Dogma and prejudice

媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ
従属主義的思考から脱却すべし
(言っとくけど、「媚米」と「親米」は違うんだよ)

拉致被害者家族の思い

2006-09-25 | 拉致・北朝鮮問題
 ある日突然、我が子が忽然と姿を消して、ごく当たり前の家族の幸せを失った拉致被害者家族の悲しみは、如何ばかりだったでしょうか。

 我が子が北朝鮮による拉致事件の被害者であると判明してからも、拉致被害者を帰そうとしない北朝鮮と、拉致被害者救出に一向に動こうとしない日本政府の両者の厚い壁に阻まれて、被害者家族の長い苦悩の日々は続きました。

 ようやく2002年、小泉政権下で、北朝鮮側は長年否定していた日本人 の拉致を初めて認め、北朝鮮に拉致されていた被害者の内5人が24年ぶりに救出されました。

 これは確かに小泉政権の大きな功績ですが、噂されているような秘密交渉(5人の被害者の帰国と引き換えに、「日朝国交正常化」と「米朝直接対話の仲介」を日本が行うという約束)が事実であったら、そして5人以外の拉致被害者を見殺しにすることが前提にあったとしたら、少しも評価に値しません。(それどころか、大きくマイナス点がつきます)

 秘密交渉の有無については、議論の分かれるところで、ここではこれ以上言及しません。

 いずれにせよ、5人以外の拉致被害者は、小泉政権下でも引き続き、救出が叶いませんでした。未だ、救出されない拉致被害者の家族は、出口の見えない長いトンネルの中を彷徨っているような気分かもしれません。

 このような過酷な体験を通じて、被害者家族は何を思ったか。それは、『自分たちが味わった、「やり場のない怒りや、深い悲しみ」を、もう他の人には味わって欲しくない』という強い思いではなかったかと私は推測します。

 被害者家族は、勿論、我が子の一日も早い救出を切望しています。しかし、彼らの願いはそれに留まってはいません。「拉致事件」という悲しい事件がもう二度と繰り返される事のないようにと、彼らは願っているのです。

 自分たちの辛い体験を国民に呼びかける事によって、世論が動き、議会が新法を作り、政府が動く。その事によって、我が子が救出されると共に、拉致事件が根絶される・・・。このような事を念頭において、被害者家族は活動しているのではないでしょうか。

 「拉致事件の発生とその解決の遅れ」の原因は、「日本の国のありよう」そのものに深く関わっています。従って、「拉致事件の根絶」のためには、どうしても、「日本の国のありよう」を変えなければいけないのです。増元さんたちが言っている「日本再生」というようなスローガンも、「拉致事件の根絶」を念頭においての発言です。

 『自分たちの辛い体験も、それが「拉致事件根絶」の契機になるのだとしたら、意味のあるものになるが、いつかまた同様のことが行われるのであれば、全く無意味なものになる。』と彼らは考えているんじゃないでしょうか。

 「身代金を渡して帰してもらったら良いじゃないか」というような極論を言う人もいましたが、それで「一件落着」としてしまったら、「拉致事件の根絶」にはならないのです。

 「拉致被害者の救出」それが全てだと思っている人は、「日本再生」などという主張に対して「自分たちの政治的目的を達成するために拉致事件を利用しているのだ」というふうな邪推しかできないのでしょう。

 しかし、被害者家族は、「拉致被害者救出」のその先まで考えているんですよ。

 「かわいそう」論争が行われていますが、「拉致被害者の救出」だけしか視野にない人と、「拉致事件の根絶」まで視野に入れている人との意見のすれ違いなのでしょうか。

 それにしても、

「初心を忘れず、拉致の解決を願う人たち、そして、『人権』や『国防』を意識して拉致を訴える人、その両方がいて良いと私は思います。」

というような事を某掲示板に書いている人がいましたが、この人は喧嘩を売っているんでしょうかね。

 「『人権』や『国防』を意識して拉致を訴える人」がまるで、初心を忘れ果てて、暴走しているみたいじゃないですか。

 こういう人は先ほど述べた「拉致被害者の救出だけしか視野にない人」で、被害者家族の深い思いが分かっていない人だと思いますよ。



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