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甲府駅北口
山手門と甲州夢小路
〶 400-0031 山梨県甲府市丸の内 1-1-25 甲州夢小路
☎ 055-298-6300
2017.09.14 撮影 2017.09.22 投稿
山手門
山手門 「楽只堂年録 = らくしどうねんろく」絵図には、両脇に低い石垣と土塀も描かれており、近世城郭
の主要な虎口では、外側に高麗門、内側に櫓門を設けております。
開扉を支える両側の鏡柱の上に冠木を渡し、前後に腕木を出して切妻屋根を架け、鏡柱の背後にそれぞれ
控柱を建て、本屋根より小振りな切妻屋根を載せる特徴的な構造です。
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左が【山手門】で右に見えるのが【甲州夢小路】、4棟の一部です、画像中央には舞鶴城の櫓門が見て取れます。
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画像右の塔は時を知らせる鐘つき台で、川越の「時の鐘」と同様です。
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甲州夢小路の街並みです。
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、 舞鶴城公園 (甲府城)
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、 江戸時代に柳沢吉保が城主となり甲府の城下町は繁栄しました。鶴が羽ばたく姿のように美しかったことから
【舞鶴城】とも呼ばれ現在は甲府市民の憩いの場として親しまれています。
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鉄 門 (てつもんと書いて→ くろがねもんと読みます)
【鉄門復元整備事業のねらい】 かつて城下町から見上げた鉄門(くろがねもん)は、明治初期に城内の他の
建物と共にすべて取壊されてしまいました。この鉄門を復元し歴史景観を再現することは、甲府城跡の文化的価値
や理解をより高めるものと考えており、また甲府中心市街地からの眺望は新たな魅力と人の流れを生み、城下町
甲府の風格と画期を取り戻すものと期待されます。読みます)
【甲府城の歴史】 (舞鶴城) 甲府城は天正10年(1582)の武田家の滅亡後、豊臣秀吉政権下で建築が始められ、
豊臣秀勝、加藤光泰(みつやす)を経て、慶長5年(1600)頃に浅野長政(五奉行)により完成したと考えられています。
発掘調査では金箔瓦や浅野家の家紋瓦などが発見されています。
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鉄門の左にそびえるのは【謝恩碑】です。
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舞鶴城内にある山梨県警察道場です、下記画像はその内部です。
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武田信玄公 像
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藤村記念館
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甲府駅南口にある「小料理店 小作」の【もつ煮込み】です、美味しかったけど他店よりは割高
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