ケロの与太

「全力で与太話」
読んだら忘れてください(” ̄▽ ̄)ゞ  

義母を介護付き有料老人ホームに入れたことに罪悪感が持てない話(丿 ̄▽ ̄:)丿┻━┻

2016年11月29日 | ゆめゆめ笑うなゆく道だ(義母と施設と)





    



    



   



   




は言っても、
お金あっての介護付き有料老人ホーム。
義母が10年以上長生きしたら、義母の資金は尽きてしまう計算なので、
その先を思うと、薄氷を踏む思いではあります。


八時間のドライブの果てに、ようやく家にたどり着き
痛い、怖い、嫌だと叫ぶ義母を、力づくで車椅子に乗せて旦那と二人
車椅子ごと義母を担いで玄関の中に入れたのですが
我が家のすべての部屋のドアの幅は、車椅子より狭かった!

私は8時間放置した排泄のケアをしたかったので、何を置いてもまずは寝床に行って欲しかったのですが
義母は自分でトイレに行くと言って聴かない。
「たやすいことや、いけるからほっといて?」
いやいや、病院では70日間ずっと排泄介助を受けていたんだし
第一立つことが出来ない。
ほっとくと言ったって
玄関ホールに車椅子ごと放置はできない。


仕方がないので、気が済むまで待たせてもらうのですが
義母が言うのです
「なあ、
なんで私、
立てへんの?」

夫は半徹で東京大阪を車で往復して、倒れる寸前。
なんとしても寝床まで行ってもらって、下着を替えて、もう明日に備えて寝たい!


二時間の膠着状態を経た0時前。
これ以上義母の言うことを聞いても意味が無いと悟った私たちは
「構わんといて!触らんといて!何すんの!怖い!痛い!」と言い張る義母を、
無理やり担ぎあげて、布団に転がしました。
さあ、じゃあ、
オムツを・・!
と取り掛かろうとしたけれど、

義母は自分の言葉を蔑ろにされた事で、ご機嫌は最悪。
「もう、やめてんか!何がしたいの!ほっといて!」
と叫ぶ義母から、
下着を無理やり剥がすことは出来ず。
寝具も洋服も
高分子吸収体の限界を超えた排泄物に塗れると解っていながらの撤退。

大人の排泄物の混ざった物が酸化する臭いが、コレほどのモノとは思いませんでした。
義母が使った寝具は何度も洗濯をして、ファブリーズで濡れそぼるまでスプレーし、
天日に晒してみましたが
完全に取り切ることは出来ず。


一つの事に数時間が潰える
目が離せない、話も通じない、留守に出来ない。
ふたりきりで家に引きこもる生活
そんな日常が続いたら

気が狂う。
最初の晩で悟ってしまいました。



介護の姉御は言ってました。
歩けない人でも
認知症になると、走れたりすることがあるのだと。



怖すぎる。




という訳で
老人ホームに義母の全てを丸投げしたことは
スミマセン勘弁して下さいと土下座しても

お願いできて良かった・・


という感想しか無いのです。




郁恵センパイの言うとおり
「親の面倒を自分で見る子供の使命」なんて
絵に描いた餅っすョ。




今日はそんな話で。






                          (ノ`Д´)ノ彡┻━┻


















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認知症の義母は決してボケてはいない・・( ̄ー ̄”)

2016年11月23日 | ゆめゆめ笑うなゆく道だ(義母と施設と)
   




       








      








      








      




退院の日、病室まで来てくれてお餞別をくれた社長ご夫妻
高速に乗る前、最後に立ち寄った実家の玄関先で会ったご近所さんが
涙をにじませて別れを惜しんでくれたんだと伝えると
義母はとてもうれしそうでしたが
どんなに説明しても、誰の事なのかは思い出せないようでした。

それはもう仕方がない
義母と別れることを惜しんでくれた人がいたということは
私が記憶して
その都度義母に伝えてゆく事になるのです。



らく、認知症はとても苦しい病だと思います。
かつて「痴呆症」などと呼ばれていたので、
ただのんびりお年寄りがボケてゆくようなイメージがありましたが
まだらに、記憶が曖昧になってゆく自分を生きるのは、
底なしの沼に飲み込まれるような恐怖との戦いなのではないかと、義母を見ていて思います。
義母は調子のいい時に、何度も私に言います。
「私の頭、狂ってるんや。おかしな事言うても相手にせんでええから。」

                        
                      


大阪からこっちまでの長い長いドライブの間も、びっくりするほどおとなしく乗っていてくれた義母ですが
名古屋を超えた辺りで日が落ちて、碧い碧い黄昏れが車内を満たした頃、
義母は不安な子供のか細い声で

「あのな、すごく困ってるねん」

と一度だけ言いました。


「助けて欲しいねん。」


え?吐きたい?
オムツ気持ち悪い? Σ( ̄□ ̄:)


