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書評 しょひょう : 『日本版 民間防衛』(青林堂)

2018-08-09 14:18:21 | 書評

書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 ハッカーに襲撃され情報やデータが盗まれている
   中国と北朝鮮の「情報泥棒」の手口と、その防御策

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浜口和久、江崎道朗、坂東忠信著 イラスト=富田安紀子
 『日本版 民間防衛』(青林堂)
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 ときおり地政学的・軍事的な危機が迫ると、日本でも「民間防衛」について熱心に語られた時代があった。

昭和三十年代からしばらくは、モデルがスイスと言われた。

しかし国内擾乱、共産革命の危機が去ると皆は関心を失い、日常の安逸さに埋没してしまう。

自衛隊退役の予備自衛官が、いかに少ないか、信じられないほどの体たらくを示すのが、平成の日本だ。

しかも拉致被害に遭おうと尖閣に中国の軍艦が押し寄せようと、日本の空が敵機で蔽われようと、目の前に危機に鈍感となり、何をどうしたら良いのか分からない。

まともな防衛策を主張すると、左翼メディアは「極右」などと言いがかりをつける

中国の敵対行為をなかったかのように意図的な印象操作を展開するのだから、利敵行為である。

軍事的侵攻を受けたときだけではなく、日本は二十四時間、中国からの「間接侵略」を受けている。

だが、国民は不感症なのだ。よほど鈍感か、無神経か、それとも善意の塊なのだろうか?

 この本は戦国武将時代からの地政学に詳しく城の研究家でもある浜口氏と、戦中のスパイ活動や現在の諜報工作の専門家である江崎氏と、そして移民問題に鋭角的な問題提議をつづける警視庁刑事出身の坂東氏との合作、まさに名物トリオの執筆陣となった。

 民間防衛の役割が平易に、イラスト入りで説かれ、テロ、戦争、移民問題、そして地震、異常気象、災害など予期せぬ事態に遭遇したときに、いかに対応するかのマニュアルでもある。

 第一章の「テロとスパイ工作」、第二章『戦争』、第三章が「自然災害」と、これらは浜口氏の執筆範囲である。

第四章の『移民問題』はこの人をおいて専門家はいないと言われる坂東氏

そして第五章「インテリジェンス」が江口氏と、まさしく適材適所の陣容で、内容は多彩にみえて、一貫した整合性がある。
 
 さて中国がハッカー攻撃で標的とするのは何々か?

 指揮系統をずたずたにし、日常生活を成立させなくするには、まず首相官邸、放送局、ガスタンク、水道施設、発電所、化学工場、鉄道、空港、石油コンビナート、駅、通信網、金融ネットワークなどである。

 すでに日本の官公庁や大手企業の被害は続出しているうえ、年金機構が狙われ、125万人分の個人データが盗まれてしまった。

 中国ばかりか北朝鮮のハッカー部隊も格段の進歩を遂げているとの指摘がある。

 北はサイバー戦力の一元化を図り「人民武力部偵察局隷下にあったサイバー部隊121所を偵察総局の直属とした。

(中略)兵力をそれまでの500人から3000人の規模に増強している。」

 その目的は韓国軍の機密資料をハッキングし、指揮系統を痲痺させることにある。

「現役軍人や入隊対象の青年に厭戦思想を広めて、戦闘力の質的な瓦解を実現し、国内対立を煽り、社会的混乱を増大させるなど、韓国社会を根底から揺るがすことまで想定している」という(59p)。

 また北朝鮮は「朝鮮コンピュータセンター(総勢4500人)が中心となって、日本の重要インフラのコンピュータシステムへのサイバー攻撃のシミュレーションを行っている」(60p)。

 油断大敵である。
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書評 しょひょう : 佐藤守『ある樺太庁電信官の回想』(青林堂)

2018-08-03 11:02:43 | 書評

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 明治、大正、昭和、平成の四代を生きた逓信省員は樺太で何を見たか
  北海道の鰊漁がすたれ、青年は大志を抱いて樺太へ渡った

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佐藤守『ある樺太庁電信官の回想』(青林堂)
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 この物語は、フィクションではなく実話である。

