しおんえつこの聖書の学び

~しおんえつこの聖書の学びとキリスト教の本物の信仰への道~

聖書は神さまの育児書~私たち幼子を成人へ育ててくれます

【お知らせ】【ブログタイトル変更します】このブログをキリスト教信仰のブログに作り変えました

2024年12月31日 | お知らせ
このブログは以前は

『目心口窓Ⅱー心裸万象-あるスピラーの散文』

というブログタイトルで雑記ブログを2005年から運営していたのですが、

私がキリスト教信仰の道を歩み始めたことによって、

雑記は悪が入り込みやすいとクリスチャンご夫妻に教えていただいたこともあり、

キリスト教信仰のブログを運営するために雑記ブログの記事を削除して、

このブログのタイトルを

『しおんえつこの聖書の学び』

に変更し、キリスト教信仰のブログに作り変えました。

キリスト教信仰のブログに作り変える前のブログであった、

『目心口窓Ⅱ~心裸万象~あるスピラーの散文~』

のブログの過去のスピリチュアルやヒーリングや雑談などの記事はすべて削除しました。、

また、FC2ブログ『しおんえつこの心の救済求めて勉強中』のブログはレンタルを辞めて削除しました。

神さまとイエスさまへの信仰の道を進んで行くにあたり、聖書の学びの記事を書いて、信仰についての体験談や、讃美歌の音楽動画を掲載する、キリスト教信仰のサイトを作るのに、gooブログは宗教勧誘行為を禁止する利用規約がなかったため、

『目心口窓Ⅱ』ブログのスピリチュアルについての記事やヒーリングについての記事や心についての記事や雑談の記事をすべて削除して、ブログタイトルを

『しおんえつこの聖書の学び』

に変更して聖書の学びや信仰に関する記事を掲載するキリスト教信仰のブログに作り変えました。

今まで『目心口窓Ⅱ』の雑記ブログを気に入ってブログを見に来てくださってありがとうございました。

これからキリスト教信仰の道を歩むために進んでいる者としてのこのブログのことを、どうぞよろしくお願いいたします。

しおんえつこ


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集団ストーカーのことに関する記事といくつかの記事を削除します

2024年12月31日 | お知らせ
信仰の勉強の邪魔になるのでブログ運営を休止する方向でいこうかと考えているのですが、

集団ストーカーに関する記事と、他宗教の信者さんに関する記事と、大阪のonfire japanシンプルチャーチがセクト・カルトだと書いた長文記事など、いくつかの記事を削除することにしました。

onfirejapanシンプルチャーチに関してはYou Tubeの『神様の為に働かないで!』の動画について褒める記事を書いたあと、その動画の内容が変えられていたのでおかしなことをしているなと思ったりした経験があるのですが、私自身がonfirejapanシンプルチャーチに通ってカルトだと体験したわけじゃないので何とも言えないことに気づき、記事を削除することにしました。

onfirejapanシンプルチャーチの方々には申し訳ないことをいたしました。
ごめんなさい。

ですが、『ビルジョンソン 奇怪な教え』という動画もあるので、どこの宗教団体でもそうですが、関わる時は用心してくださいませ。

カルト・セクト一覧表がウィキペディアにありますのでチェックしてみていただければと思います。

今現在、ブログ運営をしづらい環境下にあり、また、惠泉塾の水谷幹夫牧師さまの聖書の勉強とキリスト教信仰の勉強とお仕事(障害者のB型作業所)と休息であっと言う間に時間が立ち、ブログ記事更新はあまりしていられないのではないかと思います。

私に聖書の学びをしてくださっているクリスチャンご夫妻から、聖書の勉強の邪魔になるのでブログ更新はやめたほうがいいと言われています。

退会を考えたのですが、まだ未練があるのでブログを残しておくことにします。

主なる神様と共に。
しおんえつこ

【固定】しおんえつこのプロフィールです

2024年12月31日 | プロフィール
ハンドルネーム:しおんえつこ

筆名:風音颯羅(しおんさづら)/風音さづら(しおんさづら)/しおんさづら/風音(しおん)/末摘花の風音(すえつむはなのしおん)
(過去に白い星印と黒い星印をシオンの前後につけて陰陽を表すハンドルネームにしていたことがあります) 

1970年10月生まれ。
名古屋生まれですが東京でも暮らしたことがあり名古屋っ子にもなれないし東京人でもないです。

赤ちゃんの頃から辛い人生を体験したことでトラウマを持ち、心の癒やしのためにエネルギーヒーリングに取り組みフラワーエッセンスを摂ったりしていましたが、今は聖書の学びをしてキリスト教信仰をしていますが、まだどこの教会にも所属していませんし、水の洗礼も受けられる段階ではないです。

2000年の29歳のときに長年の栄養失調とハードな肉体労働で心と体がダメになり、統合失調症を発病。
2004年8月に糖尿病になる。
嗅覚が無いなど他の病気の症状もあります。
軽度の慢性疲労症候群なのだろうか、と思ったりもしていますが疲れやすい体をしています。
運動があまりできないので体力と筋力があまりありません。

精神障害者手帳3級保持。
生活保護を受けながらB型作業所でお仕事を少ししています。
遠い未来に社会復帰することを希望しています。

キリスト教信仰をするまえに奇跡のヒーラーのブルーノ・グルーニングさんの交友会に入門していた時期があります。

過去に悪魔の道と知らずにスピリチュアルを勉強してエンジェルカードを使ってオラクルカードヒーラーをしていた時期があり、You TubeのスピリチュアルTVに出演させていただいたことがあり、その時の動画がYou Tubeにあります。

