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于建:社会安定のベースラインを守るために(4)

2010-03-25 11:57:10 | 中国異論派選訳
 では、2009年6月17日湖北省石首で発生した問題はどうでしょうか? しっかりと武装した武装警察隊が、街頭で民衆に殴られてヘルメットや盾を打ち捨てて逃げ出したのは、一体どうしたことでしょう? それと私がこれまで話してきた権利擁護活動は同じなのでしょうか? 違います。私はこれを「社会的鬱憤晴らし事件」と呼んでいます。この命名で私はトラブルに巻き込まれ、「査問」されました。2007年10月30日、私が米国のバークリー大学で講演したとき、私は中国で今新しい集団示威事件が発生している、それは権利擁護活動とは異なる、社会的鬱憤晴らし事件であると最初に話しました。その第一の特徴は参加者に利益要求が無く、おもに民衆が社会に対し心中の恨みを発散することです。彼らは何に不満なのでしょう? 公権力と金持ちに不満なのです。第二の特徴は組織動員が無く、盛り上がるのも沈静化するのも速いということです。

 11月8日に私が北京に帰ると面倒なことになっていました。携帯のスイッチを入れたら、うちの研究所の共産党委員会書記からメールが来ていて、すぐに連絡をよこせとありました。私はすぐに電話し、「帰りましたが何か御用ですか?」と聞きました。彼「帰ったか」。私「今飛行機を降りたばかりで、まだ通関していません」。彼「すぐに職場に来い」。私「何の用ですか?」。彼「大変なことだ」。私「明日じゃだめですか?」。彼「今日じゃなきゃだめだ。すぐに来い」。うちの職場は監禁しませんから、行かなければ誰にも管理されません。普段私は1年に何回も行きません。彼らはよく冗談で私が社会科学院に訪ねてきたと言います。ですが、彼にそう言われたら仕方ありません。非常に深刻だと感じました。私は研究所から給料をもらっているのですから、仕方なく荷物を受け取ったら直行しました。職場について書記に「何事ですか?」と聞きました。うちの書記は一枚の紙を私に差し出しました。それは中央に密告することを専門とするある機関が中央指導者にあて提出したレポートでした。表題は「社会科学院于建教授の米国での発言」。書き出しは于建が中国で鬱憤晴らし事件が起こっており、おもに公権力と金持ちに対する不満から来ているという内容の三百字ほどのレポートです。地方から中央に異動してきたばかりの指導者が、空欄に指示を書き込んでいました。上手く婉曲に書いています。「社会科学院に于建同志とよく話をさせなさい。有名な学者だから影響に注意するように」。これが面倒の原因です。

