書
17章21節

19そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」20イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
21[ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出ていきません]

つまり、太平洋戦争でアメリカに負けてからGHQによって1日3食の洋食含む贅沢な食事をさせられるようになってから、もともとの日本人に合った食生活を変えられてしまって、赤ちゃんの離乳食器からいろんな食事を1日に3食食べるのが当たり前だという食生活を母親によって思い込まされてしまい、少しでも空腹になるとお菓子を食べたりしてすぐに空腹を満たしてしまって空腹を我慢する忍耐力を身に着けてこなかった為、そこを堕天使につけ込まれて肉体を肥満にさせたり病気にさせたりお金を失うようにと堕天使に攻撃されているのだと人生の体験において知りました。

イエスさまだけを神さまとして選び神の子となる信仰への道に向かう求道者になるまでは堕天使と戦えないので、この食べてもすぐ空腹になるという堕天使から攻撃との自力心での戦いになります。


なのでこの『食べてもすぐお腹がすく』について、キリスト教の世界からにおける異常な空腹感対処のお話であなたがた一般人がまずできそうなことで私が色々やってみたことを書き記します。

私がこのケースですぐ空腹になったり、讃岐うどんのお店で大盛の肉玉うどんととろろかけご飯と天ぷらを食べたのに満腹にならず、お店を出て20mも行かないところでお腹がぐぅ~♪と鳴いてすごい空腹ですぐにまた何か満腹になろうとしてすぐに食べてしまうというケースがよくあったのです。

ですがまず1つ、キリスト教における異常な空腹についての情報よりまず先に、空腹についてこちらの情報を。

こういう空腹のケースについて、1つは体がちゃんとした『水』を欲していて、白湯を何杯も飲むことで空腹がおさまるという情報をなにかで見たことがあります。
空腹と関係あるという確実性がある情報なのかは私ではわからないものの、肉体は純粋な水を欲しているという話は他でも聞いたことがありますので、
空腹に関係なく美味しいお水を飲んであげるのはあなたがあなたの体を愛してあげて『自分を愛する』ことになると思います。


なお、食事をしていても体に必要な栄養がちゃんと摂れていないような食事をしていると、肉体に必要な栄養を摂ろうとして空腹を感じることもあります。
つまり栄養バランスがとれたちゃんとした食事を毎日食べていないと体が栄養を摂ろうとして空腹を感じさせるため、そこで体に必要な栄養が摂れないような食事をしてもダメだということです。

お肉はコンビニのフライドチキンや空揚げやフランクフルトや惣菜コーナーのおかず類で食べられますので、おそらく栄養不足でやたらと空腹になる場合は野菜のビタミンが足りていない可能性が高くなってくるので、

トマトミックスジュース(カゴメのとか)を飲むのと、青汁オレという青汁の粉とお湯7割と牛乳2割で作った青汁オレを飲むといいのではないかと思います。
トマトミックスジュースで甘めのものだと『野菜1日これ1杯』が甘めのトマトミックスジュースで飲めるかもしれません。
トマトミックスジュースはどうしても飲めなかったという場合は、コンビニでも野菜と果物の野菜ジュースはありますし、スーパーだと900mlくらいのペットボトルので『野菜生活』という野菜ジュースがあり900mlくらいで200円かそこらくらいのお値段なので、コンビニのパックジュースの野菜ジュースより経済的にお得です。

この野菜ジュースや青汁オレを摂ってあげることも、お金があれば生野菜を買って料理したものやサラダをお肉やお魚と共に食べてあげることも、自分の体を愛してあげることになり、『自分を愛する』ことができると思います。

糖尿病で通院している行きつけの内科の先生に確認しましたが、

野菜ジュースや青汁は『動物性たんぱく質(肉・魚・玉子)』か『植物性たんぱく質(豆腐・納豆・大豆の水煮など)』と一緒に食べないと野菜ジュースの野菜のビタミンをほとんど摂取することができずダダ流しになるので、野菜ジュースか青汁を飲む時は必ず『動物性たんぱく質』か『植物性たんぱく質』と共に飲食しないと野菜の栄養が摂れません。

この野菜ジュースで栄養バランスが摂れて血液の栄養状態も問題ないと血液検査で結果が出るなら、他の異常な空腹理由は堕天使の攻撃と思われます。
(空腹の病気が検索で引っかかりますが、病気のケースもあるのかもですが、堕天使ケースもあります)

また、『餓鬼憑き』とか『ヒダル神』とかも堕天使と考えておいていいと思います、クリスチャンになって、イエスさまが心と体に入って来て聖霊をプレゼントされて聖霊に満たされているイエスさまというぶどうの木に接ぎ木されることができた本物のクリスチャンになれた人は、イエスさま(神のお独り子である神)の権威とイエスさまの血潮と御名で命じることでこれら堕天使を追い払えるのですが、イエスさまに接ぎ木されていない信仰ができていない人の場合は、神さまがお目こぼししてくださることを願って、後述する神ヤハウェさまとイエスさまへのお祈りをしてみながら、本当の信仰心を持てるように聖書の学びをしていくことだと思います。

そして、キリスト教信仰への道を歩むために聖書やクリスチャン動画を観て勉強している者として、こういう食べてもすぐ空腹になる、食べても満腹にならずすぐ空腹になり、食べても食べても空腹というケースについて、悪魔・悪霊(堕天使)の攻撃で空腹の攻撃があるというのについて知りました。

旧約聖書の創世記の所でアダムとエバは蛇(の背後にいるサタン)に誘惑されて善悪の知識の木の実を勝手に食べた話や(創世記3章1節~19節 蛇の誘惑)、新約聖書にはイエスさまが荒野で悪魔に色々誘惑されてそれをすべて退けて追い払った話が書いてあるので(マタイによる福音書4章1節~11節、マルコによる福音書1章12節~13節、ルカによる福音書4章1節~13節)、悪魔・悪霊(堕天使)はほんとにいて、想像上の存在ではないのです。

天使は自分に都合がいいから存在を信じるけど、悪魔は自分に都合が悪いから存在を信じない?

いやいや、あなたが悪魔・悪霊(堕天使)の存在を否定しようが、存在しているものは存在していて、存在を否定していれば悪魔・悪霊(堕天使)が自分に近づかないでいてくれるなんて思っておられるのなら、悪魔・悪霊(堕天使)はそんな物わかりのいい可愛らしい存在なんかじゃありません、放っといてくれず憑依して心を支配して破壊・滅びのための攻撃をしてきます。

食べてもすぐに空腹になってまた満腹になるよう食べてしまうということは、肉体面において栄養過多になって病気になる可能性や、糖質過多になって糖尿病になったりする可能性がありますし、また、食費がとてもかかり貯金が貯められなかったり貯金を食いつぶしていってしまったりするというデメリットがあります。

悪魔・悪霊(堕天使)というのがいて、私たちが産まれて息を吸った瞬間から、攻撃するために狙いつづけて憑依して支配して攻撃し続けてきて滅びという破壊をしていくのですね。

悪魔・悪霊(堕天使)は神さまが大嫌いなので、神さまがとても愛している私たち神の被造物である人間のことを悪魔・悪霊(堕天使)は破滅させたいのだそうです。

それも、そう簡単に殺したりしないんです。
悪魔・悪霊(堕天使)のご馳走は、私たちが苦しむ姿と悲鳴だから、長く生かしておいて苦しませ続けたいのだそうです。

さて、すぐ空腹になるというのもこの堕天使が私たちを病気にさせたりすごく太らせたり貯金が貯められないようにして苦しませたいということで悪霊(堕天使)の攻撃としてあるというのを、クリスチャンチャンネルの動画を色々観ていたらそういう発言をしているクリスチャンの方がいらしたのですが、

しかしその動画がどれだったのかちょっとわからないんです。
たぶん、リーハイバレージャパニーズミニストリーズのクリスチャンチャンネルの動画を色々観ていて観た動画だったと思うのですけれど・・・

で、私は働いていないため、1日中家の中に居て、聖書の勉強をしているのですが、最近、この空腹を感じた時に空腹がなくなるケースがあることに気づきました。

1つめのケースは、聖書の学びで教えていただいたことをこのブログに記載するにあたって、メモしたノートを見ながらワードパッドに文章を打ち込んでいって、長文記事をいくつも書くのに集中している時、白湯、カフェオレ、ミルクティー、ほうじ茶チャイ、ルイボスオレンジティーチャイなどのドリンク類をちょこちょこと飲みながら、長文文章記事を書いてブログに何件も投稿掲載する作業に集中していると、空腹ではなくなること。

つまり何か別のことをやるのに集中し続けている時は、空腹を感じてもそれにかまっていられないのでやらなければいけないことに集中していると空腹を訴えて来なくなる、ということです。
お仕事中で集中して作業をこなしたりして働いている時は空腹を感じたりしていないんじゃありませんか?
作業が終わって一息ついて時間ができた途端、お腹がぐぅ~♪と鳴って空腹を感じていませんか?

