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王力雄:チベットの直面する二つの帝国主義――唯色事件透視(2)

2008-01-24 22:04:02 | 中国異論派選訳
王力雄:チベットの直面する二つの帝国主義――唯色事件透視(2)

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/20fcb8d99fa707d8f346d5c06a19b11b

(唯色の手紙)
文連党グループ宛:
 『チベットノート』に対する叱責は、おもに宗教とチベットの現実に対する見方に集中しています。私が「関門を通過」するということは、私の信仰が誤りであると認め、私自身の目でチベットの現実を見るべきでないと認め、将来の著述において宗教を放棄し、チベットの現実の描写は当局の口真似をしなければならないということです。私は、この「関門」は通過できないし、通過したくもないというしかありません。私にとって、この「関門を通過する」ことは作家としての天職と良心に背くことです。今私がラサにとどまって受け入れようもない「教育」を受け続けることは、何の結果も生まないし、皆さんに余分な負担をかけるし、文連も(唯色の思想改造の)任務を果たすことができません。したがって、最良の選択は私がしばらくラサを離れて、外地で当局の最終処分を待つことだと思います。私は私の選択によって生じる一切の結果に責任を負う覚悟です。唯色 2003年9月14日

 現在までのところ、唯色はすでに以下の処罰を受けた。1、「自発的退職」の名義で仕事を奪われ、収入を失った。2、住宅を没収され、母の元に身を寄せている。3、医療保険と養老保険を中断され、すべての社会保障を失った。4、パスポート申請が不許可になった。監獄に収監されなかった以外は、奪いうるものはすべて奪われたと言えよう。自由な社会で生活している人は、また今日の中国内地で生活している人でさえ、彼女が受けた処罰がチベット人にとって何を意味しているか、明確には理解できないだろう。中国の内地社会はすでに多くの階層に分化し、当局の統制の外にもかなり広い生存空間が生まれており、多くの人が体制に依存しなくても生存し発展していける。チベット社会は近代化が完全に北京政府の財政によってまかなわれているため、階層分化のしようがない。よって、僧侶以外の文化人と知識人はほとんどすべて体制の中にいる。言い換えれば、体制の中に身をおいてはじめて文化人となれるのであり、体制の中にいなければ生存でさえも保証されない。

 過去のソ連、東欧、そして今日の中国大陸には異論派の公的知識人が存在するのに、チベットでは、チベット民族が苦難に耐え、国際的な支援も精神的指導者もいるにもかかわらず、民間の下層民衆や僧侶による世に知られることもない反抗のほかには、地元の異論派公的知識人が現れてこないことを、私は以前不思議に思った。その一つの重要な原因は、チベットの知識人には体制を離れて生存できる空間がないので、体制は知識人に対して生殺与奪の権力を持っているということである。すべての文化人を養っている体制は、すなわちすべての文化人を管理している体制である。体制から離脱することができないので反抗もできない。現在のチベットの文化抑圧はおもに体制の統制によって行われている。当局の唯色に対する処罰は一種の見せしめであった。

文化帝国主義の唯我独尊

 現代の帝国主義は軍事と政治だけではなく、また一握りの帝国権力者の行為だけでもない。文化的でもあり、帝国の民衆も参加して、政治帝国主義から文化帝国主義に拡張される。政治の帝国が政変で崩壊する可能性があり、あるいは制度の変革で終わるとしても、文化帝国主義にはこのような「激変」はない。なぜなら文化帝国主義はすべての統治民族構成員の内心に存在し、集団的潜在意識となり、容易には変えられなくなっているからだ。文化帝国主義はまず唯我独尊の傲慢さとして表れる。その傲慢は集団および個人、自覚的および非自覚的な形態においてさまざまな場所に浸透する。コンガ空港からラサに行く途中にあるチューシー(Quxu)県の町には、典型的な文化帝国主義の特徴を持つ「チベット援助プロジェクト」である「泰州広場」がある。広場の敷地面積は巨大で、無数の良い畑を飲み込んだ。それは財力をひけらかすこと以外にどんな必要性があるのか理解に苦しむものである。広場全体が漢民族風で、亭や楼閣、石橋、流水を配置しているが周囲の環境とまったくそぐわない。広場の中央には金属フレームの上に大きなステンレスの球をのせたオブジェがあり、主流イデオロギーの科学と進歩を象徴させている。飾り壁には中共指導者の画像と中共イデオロギーのスローガンが書かれている。広場の建設費は相当高かっただろうが、地元住民とはまったく関係なく、大体地元住民のために作ったものですらない。私はその広場を一度歩き回った。地面の白いセメントレンガが反射する日光で目が痛くなり、足元はなべ底のように熱かった。芝生は鉄柵で囲われ、立入禁止の立て札があった。人造河川は深いコンクリート製の通水溝で、人と水とは隔絶されている。巨大な広場には2つだけ石のベンチが遥か離れて対称をなしている。単なる形式で、人が休むためのものではなく、さえぎるものなく直射日光にさらされていた。私が行ったのは日曜日で、休みの人は多いはずなのに広場には人影はなかった。周囲の広い大通りもゴーストタウンのようにがらんとしていた。この広場は、帝国の高所に立って人を見くだす文化的傲慢と財力の誇示を体現しており、地元民族と文化はまったく眼中にない。地元の文化と関係も発生しなければ、考慮したり遠慮したりすることもない。単に地元住民の羨望と劣等感を煽るためだけの、文化帝国主義の模範であり方向指示器である。それが象徴するのは赤裸々な文化的暴力と占領である。