赤ちゃんの頃から母親や父親に甘えられなかったからなのか、誰かからママ代わりや恋人代わりにされて甘えられるのがとても苦手です。

人間のことがどうでもいいと思う気持ちがありながらも、神さまにお願いしてイエスさまに倣って隣人愛ができるようになるように、人を愛せるようになるように私を作り変えてください、神さまの愛の心を私に教えて下さいとお願いしています。

私は愛することがわからないんだということに気づきました。
人間は神様によりて生きている、神様によりてできるだけだということにも気づきました。

ずいぶんバカなことをやってきたということなのだと思いますし、私はなんにもできないと思いました。
その人を救えて助けられるのはイエス・キリストとイエス・キリストの父なる神さまだということがわかりました。

イエスさまから聖霊さまを賜って神さまのお仕事ができるようになることを目指して聖書の勉強中です。


【固定】【聖書の学びをし始めた理由】私が真のクリスチャンになるための信仰への道を歩み始めた理由です

2022年12月31日 | 聖書や信仰についてのなにかの話
私が聖書を学ばせていただいてその学んで来た記事をブログに掲載するようになって、今では真のクリスチャンになるためのスタートラインに立てるようにと、神さまとイエスさまへの信仰への道へ進んで行っている理由を、

改めてちゃんと記事にして書いて、トップページからずらずら並べてある固定記事の中に入れておくことにしました。

そうしないと、聖書の学びを書いているということだけを見て、

「うわ、宗教やる人間かよ。危ない、カルトだ、近づくな!」

と思ってしまわれる方たちもおられるのではないかというのも想定の中に入れておりますし、

ずっと長いことこのブログを読みに来てくださっているリピーターさんたちは、私が、

スピリチュアル、スピリチュアリティ、スピリチュアリズム、スピリチュアリズム普及協会さん、奇跡のコース、引き寄せの法則、マーフィーの法則、スピリチュアルTV、オラクルカード・エンジェルカードのヒーラーとしてのプロ活動、キネシオロジーテストのことや、江原啓之さん、美輪明宏さん、霊能力をお持ちの精神科医の越智啓子さん、天使の第一人者であったアメリカのエンジェルレディーの愛称を持つドリーン・バーチュー博士、斎藤一人さん、木村藤子さん、ちろっと深見東州さん、ケプリ夫人のブログ、スピリチュアル王子のEさん、精神科医でキネシオロジーテストの研究をされた聖者デヴィッド・ホーキンズ博士、前世療法の第一人者の精神科医ブライアン・ワイス博士、中間生の記憶を持つ子どもたちのドキュメンタリー映画『かみさまとのやくそく』、

あたりをちろちろと渡り歩いて、

「神仏を信仰するのに宗教団体に所属して宗教をやる必要はありません。宗教は信仰のひとつですが、信仰=宗教ではありません。本物はお金かかりません。」

と公言していたのに、それがまたなんで、ただ教会で聖書の勉強をして聖書を知識として知るだけのところから、本当に真のクリスチャンとなるための信仰の道へ行こうとし始めて道を進み始め、
札幌キリスト召団の方たちと関わるようになり、自分の脳みそ代わりだけでなくブログ閲覧者の方たちにも聖書に触れていただきたいと聖書の学びの記事を書くようになったのか、についてのことを改めて書いておきます。

私は、赤ちゃんの頃から、人間関係がおかしかったのです。
いや、もしかしたらすでにお腹の中にいる胎児だった時から、人間関係がおかしくなることが始まっていたのかもしれません。
どんな人生を体験したか、他者にどんなことをどんな風にされたかまでは、なにか聖書の学びのことや信仰において書き記す必要が出てきた時に説明として書くこともあるかと思いますが、

私の父も母も私への虐待・暴力に関しては、まともな物事の判断の仕方をまるでできない人たちで、おかしかったというのがありましたし、姉も悪を悪だと思っていない心の持ち主で、義妹もあの虐待継母の遺伝子を受け継ぐ子だけある、という方で、

18歳で社会に出て自活を始めてから29歳3か月までの人間関係で、長いこと私は善人思考(お人好し思考)で他人の言うことを聞き相手を喜ばせたい、優しくしてあげたいと思っている人間でもあり、私の人生初のべったりな人間関係が6歳半に生まれた腹違いの妹が赤ちゃんだった頃の人間関係が人間関係の出だし、初体験だったので、

「人と接する時は、聖母マリアさまのように、優しい優しい愛で優しくしてあげ続ける」

だと思ってそれが人への愛なのだとつい最近まで勘違いしていたため、

他人に都合よく利用されているだけなのだと長いこと気づかず、自分勝手な人たちから身を守るためには利己的にならないとならないんだと気づき、23歳か24歳くらいで自分を守るために利己心を少し養い始めたりし始めました。

それこそ、通りすがりの車椅子の青年にすら、自分勝手なことをされてその人に都合よいことをされ、普通の人ならパッと逃げられるだろうと思うでしょうけれど、幼いころからの父と継母の暴力や威圧による支配を受けて育った為、使役ゾウの心理で逃げることができなくて心傷ついた経験もあり、

私を気に入って自ら近づいて来た人たちは、たった1人の同年代の女性を除いて、私の気持ちまるで無視の自分勝手な人たちばかりだったのです。

私から友達になりたくて近づいていった2人の女性のうち、1人はよくブログに書いている聖書系団体の元信者のAさんで、この方は聖書を学んでおられることもあるし頭の良い手練れな精神的に大人な人なので、人生の中で出会えたまともな人で出会えてよかったと思う貴重な存在です。