夫と二人で騒然となって
ビニール袋を広げオムツを取り出そうとしていたら


「私な、
帰り道がな。
・・・わからんようになってしもた。」

「私は、どこに帰ればええんやろ。」


義母の左目から出た涙が頬をべったり這っていました。
それは悲しみで出る涙というよりは、ドライアイの影響で滲んだもののようで
その判別つき難い感じをいい事に、
私は見なかったことにしたくなりました。
そう、
黙って車に乗りながら
ずっとそのことを考えていたのかと思うと。

でも、夫は違っていました。
「あ~なんや!
そんなん、全然心配せんでええ!俺らがついてるやろ?
心配せんでええねん。
なんの心配も要らんトコロに行くんやから。
これからはすぐに会えるトコロで暮らすんやから!」

夫はすっかり割り切っているのか
その最善を心から信じているのか
朗らかに、高らかに言って聴かせます。


「そうか・・」



だけど、そこは決して「帰るトコロ」なんてものではない。
私は
翳りゆく車内で影絵のようになってゆく
背中を丸めた義母の姿を見て
おさなごを騙して施設に連れてゆく、悪い大人のような気分になりました。




そして、こんな風に言葉を尽くして説明されても、全て記憶されずにこぼしてしまう。
目の前にいる人は誰なのか、これから何が起こるのか
自分はどこにいるのか、何故ここにいるのか
今はいつなのか
さっきとはいつなのか
これからってなんなのか
何一つ解らないし何一つ納得してない。

それでも、トイレにさえ歩いてゆけない体では
もはや拒む自由も選択の自由もない

ならばと
自分の持っている情報と、この世界をつなげて考えようとすれば
とてつもなく遠い記憶の扉がバンバン開いて、
あふれだす良い思い出
悪い思い出
溺れるように翻弄されて、脳は常にフル回転


義母は認知症でも
頭の中は決して呆けていたりしないのです。





それでもですよ?


「もう疲れた・・一歩も歩かれへん」
と、言われた時は



お母さん!
車椅子乗ってますやんか!」ゞ( ̄ー ̄;)



関西人二人して
両側から
ソッコーツッコんででしまいましたが・・・










今日はそんな話でした。
                     ~( ̄ー ̄)ノシ
































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上京義母ストーリー ~何から伝えればいいのか ( ̄▽ ̄:)

2016年11月21日 | ゆめゆめ笑うなゆく道だ(義母と施設と)
        

て、そんなわけで( ̄▽ ̄:?)
早朝の新幹線で
崎陽軒の「秋」のお弁当を堪能し、







前夜仕事上がりからの半徹で東名~名神を車移動してきた夫と落ち合い
丸亀製麺で朝の英気を養って
夫は義母の退院手続きに向かいました。

私は義母の待つ病室へ、一月ぶりに会った義母は着替えも済ませてもらって、満面の笑み。
「こんにちは」と挨拶をしてくれたけれども、私がどういう関係者であるかは全く解らないよう。
「あ~、誰やわからないけど・・こんにちはぁ~」
という辺り、
らしさは失わないんだなと思いました。

病室には退院の時刻に合わせて、亡き義父の友人だと言うご社長ご夫婦が餞別を携えてきてくださっていて
初対面のその方に、私が平身低頭深く深く、ひたすら恐縮と謝意を伝えているその傍らで
義母は可笑しそうに目を丸くして
(「どういうつもりや、そんなもん急にくれても困るわな!聞いてないのにな!」)
と客人に背を向けたまま小声で囁くと、
ぺろっと舌を出してます。

「6回来ましたが、とうとう思い出しては貰えませんでした(笑)。
大変でしょうが奥さん、どうか良くしてあげてください、お元気で。」

古い大樹を思わせる、気品ある礼儀正しい老紳士の深い眼差しの奥に
真摯な願いが読み取れました。
義父が亡くなり、義母の記憶も再生されない今となっては
そのご夫婦と義両親の関係がどのようなものであったか、ワタシには知る由もないのですが
この日、50余年を暮らした大阪を離れてゆく義母にとって、それが長い交際の果ての、今生の別れであったことは間違いなく。

義母に再会して3分
私は認知症の持つ切ない片鱗を見た気がしたのす。
もちろんコレがその「片鱗」でしか無い事を後々にたっぷり思い知るのですが。



荷物を持って一緒に駐車場まで降りては来てくれたけれど
さらっと帰ってしまった看護師さんを見送って、車椅子の義母を車に乗せようとして四苦八苦していたら
デイの送迎から帰ってきた若いヘルパーさんらしき女性が
「義母さん、今から帰りはるんですね~?!」と駆け寄ってきてくれて
柔道の組手のようにうまく体を使って、
義母を車に乗せてくれました。

痛い嫌だ痛いやめて!どうしてこんなんに乗らんととアカンの!と叫び続け、すっかりゴキゲンが悪くなってしまった義母と
(降りるときはどうするんだろう・・)と呆然とする私達に
ヘルパーさんは寂しそうに笑って
「お元気で」と言ってくれました。