なにかの作業に集中してしまえばいいのです。
熱中して聖書やなにか実力をつけるために勉強したいことの書籍を集中して読むとかね。

2つめのケースは、キリスト教の祈り言葉の冊子である、『聖人たちの祈り』と『祈りの手帖』のお祈り言葉を、神さまとイエスさまへの信仰のためにほとんどの祈り言葉を集中して読み上げながら祈っていると、空腹がおさまって空腹ではなくなること。

聖人たちの祈り
クリエーター情報なし
ドン・ボスコ社


祈りの手帖
クリエーター情報なし
ドン・ボスコ社


出版社の『ドン・ボスコ社』と冊子題名とISBNコードがこのAmazonのページに書いてあるのでそれをメモして近所の書店で伝えれば取り寄せることもできると思いますが、『キリスト教書店』に売っているのではないかと思います。

3つめは聖書を音読し続けることに集中し続けていると空腹ではなくなります。

4つめのケースは、神ヤハウェさまとイエスさまに空腹をとても感じるけれど堕天使の攻撃だと思うから空腹をもたらす堕天使を私から追い払ってくださいというお祈りを、神ヤハウェさまとイエスさまへの信仰の気持ちから真剣にお祈りし、その自分の言葉でのお祈りの言葉の最後に、

「このお願いのお祈りをイエスさまの御名をもって御前に捧げます。アーメン。」

と言ってお祈りの言葉を締めくくると、ちょっとすると空腹ではなくなったりします。

たとえば、こんな風に祈ります。

「神さま、イエスさま、いつもありがとうございます。
神さま、私は今、空腹を感じております。
でもまだ食べる時間ではありません。
(または、何時何分ごろにちゃんと食事をしたんです、など)
肉体において、まだ何かを食べなくてもいい時です。
私は肉体に必要な食事はちゃんとしていて、その食事は肉体に必要な栄養バランスがちゃんととれている食事です。
白湯(または水)を何杯か飲んでみましたが、空腹を感じています。

この空腹は悪魔・悪霊すなわち堕天使が私に食べさせて私の肉体に健康被害をもたらし、貯金をくいつぶさせて経済的に苦しめようとする攻撃ではないかと思います。
どうか神さま、イエスさま、あなたの御力をもって、イエスさまの血潮をもって、私という存在の『場』から堕天使を追い払ってどうか私を護ってください。
どうかお願いします。

私を堕天使の手に渡さないでください。
神さま、イエスさま、私の側にいてください。
神さま、イエスさま、どうか私のことを愛してください。
神さま、イエスさま、どうか私を憐れんでください。
神さま、イエスさま、どうか私にあなたの権威と愛の御業(みわざ)で私に愛のお恵みを与えてください。
どうか私を堕天使からお護りください。
そして私が空腹で苦しまないよう、助けてください。
どうかお願いします。

このお願いが私の我利(われり)の為のただの我欲とみなされないことを願っております。
神さま、イエスさま、あなたに助けていただかなければ私は生きていくこともできない力無き小さき弱き者なのです。
あなたはそれをよく御存じでいらっしゃいます。
どうか私を助けてください。

そして神さま、私があなたを愛せるように、あなたへの信仰心が持てるよう、助け導いてください。
いつも私たちを愛してくださり、私たちのために働き続けてくださり、護ってくださりましてありがとうございます。
どうかよろしくお願いいたします。
このお願いと感謝のお祈りをイエス・キリストの御名をもって御前(みまえ)に捧げます。
アーメン。」


こんな感じのお祈りを、自分の言葉でいいので神さまに申し上げて祈って、あとは白湯とか水をなるべく飲んで体にちゃんとした水の水分補給をしてあげて、他のドリンクがちょっと飲みたいなら飲んで、

「なにか別のことを熱心に集中して行い続ける」

と空腹が去って行くと思います。

そして、4時間前くらいにちゃんとご飯を食べたのに空腹をずっと感じていた時に、以下の言葉を言った(心で考えた)ら、その瞬間、急に胃が熱くなる感覚が数秒間して、空腹感が消えましたので、やっぱりこの空腹は悪霊が感じさせているのだなと思いました。

「イエスさまは荒野で
40日40夜断食されたのだから、
私だって今日のこのひと時の空腹くらいね。」


けっこうこの言葉を意識してイエスさまを想うと、食事後の必要のない空腹に対して、ドリンクとか白湯とか飲んで食べ物は食べずに乗り越えられることが多い感じで助かっています。


もう1つ、これは私が突然ハッと気づいて、ほんとにその通りだと心底思って言った言葉があって、それは、

「食べても食べても
空腹になるんだから、
食べなくても同じだよね。
(・_・)」


これを心底そう思って言うと、空腹感がパッと消えますが、またすぐ空腹になるので何度でも心底こう思ってその度に言うことが必要になってきます。

どうしても家に居る時に空腹で食べたいなぁと思うなら、
カロリー0である(しかし栄養があるのかは調べたことないんですが)の『こんにゃく』の『糸こんにゃく』を茹でてアク抜きしたものに『ノンオイル青じそドレッシング』をかけて麺のように食べて空腹を満たすか、『板こんにゃく』をスライスして茹でてアク抜きをしたものを『ノンオイル青じそドレッシング』につけて食べるかです。
(糸こんにゃく、板こんにゃくは1袋80~90円くらいです)

出先でどうしても空腹でなにか口に放り込みたいなら、『ミンティア』がいいかもです。
甘いけどマンナンライフの『蒟蒻畑』(こんにゃくばたけ)のこんにゃくゼリーならある程度の個数なら大丈夫かもしれないですね。

神ヤハウェさまとイエスさまへの信仰の気持ちは、日本キリスト教団の一般福音教会の聖書勉強会に通って最初は知識として聖書を学び始めると、聖書が面白くて学び続けたくなり、聖書の御言葉を学んでいくうちにこの教えはちゃんとしたものなんだとわかってきて、信仰の気持ちが養われていったりします。
私も最初は知識のために日本キリスト教団の一般福音教会の聖書勉強会に通っていて、私が赤ちゃんの頃から体験している人間関係があまりにもおかしいと悲鳴をあげるようになって、助けてほしいと思って信仰への気持ちに向かって行きましたよ。

聖書は神さまが著者なので真実の書で神さまが私たちに知ってほしいこと、神さまが「私に戻っておいで」と伝え続けているちゃんとした貴重な書なので、学ぶことはメリットがとてもありますよ。
ただ、本としてただ読んだだけでは聖書の御言葉、聖句は意味がわかりません。
ちゃんと牧師さまや神父さまから解釈を教えていただかないと聖書の御言葉が何を伝えようとしているのかの意味はわからないです。

ということをなぜ書くのかというと、このブログはキリスト教信仰への道を歩むために聖書を学ばせていただいている者が記事を書いている信仰ブログでございます。
ぜひ『聖書の学び』『牧師さまの聖書のお話』のカテゴリー記事にも目を通してくださるとうれしいです♪
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【固定】聖書知らずの日本人は姦淫の罪を犯し続けているのです~ある聖書を知らない不信仰者の人への手厳しいメッセージ~

2019年01月30日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
※この記事は2018年10月15日昼間15時34分27秒に投稿したものですが、日本人が神道仏教信仰の国であるため聖書を学ぶことがなく、どうも『日ユ同祖論』を見ると平安時代のお祭りに旧約聖書のシーンが刺繍された幕を山車みたいなのにかけてあるとかの情報が出てくるのですが、多神教国だったため外国の宗教はなんでも取り入れてしまう民族のためなのか、男女の性についても信仰についても『人間に都合の良い利己的なメリットがあるかどうか』ばかりを考えて、人間にとって利己のメリット、物質的・金銭的・我欲が満たせることができるものかを基本としていろんな教えを取り込んでいるようで、

それにより『人間に都合が良いから』と男女の性に関して、男女の性の営みに関して人間の我欲や三大欲求の性欲における肉体的な快感要求を相手の肉体で満たすことに心が負けたり、母親への依存心を持っていることで相手の性欲求の要求を跳ね除けられないことで、どんどん姦淫の罪を犯し続けて本物の神さまに背く罪を犯し続けています。

姦淫とは神さまが結び合わせてくださった男女同士が子どもを授かるための性の営みの肉体行為のことを言っているのではなく、神さまが結び合わせたわけではない肉体を持つ他者との性の営みをすることや独身の異性など他人であっても『いずれは誰かの妻、誰かの夫になる人』を淫らな目で見ることそのものをしてはならないことをイエスさまはおっしゃっています。

この記事はそれについての記事となります。

本物の神さまである万物の造り主である三位一体の神さま(ヤハウェさま、イエスさま、聖霊さま)を信仰しようと努力し始めて、神さまに対する『本気度』を神さまが認めてくださるようになると、まず『聖霊さまが外から働きかけてくださる』ことが起き、肉体が性的快感を求めた時に本気で

「神さま、主よ、この感覚はいりません!!これは悪魔からの惑わしです!!」

ということをイエスさまの御名をもって神さまの御前に祈りを捧げると、性欲の快感を求める感覚がすぅっと消えます。

聖霊さまを賜ると性欲はほとんど無くなり、若い男の子がポルノ中毒だったのがまったくそういうのに興味がなくなると証してくださっている動画が『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』さんにありますので、動画一覧から探し出してくださいませ。



☆゜゜。。☆。。゜゜☆゜゜。。☆。。゜゜

これは聖書を知らないクリスチャンではない他宗教の『ある人』へ向けたメッセージです。
ですがおそらくあなたにも当てはまることでしょう。
聖書を学ばなかったからこそ犯してしまったこと。
今なら間に合います。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

本物の神、唯一絶対神の神ヤハウェさまとイエスさまは次のように言われます。
あなたが神道と仏教でも神ヤハウェさまにはそんなことは関係ありません。
あなたという人の全権と全支配権をお持ちなのは神ヤハウェさまであり、神ヤハウェさまが『法』であり、神ヤハウェさまは『御自由である』からです。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。☆。。

~旧約聖書より~

新共同訳聖書
出エジプト記
20章14節

モーセの十戒 「姦淫してはならない」(出エジプト記20章14節)

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。☆。。

~新約聖書より~

新共同訳聖書
マルコによる福音書
10章1節~12節
離縁について教える

1イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。 2ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 3イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。 4彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。 5イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 6しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。7それゆえ、父母を離れてその妻と結ばれ、8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 9従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 10家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。 11イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。 12夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

マタイによる福音書
5章27節~30節
山上の説教
姦淫してはならない

27「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。 28しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。 29もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。 30もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」

新共同訳聖書
マタイによる福音書
5章31節~32節
山上の説教
離縁してはならない

31「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。 32しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

新共同訳聖書
マタイによる福音書
5章33節~37節
山上の説教
誓ってはならない

33「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。34しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。 35地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 36また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。 37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

新共同訳聖書
マタイによる福音書
19章1節~12節
離縁について教える

1イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。 2大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。 3ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。 4イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」 5そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。 6だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 7すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」 8イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。 9言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」 10弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。 11イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。12結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」



゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

はい、これらの御言葉はすべて神ヤハウェさまの御独り子である受肉してくださって人の子となられて地上に来てくださった神であるイエスさまがその場に集まった12使徒とユダヤ教徒の人々やユダヤ教徒のファリサイ派の人たちに教えたことの御言葉なのですが、

「誓ってはならない」くらいですから、求道者でも聖霊を賜ったクリスチャンでもない、クリスチャンの看板を掲げているだけの人や一般人の不信仰者の新郎新婦はキリスト教式結婚式で誓ってはならないはずですね~

神さまに誓っていいのは『イエスさまを信じます』の『信仰宣言』だけなんじゃないですかね~。
それも信仰宣言したら「やっぱりやめます」は神さまにウソをついた罪となるので地獄行きです。

これらの御言葉、イエスさまから聖霊さまを賜ったクリスチャンはこれを守らねばなりませんが『内に居ましたもうキリスト』があるためイエスさまと聖霊さまによってできるようにしてくださいます。