もう1人の女性も私のほうから近づいて行ったのですが、
「この人は私を友達として求めてはおられない」
ことに気づいて何も言わずそっと離れていきましたが、この女性はヒーリングに熱心に取り組んでおられた方なので、思いやりがある方で、友達として求めてもらえなかったことは残念でしたが、お会いするのに経済的なことの壁もあったのでそっと離れました。

もう1人、優しい人だと勘違いしていたセラピストさんと何年か関わりましたが、この方は口で言うことは優しいけれど、私のオラクルカードのお仕事に関して、私というオラクルカードヒーラーを自分に都合よく金にがめつく利用する人だと気づき、こちらは4年間で10万円くらい彼女にセッション料金を支払ってセラピーを受けていましたが、
彼女が私のオラクルカードセッションを何回か求めて来られた時、「交換セッションで」と言ってたった3000円の私のオラクルカードセッションにビタ一文支払わない方だったので、さすがに騙されていることに気づき、過去に『セラピストブログを閲覧する上での注意点』という記事を書いて(削除しました)でそのセラピストさんの悪態をついておいて離れさせていただいたりしました。
( ̄  ̄メ)

そしてオラクルカードヒーラーとして個人規模の小さなスピリチュアルイベントに関わらせていただいて出会ったある男性手相占い師、そのスピリチュアルイベントを利用していたある男性鑑定師、オラクルカードセッションを受けたあるお客さまのある写真家さん、対話ボランティアで1年間無料で1回2~3時間対話した女性、
奇跡のヒーラーのブルーノ・グルーニングさんの交友会で出会ったある男性2人と女性3人、そして2017年6月15日にセッションを受けた聖母マリア信仰をしているエセクリスチャンのスピリチュアルカウンセラー、
教会の聖書の勉強会で同席した男性1人、その教会の牧師も、

私、しおんえつこの気持ちをまるで無視で自分勝手なことを私に対してしてくる人たちだったのです。

それらの人がどうしてそういう行動言動をするのか、2017年2月~2017年7月半ばくらいまで、彼ら・彼女らの行動言動をキーワード検索をかけ続けて心理など関連記事を読み続け、また自分でもエネルギーヒーリングに取り組んで気づけた自分が持っていた心・心理のことなども用いて、彼ら・彼女らを独自の知識・情報で心理分析をし続け、

通っているB型作業所(障がい者の社会訓練施設)の所長さんが仏教を独自に勉強して大学で心理学を4年勉強した心理カウンセラーさん(おそらく臨床心理士さんなのではないかと思っているのですが)に相談してお訊ねしてみたり、お世話になっている10分300円のメンタルカウンセラーのクリスチャンの男性カウンセラーさんにも聞いてみていただいたりして、心理を分析し続け、

彼ら・彼女らがまず2つの特徴の心理を持っていることに気づき、さらに最近、1つの特徴の心理を持っていること、さらに補足的にこういう人もいたという特徴の心理を持つ人たちばかりに気に入られていたのだと気づきました。

ここから書く4つの特徴の心理を表現する文章の書き方、発言の仕方は、B型作業所の仏教を独自に勉強しておられる臨床心理士と思われる心理カウンセラーさんに聞いていただいたら、
「それは過激な発言ですね^^;」
と、私、しおんえつこがこういう過激な発言をするのにびっくりしたとおっしゃっていましたが、
まずこれらの表現で言えばどういう人が私に目をつけて近づいて来ていたかがわかるので、これらの表現で
「自分を言い当てられた!」
と怒りを感じましたらごめんなさい、怒りを感じて私に怨恨感情を持つのではなく、自分がこうなのだと気づいたのなら、自分を善の心に、愛の心に変えていくために、あなたの心を癒して救ってくださるのは神さまとイエスさまなので、聖書を学び、神さまとイエスさまへの本当の信仰の道へ行くのに、私のブログのカテゴリー『聖書の学び』に掲載されている記事を読んで聖書に触れてみていただけたらと思います。

でも以下にあげる4つの心理的特徴の人、こういう人たちが世には溢れているということなのだと、1人いれば10人いる、10人いれば100人いる、のこれら4つの心理的特徴の『世の人』たちが溢れているのだろうと、私は人間関係を振り返って心理を調べたり分析し続けて気づきましたので、本当にこういう人たちはいます、それもたくさん。

日本人は優しい人はよくいるけど、精神的に大人になれていない母親からの精神的自立ができていない幼稚な人たちがとても多いと、接してきた人や、電車内で見かけた人、テレビをよく見ていた時期にテレビに出ていた人たちなどを見て思います。

では、過激な表現での発言の仕方ですが、私に目をつけて私を気に入って近づいて来た人たちの4つの特徴的な心理は次の方たちになります。

1つめの特徴の心理は、私が何度もブログに書いている、

☆母親の優しい愛に飢えていて、聖母マリア的母性愛、優しいお母さんの愛、それも0歳~2歳児くらいまでの赤ちゃんに対して接する優しいお母さんの愛(聖母的愛)を私、しおんえつこに求めて、しおんえつこがそういう聖母的愛・優しいお母さんの愛を与えることをする人間だと勘違いし、私の気持ちまるで無視、私を思いやり大切にすることがない、自分勝手なことを私にしてきて自分勝手な要求を私にしてきて、どんどん私の境界線をズカズカ踏み越えて土足で人の心と領域に上がり込んできて侵害してきて、その要求に従わないと怒りを見せてくる、私をお母さん的人間だと思いながら奴隷よりひどい扱いをする『おかあさんのおっぱいを求めている人』で、しおんえつこという人間は私のことを好きでいてくれる、なにをしても好きでいてくれる、私のことを嫌いになることなんて絶対ない、なにをしても受け入れてくれる、なにをしても許してくれる、しおんえつこの気持ちなんて考える必要ない、しおんえつこが私が要求することを迷惑だなんて思うはずがない、なぜなら私はとっても魅力的で愛される人間なんだから私にはなにも問題ない、私は性格・人格・人間性になにも問題がないから、私はしおんえつこに愛されるに足る人間である、他の人間にも愛されるに足る人間である、だから私を愛さない人間はおかしいのだ、そして私はしおんえつこに与え返さなくてもいい、しおんえつこにどんどん優しくしてもらって私は喜んでいればいい、という、『ペニスの快感だけは一貯前に求める半ズボンやミニスカートをはいた心が幼稚園児』な人
(男はこれに加えて私に対して性欲を持ちセ●●●の対象にしてくる人もいる)