 このレポートが私の職場に送られて、大変なことになりました。職場のトップは不在でしたし、社会科学院の書記はすごく怒って、指導者の指示の脇に自分の指示を書きました。「農村発展研究所はよく于建と話し合うように」。我が国は社会主義国家だから、人民は政府を擁護しているのに、晴らすべき鬱憤なんかあるはずないだろう?! 人民に鬱憤がないのになんで鬱憤晴らし事件なんて起きるんだ、うそ八百じゃないか? うちの指導者は私に「でたらめを言わないように。君があちこちででたらめを言ってきたから厄介なことになってるじゃないか」と言いました。私「何が厄介なんですか」。彼「これでもまだ厄介じゃないと言うのか? 中央指導者が我々に君と話し合いをしろと指示しているのだから、必ず話し合わなければならないし、全ての談話記録を中央に送らなければならない。これは決まりだ。君が話さなかったらどうなると思う?」。私「あなたは私の講演原稿を見たことありますか?」。彼「見てない、君はあちこちで講演をしているが、一度も原稿を見せたことがないじゃないか」。私「私の講演テープを聞いたことはありますか?」。彼「聞いたこと無いね。米国で話したのに何で聞けるんだい」。私「それなら話しません」。彼「なぜだ?」。私「あなた方の開祖毛沢東は、調査なくして発言権なしと言っています。私は米国で3時間話したのに、なんで三百字であなたと話し合わなければならないんですか。調査しなければ、話し合いません」。私は部屋にあったソファーに横になって寝ました。私「時差を調整します」。うちの書記は静かに話していたのに、私が拒否したので、彼は困りました。結局研究所の共産党委員会会議を開いて、書記が私に会議の決定を伝えに来ました。彼「党委員会で議論した。君が今話さないと言うのも一理ある。我々社会科学研究に従事する以上道理をわきまえなければならない。今日は帰ってもいいが、いつでも呼び出しに応じられるよう、今週中は北京を離れてはならない」。私「それじゃ『査問』じゃないですか」。5日後、書記から電話が来ました。彼は私が動き回るのが好きで、どこかに問題が起きると必ず見に行きたがり、北京に閉じ込めておくと私がつらい思いをするのを知っています。私「書記もう話し合ってもいいですか?」。彼「話さなくていい」。私「何で話さなくていいんですか?」。彼「バークリー大学のサイトで君の講演の録音をダウンロードして、湖南方言の分かる人を呼んで、この録音を文字に起こしてもらった。党委員会で読んだら、君の言っていることは間違っていないと思う。君は憂国の同志だ」。今日の講演が終わって興味があったら私のバークリーでの講演を読んでみてください。『南方週末』と南方新聞グループの新聞でたくさん報道されています。

 今では、社会的鬱憤晴らし事件と言うのは普通の概念になっています。新華社や人民日報でも使っています。特に去年の「瓮安事件」と今年の「石首事件」以降、多くの人が冗談で私に「君は先見の明がある。君はいい定義、概念を発明した。たいしたもんだよ。」と言います。しかし実際は私には先見の明はありません。中国では以前からこの問題が起こっていましたが、誰も注目しなかっただけなのです。

 私が最初にこの問題に注目したのは、2004年10月18日重慶で発生した事件です。于という名の担ぎ屋が担ぐ肩を代えるときに鄭という名の女に当たりました。この女は于に向かって「この天秤棒も担げない開きめくら!」。担ぎ屋の于は町に出てきてもう何年にもなり世間を知っていたので、冗談でも言えば収まるだろうと思いました。そこで于は「なんでめくらなんだ。俺の目は前についてるが、あんたは後ろにいたんだ。後ろがめくらでも前はめくらじゃない」と言いました。これが面倒を招きました。鄭の夫が来て、于にビンタを喰らわして「お前がぶつかっておいて、謝るどころか、居直るとは何だ!」。于は荷物を置くと天秤棒を持って「何で俺を殴る? 俺があんたにぶつかってあんたが怪我をしたら、病院に連れて行くさ。あんたの服を破いたら、弁償するさ。何で俺を殴るんだ?」。口げんかになって、四方八方から人が集まってきて、「そうだ、何で人を殴るんだ? あんたら都会人のどこが偉いんだ!」と担ぎ屋に加勢しました。

 その時、この夫は一生後悔することになる一言を言いました。「俺は国家公務員だぞ。お前を殴ったからどうだと言うんだ」。大変です。野次馬がどんどん多くなり、「公務員だからなんだって言うんだ」。人垣の外側の人が中の様子が見えないので聞くと「大変だ。国家公務員が「天秤棒」(重慶で「担ぎ屋」のこと)を殴り殺した。とんでもない奴だ!」。こうしてますます多くの人が集まり、群衆が派出所を取り囲み、派出所に死体と犯人の引き渡しを要求し始めました。派出所が死人は出ていないと言っても、みんな人が死んだと言って聞きません。ついに派出所が打ち壊され、派出所は政府が管理しているんだからと、政府庁舎が打ち壊しに遭いました。

