金閣寺 (鹿苑寺)
お釈迦様のお骨を祀った舎利殿「金閣」が特に有名な為、金閣寺と呼ばれているが、正しくは
「鹿苑寺」(ろくおんじ)と言い、臨済宗相国寺派の禅寺です。 (1994年、世界文化遺産に登録)
この地は、鎌倉時代に西園寺公経(さいおんじきんつね)の別荘北山第(だい)が在りましたが足利
三代将軍義光が大変気に入り、応永4年(1397)に西園寺家から譲り受け、山荘・北山殿(きたやまでん)
を造りました。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われ、後小松天皇(一休禅師の父)
をお招きしたり、又、中国(民国=みんこく)との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した所で、
この時代の文化を特に北山文化と言います。
銀閣寺 (東山慈照寺)
銀閣寺は臨済宗相国寺派(りんざいしゅうしょうこくじは)に属する禅寺で、建立は文明14年(1482)
室町幕府八代将軍足利義政公による。
義政公は祖父にあたる三代将軍足利義満公の北山殿金閣(鹿苑寺=ろくおんじ)にならい、、隠栖
生活を過ごすため、山荘・北山殿を造営。この北山殿が銀閣寺の発祥である。銀閣寺は俗称で、
正しくは東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)、義政公の法号慈照院にちなみ、後にこう命名された。
東山殿は義政公を中心に形成された東山文化の発祥地であり、日本人の近世的生活文化の
発端をなしている。
今もなお、銀閣寺には東山文化と禅宗文化の融合をみることが出来る。
↓ 向月台 (こうげつだい)
↓ 観音殿
↓ 花頭窓 (かとうまど)
窓の外に見える砂地は銀沙灘(ぎんしゃだん)と言いこの右側に向月台がある。
↓ 源光庵
ここ、源光庵には二つの有名な「窓」があり、訪れる観光客はこの窓が目当てである。
↓ 左の丸い窓が「悟りのまど」、右の四角い窓が「迷いの窓」
↓ この丸い形は「禅と円通」の心が現されており、ありのままの自然・清らか・偏見のない姿、つまり悟り
の境地を開くことができ、丸い形は大宇宙を表現しているそうです。
↓ この四角い窓は人間が誕生し一生を終えるまで逃れることの出来ない境地、つまり「人間の生涯」
を四つの角で象徴しています、この「迷い」とは「釈迦の四苔」のことで、この窓が生老病死の四苦八苦
を表しているそうです。
↓ 渡月橋 (とげつきょう)
今年の3月か4月頃だったかな~ 大雨の為増水し橋が流されるほどだったね”(2014年)
↓ 大沢池(おおさわのいけ)より大覚寺を見る
ここはもともと嵯峨天皇が弘仁年間(810~824)に造営された離宮「嵯峨院」の苑池(えんち)の一部
現在、大覚寺境内に属している。中国の洞庭湖(どうていこ)になぞられて「庭湖」(ていこ)ともいい作庭
当時は泉・滝・名石等の美を極めた池泉遊式庭園であった。
今なお、お池中には、「菊ガ島・天神島の二島」と、巨勢金岡(こせのかなおか)が配置したとされる庭
湖石(ていこいし)があり、広々とした大陸的雰囲気を漂わせ、、菊ガ島・天神島のの二島と巨勢金岡が
配置したとされる、庭湖石があり、広々とした大陸的雰囲気を漂わせた現存する我が国最古の一つで
ある。
↓ 南禅寺内にある琵琶湖疏水の水の流れる橋
↓ このトンネルの上を琵琶湖よりの水(疏水)が流れているんだけど、TVでよくドラマのロケ地として放映
されているよね!
↓ 三重塔と清水寺のライトアップ
↓ 清水の舞台