2つめの特徴の心理は、

☆しおんえつこのことを無自覚・無認識で奴隷だと思い、奴隷よりひどい扱いをし、自分の支配欲を出して自分の支配下にしおんえつこを置いてしおんえつこに言うことを聞かせて自己満足を得ようとし、それを
「しおんえつこ、俺は(私は)あなたの為を想って言っているんだ、あなたの為に良かれと思っていることを俺(私)は言っていて俺(私)はお前にとって良いことをしているんだ、俺(私)は正しくて間違ったことは言っていないから俺(私)が正しいんだ、しおんえつこ、お前は俺(私)に大人しく従順に従って、「はいはい」と言うことを聞いて俺(私)のしてあげたことで喜んでそれを幸せだと思い俺(私)を満足させて俺(私)を幸せにするんだ、しおんえつこ、お前の気持ちなんてどうでもいい、お前の迷惑なんて考えない、お前は俺(私)のすることを迷惑だと思うこと自体が間違いだ、俺(私)のお前への気持ちが俺(私)は大事だしそれはお前の為なんだ、お前を喜ばそうとしているんだ、だからお前はありがたく受け取り俺(私)に感謝しお礼を言い、素晴らしかった、と言って俺(私)を素晴らしいことをした人だと認めろ」
という『愛も思いやりも親切というものもどういうことわかっていない勘違いな俺様野郎』な人
(男はこれに加えて性欲をもって私をセ●●●の対象にしてくる人がいる。そうそう、私が5歳の時に隣の家の7歳の女の子が私に対してえっちなことを強制してきましたので私を性欲の対象にするのは男とか女とか関係ないのかもしれません。そういや家族でスーパー銭湯に行った時、私と妹をじっと見つめ続けて、外の露天風呂に移動したらすぐに追いかけて来たご婦人が居て、私が義妹に「あの人、私たちのことじっと見てるね。着けてきてるし、なんか変だね。」と言ったら妹も「私も気づいてた。なんか変だと思う」と言っていましたので、レズの方とかバイの方とかの女性に私は性欲の対象にされてしまう場合もあるのかもしれません)

そして最近気づいた3つ目は、

☆自分が取るに足りない心貧しき小さき弱き者であることや、神さまがいなければ何一つ自分でできることなんてないんだということに気づいていない、神さまがそれができる脳力・能力・心を与えてくださっているからできるだけなのに、『自分は才能ある優れた者で強き者なんだ』と思っていて、神さまのおかげでできるだけなのに『自分の力で全部やっているんだ』と勘違いしていることにも気づかず、しおんえつこやそれ以外の自分以外の他者がどんな人か中身もさほど知っているわけではないのに、どんな人なのか知らない会ったばかりの人で会話もしたことがなくて相手の中身をまるで知らない状態・関係であるのに、相手は自分より下の人間で自分が見下して良い人間だ、こいつは奴隷だ、奴隷よりひどい扱いをしてもかまわない人間のクズで自分の方が上だ、自分のほうが優れた素晴らしい人間だ、と勘違いして自分が相手の上に立とうとし相手の上に立っていると思い相手に向かっていき、相手を支配し自分が自己満足を得て幸せを得ようという人
(私はこういう人に性欲を持たれてセ●●●の対象にはされたことはないのではないかなと思ってはいますが、あなた自身もしくはあなたに接してきた人がこういう人であなたに性欲を持ちセ●●●の対象にしてパートナーにして自分の奴隷にしようと近づいて来た人がいるかもしれない)

さらにこれに補足的に加えてもいい特徴の心理の4つ目が、

☆しおんえつこが自分に従順な人(つまり奴隷ということ)で優しい娘みたいな人だ、優しい妹みたいな人だ、優しいお姉さんみたいな人だ、優しいお母さんみたいな人だ、だから「俺(私)はしおんえつこが大好きだ」と勘違いしていて、しおんえつこを奴隷よりひどい扱いをしてもまるでそれに気づくことがなくしおんえつこは優しいからどんな要求をしてもいいんだと勘違いして、しおんえつこをどうも自分と同じ人間だとは思っていないのではないかなとしか思えないという人


これら4つをB型作業所の臨床心理士と思われる心理カウンセラーの所長さんにお伝えしたら、

「これらは一言でまとめると『相手の人格を尊重しない人』ですね」

と教えていただきました。

でもこの「相手の人格を尊重しない人たちでした」とだけ書いても、じゃあどんな相手の人格を尊重しない人たちなのかが具体的にわからないので、過激な発言だそうですが、
(実はキツイ言い方をしているとは思っていますが過激だとは私は思っていないです、私は元オタクで色んな漫画を読んでいるのでこれくらいの発言は過激だと思わないです、特にCLAMPさんに超ぞっこんなファンだったからです)

これら4つの特徴的心理に当てはまらない、精神的に大人な賢い人は、私の人生四十うん年の人生の中で、6人だけだったと思います。
それくらい約半世紀の人生の中でまともな人間に出会えなかったくらいなのです。