 チベットを統治する中国官僚には、文化的な傲慢さが随所に現れている。最もよく聞くのは彼らが地元民を怠惰、保守的、無学、能力がない、科学を知らない、商品意識と市場意識に欠けるなどと非難し、自分がいかにうまく地元民の意識や態度を改めさせ、勤勉を奨励し怠惰を罰したかなどを誇ることである。あるチベット自治区政府で農業担当をしている「チベット援助」幹部は、かつて自分で撮った写真を私に見せて、チベット農民の「怠惰」を証拠立てようとした。畑にたくさんのこぶし大の石ころがあるのに片付けないのは怠けているからだろう? しかし、夏のチベットの農耕地帯は激しい雨が降り、表土を押し流してしまう。また普段は日差しが強烈で、畑の水分が急速に蒸発する。石を畑に残しておけば、土押さえになり土壌流失を防げるし、激しい日差しでも石の下に水分を保存できる。したがってこれはチベットの伝統的土壌保全方法なのだ。しかし漢人官僚の頭の中には、チベット人が自分より賢いかもしれないなどという意識は微塵もない。現職のチベット自治区中共政法委員会書記で公安庁長の楊松はかつて次のように言った。「ダライラマは数十年チベットの様子を見ていないのに、何の資格があってチベットを語るのか? 私はチベットのすべての県を回ったから、私のほうが彼より発言権がある」。この発言が誠実かどうかはひとまずおいておこう。ダライラマが数十年チベットを見ることができないのは帝国主義の結果であるから、この発言はまず常識が欠けている。チベットをくまなく回って得られるのは情報であるが、データがすなわち「理解」であるとはいえない。真実の理解は文化による。しかし帝国官僚は地元民族の文化に対して偏見に満ちており、越えがたい溝がある。楊松の言説は彼の文化に対する無関心をはっきりと表現している。このように浅薄では最も簡単な現象についても解答できないだろう。多くの植民者は一生を植民地で過ごしたとしても植民地人民を理解できない。マンデラが監獄に27年間閉じ込められていたからといって、彼に南アフリカを指導する資格がないといえるだろうか? このような傲慢さは官僚の中にあるだけでなく、チベットに住む各種の漢人はみんな自分たちはチベット人より優れていると思っている。リンタク引きや果物売り、建設請負グループの単純労働者でさえ、チベット人について話すときは軽蔑した口調になり、彼らを愚昧で後進的であるとみなす。チベットに取材旅行に来たある女性作家は、ほとんど本業に手がつけられず、全精力を地元の経済発展の指導に注いでいると語った。彼女が老婆心からどうやって市場経済を発展させるか忠告しても地元官僚が関心を持たないことを、彼女は彼らの保守性と怠惰さに帰結させていた。しかし私から見ると、詩や散文を書く文人がチベットに行ったらなんでもできるように思うというこの思い上がりは、帝国主義的な文化的優越感と唯我独尊由来という以外に他に解釈のしようがない。私は彼女が善意であると信じるが、このような善意は私にとって慙愧に耐えない。