まだ聖霊を賜っていない求道者はこれを守るよう心がけて神さまとイエスさまに祈り続け現実的にも努力出来れば努力して、自分で努力したくてもできないなら努力できない自分の罪を悔い改めて神さまに祈り続けると聖霊が働きかけてくださり、できるようにしていただけるのを待つということです。

クリスチャンの看板を掲げただけの人で求道者でない人とクリスチャンでない他宗教の人と無神論者の人はこれができませんので神さまの命に背く罪を犯し続けるだけなので死後に神の御前に立たされて最後の審判を受けるときまでに求道者か聖霊を賜っているクリスチャンになれていない場合は罪人ですので、
「「罪の支払う報酬は死です。」(ローマ人への手紙6:23)
のため霊魂の行先は地獄の火と硫黄の池に放り込まれて永遠に焼かれます。

はい、イエスさまは男性に他人の妻(独身女性であってもいずれ他人の妻になる女性と考える)を淫らな目で見ただけで姦淫の罪を犯しているとおっしゃり、さらに、

「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい」(マタイによる福音書5章30節)

ということは右の手は大半の人が利き手ですから『右の手がつまづかせて姦淫をする』ということは他人の妻を淫らな目で見て自慰行為をしただけで姦淫の罪を犯しているということで神さまに背いた罪人として最期の審判で地獄行き決定、
これは男性に限らず女性も他人の夫(独身男性でもいずれ他人の夫になる男性と考える)を淫らな目で見るだけで姦淫の罪で、女性も右手(または利き手)で他人の夫を淫らな目で見て自慰行為しただけで姦淫の罪を犯しているということで神さまに背いた罪人として最期の審判で地獄行き決定ということです。

離婚(不正な結婚の場合は可らしい)、再婚(聖霊を賜った本物のクリスチャンになれて神さまが引き合わせてくださったパートナーとの再婚はあるらしい)、浮気、不倫、性風俗、風俗、娼婦、売春、愛人、妾、一夫多妻、一妻多妻、多夫多妻(ポリアモニーがこれかな)、婚前交渉、ハーレム、セックスフレンドなどを神さまは禁じておられます。

シングルマザーの方で子育てしながらできる仕事が性風俗しかなくて性風俗で働いて子育てするしかないという方、
シングルファザーで働きながら子育てしているという方、
私は過去にNHKで島根県邑南町役場がやっているシングルマザー支援の特集番組を見ています、
邑南町役場が安価で市営住宅の家族世帯部屋に住まわせてくださり、ブルーベリー農園で17時まで働きながら、邑南町の隣近所の方たちで仲良くなった方たちが子どもの面倒を見てくださったりするとのことで、引っ越しする為の費用の貯金も無い場合は島根県邑南町役場が金銭支援をしてくださるとテレビでは紹介していましたので、以下2つのページをご覧くださいませ。

島根県邑南町公式サイト
日本一の子育て村を目指して
http://www.town.ohnan.lg.jp/www/contents/1001000000300/index.html

HART FULL BANK
シングルファミリー応援情報サイト
http://hartfullbank.com/teate/ohnan.html



神ヤハウェさま(万物の創造主)は求道者・信仰者に婚前交渉をすることも認めておられません。

正確に言えばすべての人間に婚前交渉は認めていないはずです、
ですがそれを知らない人たちや他宗教の方や無神論者の方たちがそうしてしまうと、
その人たちは悪魔の支配下にいる人たちなのでその人(たち)の罪の婚前交渉ですが、
神ヤハウェさまは、

「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」(創世記1章28節)

とおっしゃっているので神さまはそれを徹底的に実行なさるので婚前交渉でもレイプでも赤ちゃんを授けることがあるのです。


゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

新共同訳聖書
創世記
1章26節~28節
天地の創造

26神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 28神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

創世記
2章18節~24節
天地の創造

18主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」 19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。20人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。 21主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。 22そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、 23人は言った。
「ついに、これこそ
わたしの骨の骨
わたしの肉の肉。
これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
24こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。


゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

神ヤハウェさまが女を造って男の前に連れて来たというのは(『神ヤハウェさまの信仰者』)の結婚相手は神ヤハウェさまがお決めになり二人を引き合わせる(出会わせる)ということです、信仰者の男女の結婚は『神結び』であるということで、男(アダム。イシュ)と女(イシャー。後のエバ)を神ヤハウェさまが出会わせてから、

『神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」』(創世記1章28節)

神さまがその1組の男女を出会せてからすぐ祝福し、「産めよ、増えよ」(創世記1章28節)とおっしゃったというのは、結婚の儀式をしたということになります。

「神さまが男女を祝福してから(結婚させてから)、産めよ、増えよ、」なので男と女が結ばれて一体となるのは結婚してからということで婚前交渉は認めていないということで、婚前交渉は神さまに背く罪となります。

※目をつけた相手に対して性被害暴力を自分勝手にした男女は不信仰者で『神を知らない人』でその人は罪を犯したということ、性被害暴力をするのは淫魔や悪霊(堕天使)も霊的にしますし、悪魔(サタン)の花嫁にされていてサタンの紋章が霊的につけられている女性もいますので悪魔祓いが必要です、
堕天使がレイプしてくる場合それは堕天使の『罪』ですので堕天使にレイプされた場合は神ヤハウェさまとイエスさまに嫌ですということを伝えてレイプから護ってくださいとお祈りし、私がよくご紹介している『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』さんの公式サイトからメールを出して相談してみるといいと思います。

性被害暴力をしてきたのが人間の場合は法律的にも犯罪ですし、

女性に月経があるなら下半身裸の男性の腰についているものを女性のお股の下の口に入れられた場合は月経(生理)があると妊娠してしまう可能性も高くなるので勇気を出してすぐに警察に電話して警察官に話さないと相手を逮捕してもらえないですし、警察に電話して言うと警察病院で妊娠しないようにお薬をくれたり医療処置をしてくれるんじゃないかと思います。

警察は事件・事故の場合の電話番号は110とボタンを押す
警察に相談する場合は『警察相談専用電話』があるので電話番号は#9110とボタンを押す

肉体が自慰をしろと要求してきた時、神ヤハウェさまとイエスさまにそういう要求が肉体から来ていることを伝えて、

「私は自慰はしたくありません。
どうかこの要求の感覚がなくなるように助けてください。
お願いします。
このお願いのお祈りをイエスさまの御名(みな)によって御前(みまえ)に捧げます」

と祈ってみてください。
私はこれですぐに要求の感覚がなくなります。


あなたはこの地上で姦淫の罪を犯している自分とパートナーは、

「姦淫を犯していたって今幸せなんだから今が幸せならいいじゃん。幸せなことが大事なんだから。」

と思うかもしれませんが、それは人間の視点でしかなく、神の目に正しいことではありませんので神ヤハウェさまには通用しません。

姦淫の罪を犯して悔い改めもせず生きているあなたとパートナーの死後の行先は、

『地獄の火と硫黄の池』

に放り込まれ、永遠に焼かれる地獄の責め苦を受ける、それも霊は生き続けるので永遠の生き地獄です。

悔い改めるのならこの人生、生きているうちでございます。

「あとにならば無駄なり」

地獄に放り込まれてからいくら悔い改めても無駄なのだと神ヤハウェさまとイエスさまはおっしゃっています。

悔い改める(神に向く方向転換をする。聖書を学びクリスチャンになるために洗礼を受ける)なら今のうちです。

あなたは死後の地獄行きで永遠に火に焼かれる地獄の責め苦を永遠に受け続けてもいいと思うかもしれません。
しかし愛するパートナーを地獄に行かせて永遠に火で焼かれることをさせるのなら、あなたは本当にその人を愛しているのでしょうか?
あなたが愛しているのは自分でその相手からメリットを与えてもらいたいだけで、メリットを与えてくれているから愛しているだけなのではありませんか?
それは相手を愛しているとは言えません。
愛しているのなら相手に対して『他利』になれるからです。

そして神ヤハウェさまとイエスさまを本当に信仰することができていない者は、私も含め不信仰者なのでエゴの愛しかできず、エゴの愛は『我利』『利己』でしかなく、『他利』の愛では愛せないのです。

あなたとパートナーが地獄で一緒のスペースにいさせてもらって二人で仲良く手を取り合って灼熱の火に焼かれ続けるのではないだろうと思います。

キリスト教はあちらの国の宗教なのではないのです。
全世界の全人類のための宗教であり、イエスさまは『すべての人』を救うことができる『救い主』なのです。

神ヤハウェさまはアダムとエバが善悪の知識の木の実を食べる罪を犯した時すぐに、アダムとエバ及びアダムとエバの子孫である我々すべての人を御子イエスさまをもって救うとお決めになり、

イエスさまの十字架と復活で人を堕落させ人に霊的死をもたらした悪魔に完全に勝利し、全人類を救う福音の完了を神ヤハウェさまとイエスさまは成し遂げられました。

ただし、私たち一人一人が、聖書を学び、悔い改めをし(洗礼を受けて神さまに向きなおる方向転換をすること)、自分を神ヤハウェさまとイエスさまに明け渡した時、神ヤハウェさまとイエスさまが救いに来てくださり信仰心をくださり、神ヤハウェさまと御子イエスさまを信じる者となり、イエスさまというぶどうの木に本当に接ぎ木されることができた本物のクリスチャンになることができたときに、神ヤハウェさまによって罪を無罪にされる神の子になれて天の国に招かれる。

そうではない人、日本人なら神道や仏教という他宗教の者、無神論者、悪魔崇拝者(これは『占い』『霊視』『スピリチュアルカウンセリング』『チャネリング』『リーディング』などのスピリチュアルシックスセンス手法を好み利用する者も含まれる)である『不信仰者たち』は、

死後は『第二の死』『永遠の滅び』である地獄の火と硫黄の池行きであることを聖書の学びをすると教わります。

ですがこれらの人も悔い改めてクリスチャンになり聖書の学びをしながら神さまに自分を明け渡していって、強く神さまを求めた時、本物のクリスチャンになれて救われる。

『宗教の自由』は人間の視点であり、神ヤハウェさまの目に正しいことではないということ。
宗教の選択において神ヤハウェさまの目に正しいのは御子イエスと御自分を信じる本物のクリスチャンになるというキリスト教信仰を私たちがすることと思っておられるのは聖書を学べば明白なのです。