これら4つの心理的特徴の人に「優しさ、親切、思いやり、黙認、ゆるす、認める」を持って接しても、良い人間関係なんて築けるはずがありません。
これらの人は人間関係を築くことができない心の持ち主なのに、それに気づけないでいて、付き合ってもらえて当然だと目を付けた相手に近づき相手をぐちゃぐちゃに乱して自分はそういうことをしているのに相手からメリットを得られているからと自己満足して相手を好きなんだと勘違いして関係を続けようとして、相手をボロボロにしていき、相手から決して愛されることも好かれることもないことに気づかないまま、相手がボロボロになって悲鳴を上げてあなたから逃げようとし始めたら、それでも死ぬまでボロボロにしてやろうと別れさせまいと支配して自分と付き合い続けさせてボロボロにして茹でカエル症候群にして慢性疲労症候群にさせていくか、「あなたもういらないわ」と捨てて去って行くかのとんでもない人たちだろうなと過去に出会った人たちのご性格・ご人格・人間性を見て思います。

しかし私は長いこと、善人思考、お人好し思考で、相手に優しくして喜ばせてあげたい、相手に接する時は聖母マリアさまのように優しく、それが人間関係だ、と思っていたことから、相手の要求を認めてやって差し上げたりしていたことで、人間関係がおかしいのだと気づかなくて、
2005年からエネルギーヒーリングに取り組んでやっと去年の2017年2月~7月におかしいということにしっかりと気づき、自分を守るために自分の持てる知識や体験や心の気づきからの自己主張、嫌だと思っていることの自己主張をなんとかがんばってしてみたりしたけど相手は私の言うことにまるで耳を貸さず、私の気持ちまるで無視で自分勝手な意見で私に自分を受け入れろと要求してきて侵食してきたので、

私という個の人間が人生で学んできて持ち得てきたものというのが相手にまるで通用せず、自分が力無き弱きものであることに気づき、(それを新約聖書の『山上の説教』では『心貧しき者』と言います)、

「私という個人は相手が舐めてかかってきて相手に通用しないので、さすがに、イエスさまはこうおっしゃっている、聖書ではこう言っている、聖書で神さまはこうおっしゃっている、お釈迦さまはこうおっしゃっている、と言えば、さすがに相手は耳を傾けてくれるのではないか?」

と思い、聖書のことは2015年の11月から教会の聖書勉強会に通って学び始めていましたが、2017年9月か10月に、私のブログを見た私を回心させたいと思われたある方が私にメールを出してきてくださったことがきっかけで、改めて2年か3年ぶりにユーチューブのクリスチャンチャンネルの『リーハイバレージャパニーズミニストリーズ』の動画を色々見させていただいて、
悪魔・悪霊(堕天使)に関することを教えてくださっている動画をいくつも見て堕天使のことを知ることが少しでき、

元悪魔崇拝者の高祭司で今は回心して牧師をして堕天使と戦う活動をしておられるジョン・ラミレスさんのキンドル書籍を2冊読み、さらに少し詳しく悪魔・悪霊(堕天使)の人間に対しての活躍のことを知り、

「私の人間関係が赤ちゃんの頃からおかしかったのは、悪魔・悪霊(堕天使)が私を攻撃して破壊したくて私と接する人たちに憑依して心を支配し始めるのではないか?」

と思い、また、2017年7月頃だったと思いますが、3日に1度しか押し入れに布団を上げず敷きっぱなしにしてその上で1日過ごしている敷布団の裏やトイレマットの裏に、長さ10cmくらいの抜けた黒髪がたくさん付着していくという、黒魔術なのか呪術なのかなという変な現象が起きていることに気づき、

もちろんそれらは私の頭から抜けた髪の毛が付着しているだけなのではないかと思って、掃除機をかけ、畳や床を拭き、敷布団やトイレマットを敷く前に畳や床に髪の毛が1本も落ちていないようにガムテープペタペタをしたりもしてチェックし、お洗濯した敷布団シーツをかけた敷布団やお洗濯したトイレマットの裏にも抜けた黒髪がついていないかガムテープペタペタでチェックして、抜けた黒髪が着くはずないという条件を整えて敷いても、抜けた黒髪が付着しているというのに気づき、

思い起こせばこの抜けた黒髪現象でおかしいなと気づいたのは、前のマンションに住んでいた2000年の時に、お手洗いに入るたびに小用を済ませた便器の斜めになっている所に10cmくらいの抜けた黒髪が1本落ちている現象に気づいて「あれ?毎回、それも毎日なんて変だな?」と思った時にはもう抜けた黒髪現象は始まっていたのではないかと気づき、

熱田神宮に週一回参拝して抜けた黒髪現象のことから助けてくださいと何度もお願いしても抜けた黒髪現象はなくならず、この記事を書いている今現在(2018年3月1日)でもまだあり、

また、2000年1月だったと思いますが、呪いの『かまいたち現象』も経験しています。

エクソシストを検索してイエスさまが悪魔に完全に打ち勝った悪魔を従わせられる悪魔祓いができる御方なのだと知り、真のクリスチャンはイエスさまの御名をもって命じることでエクソシストができると知り、これはイエスさまに助けを求められるようにならないと私は助からない、クリスチャンになればイエスさまの御名をもって命じての悪魔祓いができるんだと知り、

そしてフラワーエッセンスを摂り続け、奇跡のヒーラーのブルーノ・グルーニングさんの交友会に入門していた時はブルーノ・グルーニングさんにお願いしてハイルシュトローム(善のエネルギー。神のエネルギーそのもの)を1日中流していただいて『聖霊療法』に取り組み続けたけど、それを休んで大天使ヒーリングに切り替えて過去の人間関係を振り返り心理を調べ続け、心理分析をし続けて苦しみの中に堕ちたことで、

