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楽々園(らくらくえん) 玄宮園(げんきゅうえん)
詳細は彦根観光協会へ
〶 522-0064 滋賀県彦根市本町 1-12-5
☎ 0749-23-0001
2016.01.13 楽々園
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井伊家の由緒ある建築空間に融合
幕末の大老・井伊直弼の生誕地で有名で、楽々園御書院棟に有る紙本墨画淡彩・紙本金地着色の「襖絵と壁画」28がを「伝匠美」にて再現しました。
原本が持つ絵画としての立体感の再現と同時に、約300年を経た御所院棟の建築空間と融合する古色の再現に注力いたしました。
経年にともなう虫食いや破損部分は監修者の指導の下、痕跡を残しつつ目立たないように、デジタル画像処理技術によるバーチャル補修を行いました。
今回の来園では、建物、庭園が修復工事の為中に入ることが出来ず、煌びやかな(き)襖絵や独特の建築技法などを見る事が出来ませんでした。
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玄宮園
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彦根城の北東にある大名庭園で琵琶湖や中国のショウ湘( しょうしょう=ショウの字が検索しても小さすぎるので正確な漢字が書けません
老眼だから)八景にちなんで選ばれた近江八景を模して造られました。4代藩主井伊直弼が延宝5年(1677)に造営したと言われています、
5年9月には「虫の音を聞く会」・11月には「錦秋の玄宮園ライトアップ」が催され、大名庭園ならではの趣が味わえられますが、今回、来園し
たのですが、あちこち補修工事がされており思う様な見学が出来ませんでした。(話は別だけど日光東照宮も行きたいのですが現在、陽明門
やその他が修復中で、行けません)
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七間橋
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大殿様の子供
井伊直弼が生まれたのは、文化12年(1815年)10がT29日、彦根城の一角にある「欅御殿」(けやきごてん)というお屋敷でうまれました。こども
のころは鉄三郎と呼ばれていました。父は井伊直中。彦根とその
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槻御殿 (けやきごてん) のくらし
槻(けやき)御殿には兄弟も暮らしていたので、直弼は兄弟と一緒に庭で遊んだり、父の趣味だった「能」を見たり練習をすることもありました 。また、
行事の時は御殿で殿様(兄直亮)にあいさつしたり、父と一緒に家来の家に行きました。直弼は、いつも大殿様の子供らしく振る舞わないといけません
でした。そのため、色々な事を教えてくれる教育係の家臣がそばにいました。
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桜田門外の変
安政7年(1860)3月3日、江戸城で桃の節句が行なわれるため、午前9時ころ、直弼は駕篭(かご)に乗って、屋敷
を出発しました。しばらく進んで、行列の先頭が桜田門近くさし掛かった時1発の銃声の音が鳴り響き、それを合図に
18人の侍が駕篭をめがけて襲いかかってきました。彼らは水戸藩の家臣たちで、直弼のやり方に反発して直弼を殺
してしまったのです。駕篭のまわりには直弼の」家来がいましたが、前夜に雪が降っていたので、刀を袋で包んでいて、
すぐには刀が抜けませんでした。それでも家来たちも敵と戦い、8人が死におおくのけが人を出しました。
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