例えばイエスさまはキリスト教を否定していると思われるイスラム教徒のことも救おうとしてイスラム教徒の前に現れ、イエスさまと出会った人はみんな改宗・回心するのだそうです。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

【動画】クリスチャンのお話
「イスラム最高指導者の子孫が、死の瀬戸際でイエスに会う」
Nasir Saddiki "Ex muslim Tells His Near Death Experience"
https://youtu.be/Enc_OcQnwuQ


゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

わたしがあなたにこれを言うのは、あなたが聖書を学ぶことをしなかったことで神への不信仰者になってしまっていることで、聖書に書かれている恋愛や夫婦というパートナー関係を1人以上にしたことがあるあなたにこれ以上の姦淫の罪を犯してほしくないからです。

本物のクリスチャンになれた時、現在の姦淫の罪をする相手であった配偶者や彼氏彼女や愛人というパートナー関係のその相手とどのような関係でいなさいと神さまがあなたに直メッセージをくださるかは私ではわかりません。

これは聖書を知らないクリスチャンではない他宗教の『ある人』へ向けたメッセージです。

ですがあなたもこの記事を読みましたので、本物の神さまが『姦淫をしてはならない』とあなたにお命じになっていることを知りましたので、

「知らない、こんなの、無視無視。」

と今世で無視して姦淫の罪をし続けたとして、今世満足したとしても、今世において神さまはあなたに罪の裁きを与えているかもしれませんし、死後の神さまの裁きからは逃れることはできず、罪の裁きを免れることはできない、ということです。

姦淫の罪について世の中の人のことを考えると、一般的な男性や女性って、ご年配の方でもポルノのお仕事している女性を利用したり、自由恋愛となると今のおそらく40代から下のご年齢の方たちなどはおそらく、

高校生とか早い子は中学生の時にはすでに異性に恋愛感情を抱いたりして男女交際して男女の営みの行為の婚前交渉を行って、その後、失恋や新たな恋愛やなんとなく付き合ってと言われたから付き合ってみないと相手がどんな人かわからないから付き合ってみてとか、ポルノの欲が我慢できずにその欲だけでたくさんの異性との行為に至ったりするようなことがある方とかで、とにかく何人もの異性と男女の営みの行為をしてきましたという日本人の方って多いのではないでしょうか?

それは日本人の私たちは聖書があることを知っていても知らなくても、とにかく聖書を学んでいないので、また学ばせられる環境でもないので、神さまが男女ともに生涯1人の異性としか行為をしてはならず、婚前交渉もしてはならない、そういう行為は正式に結婚してから、離縁してはならない、というのを創造主である神さまが決めておられ、私たち人間に戒めを与えておられることを知らなかったがゆえに、

姦淫の罪をそうと知らず犯しまくってしまっておられたのです・・・

あら~ びっくりですね。

この記事を読んだら「姦淫してはならないなんて知りませんでした」は神さまの目に通用しませんので、これからはもう新しく誰か異性と寝てはならないのです、1度でも誰か異性と寝ているのなら、新しい異性と寝ると姦淫の罪で死後は地獄行きなのです。

そしてシングルマザー、シングルファザーは再婚すると姦淫の罪を犯すことになるので、死後は地獄行きなのです。

あら~ びっくりですね。

神さまによって赦されて死後に天の国に入るには命を得られる道はただ1つしかないという・・・
そう、神ヤハウェさまとイエスさまへの本当に本物の信仰です。

イエスさまはこうおっしゃっています。

新共同訳聖書 旧約聖書続編つき
ヨハネによる福音書
14章1節~7節

1「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 4わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 5トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 6イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 7あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」


はい、イエスさまは、

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 」

そうおっしゃっています。

「私は日本人で神道だから日本神道の神さまが護ってくれるから大丈夫」
「私は仏教だから仏さまが護ってくださるから大丈夫」

はい、唯一絶対神ヤハウェさまが万物を創造した神さまで、『絶対主権』をお持ちで『絶対支配権』をお持ちで神さまが『法』であり神さまはなんでも『御自由』ですので、

存在が何者かわからないナントカノヒメとかナントカノミコトとかは別に神格がある神霊とかじゃない、神ヤハウェさまが神と認めているのは御子イエスさまと聖霊(神の霊)だけなので、日本神道のナントカノヒメとかナントカノミコトとかは神格なんて持っていないし何者か存在をはっきりさせていないし、天照大神と月読命は太陽と月を神格化しているから偶像崇拝で太陽は神じゃないし月も神じゃないです。

仏さまというのも人が悟りを得て目覚めた人になった仏陀であるということなら、人だから神ヤハウェさまの被造物なので神ヤハウェさまに命令したり神ヤハウェさまのおっしゃることを否定したりすることもできない、神ヤハウェさまのお命じに従い仕えないとならない存在ですので、

日本神道の神々とやらも、仏教の仏さまも、姦淫の罪を犯したあなたを護ってくれません。
あなたは自分1人で神ヤハウェさまの御前(みまえ)に立たされるのですから、お釈迦さまも日本神道の神々とやらも、その神の御前に立たされたあなたの所にすっ飛んできて隣に立って弁護なんてさせてもらえないだろうと思いますよ。

そもそもお釈迦さまは出家前は王子さまで酒池肉林で色んな女性を抱きまくってとかいう逸話までありますから、お釈迦さまご自身が姦淫の罪を犯して神ヤハウェさまに赦しを乞うて悔い改めてキリスト教に改宗して神ヤハウェさまと御子イエスさまを信仰して赦されている現在なのかわからないお方です。

赦される道はただ一つ、神ヤハウェさまとイエスさまに向きなおる悔い改めと本当にイエスさまというぶどうの木に接ぎ木されること、それだけが死後に地獄に放り込まれず無罪の者となって天の国に入って永遠の命を得られる地獄に行かなくてすむただ1つの道なんですね。

あら~。
そうだと知ってしまったこの記事を読まれたあなた、さぁ、どうなさいましょう?

死後は地獄の火の池の滅びの道か?
死後も永遠の命を得るイエスさまの道か?

神の目から見たらその二者択一しかないのです。

人間のこの世の価値観は神さまに通用しませんし、悪魔や悪霊(堕天使)にも通用しませんよ。

そうそう、姦淫の罪やその他の罪で、私たちは堕天使が憑依していまして、イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されないと肉体から堕天使が出て行ってくれなくて、
スーパークリスチャンに悪霊払いしてもらってもすぐにまた他の悪霊を引き連れて戻って来て肉体に憑依するそうです。

あら~。
まぁ~。
どうしましょう?

自由恋愛、なんて良いのでしょう、青春を満喫できる、私たちの心の自由と素敵な恋が、って青春を満喫して結婚して離婚して再婚して、

その結果は、


「はい、あなたは姦淫の罪です。
罪を悔い改めて洗礼を受けてイエスさまに接ぎ木されないと
死後は地獄の火と硫黄の池に放り込まれて焼かれます。」

あら~。
そんなことになっていたなんて!
私、聖書を知らなかったのに!
( ̄0 ̄|||)

って言ってもダメなんです、この記事とこのブログで知ってしまったから、もう神さまに、

「知りませんでした」

は通用しないのです~。

あなたは「神は愛だから赦してくれる」と思うかもしれませんが、あなたが聖書を学んだことがないなら神さまを知らなくてあなたの中で勝手に神さまを仏さまのような聖母マリアさまのような存在に作り上げてしまっているのです。

神さまは愛であり義の御方なのです、義とは正義のこと、神の正義が神さまにはあるんです。
神は愛ゆえに義を行うのです。

神は悪を嫌い、悪を憎み、悪を倒し、悪を滅ぼすのです。
それは愛ゆえの義で行うのです。

あなたが考えている、仏さまや聖母マリアさまのように、なんでも許してくれて、なんでも認めてくれて、なんでも受け入れてくれて、自分が間違っていると優しく諭してくれて、自分を怒って怒鳴って叱ることがなくて、どこまでも自分に優しくて慈愛と慈悲でいい子いい子してくれて、自分に現世利益を与え続けてくれて・・・

なんて、0歳児~2歳児までの自我がなかった頃の赤ちゃんだった自分に対する母親の『聖母マリア的優しい愛』を与えてくれる仏さまのような存在が神さまですって、あなたは思っていませんか?

私は神さまは罰も与えるけどそういう仏さまな聖母マリアさまな存在だと神さまのことを勘違いしていましたよ。

旧約聖書を読んでごらんなさい。
私は旧約聖書の申命記まで読み進めているところですが、旧約聖書の神さまは悪人を滅ぼしたりしていて私たちからすれば残酷だと思ってしまうようなことも旧約聖書時代にはなさっていますよ。

私は神さまを仏さまのような聖母マリアさまのような存在だと思っていましたから、旧約聖書で神さまがソドムとゴモラの街を破壊して悪人を滅ぼしたり、ノアの大洪水でノアとその家族と動物のつがいだけを箱舟に乗せて助けてその他の悪人と動物は一斉排除とか、それはもうびっくりして、泣きたい気持ちで

「これは本当に神さまなのですか?
古代に地球に来て地球人に神として君臨したという宇宙人アヌンナキじゃないの?
こんなの私が知ってる神さまじゃない~
(>0<)」

と非常にショックを受けてしばらくの間そう思っていたくらいですよ。

神さまは愛ゆえに義で怒り、悪を滅ぼすのです。

神ヤハウェさまは御子イエスさまの十字架刑と復活をもって罪人を赦されるのですが、赦されるためには悔い改めをしてイエスさまを信じイエスさまというぶどうの木に接ぎ木されて聖霊さまをプレゼントしていただかなければ無罪の者になれず天の国に入れなくて、

御子イエスを信じて本物のクリスチャンになれなかった不信仰者のことは神さまは罪を赦さず最後の審判で地獄に放り込むのだと教わっています。

ちなみに姦淫の罪において私は私の意志と意思を無視され、人において、少女にも男性にもターゲットにされたことで、かなり軽いものでしたがちょっとした性被害と言っていいのだろうという悲しい目にも遭わされましたし、見えない何者かの『霊』に何回がやられてしまったことがあり、どれも自分が望まぬのに姦淫の罪を犯す羽目になってしまったことがありますし、