「フラワーエッセンスをあれだけ摂り続けて、ブルーノ・グルーニングさんに3年間毎日毎日、四六時中、ハイルシュトロームを流しっぱなしにしてもらい続けたけど、体は少し活動するとすぐにぐったりして寝転がって何時間もハイルシュトロームを流してもらってを繰り返し続けて元気にならなかったし、結局ハイルシュトロームを受け取るのをやめて大天使ヒーリングに切り替えてハイルシュトロームでの聖霊療法を止めてしまうと私は元の自分に戻ってしまって、心が救われていないじゃないか。」

ということに気づき、今通っている教会の牧師さまの聖書のお話で、新約聖書の『イエスとサマリアの女』の箇所を教えていただき、ブルーノ・グルーニングさんのハイルシュトロームとフラワーエッセンスはイエスさまのおっしゃる『乾く水』で、イエスさまがくださる『乾くことのない命の水』ではないのだと気づき、

赤ちゃんの頃から人間関係がどうもおかしかった、最近の出会いでも良識や常識のある優しそうな人だなと思った人や、経営者で社員を指導している立場の良識や常識をわきまえているはずの優れた経営者の方ですら、こんなことを言うのかと思うようなおかしなことを口走り、どうも私に接した人は悪魔・悪霊(堕天使)が憑依してその人の心を支配しているのではないか?と思って、

「これらの人と接さなければならないとしたら、私はもう隠遁して誰ともなるべく関わらないようにしないと人生生きていけないということだ。
けれど人は私の顔を見たりちょっと私の発言を聞いただけで私に目をつけてつながろうと近づいてくる。
私はこれらの人にちゃんと変なことをされないように対応できるようにならないとならない。
これは神さまとイエスさまのお助けが必要で、それには神さまとイエスさまを信仰するということだ、私が聖書をきちんと学び、私が本当のクリスチャンになるには、本格的に聖書を教えていただかないと本当のクリスチャンにはなれない。
最初に行った教会では既婚男性のクリスチャンに初めてちょっと社交的に会話しただけで肉食の話をこちらからしたら、小走りに駆け寄って来て体を密着されて、あの人はエセクリスチャンだったじゃないか、その苦情を牧師に言ったら牧師は体を密着してくるという失礼なことをしてきた既婚男性クリスチャンの肩を持って私のことをまるで思いやらず気遣わなかったエセ牧師じゃないか、
ちゃんとしたクリスチャンの方に聖書を教えてもらいたい。」

と思っていた所、私のブログを見て私を回心させたかったある人がリーハイバレージャパニーズミニストリーズにメールを出すことをおっしゃってくださり、勇気を出してリーハイバレージャパニーズミニストリーズにメールを出して聖書を学びたい事情を長文のメールで説明し、
リーハイバレージャパニーズミニストリーズの方が札幌キリスト召団のニューヨーク在住のご年配の日本人ご夫妻に私を紹介してくださり、このクリスチャンご夫妻が聖書を教えてくださることを引き受けてくださり、スカイプ通話ソフトで毎回2時間30分もマンツーマンで聖書を教えてくださり、少しずつ聖書を学ばせていただいて、

神さまとイエスさまへの本物の強い信仰をしていく道に進むことは間違いないのだ、
私の心を、そして私の目の前の人の心を救うことが本当にできるのは神さまとイエスさまなのだ、
私が抜けた黒髪現象が起きなくなったりする為にや、私に向かってくる悪魔・悪霊(堕天使)を追い払ったり、
堕天使に憑依されて心を支配されている前述の4つの心理的特徴を持っている人たちの悪霊払いをしながら隣人愛(相手を立ち上げる)の対応をし、聖書の話をして福音を伝え神さまとイエスさまに立ち帰るようになることが私(たち)が生きる本来の道で、
それが神さまの御心(みこころ)・聖意(みこころ)に適うことなんだと、神さまは御自分とイエスさまにみんなが戻って来て欲しいのだと思っていらっしゃるのだということが、

2017年10月からクリスチャンご夫妻から聖書をマンツーマンで毎回2時間30分も時間をかけて無料ボランティアで教えてくださっていることで学びを進めていて、これを書いている今現在(2018年3月1日)までに学ばせていただいてきたことから、わかってきたのです。

それで今は、まだちょっとした我欲の我利の欲求、つまり、
「可愛い猫ちゃん動画観たいな」
「クラシック音楽コンサートの動画やヒーリングミュージックの動画を視聴したいな、バレエや社交ダンスの動画も美しいから観たいな」
「自分が欲しいと思うデザインのニット作品をお金があれば習いに行って編みたいな、着たいな、使いたいな」
「TABI CAFEさんで美味しいご飯食べたいな、プチャリさんも再開したら食べに行きたいな」
「安くて美味しいもの食べたいな」
「太陽の光の中でお布団でゴロゴロして音楽聞いてゴロゴロゴロゴロしたいな」
「読みたいなと思った本を読んだりイエスさまの映画のDVDや観たいなと思ったDVDがあれば観たりしたいな」
「フィギュアスケートの試合やショーの番組や動画は観たいな」
「『聖☆おにいさん』のコミックスは読みたいな」

という、思いつく我利の我欲はとりあえずこれだけだったのですが、我利の我欲を得たいと思っている心はまだどうしても普通に日本人として生きてきたのでありますが、神さまの為に働けるようになるために、聖書のお話を伝えられるようになりたいな、クリスチャンになるのにクリスチャンの看板を掲げただけのエセクリスチャンになって生きても人生の命を生きた意味なんてない、クリスチャンになるなら本物のクリスチャンにならなければこの命を最後まで生きた意味がない、

