「来年」を失わないために。

……来年があるってことは、ものすごく幸せなことやねんで。

それは継承の証でなく、破壊者の。~決意表明をひとつ~

2007年02月24日 | ノーモア2004年
さて、「バファローズ」という人質が解放される日というエントリを3日前に上げました。
(メインブログでも同じエントリを上げています)


このことをゆっくり考えるにつけ、あるいは2004年のあの恐ろしく長く暑い夏のことや、最期を迎えた秋の日のことや、オリバのユニフォームが発表された時の戸惑いや、岩隈が所属すべきチームを巡ってのあれこれや、……昨年の私を少々悩ませていたことなどを色々思い出していました。

先に、告白することがあるのでそれを暫く書いていきます。



「オリックス・バファローズ」は誰がなんと言っても、それとして認知され始めていました。
正直なところ、「合併球団」や「海牛」「オリ近」などの「合併という凶行の末出来上がったキメラ」であることを表現するための呼び名ですら、記号化して徐々に意味を失いはじめていると私は感じていました。

本来の意味とは違う「意味」を持たされた言葉は、使われれば使われるほど、擦り切れ、疲弊し、やがてそのインパクトを失ってゆくものなのです。

それでも、言葉しか武器がなかった。

「球団合併」がどんな苦しみをもたらしたのか。
それを忘れずにいるための武器は。


2005年の9月。
私はこのブログで、「あの9月」という連作のエントリーを書きました。
「1年を経て、あの時のことをどんな風に振り返ることが出来るか」という試みでもありました。
結果は、たった1年では全く消化などできずにいるということを再確認したにすぎませんでした。

2年目の9月。
私は当初、「あの9月・2006」とも言うべき連作を書くべきか迷い、書かねばならないと思っていました。

ここに、とても判りやすいサンプルがあります。
2005年9月8日のエントリ
2006年9月8日のエントリ

9月8日という日付は2004年において本当の最期へのカウントダウン開始を意味しています。
1年を過ごしたその日のエントリは、同じようにそれを忘れまいと上げられたエントリの数々がトラックバックされていました。
それから1年が過ぎた昨年の9月8日の記事には───
トラックバックもコメントもひとつもつきませんでした。

いや、私も積極的にそういう記事を検索してこちらからTBを送るという作業もしなかったのですが、その時私はふと、

「もしかして『合併』はすでに風化しているのではないか」

という気持ちに囚われてしまったのです。
そういった記事を上げたり、記事中で触れておられるブログもけっこうあったのだと気付いたのは少し後になってからでした。

───もしかして、私ってただのイタイ人になってる?

どこも良くなったとは思えないNPB。
そんな中でも、私自身ですらイーグルスを応援していることで「平和な日々」を取り戻したような錯覚に陥りがちで。
そんな中で「9月」だからとことさら特集を組んで「あの時あんな痛い思いをしたんだ」と訴えるのは、

せっかくいい気分で野球を楽しんでいる人の楽しみに水を差しているだけなんじゃないのか?

いつかは大波が来ていとも簡単に崩れてしまうだろう砂の城の舞踏会。
そこで今だけだとわかっていても楽しむだけ楽しんでいればいいんだろうか?
そのほうが、幸せなんだろうか?

本当はそれじゃいけないと判っていたのに、指がぱたりと止まってしまいました。
用意していた2006年9月の記事の素材もすべて捨ててしまいました。
いけないと思っている欠片は、メインブログの鷲の試合結果を書く日々の記事の片隅に少しずつちりばめるのが精一杯だったのです。

あの時私は、確かに「何か」に失望していました。
もしかしたら、「9月だから何か書かなきゃ」というプレッシャーをどこかで感じていて、この日の無反応というだけのきっかけでポキンと折れてしまったのかもしれません。
発信し続けることに疲れていたのかもしれません。

そして、
いつかオリックスという球団が「バファローズ」や「猛牛」などと称されることに私ですら慣れていってしまうのかしら───という絶望に似た気持ちに襲われていました。

この『「来年」を失わないために』を続けることも出来ないのではないかと思うくらいに。

いっそ、もうBuのことは本当にしまいこんでしまって、いつ崩れるか知れない砂の城の舞踏会に参加して、崩れる時は一緒に大波にのまれればいいかと思ったこともあります。
崩れるなら崩れてしまえ、それまでは楽しいことだけ見てミーハーにきゃあきゃあ騒いでいれば、確かにその時だけは楽しいんだからと。
でも、そうしたらこんど崩れる時には私はもう戦わないし泣かないのかもしれない、と。
2004年に、悔しいとも哀しいとも思わなかった人たちと同じように。