恋愛だと思っていた男性や女性に対して、1人においてのことで姦淫の罪を犯してしまったことはおそらく10本の指をもしかしたら2回くらいかは数えるくらいにはあります。

『肉』においてはある意味セーフと見なしても良いのかもしれない程度の他者とのほにゃららではあるのですが、私はもうこの地上において恋愛・結婚における『肉体を持つ人』とのパートナー関係は持たないです、姦淫の罪を犯すことになることは神ヤハウェさまがちゃんと知っておられます。

私が結婚できるのは唯一、イエスさまだけです。
私は本物のクリスチャンになることを目指し、本物のクリスチャンになれた時、神ヤハウェさまとイエスさまに認められてイエスさまと結婚し、イエスさまの花嫁の1人となれるのです。

そして、実はその姦淫の罪すらも、イエスさまはお赦しになってくださり、私たちをその姦淫の罪から清めてくださります。
なので神さまがイエスさまと聖霊さまをくださって救われて本物のクリスチャンになったたあと、あなたは本当に一生を共にするパートナーと巡り合えるのですが、その相手はやはり本物のクリスチャンの方の中で一緒になる人と出会わせてもらえるのだと思います。
(*^人^*)

自分も相手も『エゴの愛の人』じゃ姦淫の罪を犯し続けるだけだってことなんです。
姦淫の罪からもポルノの欲望からもイエスさまは救ってくださると本物のクリスチャンの方たちはおっしゃいます。


ところで、私事ですが、エゴ丸出しの我利の利己の不信仰者などパートナーにしても友達になっても絶対に私は幸せになれずごちゃごちゃのボロボロにされることがわかっているので、本当の愛を知らない、相手を思いやるということはどういうことなのかをまるでご存じない勘違い野郎でママのおっぱいを求めているだけの精神性が幼稚園児なエゴの方と個人的につながって関わるのはお断りしております。
m(_ _)m


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【固定】【エゴの我欲の利己の為の愛は偽物の愛】 私たちは愛することがまるでできず我利(われり)のエゴ、ママの愛を他人に求め続けている心が幼稚園児なのです。

2019年01月30日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
昨日(2018年4月26日)に、ネット上のあるところで知人が発言されていた内容とそれについた他の人のコメントとその発言をした人とのやりとりを見て、私も聖書の教えと自分が聖書を学ぶ前に気づいたこと、教えていただいていたことを用いて私もその発言にコメントしたのですが、

そのコメントに大幅に加筆したのですが、それが、

『私たちは我利の利己のエゴ丸出しの愛することがまるでできない者、好きになることもまるでできない者である』

という、私自身の心と私の赤ちゃんの頃からの人間関係で体験した『他の人』を見つめた上で書いた内容になります。

あなたの周りの人とそして自分はこういう者ではない、と思うかもしれませんが、

「イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されていない人間は『自我(エゴ)の愛』しか知らず本当の愛である『神の愛』を知らない」

ということが聖書と本物のクリスチャンになれた方が教えてくださっていることだというのを申し上げておきます。

ちなみに私はまだ信仰のスタートラインにも立てていないので、イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されていない者です。
(これを加筆修正して書いている今時点の2018年4月30日現在)

なお、そのある人へのコメントはこの記事に掲載していない内容文でのコメント投稿だったので、それはまた別の記事にして掲載します。

゜゜‥*。。☆。。*‥゜゜‥*。。

イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されていない人は愛を知らないので隣人という人を愛することと万物を愛するという神の愛なんてまるでできず、できるのは我利(われり)の利己(りこ)のエゴの愛なだけでそれは偽物の愛で私たちは愛する者などではなく、『好き』という感情が高まった時の状態を愛なんだと勘違いしているとのことで、
私がスピリチュアルTVのテディさんという他のコーチから教わったことだけど的を得ているので書きますが、、

「好きは愛ではありません」
「愛情は愛ではありません」
「人情は愛ではありません」
「情愛は愛ではありません」
「私たちはそれを愛だと勘違いしているけどね」


です。
私はまだイエスさまに接ぎ木されていないのでこれらは実感でわからない、私は愛を知らない者、愛することがまるでできない者です。

私たちの相手やなにかを『好き』というその気持ちも、その相手やなにかが自分に我利(われり)の利己のメリットを与えてくれるものだと思っているから、自分に都合が良いから好きになっているだけで、

その好きになっている対象が他人だった場合、なぜその人を好きかというと、その人が自分に優しくしてくれたことで、
「自分に都合が良い我利(われり)の利己を満たしてくれたから自分に都合がよい人なんだ」
と思って好きになっているだけで、

「この人は優しいから私に都合の良いものをたくさん与えてくれる人のはずだ」

と、その人に対して我利(われり)の利己に都合の良い自分勝手なイメージを抱き、そのイメージという幻に過ぎないものをその人なんだと思ってその幻を好きになっている。

自分が『好き』だと思っているその人に対しての『自分勝手な好き』という思いの正体は、

『自分に都合の良い我利(われり)の利己を満たしてくれるはずだ という幻想への執着の想念』

であるということ。

我利(われり)の利己のエゴの私たちが『その人を好きになる』というのは、

『我利(われり)に都合の良いものを相手に見てその幻を好きになっている』

だけなのですが、これをやっているのに、これを、

「私はこの人のことがほんとに好きで、この人への私の好きという気持ちは本物の好きという気持ちだ。この人は私の「あなたが好き」という気持ちを喜んでくれるだろう」

と勘違いしているのです。

この自分勝手な我利の利己にしか過ぎない『好き』の感情が高まった気持ちになった時、思わず「愛してる!」という言葉が口から飛び出すわけだけど、
それは愛ではなく、また、本当に相手を好きなのでもないのだということ。

なぜなら自分勝手な『我利(われり)の利己を満たしてくれる人だ』という自分に都合の良いイメージの幻想を相手に見ているだけなので、その相手がどういう人なのかをまるで見ようとせず、相手がどんな人なのかまるで知ろうとせず、相手のことがどうでもよく、相手が自分に都合がよければいいだけで、
自分が抱いている相手への勝手な幻想から相手が外れて自分にメリットを与えないことをしてきたと思った途端、

「お前は俺さまに都合の良い存在でいろ!そうでないのは許さない!お前は俺さまに都合の良いものを与えるのは当然のことなんだ!」

という思いがあるのだとわかる何かの言葉を相手に言い返しているのだということを認識もできずに、
自分にとっての都合の悪いところを見せたその人に怒りで文句を言ったり、
自分の都合の良いように相手を支配してやろうという何かの言葉を相手に言うというのが、
我利(われり)の利己のエゴの私たちがしていることであり、
これをしている以上、あなたはその相手を好きでもなければ愛してもいない、ということの証明で、

じゃあ私たちがその相手に自分勝手な我利の利己で「自分に都合の良い存在でいろ」ということをしている私たちがその相手になにを求めているかというと、『聖母マリア的優しいママの愛』です。

0歳児~2歳児くらいまでのどこまでも自分に優しい母親の愛、つまりその頃までの赤ちゃんに母親が与えている愛は『聖母マリア的優しいママ母の愛』で、『ママのおっぱいを求めている』と私は言っていますが、

それが人間が生まれてきて一番最初に体験する他人からの『優しさ』で、それが基盤にないと人の心の芯はしっかりしないようにできています。

その『聖母マリア的優しいママの愛』はどこまでも自分を心地よく幸せにするものだと思っていて、
その『聖母マリア的優しいママの愛』を与えられることが幸福であり他人から愛されることなのだと勘違いしているのが私たちです。

成長過程の子ども時代から良い年した大人になってすらずっと一生『聖母マリア的優しいママの愛』を周囲の他人に求め続け、しかも自分が求め続けるのに自分はまるで相手にその『聖母マリア的優しいママの愛』の優しさを与えることがほとんどできないということをしている、『ママのおっぱい』を求め続けているのが私たちなのです。

0歳~2歳児までに母親/お母さん/ママから与えられたのは『聖母マリア的優しいママの愛もどき』ですが、その後の自我/エゴが目覚めて自我・エゴのない赤ちゃんであった自分とは変わってしまってから、自分のエゴの要求に対してママやパパに叱られたりして自分の想い通りのことをしてくれたりしなくて怒りを感じても、

母親がご飯を作ってくれて洋服と靴を買い与えてくれて洋服や靴を洗濯してくれて部屋を片付け掃除してくれてお風呂の用意をしてくれて学校に通わせてくれてお小遣いを与えてくれて欲しいゲームや漫画をたまには買ってくれてという『母親の優しい愛』を体験して20年は育ってくるから、

母親が自分に与えてくれるのは『当たり前』でお礼を言わなくてもいいしお礼を言うことも思いつかないし、お礼を言わずとも母親は与え続けてくれたから、母親を『お母さん』という認識でいながらただ奴隷にしていて奴隷よりひどい扱いをしているだけだということにも気づかず、

自分は他人に仕えてもらえる人で他人に仕えなくてもいい存在なんだと、スピリチュアルで言う『私は自分という宇宙の王さまであり私は神だ』と勘違いする人もいる。

それは母親が「子どもに色々やってあげたい」と子どもに色々とやってあげるとき、子どもに

「やっていただいたことを感謝しお礼を言うこと」

「お母さんがあなたを愛して見返りを求めず与えて喜ばせて幸せにしてあげるように、あなたも他の人を愛して見返りを求めず与えて相手を喜ばせてあげて幸せにしてあげなさい」

という大事なことを子どもにまるで教えないから、子どもは『自分が王さま』の心に育ってしまい、周りの人間は自分のママにできて奴隷にして奴隷よりひどい扱いをしていい人間たちなんだという無自覚・無認識の概念を持つ大人に育てあげてしまっているので、母親のほうもいけないんです。

だから幼稚な心のまま体だけは大人になり年齢だけは年をとって成人して社会人になるけれど、心の中身はとても精神性が幼稚な、

『ペニスの快感だけは一貯前に求める半ズボンやミニスカートをはいた心が幼稚園児で、『聖母マリア的優しい母の愛』という『ママのおっぱい』と『奴隷よりひどい扱いができる奴隷』を求めている我利(われり)の利己のエゴまるだしの心が幼稚園児』

になってしまっている、『大きい体の幼稚園児』が私が関わって来た『この世の狼』『この世の人』であり、これが一般的にとても多いエゴの生き物である人間の心に育って来てしまった、また幼稚な心の無知な母親によってそう育てられて成人してしまった人間というものの正体です。

