小泉改革支持者が、最も懸念している事は、「小泉改革が頓挫する事によって、日本が駄目になる事」のようです。彼らから見れば、郵政民営化法案反対派というのは、「小泉内閣」を倒閣させ、「小泉改革」を葬り去ろうとするとんでもない輩にしか見えないのでしょう。だからこそ、造反議員復党問題では、あれほど激しく反対の声を上げたのです。
一方、小泉改革批判者が、最も懸念している事は、「アメリカの意向による小泉改革が進行する事によって、日本がアメリカの食い物になる事」です。アメリカの言いなりになってWCEやら何やらを行う事は、日本にとって好ましい事ではないと思うから激しく反対するのです。
小泉改革批判者は、「小泉改革が頓挫する事によって、日本が駄目になる」という小泉改革支持者の懸念など、馬鹿な思い込みに過ぎないと思っていますから、小泉内閣を倒閣させようとするような動きに、小泉改革支持者が何故あれほどヒステリックな反応をするのかが不思議でならなかったわけです。
一方、小泉改革支持者は、「アメリカの意向による小泉改革が進行する事によって、日本がアメリカの食い物になる」という小泉改革批判者の懸念など、陰謀論に過ぎないと思っていますから、「アメリカの意向による改革」を激しく批判する小泉改革批判者の声というものが、何故あれほとヒステリックなのか理解出来ません。
結局、お互いに相手の懸念している事を「杞憂」だと思っているから、「杞憂」に対して激しく怒る相手の反応を訝るわけです。
小泉改革支持者は、自分が「小泉改革を否定するような動き」に対してヒステリックな反応を続けておきながら、それを自覚せず、小泉改革批判者の言動についてのみ、「ヒステリックだ、感情的だ」と非難し、彼らを「俄か強硬派」だとか、「右翼」だとバッシングしています。小泉改革支持者のそういう言動こそ、「ヒステリックかつ感情的な」言動なんですけどね。
ネットで、政治的発言をする人は、みんな、何かの対象に対して「強い怒りの感情」を持っているんだと思いますよ。政治に怒っていないような人が、ブログや2ちゃんねるで、政治的発言をするはずはないのです。小泉改革支持者は、小泉改革批判者の怒りの言動に対して、「口汚い罵りの言葉など聞きたくない」というような批判をしますが、小泉改革支持者も、小泉改革路線に対する敵対者に対して、口汚く罵っているのです。それを自覚もできないような人が、反対陣営の声を「ヒステリックだ、感情的だ」と罵っている姿を見ると、「お前もな」とツッコミを入れたくなるのです。
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一方、小泉改革批判者が、最も懸念している事は、「アメリカの意向による小泉改革が進行する事によって、日本がアメリカの食い物になる事」です。アメリカの言いなりになってWCEやら何やらを行う事は、日本にとって好ましい事ではないと思うから激しく反対するのです。
小泉改革批判者は、「小泉改革が頓挫する事によって、日本が駄目になる」という小泉改革支持者の懸念など、馬鹿な思い込みに過ぎないと思っていますから、小泉内閣を倒閣させようとするような動きに、小泉改革支持者が何故あれほどヒステリックな反応をするのかが不思議でならなかったわけです。
一方、小泉改革支持者は、「アメリカの意向による小泉改革が進行する事によって、日本がアメリカの食い物になる」という小泉改革批判者の懸念など、陰謀論に過ぎないと思っていますから、「アメリカの意向による改革」を激しく批判する小泉改革批判者の声というものが、何故あれほとヒステリックなのか理解出来ません。
結局、お互いに相手の懸念している事を「杞憂」だと思っているから、「杞憂」に対して激しく怒る相手の反応を訝るわけです。
小泉改革支持者は、自分が「小泉改革を否定するような動き」に対してヒステリックな反応を続けておきながら、それを自覚せず、小泉改革批判者の言動についてのみ、「ヒステリックだ、感情的だ」と非難し、彼らを「俄か強硬派」だとか、「右翼」だとバッシングしています。小泉改革支持者のそういう言動こそ、「ヒステリックかつ感情的な」言動なんですけどね。
ネットで、政治的発言をする人は、みんな、何かの対象に対して「強い怒りの感情」を持っているんだと思いますよ。政治に怒っていないような人が、ブログや2ちゃんねるで、政治的発言をするはずはないのです。小泉改革支持者は、小泉改革批判者の怒りの言動に対して、「口汚い罵りの言葉など聞きたくない」というような批判をしますが、小泉改革支持者も、小泉改革路線に対する敵対者に対して、口汚く罵っているのです。それを自覚もできないような人が、反対陣営の声を「ヒステリックだ、感情的だ」と罵っている姿を見ると、「お前もな」とツッコミを入れたくなるのです。
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