 この事件が発生すると、北京に激震が走りました。私はチームを組んで調査に行きました。当時私も一万人もの人が政府庁舎を打ち壊すなんて、昔のやくざみたいだと思いました。ですが、調査してみるとそういう背景はなく、全く偶発的な事件でした。

 事件はほんの小さなことから始まり、突然大きくなり、打ちこわしが終わると皆立ち去って、酒を飲みに帰りました。私たちは当初動員があったのではないかと調べましたが、組織されたものでないことが分かりました。正規の組織も、裏社会も、なにもない、非常に偶発的なものでした。重要なのは、彼らはきっかけとなったけんかと関係ないことです。当時逮捕者が出ましたが、私が彼らに「于という名の担ぎ屋を知っているかい?」と聞くとみんな知りません。「鄭という人は知ってる?」やはり知りません。「じゃあ何で君たちは政府庁舎の打ち壊しに行ったんだね?」。「役人が俺たちの仲間を殺しておいてまともに取り上げないから、不正を糺そうとしたんだ!」。

 続けてすぐにまた新しい事件が起きました。2005年6月26日、安徽省の池州です。ある社長の江蘇省のナンバープレートを付けた車が、交差点で一人の子供を轢きました。この子は劉亮という名です。社長の車は止まりました。運転手は非常に緊張しましたが、劉亮が立ち上がったのを見て、運転している人は分かると思いますが、最初緊張していても、立ち上がるのを見て気が大きくなりました。そしてその子を怒り始めました。「一体どこ見て歩いてるんだ、もし俺がブレーキをかけなかったら、お前は死んでいたぞ」。劉亮は高校生で、背は高いのですが泣きながら言いました「あんたが轢いたんだ、どうしてくれるんだ」。彼が車にしがみつくと、二人はもみ合いになりました。劉亮はバックミラーをひねって、多分曲げたのでしょう。車に乗っていた数人が彼を車から引き離しました。その時三輪自転車をこいだ人が二人やってきて、「あんた人を引いたのに、病院に救急で連れて行かないで、一体何をやってるんだ。何で殴ってるんだ!」と言いました。運転手はこう言ったそうです「轢いてなんかいないさ、怪我してないじゃないか」。三輪自転車の人は「病院に連れて行かずレントゲンも取らないで、なんで怪我してないと分かるんだ。いまなんともなくても、後で悪くなったらどうするんだ!」。このとき車に乗っていた人がこう言ったそうです「轢き殺してないし、たとえ轢き殺したとしても、安徽省じゃ三十万元じゃないか、ガタガタ騒ぐな」。大変です。人がどんどん集まってきて、外側の人が中の人に事情を聞きます。「えらいことだ。江蘇省の社長が車を運転していて地元の子供を轢いて、死体を蹴飛ばした。その上『安徽人が何だって言うんだ、一人死んでも三十万元じゃないか』と言ったそうだ」。この話はたちまち池州中に広がり、群衆は「安徽人が何だって、胡錦涛だって安徽人だ」と言いました。さあどうなったでしょう? 彼らの車を打ち壊し、彼らの関係するスーパーマーケットの商品を全部盗み出し、派出所に行って派出所も打ち壊しました。

 この二つの事件の調査から、私の心に一つの疑問が浮かびました。中国社会に何か変化が起きているのではないか。役人とか公務員と聞いただけで、金持だと聞いただけで、怒りがわいてくる。参加者ときっかけになった事件は全く関係なく、全く劉亮を知らないし、運転していた人も知らない。ましてスーパーを経営していた社長も知らない。彼らは金持ちが自分たちの仲間をひき殺し、自分たち貧乏人を馬鹿にしたと思っている。調査が終わってから、私はこの種の事件は権利擁護活動とは根本的に違うと思いました。新しい定義はないだろうか? いろいろ考えて怨恨、憤怒に思い当りました。そこでこういう事件を鬱憤晴らし事件と呼ぶようにしたのです。

出典:http://www.chinaelections.org/newsinfo.asp?newsid=169507

(転載自由、要出典明記)

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