 1980年代に志願してチベットに入った大学卒業生に何人も友人がいるが、彼らは以前の「一生を共産党の手配に任せて」チベットに送り込まれた人々とは違い、また後の利益を求めてチベットに入った人々とも違う。後にも先にも例のない世代として、彼らは現代チベットの歴史に消えることのない業績を残した。しかし、文化帝国主義の視点から分析すると、彼らもまた同様に帝国の構成員であり文化侵略の共謀者であった。彼らは以前のような政権装置のネジではなく個人主義者ではあるが、自らをフライデーの主人であり啓蒙者であるロビンソンとみなし、チベットを彼らの文化的優越性を証明する道具や背景としか見なかった。彼らはチベットにいても終始チベット人とは隔絶し、同類の漢人の小グループの枠から出なかった。彼らの多くがチベットの農村の牧場や神聖な山や湖を歩き回ったが、やはり外来の新し物好きや、フィルムや文字でチベットを占有しようとする宝探しに過ぎなかった。「乾杯、チベット」と題された油絵があるが、それは23人の人物でこの小グループを表現している。そのうち3人がチベット語を話せず漢語によって著述する漢チベット混血作家であるほかは、残りすべてが内地からの入植者である。この絵は宗教的受難画風のスタイルによって彼らの「チベット入植」の崇高さと犠牲を誇張している。しかし絵の作者於小冬の例を見ても彼らがどのように現地の宗教と文化を扱ったかがわかる。「於小冬は教室を改造した宿舎に住んでいた。部屋はすごく大きくて、大きなタルチョ(チベット仏教の祈りの旗)でいくつかの小部屋に仕切っていた……。小冬はあの白と黒交互の大きなタルチョは神聖な河辺や山頂にだけ立てられると言った。かれは大変な手間と時間をかけて、チベット暦正月にチベット人がタルチョを立て替えるときに「ついでに」このタルチョを持って帰った」(張子陽『チベット人文地理』創刊号、86ページ)。年越しのときに神聖な山河に神の加護を祈るタルチョはチベット人の極めて大きな敬虔さと期待がこめられているのに、盗んできて装飾や部屋のしきりに使うとは、いかなる文化的理解や尊敬によるのだろうか? まったく相通じない、まったく尊敬のない気持ちでなければこんなことはできない。これは於小冬一人の行動ではなく、彼らの小グループの日常的な習慣である。もしも彼らのチベットコレクションを見る機会があれば、ほとんどみんなが山ほどの盗品を持っているだろう。私は自分自身を文化帝国主義の影響の外にあると言おうとは思わない。時として、それは個人の願望にかかわらない。イギリスに住んでいるチベット人学者ツレンシャガ(次仁夏加の音訳)の私の文章に対する批判に次のような一説がある。「中国の知識人に客観的に、事理にかなったようにチベット問題を考えるよう求めることは、一匹のアリにゾウを持ち上げさせるのと同じで、彼らの能力と視野の及ぶところではない。それが中共官僚であれ、自由主義を信奉する民主活動家であれ、あるいは異論派の作家であれ、情況はみな同じである。彼らの意識は彼らの民族的偏見の影響を受けないわけにはいかない。彼らの想像もすべての植民者が有する独りよがりという束縛を脱することはできない」(『血染めの雪国――王力雄に対する回答』、林猛訳)。私はこのあたかも過剰に憤慨しているかのような言説を理解できる。中国で最も民族問題を重視している民主派の人々であっても、やはり文化帝国主義の意識はある。その典型は「大一統」の考え方(王者による天下統一を重視する観念)である。民主主義理念を推し進めるときでさえ、彼らは自覚的あるいは無自覚に唯我独尊で、上から見くだす態度を取り、自らが少数民族の申し立てを裁くことができると自認し、民主主義の追求だけを許し、独立の追求を許さないというベースラインを引く。被圧迫民族の立場に立って考え理解しようとは思わない。

 漢人民主派はその多くが中国に民族抑圧が存在することを認めず、専制政府の抑圧に帰納する。漢民族の人民も同様に圧迫されているという理由で、少数民族に対して漢民族と一緒に中国の民主化のために闘うよう要求し、自民族だけの目標を追及すべきでないと主張する。しかし、事実は違う。一方で、専制政府の抑圧は民族ごとに大きな違いがある。たとえば漢民族の学者が『中央宣伝部を討伐せよ』という檄文を書いたり、漢民族の記者が共産主義青年団中央を批判する公開書簡を発表(「氷点」事件のこと)したりしても、彼らの体制内の地位には影響しない(職場を首にはならなかったということ)。しかし、唯色が本の中で一言ダライラマに対する敬慕の念を書き、ニマツレンの困惑を書いただけで、すべてを奪われる。これで同じ抑圧といえるだろうか? 漢民族地区の少数民族の人々には共通の感慨がある。漢人が恐れずに発表する言説がもし少数民族から発せられたら、とっくに監獄に送られているだろうということだ。もう一方で、漢族の民主活動家には、口には出さない共通認識がある。将来の民主中国では独立を望む少数民族に対して戦争を発動することも辞さず、国家の統一を守るということだ。これはすなわち専制政権による全民族に対する共通の抑圧ではなく、漢民族による少数民族に対する抑圧である。専制政権の抑圧の下にある漢民族の一般庶民もまたしばしば民族問題については自覚的に帝国に追随する。とりわけ民族混住地区の漢民族庶民、たとえば新疆建設兵団が内地から募集した出稼ぎ労働者は、帝国の指揮下に地元民族に対する鎮圧に参加するだけでなく、少なからぬものが非常に積極的に行動する。一見公平に見えるつぎのような見方がある。共通の人間性を強調すべきであり、異なる民族性を強調すべきではない。人為的に民族衝突を煽り立てないように、客観的な基準、法律及び民主的手続きに基づき平等に扱うべきであり、民族の違いによって違った扱いをすべきではない。しかし、いかなる基準、法律、民主的手続きも純粋に客観的なものはなく、文化と密接に結びついている。文化帝国主義は政治の民主化と同時に消滅するものではなく、多数民族の多数派の中に長期間存在し続ける。そのような状況の下で民族の区別をつけないということは、結果として多数民族に主導されるということであり、少数民族にとって実質的に不平等となる。とりわけ多数民族と少数民族の人口差が大きい状況の下では、代議制民主主義は少数民族の権利をいっそうなおざりにすることになる。その場合少数民族が民族主義を堅持しなければ、少数民族の文化は多数民族の文化によって窒息させられてしまい、同時にまた民主主義の旗と近代化言説の前に反抗の権利をも失ってしまうだろう。

関連ページ
(1)http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/ebc323a2b3be7dd75473b82b664f5e5b
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