と思うようになってきて、聖書を学ぶことが楽しくてたまらなくて、とにかくたくさん早く学びたい気持ちがあって、

今では、朝4時や5時や5時30分には起きて、
(神さまの御働きではないかと思いますがまとまった睡眠が取れなくなったことで、体が睡眠を欲している時は起きられない時がありますがそれは肉体を酷使しているからだろうと思いますので肉体がどうしても眠い時は無理をしないで寝させていただくようにしていますが)、
起きてすぐに顔を洗って鼻うがいをして目を洗う目の行法をして、白湯を湧かしている間に敷布団と羽根布団を押し入れにしまって掛け布団をパソコン前の机の前に座布団として折りたたんで敷いておき、白湯が沸いたら白湯を1杯か2杯飲んで喉をうるおして、すぐに讃美歌を1曲歌って神さまへの賛美をしてから、神さまへの自分の言葉での感謝などのお祈りをまずしてから、

『祈りの手帖』と『聖人たちの祈り』の冊子に書かれている祈り言葉をすべて祈り、クリスチャンご夫妻から教えていただいた病気治癒を神さまとイエスさまにお願いする『いやしの祈り』をして、1時間30分くらいかけてお祈りしてから、

2時間、聖書を音読の朗読をしてから休憩を取って、その後、聖書で教えていただいたノートを読み返したり、聖書を読んだり、聖書の学びをしたものでまだブログ記事を書いていないものがあればブログ記事を書いて掲載したり、休憩時間に音楽を聴いて寝転がったり、神さまの御力の御働きらしいのですが、まとまった睡眠を取ることがなくなり1~2時間の深夜仮眠を取るだけに変化してしまったので、午前中や午後に仮眠を取ったり、ちょっと休憩の娯楽で動画を観たりして、1日を過ごすようになり、今は聖書の勉強漬けの毎日です。

聖書をしっかり学び、神さまとイエスさまをしっかりと信仰できるようにならなければ、私は救われない、黒魔術や呪術や堕天使から自分を護れない、私に目をつけて近づいてくる4つの特徴の心理を持つ人の『世の人』と隣人愛(相手を立ち上げることを言う)で関われない。

だから私は神ヤハウェさまとイエスさまへの本物の信仰をするための道に向かったのです。
人間ごときの知識や体験からのものや心の力やヒーリングなどでは自分もその人も本当には救われないということが、体験から、聖書の学びから、少しずつわかってきたのです。

神社は現世利益は叶えてくれたことは何度もあります、しかし私の心を救ってはくれなかったし、私に近づいてくる人の心も身近な人の心も救いはしなかった。
三種の神器のクサナギノツルギをご神体としている熱田神宮は7歳の頃から大好きな身近な神社です、素敵な神社なのでクリスチャンになるための信仰への道を歩んでいる私はもう行けないんだと思うと今はしょんぼりするし悲しくて涙は出ます、でも神さまとイエスさまへの強い信仰ができた時、熱田神宮への想いは今とは変わるかもしれません。

仏教は桑田二郎さん(月光仮面の漫画を描いた人)の『観音経』の解説本と里中満智子さんの『ブッダをめぐる人々』の漫画を読みましたが、これはクリスチャン的に言えば『悪魔の砦に居る人たちの心、心理、正体』について書いてあるんだなという感じのことだけちろっと知り、悟りを得た状態は私ではさっぱりわかりませんが、お寺や近所のお地蔵さまへの感謝祈願も少ししました、でも心が救われるものでもなさそうだし、なにより神の教えではない、悟りを得た人がなる仏さまというのはもともと人間で被造物で、初めから神さまであるイエスさまのように神さまではなく聖者ではあってもやっぱり神さまにはなれない被造物でしょう、お釈迦さまの御名をもって命じて堕天使から護ってもらえるものかもわからないし、神さまへの帰依が大事なので仏教は聖書をしっかり学んでイエスさまという岩の土台の上に家をしっかり建ててから、知識としてお釈迦さまは何を言っているのかを学ぶのは別にいいそうですが、仏教信仰は違うのだと思いました。

私のような力無き小さき弱き貧しき者にはもう神ヤハウェさまとイエスさましか頼れる方がいないのです。
肉体を持つ他者は今この瞬間、死んでこの世を去って私の前からいずれ去って行く存在ですから、ずっとそばに居続けて護ってくださるのはヤハウェさまとイエスさまで、ヤハウェさまとイエスさまが派遣してくださった方たちに力になってもらうことはしていますが、
私がただ1人でいて私のそばに私を助ける肉体を持つ人がいなくても、常にいつでも私を内に内包しておられることで私のそばにいつでもいてくださり私を護ってくださるのは神ヤハウェさまとイエスさまと(マリアさまも?)と聖霊さまだけなのです。

こういう理由でして、私はいずれはどこかの、できればリーハイバレージャパニーズミニストリーズが名古屋支部があればそこだと思ったりしたのですが、札幌キリスト召団なのかもしれないけれど、どこかの教会かキリスト教団体に所属するクリスチャンになり水に没する洗礼を受けられる未来が来る可能性があるかもしれない、

私はこれらの理由で神ヤハウェさまとイエスさまへの真の信仰ができる本物のクリスチャンになるための道を進み始めた、というわけでございます。

今はまだ信仰への道のスタートラインにも立てていないと、クリスチャンご夫妻の旦那さまのAさんに何度も言われている段階ですが、

「えつこさんが信仰への道を進み始めているのが私たちにはわかるんです」

ともおっしゃっていただけるようになりました。

今、私は神さまへの信仰をしていく道に進んでいくきっかけは、
「これこれから助けてもらいたい」
「聖書の話ができたら私に向かって来る相手に変なことされなくなるのではないか」
なので現世利益を求めるしかないところから始まっています。
もちろん、それらはほんとに困っていてもう神さまとイエスさまじゃなければ助からないのは現実です。