こうじゃない人は母親からの精神的自立、自分のことは自分でするように、それが人としての人生を生きぬくことができるのだと子どもの頃からちゃんと大人な心の持ち主になるよう教育されて子ども時代に大人の心に育つよう育ててもらった人か、
大人の読むような本や漫画を読んで人間の心と人生について深く考えて子ども時代を生きてきた人か、
神を知ることはできないものではあるけど仏教や心理学を大学で4年勉強された心についてきちんと勉強している方か、
大人になってから本物のクリスチャンの方から聖書を学び洗礼を受けてクリスチャンとしてトレーニングされて神さまに選ばれて、『イエスというぶどうの木に接ぎ木されて聖霊をプレゼントされた本物のクリスチャン』になれた人かだと思います。
仏教を独自に勉強されて大学で心について4年勉強した方でまともな人を1人だけ知ってますが、こういう人たちは心が幼稚園児な人とは人間性が違います。

※子どもの頃から聖書を親によって学ばされた人でも、ある程度大きくなってからテレビ番組のニューエイジ(スピリチュアルのこと。悪魔崇拝)の面白い情報のほうにのめり込んでしまった人がイエスさまに救われて回心してイエスさまが本物だとわかってそう発表した、ニューエイジの世界的人気ライターのスティーブン・バンカーズさんという男性もいましたが、私も悪魔崇拝だと知らずに宗教団体を嫌悪していたため『スピリチュアル』『スピリチュアリズム』の名称で知られ始めた知識と情報を学ぶほうへ行ってしまった過去があります。

イエスさまが私たちに教えたい本物の愛である神の愛は、この御言葉で伝えられています。

新共同訳聖書
コリント信徒への手紙1
第13章4節~11節、13節
『愛』

4愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
 8愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。9わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。10完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
11幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。(12は省略)
13それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」



これはイエスさまのお弟子さんである12使徒たちがイエスさまの約束どおりに神ヤハウェさまの決めた日に聖霊が降(くだ)ってきて知ることができたイエスさまの愛、イエスさまが私たちにも教えたい愛がこれで、これが『本当の愛』である『神の愛』なのです。

この『本当の愛』である『神の愛』は『イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されることができた本物のクリスチャン』になれなければ知ることはできないのです。

私たちが神に向かう方向転換をする『悔い改め』つまり水の洗礼を受けて古き我を脱ぎ去り、『神様とイエスさまの砦』がある川岸に上がり、聖書を学び自分を神に明け渡すことができた時、もしくは強く強く神さまを求めつづけてその気持ちに神さまが目を留められ神さまに選ばれたその時、
イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されてイエスさまが心と体に入って来て聖霊をプレゼントされると知ることができる『神の愛』がこれなんだということをクリスチャンご夫妻から教わっています。

この『神の愛』を受けて流すことができないという者はまるで愛することなどできず、愛を知らない者であり、ただ愛されたいだけの幼子で、成人などしていないのだということ、使徒は神ヤハウェさまによりイエスさまが入って来て聖霊をプレゼントされてやっと使徒は『神の愛』を知ることができ、その時に『愛されたいだけ』の幼子を棄(す)て、成人したということを言っているのです。

私は赤ちゃんの頃から子ども時代の18歳までに、エゴの愛ですら愛される体験をほとんど体験しないで生きて来て、親の子どもへの愛というエゴの愛すらもほとんど知らず、エゴの愛すらよくわからないし、エネルギーヒーリングに長年取り組んだけど心が救われていないことに気づき、心が救われたい、本当の愛を知りたい、と思ってキリスト教への信仰に導かれるよう聖書を学んでいます。

私も漫画は人の心について、人生というものについて知りたくてたくさんたくさん、2000冊は確実に読み、8歳の頃から人の心について漫画で学んできて、漫画のキャラクターの人生から『人生とは』を深く深く考え生きてきたんだけれど、それらは何も本当に大事なことも真実も教えてくれませんでした。

今、私の心を本当に育ててくれているのは、神さまの残された聖書と、その聖書を愛と熱意をもって真剣に命をかけて教えてくださっている本物のクリスチャンになれたご夫妻と札幌キリスト召団(日本キリスト召団)のスーパークリスチャンである本物の羊飼いであられる水谷幹夫牧師さまの聖書の話のCD、

そして神さまとイエスさまと聖霊さまに、聖書の御言葉が分かるように私に教えてください、真実を教えてくださいとお願いして聖書を読むように教えていただいています。

あなたの周りの人に、人として大切なことはなにかを真実の愛をもって教えてくれてあなたの心を『愛する者』になれる成人に育ててくれた人が誰か1人でもいるだろうか。
神ヤハウェさまとイエスさまと12使徒たちとあとを引き継ぐ本物クリスチャンたちは、聖書をもってあなたの心と魂を導いてくれます。
あなたを育てるのは神ヤハウェさまとイエスさまという神さまなのです。

イエスさまが12使徒たちお弟子さんたちの足を洗うという、奴隷のやることをなさり、『互いに仕え合う』ことと『愛し合う』ことを伝えている箇所が、
『ヨハネによる福音書13章1節20節『弟子の足を洗う』の個所で出てきます。
おそらく小さな子にもここの個所のことは説明できるのではと思いますが・・・

新共同訳聖書
ヨハネによる福音書
13章1節~15節

1さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。 2夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。 3イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、 4食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 5それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。 6シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。 7イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。 8ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 9そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」 10イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」 11イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。 12さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。 13あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。 14ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。 15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。


当時、人の足を洗うのは奴隷のやる仕事でした。
それを主(神)であり師であるイエスさまが12使徒を愛していたことで使徒の模範となるために12使徒1人1人の足を洗ってくださいました。

ここの御言葉の個所をクリスチャン漫画家のケリー篠沢さんが『救世主(メシア)』の漫画の中で描いていますが、主であり師イエスさまにこういうセリフを付け加えています。

「だからあなたがたも互いの足を洗い合いなさい。
愛し合いなさい。」

(ケリー篠沢さん 漫画『救世主』P235より引用)

これは「お互いが相手を『愛する』ことをしてお互いに『仕え合いなさい』と言っているのです。

「ママが私に色々してくれていた、だから私は人に仕えてもらう王さまで他人は聖母マリアのママの愛で私を愛してくれてママの愛で私に色々してくれて私の奴隷になってくれて仕えてくれて当然なの、だって私は王さまなんだから」

ではないということ、イエスさまは「愛する者になりなさい」「相手を愛して与える者になりなさい」ということを言っているのです。

『性格が優しい人に色々優しくしてもらって聖母マリア的ママの愛を与えてもらって自分は喜んでいさえすればいい、この人に愛を与え返す必要はない』

ということを『ママのおっぱい』を他人に求めている人はしているはずです、与えて欲しいと求めていって相手が答えてくれても「ありがとう」の1つも言わないで、自分でする努力もせずラクをしたいから相手にどんどん与えてくれと甘え続けて自分だけが満足しているという付き合いを相手にしているはずですが、相手はそれをしているあなたのことを「この人おかしいのではないか」「私のことをなんだと思っているんだ」と思ってあなたのことを好きじゃなくなるのです。

本物のクリスチャンになれた人たちでも、心が病んでいて自分の境界線をズカズカ踏み越えてくる人たちからパッと逃げたり拒否したりすることはしなければならないそうです。

聖書を勉強し、信仰へ向かうようになり、神さまに選ばれて神さまによって救われた時、イエスさまが心と体に入って来てくださって聖霊をプレゼントされると、神の愛を知り、神の思いを知り、神に愛されていることを実感でき、自我・エゴが薄くなり我欲が薄くなり、人間がごろっと変わって『愛する者』になり、『幼稚な幼子』を棄てることができ、成人し、イエスさまの愛を受けて流せるようになり、隣人を愛することができるようになる。

神さまとイエスさまへの信仰ができないうちはただのエゴで『ママのおっぱい』を求めるために与えることが少しできる程度の『エゴの愛』という『偽物の愛』しかできないということだと、本物のクリスチャンになれた牧師さまの聖書の話のCDを聴かせていただきながら本物のクリスチャンになれたご夫妻から聖書を教わり続けて知りました。


【映画】キリスト教
子供のためのイエス·キリストの物語-日本語
The Story of Jesus for Children-Japanese
https://youtu.be/l0Yv_W_jMTs

女性はパートナーの男性に、『母親』『父親』『兄』『弟』『恋人』『奴隷(下男)』を求めていて、
男性はパートナーの女性に、『母親』『姉』『妹』『恋人』『奴隷(下女)』を求めていて、
その上でエゴ丸出しの我利(われり)の利己の
「相手が自分に都合が良いから好きになっている」
の『エゴの愛』をやっていて、

しかも相手に自分勝手な自分に都合の良いものを与えてくれる人というイメージ(幻想)を相手に見て、

「愛してちょうだい、愛してちょうだい」
「与えてちょうだい、与えてちょうだい」
「私はあなたに与え返さなくていい、お礼も言わなくていい、与えてくれて当然」

という心が幼稚園児なことをやっているからパートナー関係がうまくいかなくて恋愛がうまくいかなかったり、夫が(男が)結婚したら「釣った魚にエサはやらない」になってセ●●●だけは求めてくるでかい幼稚園児になってしまうことで、

「私にとても都合の良いものを与えてくれる人だと思ったのに!」

と夫婦関係がうまくいかなくて不満爆発ですぐ離婚するんですね。
ちゃんと夫に言えばいいんですよ、

「あなたはペニスの快感だけは一貯前に求める半ズボンはいた心が幼稚園児だ、成人した大人の男じゃない!!
私は幼稚園児な子どもの男と結婚した覚えはない、きちんと母親からの精神的自立をした大人の男として家事と仕事の両方をちゃんとやって大人の男として振る舞ってほしい!!
疲れているのはあなただけじゃない!!
私はあなたのママじゃない!!
あなたが私を愛するなら、家でふんぞり返って上げ膳据え膳など求めないのです!!
1人暮らしの男性はあなたと同じように仕事もこなして、夜遅くに帰宅したら家のことも自分でやるし休日に自分でお洗濯やお掃除をするんです!!
私はあなたのママじゃない!!
幼稚園児な男は大人の男じゃないからもうセ●●●の相手はしません!!
私とセ●●●したいなら大人の男になることです!!」


と。

まぁ言葉はこれじゃなくても相手を傷つけない言葉を選んでいいのでこの言葉そのままでなくてもいいのですが、
これは強気な強い女性は口でポンポンと言えるかもしれませんが、
気立てが優しい人で弱い人と思われて舐められてしまう方は口で言うより手紙で伝えるほうが一方的に伝わるので手紙がいいですね。
口で言葉で言うと言葉はわりと心に残らないと消えちゃうけど、手紙は捨てない限り残りますのでね。