そう、
90日ルールに則り、後のない私たちは病院を後に前進あるのみ。
名神~東名をひたすら走り続けること7時間

からの~

施設体験入所までの我が家での一泊二日
娘のおむつを外して18年


からの~
初めてのオムツ替え



それらは確かすべて
11月5日のこと。


このことは
ブログに書いておこう
このことも
このことも
このことも
このことも

様々な出来事があるたびにそんなことを想いながら
とうとう書けずにおりました。


そんな葛藤の果てにふと思ったことは

「小田和正氏は稀有なシンガーであるとともに、やっぱり凄いソングライターなんだなあ・・」

と言う事だったりするのです。
              

何から伝えればいいのか  わからないまま時は流れて
浮かんでは♪ 消えてゆく♪  ありふれた言葉だ けぇ♪



「浮かんでは消えてゆくありふれた言葉だけ。」


そう
まさに。


こんなにすごくて大変で、由々しきことの連続なのに
それらはとっくに一通り
語り尽くされている。
だから私の感嘆は、どれもありふれていて間が抜けていて
笑えてしまう。


義母といたのは48時間位なのに
すぐに分かりました


認知症の義母と暮らして介護するなんて
私には

無理だわ・・・orz




            



そして

介護されるのは
おそらくもっと大変。











今日はそんな話でした。



























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秋のシウマイ弁当は美味い🐸

2016年11月05日 | ヨタ話

この間のバスハイクの車窓から見えた初冠雪の富士山とは
また違った色の山が見えましたよ







となりのオジサン爆睡で
今朝はお弁当も
なりフリ構わずバクバクいけそうな予感にワクワク





しかし、
その時!
社内のどこからか、
そこはかとなく
今、
一番感じたくない薫りが
漂いはじめました


ありえん!
私の
私のシウマイ弁当タイムが!!
😨😨😨😨


愕然とする私の脇を
赤ちゃんを抱えたお母さんがうつむいて
足早に過ぎ去って行かれました



そう
そういうことならね🙁
私も子供達のオムツを
新幹線で何度替えたことか。
う😨ちは無いようにしたけれど


感慨深げな私に
別の小人が話題を振ります

「う😱この話しながらゴハン食べられないと
この仕事は出来ないね」

それは

介護保険制度が整うもっともっと前の
私が二十代の頃
テレビ番組で見た
当時まだまだ珍しかった介護ヘルパーさんのドキュメントで聴いた台詞




そうか、
これは予行演習ね?



美味しく食べて
やろうじゃないの😎😎



いや?
いやいや
いやいやいや!

秋のシウマイ弁当
美味しい

一口で食べちゃった焼き魚
(鮭?銀だら?)
脂乗ってて
むっちゃ美味しい!😍😍😍




つけあわせの謎のコレが
侮れない😄
春雨のぷるぷると
謎の緑のコリコリの胡麻和え


肉団子は
シウマイとの食感がかぶることない
あっさりシャキシャキ食材が練り込まれ

人参とレンコンは
柔らかすぎず固すぎず
薄味の滋味深さ

舞茸ご飯は鶏おこわ仕立て
冷めてもモチモチ
いくらでもイケる
紅葉型に薄く切り取られた飾り人参には
人の手による松茸の香りが仕込まれているけど
決して苦しうなく。

甘味に添えられた大学芋の飴衣!
薄くパリっと柔らかく
私の歯になされるがまま割れながら
優しく芋の柔らかさに導いて
いい仕事をする
弁当の中の
シウマイを超えるその存在感は
伊達じゃなかったのね?


これぞ味の宝石箱
めくるめくラビリンス
夢中で駆け抜けた私
とても満足アルヨ



夏のはそうでもなかったけど←こら
秋のは
ホント美味しいです。


そう


う😱ちの薫りがしても
こんなに美味しいのだから
間違いない!






今日は




なんの話やねん😧😧😧






米原通過
なんかもう
ずっと乗ってたい🚅🚅🚅




🐸🐸🐸🐸




毎日が新しいchallenge!〜義母を呼び寄せミッション🐸🐸🐸

2016年11月05日 | ヨタ話


朝起きたとき
最初に脳裏に浮かぶ言葉が、
その時自分が抱えている一番の懸念事項だ
と聞いたことがあるのですが

今朝は
「毎日が新しいchallenge!」でした。


15年以上前に友人がくれた
年賀状に添えられていた言葉

当時結婚もしていたけれど単身渡米
コロンビア大学で修士を取って、
有名外資企業のプロダクトマネージャーに転職
世界中を飛び回っていると聞いてましたが
その年
差出人の名が旧姓に戻っていました。


リア充報告にも読めるし
充実を裏打ちする困難をchallenge!に置き換えているようにも読めて
印象的でした。



そう、本来
毎日は
新しいchallengeでなければ



さて、今年三度目の新横浜を出て
今度我が家に戻って来るときは


義母が一緒
お母さんといっしょ♪


歩けない母と
楽天で買った車椅子とおむつを載せて
六時間のロングdrive


🐸🐸🐸🐸🐸🐸



大丈夫か?



そう


毎日が新しいchallenge!



一人新幹線
満喫しよう





季節は流れて
シウマイ弁当も秋になってましたよ








🐸🐣🐸