ですがクリスチャンご夫妻が話してくださること、札幌キリスト召団の名古屋の生きた教会のCさんから少し教えていただけたこと、そして新約聖書の音読をしてイエスさまが『第一の掟』と『第二の掟』をおっしゃっている御言葉から、

「神さまへの本物の信仰とは、一番に神さまを愛し、神さまの御心に適う神さまが私にしてほしいと思っておられることをして神さまに喜んでいただくこと」
「そして神さまが私にして欲しいのは隣人を愛すること(隣人を立ち上げることをすること)」

隣人を愛するに関して私が言えるのは、人間は赤ちゃんの頃から2歳児くらいまでの母親との関係での体験から人としての心の在り方が間違った認識と概念を持ってしまい、そこに気づけず抜け出せないでいるため人間関係と人生がおかしなことになっていくのだということにも気づかせて差し上げないとと思っています。
そしてその人には赤ちゃんの頃から堕天使がその人の所に居てその人の心に侵入してきていることで本人は気づかない段階でのおかしな心の状態(価値観)になってしまうので悪霊祓いをして差し上げられることと、
なにより聖書のお話をしてさしあげて相手を立ち上げて差し上げ、相手が自分で堕天使を追い払えることができるように聖書をしっかり教えて差し上げることだとわかりました!

まだ、その神さまを一番に愛することに関して、思考、想いを持つようになってきたところだけれど、その思考と思いに伴う『感情』や『感覚』を伴う確かな実感的な『気持ち』を確信できるところまで行っていないのですが、実は性格的なものなのか『感情』を感じる感覚が私はとても鈍いところがあるようで、
『怒り』と『悲しみ』は感情的な感覚を感じられるわりには、『楽しい』とか『喜び』は感情を感覚で認識できていないというのは昔からありカフェのマスターの発言で気づいたことがあります。

(とても美味しそうな顔でパクパク食べていると言われるのですが、その時、喜びの感覚とか感情とか実感で認識・確認が自分でできていないという人間なのです。自分が自然と笑顔になっているのも自分で感覚的に認識できなかったりするんです)

なので神さまのことを『好き』で『愛してる』とかの感覚的な確信的な実感はまだ感じず、想い、思考の上で、

「神さまに喜んでいただくことは素敵なこと、とても大切な大事なことだ」

というのはあり、私は小さな頃神さまを想って、シュシュの時も、神さま、喜んでくださるかなという想いがあるから編むのを頑張れたのですが、
私は子どもの頃から他者から与えていただくことでの幸せ体験が少ないためか、相手によって自分がメリットを得て幸せを感じる喜びも体験したい思いや、

「自分のしたことで相手が喜んでくれると自分も嬉しい」

というのがちょぴっとあるということなのだと思います。

「神さまが喜んでくださることが私のよろこび」

ということなわけですが、

「神さまが喜んでくださることを隣人にすることは私が当たり前にすることで、それで隣人が喜んだら私は嬉しいなんて自分がメリットを得られるかとかは関係がない、常に感情的にならず冷静に理性的であるよう。
相手が喜ぶことによって自分が幸福“感”というまやかしの幸福を得るかどうかではない、心が幸福とは神さまを常に想い苦しみや否定的な感情を感じず常に心が穏やかでさわやかで晴れやかであることだ(これに生き生きとしていることもあると思いますが)」

クリスチャンご夫妻は聖霊に満たされているので私はまだそれではないから、まだこの想いや一時的状態の段階です。

隣人が喜ぶことの「コト」「モノ」での現世利益を与え続けるとその人がわがままになって堕落してくのも知っているので、やっぱり聖書のお話が愛からできるようにならないと相手にとっての真実に大切なことを与えて差し上げられない、
今はまだ私はブログに記事を掲載することでそれを閲覧者さまに読んでいただくことができるだけですが、
聖書で教えていただいたことで私という心の冷蔵庫に入っているものをパッと取り出して相手に話して差し上げること、
相手が悩んでいたら聖書の言葉がその時言えるものが心の冷蔵庫の中になかったり、パッと思い出せず冷蔵庫から取り出せなかったら、自分が人生で体験して知っていることが少しその人の参考になるかもしれないのでそれを言って差し上げたりだ、と思っています。

本当の神さまへの本物の信仰は、神さまを一番に愛し、神さまの御心に適うことを隣人にしてさしあげて隣人を愛すること、聖書の話をして隣人を立ち上がらせること、それができるように聖書を勉強し続けます。

そういうわけで、私が『聖書の学び』の記事を掲載してみなさんに聖書に触れていただきたい、神ヤハウェさまとイエスさまを信仰する神さまに戻る道へ進んでほしいと思っている旨を記事に書き記すことについては、どうぞ温かい目で見てやっていただければと思います。


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2021年春の信仰に寄せた桜の短歌

2021年04月06日 | 信仰に寄せた短歌
─2021年春の信仰に寄せた桜の短歌─


見に行けぬうちに葉桜風に揺れ神への信仰われ芽吹けるか


信仰をしようとしてるができてない桜の花の蕾は固し


信仰の学びと仕事で疲れすぎ満開の桜見損ねる我


神さまが桜の花を震わせて恋しく思う我に応えて


薄曇り淋しく見える桜の樹神なき人の物悲しさか


「美しい御心です」と神さまに話しかけてる桜見上げて