私は18歳で10年間の自活をした経験があるのでママを求める心が幼稚園児な男に辟易するので手厳しくいきますよ。

とまぁ、このように私たちという我利(われり)の利己のエゴの愛という偽物の愛しか知らない私たちという人間、特に母親からちゃんと愛されて甘えさせてもらったという、母性本能の子育て本能を持つ母親に育てられた人間というものの正体は、『愛される者』をしようとしてばかりで、まるで『愛する者』ではない、本当に相手を愛する事などまるでできず、相手を好きになることもできておらず、
「愛されたいから与えて愛してもらおう」
と見返りを求める我利の利己ばかりしているのが私たちという人間の正体なのです。

イエスに接ぎ木された方から聖書を学んでいるところですが、スーパークリスチャンの仲間入りができたクリスチャンの方でも目の前の私に対する隣人愛が的外れなことをなさって失敗することはありまして、それで時々私は「これについて納得いかないです」とメール出して意見することもあったりしますが、
するとクリスチャンご夫妻は誠心誠意と誠実さをもってきちんとこちらの言い分で気づいてくださった自分の過ちを認める発言をしてくださりきちんと謝ってくださるので、一般のエゴの人とはやっぱり違うなって感じます、我利(われり)のエゴの人である私や私が出会って来た人や、愛を知らない自分との違いを感じます。

私たちは自分がまるで愛することができない者だと認めるのがプライドが邪魔したり、エゴでドロドロな自分の心がとても汚くて見つめることすらまるでできず、自分が綺麗で清らかな者でありたいと思ってエゴのドロドロの心から目を反らし、他人の悪いところばかり目を留めて批判することで、

「自分はなんて正義で愛で清らかな者なんだろう」

と自分から目をそらし自分をごまかしているだけ。

イエスさまのおっしゃる『この世の狼』聖書が言う『この世の人』なんだと認めるのが怖くて嫌で認められないのだとも言いますね。

神が聖書で残した御言葉の言うことに耳を貸さなくてこの世の『肉』の人生は我利(われり)の利己心で相手を支配して愛を貪ったりして愛を奪い取り、見返りを求めるエゴの愛で与え合ったりして得られる一時の幸福『感』というまやかしの幸福を得て自分だけは満喫して人生を生きても、死後にふさわしい自分の行先は地獄だということ。

日本人は神という存在を自分に都合のよい仏さまみたいな存在だと勘違いしていますからね、

「神さまも仏さまも愛だから私のことなんでもゆるしてくれる」

なんて思って勘違いしているんですよ。

『神は『愛』であり『義』の御方なんです。
神は愛であるがゆえに『義』を行うんです。
義とは正義のこと、『神の正義』がある。
神は悪を嫌い、悪を憎み、悪を倒し、悪を滅ぼすんです。
それは愛ゆえに義で行うんです。」


と教えていただいています。

そしてなぜ私たちが『聖母マリア的優しい母親の愛』を求め続けるかというと、
これは旧約聖書の創世記のアダムとエバの個所の所と、ケリー篠沢さんの『創世記』第一巻の漫画を読めば理解しやすいと思います。

神ヤハウェさまはアダムとエバを不完全な者として、成長していく者としてお造りになっておられるのです。
そしてその人間の成長のための子育てをするのが神ヤハウェさまのなさりたいことだったのではないかとしおんえつこは個人的に思っています。
神ヤハウェさまは産まれたばかりの愛する子アダムにとても優しく色々と教えてくださっていたのではないでしょうか。
アダムは神ヤハウェさまとは母親と小さな子という関係だったのです。
アダムとエバは善悪の知識の木の実を食べてエデンの園を追放されたあとも、エデンの園の近くに住み、わからないことがあると子羊の捧げ物を持って神ヤハウェさまに会いに行って色々と教えてもらったという解釈を、ケリー篠沢さんが漫画『創世記』の中で語っておられます。

だから私たちは自分を守ってくれて優しくしてくれて助けてくれて導いてくれる強い肉親の母親を自分の心の中で神さまにして心の中心に据えてしまっているのですが、それはもともとは神ヤハウェさまを頼って生きていた、それがアダムであり私たち人間だからです。

科学が色んなことができて自分に色んな便利なものを与えてくれていても、心のほうはといえば、『絶対的な強き者』に頼る心をずっとアダムから受け継いでいるのだと思います。

けれど、私たちは肉体を持つ他人にその『聖母マリア的母親の優しい愛』を求めると人間関係がぐちゃぐちゃになってうまくいかないのです。
神の御子イエスさまに求め、イエスさまが与えてくださるものを待つのです。

私がイエスさまというぶどうの木に接ぎ木されて本物のクリスチャンになった時、
この記事内容は書き直しさせられると思います。
同じことを伝えるのでももっと
『イエスさまの愛の言葉』
で書くようにイエスさまに言われると思います。
私はまだエゴでしかありませんので、このように過激で辛辣(しんらつ)な記事の書き方になります。
神さまにこの記事内容の書き方のことを謝って、
「私に神さまの愛を教えてください」
とお願いしています。



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イエスさまがお釈迦さまと仏教について何もおっしゃっていないのはお釈迦さまが被造物の『人間』で『神からの言葉』ではないことからだと思います

2018年05月16日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
私の知人が、武田邦彦さんの動画を観ておられたのではないかと思いますが、武田邦彦さんからイエスさまのことを教えていただいたので、イエスさまについて少しずつ知って行こうとしていることを教えてくださったのです。

武田邦彦さんのお話、私もユーチューブで動画を観ています。
私が見た武田邦彦さんの動画で、イエスさまとお釈迦さまのことを話している動画があったのですが、武田邦彦さんが、

「イエスは自分が神だと言っていたようですが、
イエスが神なのならお釈迦さまのことを知っているはずなんですよ。
 「私とおんなじことを言っているお釈迦さんと言う人がいてね」
と話すはずなのに話していない。(だったかな?)
孔子や老子など(と言っていたかはハッキリ覚えていないのですが)、
他の人の教えも素晴らしいものなのだから、
私は宗教はどれか1つを選べなんて言われても選べない。」

こういうことをおっしゃっている武田邦彦さんのイエスさまに関する動画があったのです。
私はクリスチャンご夫妻から教えていただいて聖書を勉強していて気づいたのですが、イエスさまがお釈迦さまのことを話さなかったのは、お釈迦さまは被造物で神ではないからお釈迦さまを信仰の対象にするのは違うということと、
お釈迦さまという被造物(人間であること)が気づいたことは神の教え、神から人間への言葉ではないからだということなんだろうと聖書を学んでいて思います。

武田邦彦さんは聖書を「本として」読んだのであろうけれど、聖書をきちんと牧師や神父から教わる専門的な勉強はされていないのではないかと思います。
聖書解釈本などを読まれたかもしれませんが、解釈本を書く人によってはクリスチャンの看板を掲げているだけの聖霊から聖書を教えてもらえない人が人間の思考で考えた色んな解釈をするので、必ずしもその解釈本の解釈が神が私たちに教えたい解釈かどうかなんとも言えないのです。

仏教はヘタをすればお釈迦さまの到達した『悟り』の世界は、サタンによる神秘体験の可能性も出てくるのです。
なぜならイエスさまは瞑想をすることや瞑想によって悟りを得ることを伝えていないし、

(少なくとも『共観福音書』と『使徒言行録』『ローマの信徒への手紙』『コリント信徒への手紙』『ガラテヤの信徒への手紙』『エフェソ信徒への手紙』に瞑想することについてや悟りを得なさいということは出てこなくて、神さまへの祈りを短く簡潔に祈ることをイエスさまがおっしゃっている)、

リーハイバレージャパニーズミニストリーズの動画などクリスチャンチャンネルの動画を観ていると、イエスさまというぶどうの木に接ぎ木されたクリスチャンたちでニューエイジをやっていてイエスさまに救われて回心した人は、瞑想を危険なものだということを伝えていたりしますし、

私がブログに書かせていただいている聖書の学びで聴かせていただいているCDの牧師さまは札幌キリスト召団(日本キリスト召団)の水谷幹夫牧師さまですが、水谷幹夫牧師さまの元で学んでいた人が、なにかわからないことが起きて霊的なことを知りたいと思ったのだと思いますが、
おそらくそれは霊能力を求めたんじゃないかと思うのですがその人は『内観道場』という所に行ったことで、水谷幹夫牧師にとても怒られていたという話を、私に聖書を教えてくださっているクリスチャンご夫妻の旦那さまAさんから聞いています。

きちんとイエスさまというぶどうの木に接ぎ木された信仰者は、聖霊をプレゼントされるので、霊能力を求めなくても聖霊に聴くことができるので、神さまにお尋ねして聖霊からのメッセージを待つと、いずれその人にぴったりの時期に聖霊が答えてくださるのだということを、クリスチャンご夫妻からもリーハイバレージャパニーズミニストリーズの動画のクリスチャンの方たちのお話を聴いていてもわかってきます。

信仰ができていないとつい霊能力を頼りたくなりますが、霊能者は本当のこと言うかどうかわかりません、なぜなら不信仰者なので、悪霊から与えられた霊能力で悪霊が伝えてきたことを受け取ってそれを言っている可能性が高いからです、プロの霊能者は生計を立てていくための金目当てを考えているので本当のことを言うかわかりません。

クリスチャンご夫妻の旦那さまのAさんは、クリスチャンとして、仏教について「聖書とどう違うのか」を知るために仏教の本をどうやら色々読まれたのではないかと思います、
どういう仏教の本を読んだのか、パーリ語を学んでパーリ語のお経の原典を日本語に翻訳した中村元(はじめ)さんの本(つまり原始仏教)の本を読まれたのかわからないのですが、とにかく仏教の本を読んだようですが、Aさんは私に、

「仏教は半分くらいイエスと同じことを言っているけれど半分はまったく違うことを言っている。
悟りでは神を知ることはできないんです。」

とおっしゃっています。

本当の『覚醒』というのはイエスさま(神)が心と体に入って来て聖霊(神)をプレゼントされることなのだということが、聖書を学んだりリーハイバレージャパニーズミニストリーズなどのちゃんとしたクリスチャンの方の動画を観ていると、