そこへ、今回の「バファローズ」のニックネームを変更するかも?というニュース。
まだ決定したわけでもないのに、多くの方がこれについて取り上げられました。

これが今オフに本決まりとなったなら、その時にはまた話題を集めるでしょう。
そしてその時また、多くの人が「あの合併の悲劇を忘れてはいけない」と声を上げるのでしょう。



ああ、そうだ。
痛みをうけた者こそが、悲鳴をあげつづける義務があるんだよね。

大袈裟ですが、天啓のような気がしました。
本当に立ち直れずに野球そのものに背を向けてしまったり、難民を続けている人たちも多く、それに比べれば(Buの身代わり役を託すのではなく)イーグルスファンになることが出来た私は幸せです。だからその幸せだけを見ていくことだって出来る。でも、あの時味わった悔しさをダイレクトに伝えられるのは本当に愛するチームを引き裂かれたという経験をした者だけ。

なら、誰が反応してくれなくてもいいじゃない?
数が少なくても確実に読んでくれている人がいる。
ひとりでもふたりでも。
誰かの胸にチクリと刺さればそれでいいじゃないか。





オリックスがバファローズの名前を「返上」するなら望むところです。
本当に、その名を見たり聞いたりするたびに、愛しい猛牛の屍骸から皮を剥いで、剥製にするでもなく振り回して見せびらかされているような気分でした。
それが企業の営業戦略として当時は最善策だったとしてもそんな事情などくんでやるものか。

でも、「バファローズ」の名前を捨ててしまえば───
「合併」のモニュメントのようだったあの猛牛の皮が捨てられてしまえば───

今度こそ、「合併」の風化は進むのではないだろうか?
ジレンマがまたやってきます。
「合併」の事実を常につきつけられて忘れなくする為に、私たちはずっと「バファローズ」と耳にする度に不快な思いをさせられ続けなければならないのでしょうか。毎日、毎日、毎日。おそらく多くの人が普段はそこまで意識することなく「バファローズ」とあの球団を称するようになっていく中で。

面白いことに、「バファローズ」の名前を返上するにあたって、現在の略称「Bs」を軸に新名称を公募するとかいう話らしいです。
それには、ユニフォームや帽子のマークや色んな部分につけた「Bs」のデザインを変更することなく移行するため、であったり、
「ブレーブス・ブルーウェーブ・バファローズの3球団の歴史を引き継ぐもの」
というスタンスを今後も取っていきたい(=それぞれのファンを取り込んでおくよすがにしておきたい)という意図もあるのではないかと思います。

けれど、たとえニックネームが変わったとしても。
「Bs」のマークが残っていれば───

今度は「ブレーブス・ブルーウェーブ・バファローズを破壊し葬り去った者」という印になりはしないでしょうか。
(選手にその印を負わせることをよしとしているわけではありませんが)

否、仮に「Bs」も消えてしまったとしても、言い続ければいい。
もうイタイ人とか思われることなんて恐れない。
「バファローズ」の看板を下ろすことが「合併球団イメージの払拭」を目的として行われるのなら、その目論見通りにさせてなどやらない。

私たちのバファローズがいない3度目のシーズンが始まろうとしています。
年月が経ったなら経ったなりのものの言い方があるはず。
今年はそれをちょっと探していきたいと思います。



オープン戦の開幕を数時間後に控えて。

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2 コメント

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Unknown (ゆずぽん)
2007-02-24 17:55:18
昨年のWBCのとき、
掲示板である書き込みを見つけました。
「WBCの最後のマウンドに立っていたのは
 近鉄のピッチャーだった」
めちゃめちゃ感動しました。
パリーグの歴史において
バファローズは全然風化してないんですよね。
だからこそ合併と言う事実を
忘れちゃいけないんだけど忘れてしまいたい
というか・・・私の言葉では足りませんが
想い出は美しいままに・・・
みたいな作用が働くのかと思います。

ホークスもダイエーの頃に一体何があったのか
知らないファンもいます。
もちろんわたしだってまだまだファン暦は
浅いほうだから言えたもんじゃないけど
でも、小久保のこと、藤井さんのこと、
忘れちゃいけないと松中さんや皆が言ってるんです。
それを聞いてもっと選手から2004年を忘れるな・・・
みたいな声が聞けたらな・・・なんてこのブログを
読んで思ったりします。

もちろん私たちが叫ぶ事だって大切です。
近鉄の帽子に誓って
叫び続けてください。

長々とすみませんでした。
イーグルスを応援し続けること (やいこ)
2007-02-24 21:17:53
お久しぶりです。

「悲鳴をあげ続けなければならない」ということに、そこまで自分を追い込まなくてもいいのでは…と感じました。

近鉄ファンが“自分たちの涙”と引き換えに生まれた「イーグルス」を応援しているということ。
そこに充分意義があるのだと思っています。
東北・仙台のファンだって、誰の痛みも苦労もなしに今の幸せがあるわけじゃないってわかってると信じています。