「『覚醒』って神を知ることで、イエスさまが心と体に入って来て聖霊をプレゼントされること、そういうことなんだな」

とわかるというか、聖書について本物のクリスチャンから教えてもらい続けると、これがわかってきて納得してそう思うようになってきます。

武田邦彦さんは神社に参拝してお寺にも行って教会の礼拝にも行ってお話を聞きたいとおっしゃっている動画がありましたので、ちゃんと神を信仰しようと思っている人ではないし、仕事などでとても忙しいので専門的に学んでいる時間がないと思います、
おそらく仏教についても日本テーラワーダ教会(原始仏教の団体)に入信してスマナサーラ長老などから本格的に原始仏教を学んだわけではなく、仏教の本を色々読み漁って語っているのだと思いますので、

武田邦彦さんは仕事であちこち飛び回っているくらいですから、聖書についても仏教についても本格的に専念して勉強したという人ではないはずなので、仏教についても聖書についても本格的に詳しく語れる人ではないと思います。

なので武田邦彦さんのイエスさまやお釈迦さまや他の宗教的な教えになっている聖者のことについてのお話の言葉全部を「そうなんだ」と信用して聴いてしまわないようにお願いします。

新共同訳聖書
ヨハネによる福音書14章6節
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」


ここでイエスは「私の道だけが神の元に行ける道である」ことをハッキリおっしゃっておられ、「他の道はどれも違う」ことをおっしゃっています。
『他の教え』は被造物である『人間』の教えで『神の言葉ではない』ということだからです。

イエスという神の道は信仰ができた時は確実に神の元(神の国)に行けることを言っていますので、他の聖者(被造物の人間)の道を学ぶとき、

「これらの聖者は被造物であり人間であり人間から来たものか何者かから来たものを言っていて神ヤハウェ(唯一絶対神、万物の創造主)から来た言葉ではない」

ことを頭において学ぶようにお願いします。

私は先日、ある知人にご紹介したクリスチャンの格闘家の方の証の動画である『龍の正体』という映画のコメントで、ある女性らしき方がニューエイジ的な情報や聖書について聖書にちゃんと書かれていることではないことをコメントしたりしているので、それに対して長文の超連続投稿(それはもう何十件も連続投稿しました)で、ある女性の言い分にしつこく突っ込ませていただくことをしたのですが、

そのある女性がキリスト教はミトラ教のパクリ宗教だと言っていて、ミトラ教について調べようとしたら、2つのサイトの記事の内容を読むのに集中できず全文読んでいたらとても疲れてしまい、2日間ダウンしたような状態になり休み続けたので、
どうもミトラ教について調べるとよくないものの影響を受けるんだなと思ったので、
(例えば堕天使から生命エネルギーを奪われる格好の機会となってしまうとかで)
ミトラ教について調べることなどは気をつけてください、
ミトラ教は雄牛を屠る太陽神ミトラを信仰したりするようなので、太陽を神格化して信仰する偶像崇拝になるので、キリスト教からすれば悪魔崇拝になるものですし、どうもミトラ教について詳しいことを学ぶのって、どうやら秘密結社の『神智学協会』などに所属しての話で、
この『神智学協会』の創設者であるマダム・ブラヴァッキーという女性の顔写真を見たら、

「どう見ても神さまを信仰する人が持つ聖なるもの、清楚さ、聖(きよ)らかさが人相に現れていない」

というお顔でありましたので、顔つきには内面が現れますので『神智学協会』は信用できるようなところかわからない、そもそも『秘密』を守らないとならないようなところなので、本物は秘密にしないのです、聖書や仏教が自由に学べるくらいなのですから、『神智学協会』という秘密結社は神ヤハウェさまの管理・支配下にあって神ヤハウェさまとイエスさまのお護りがあるところかどうかわからないところなので気をつけてくださいませ。

武田邦彦さんは9割の真実に1割の嘘を言う人だと指摘してそれの暴露記事を書いている人をネット上(gooブログで皇室批判らしきことをしている人だった)が注意を呼び掛けていましたが、9割ほんとのことを言ってくれるならありがたいことです、武田邦彦さんは私も興味ある話題の動画を聴かせていただいています。

みなさんは生計を立てていくために働いておられ、お金を稼ぐ為の仕事に1日の多くの時間を割かないとならないため、自由な時間がそんなにないので、聖書を専門的に学ぶ時間が取れないと思いますが、
神さまに、

「神ヤハウェさま、生計を立てていく為のお仕事をしながらも聖書をちゃんと専門的に学ぶ時間を与えてください」

とお願いしてみてください、
神さまはこのお願いのお祈りを喜ばれるので、みなさんに聖書を学ぶ時間が工面できるようにしてくださるはず・・・と思います。
(*^人^*)

また、イエスさまがお釈迦さまについて何か言ったりしていない、つまり聖書にそれが書かれていないのは、聖書は神ヤハウェさまとイエスさまを信仰するための書であるため、お釈迦さまのことを記す必要がないからだと思います。

私が武田邦彦さんのイエスさまのことについて語っておられることについてこういうことをどうして言うのかについては、このブログのカテゴリー『スカイプ聖書の学び』に掲載されている聖書の学びの記事をすべて読むと、わかってくると思います。
ぜひカテゴリー『スカイプ聖書の学び』の全記事に目を通していただいて聖書について触れていただけたらと思います。
m(_ _)m


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映画『龍の正体』~クリスチャンで格闘技にのめり込んでいった方がイエスに救われた証の映画を観ました

2018年05月10日 | キリスト教信仰におけるなにかの話
映画『龍の正体』(日本語字幕付き)
https://youtu.be/Fx6LWVvions

という、クリスチャンの方が格闘技にのめり込んでいって、格闘技がサタンからのものだとわかることになり、イエスさまによってサタンから救われたという証の映画があり、観させていただきました。

私も格闘技をなにか習わせてもらっておけばよかったと思っていたことがあったのですが、私の体はケンカすらもできない、怒りを少しでも持つと怯えたように手足がガタガタ震えて腕からも足からも力が抜けてしまうので、格闘技ににはむいていないようなのですが、

この映画の主人公のクリスチャンの男性は、格闘技を習い始めた頃、主が何度も引き留めておいでになったとのことだったので、このクリスチャンの男性はイエスさまというぶどうの木に接ぎ木されていたクリスチャン(本物のクリスチャン)だったのだなと思って観ていたのですが、

この映画を観終わって、私は旧約聖書の初めの方の、ヤコブと神的存在の戦いのことを思い出しました。

新共同訳聖書 創世記
32章23節~33節
23その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。24皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、 25ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。26ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。27「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 28「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、29その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 30「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。 31ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。 32ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。33こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。


この神的存在とヤコブが戦ったところは、一番最初に通った教会の聖書のお話で教えてもらいましたが、ヤコブに勝てないとみて禁じ手を使った存在なので、どうも天使と思い難いし、神ヤハウェさまなら禁じ手を使わなくても勝てると思ったんですね、

なのでこの『龍の正体』を観て、

「実はヤコブと戦ったのって堕天使だったんじゃないか・・・?
(A ̄  ̄;)」

と思ってしまったりしました。

なぜなら、一般福音教会での聖書のお話では、ヤボクの渡しは夜に渡ると魔物が出て連れ去られるとか牧師さんが言っていたような記憶があったので、検索をかけたところ、

横浜指路教会さん
「神の祝福を求めて」
http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message080120ef.htm


の礼拝説教のページに、

~ここから引用~
学者の研究によれば、この物語の背後には、このヤボクの渡しにまつわる古くからの伝説があるようです。この渡し場に住む魔物の伝説です。夜、渡ろうとする旅人を川にひきずり込む魔物です。ある人は、これは日本で言えばカッパ伝説のようなものだと言います。夜に川を渡る時、何かのはずみで流されてしまうことへの恐怖から生まれた伝説でしょう。
~引用ここまで~


とありましたので、私のうすらぼんやりとした記憶もだいたい合っていました。
(^。^)=3

さらに検索で調べてみたら、この神的存在は天使だと言われているのは知っていましたが、『神と闘って強さを示した』ということになるんだそうで、それなら神的存在が天使で「神と闘って」と言ってもおかしくないか~と思いました。

イエスさまが逮捕される時、イエスと一緒に居た者(ヨハネによる福音書ではペトロと書いてある)がイエスさまを守ろうとして剣で大祭司の手下に打ちかかって片方の耳を切り落としているのですが、その時にイエスさまが、

新共同訳聖書
マタイによる福音書26章52節
52そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」


とおっしゃっていて、これの真の意味を私はまだ教えていただいていないのですが、私がわかるのは、全人類が神ヤハウェさまとイエスさまを本当に信仰できるようになって、神ヤハウェさまとイエスさまに倣って隣人を愛する世界作りをする、つまりお互いが愛し合うことをすれば、争い事はなくなる、争い事が起きても神の愛により解決できるので剣が必要なくなるのだということで、

そうであれば戦う(闘う)相手は堕天使になるため、剣によって戦うのではないため、誰が人間の他者と闘う必要がなくなるので、格闘技というものが必要なくなるということが考えられ、

「サタン(堕天使)は戦いを好む」(人間同士が争うことを好む)ということなのであれば、格闘技というものがサタンから来ているものでもおかしくなない、となります。

以前、テレビか何かで護身術についてやっていた番組があったようなうすらぼんやりとした記憶にあるのですが、護身術と格闘技はまた違うようです。
護身術にしても格闘技にしても、心優しくて誰かを殴ったりすることがとてもできないような心を持っていると、どちらもできないです。

しかしながら、この世には「自分さえよければいい」という悪の心の持ち主もいて、そういう人間と出会った時に相手の勝手な想いで暴力をふるわれたりするのはあることでしょう、ですが神さまを本当に信仰できるようになってそういう時に神さまに「神さま助けてください」と短く祈り、聖霊から教えていただいて神さまの愛の言葉をその悪の相手に語るのではないかなと思います。

私はもう体力的なものや戦いに向かない体をどうやらしているらしいので格闘技を習うことはないと思いますが、この『龍の正体』という格闘技にのめり込んでいったクリスチャンの方の証の映画は観てよかったと思います。

なお、この『龍の正体』という映画で、ある女性がニューエイジ情報と思われるものや聖書のことでちょっと間違っているなと思うことを書いておられたり、キリスト教と類似点がいくつかあるミトラ教が真実の宗教だと言っているので、私はそのコメントに何十件も連続投稿でつっこませていただいたので、そのコメント全文を別に記事にしてこのブログに投稿します。


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