発見された日誌をほぼ忠実に復刻したものだが、平凡な通信員と思いきや、まことに波瀾万丈の人生が展開されている。

しかし、ドラマになるほどの激変要素は少なく、見方を変えて謂えば、あまりにもきまじめな逓信公務員の前半人生の記録である。

とはいえ、在職中に五十数カ所の勤務先転勤という変動する時代を生きた。

 主人公の佐藤芳次郎(文中では内藤姓)は、明治時代に、北海道の日本海側、ニシンが豊漁を極めた時代に生まれた。

ところが鰊漁ブームが去ると、コミュニテイィは貧困に喘ぎ、志を胸に秘めて樺太は渡った。

ロシアとの間に千島樺太交換条約が締結され、南樺太に日本の統治が確定した時代だった。

 開拓移民が奨励され、南樺太にくまなく鉄道が敷かれ、あちこちに立派なビル、官公庁が建設され、神社も造られた。

電報の需要が高く、あちこちに逓信省の電報電話、郵便局が設置され、曠野、悪路、大雪のなかを馬橇で走った。

ヒグマとも出会い、電報配達は難儀を極めた。

 じつは評者(宮崎)も、南樺太を鉄道で一周した経験がある。

 十数年前になるが、JR北海道が主催した珍しいツアーを聞きつけ、出発地の稚内へ飛んだ。そこからはロシアのフェリーで渡った。

日本時代に豊原といったユジノサハリンスクでは、お城のような庁舎(いまはロシアの官庁)、多くの日本時代の建物は、神社を含めてそのまま残っていた。王子製紙の社宅も残っていた。

 日本時代、樺太には三十九万の邦人が暮らしていたのだ。

 その苦労話を基軸に主人公の前半の人生が語られる。

当時の営みを樺太を舞台に活き活きと描かれているが、時代背景にシベリア出兵、第一次世界大戦、通州事件、上海事件、五一五、二二六がおこった。

なるほど、この日記からも、かの「通州事件」が樺太にまでちゃんと報道されていたことが分かる。そういう逸話が豊饒に挿入されている。

 とりわけ、瞠目したエピソードは、女優の岡田嘉子事件である。作者の在職中の事件だった。

 「愛の逃避行」などと日本中が騒いだ。

岡田嘉子が共産主義者の杉本某を伴って、樺太国境からロシアへ亡命しようとした事件だ。

しかし現場にいた人から言わせれば、真相は「愛の逃避行」などという空々しいことではなく、当時、樺太で語られた事件のあらましは次のようであったと言うのである。

 「映画界にも進出した女優・岡田嘉子が、内縁関係にあった山田(隆弥)を捨てて映画の相手役竹内良一と失踪して結婚。その後更に共産党員である杉本良吉と恋に落ち、杉本が軍隊に召集されることを怖れた二人が、ソ連側に」亡命しようとした。

 奇しくも樺太庁特高課長が連絡船のなかで岡田と出会う。

岡田は「国境警備警官の慰問だ」などと嘘をついて特高課長の歓心を買った。

ころりと岡田の媚態に騙されて、行く先の警察署長に電話し、「唯々諾々と歓待にこれ努めた挙句、馬橇や宿屋の手配までも直接各派出所あてに指示をした」ほど、すっかり警戒心を失わせていたのである。

 「莫迦な大将、敵より怖い」の言葉通り、すべての善意の人々は岡田にころりと騙されていた。

 さはさりながら岡田はしぶとくソ連時代を生き延び、日本にも一度里帰りを果たすが、真相を語らないままに現世と訣別した。

 さていったい何故、佐藤守閣下が本書を監修されてのかと訝しんだのだが、

なんと、著者の佐藤芳次郎氏は、佐藤閣下の父上なのだった。

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書評 しょひょう : 仲村覚『沖縄はいつから日本なのか』(ハート出版)

2018-04-21 09:05:23 | 書評

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 ペリーは日本に来る前に沖縄に寄港し、そのあとも沖縄へ寄港していた
  明治維新はペリーの沖縄来寇から始まり、廃藩置県の最終処分(沖縄県)で終わった

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仲村覚『沖縄はいつから日本なのか』(ハート出版)
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 沖縄の歴史に関して、現代日本にはまともな解説書も歴史探究書もない。

学校で教わる沖縄の歴史はウソのオンパレードである。

 あるのは、デマゴーグ大江健三郎が書いた『沖縄ノート』とか

要するに沖縄は独立国家であり、沖縄は日本の大東亜戦争の犠牲にされた、それゆえヤマトンチューを恨んでいるとか、沖縄は独立王国だったのだから独立してしかるべきである、とか。

 沖縄の二紙(『沖縄タイムズ』と「琉球日報」)は極左で、主張は極左冒険主義的であり、背後に中国の世論工作があるかと思えるほどに反米であり、つねに反政府であり、それが民意だと誤解したらトンデモナイ。

沖縄の民衆は沖縄二紙とはまったく違う考えを持ち、基地反対とかいって騒いでいるのは本土からやってくる外人部隊である。

 沖縄は一貫して日本なのである。

 本書はそのことを証明する「真実の沖縄史」であり、記述は簡単明瞭だが、力強い。

 ところが左翼による洗脳工作が教科書にもおよび、多くの日本人が沖縄の実相を誤解している。

GHQの洗脳工作の残滓はいまだに強烈な影響力を発揮して、沖縄の理解を真相から遠ざけている。

すなわち沖縄二紙を基軸とする左翼のプロパガンダは、あたかも南京大虐殺、慰安婦強制連行のプロパガンダと同様に悪質なのである。

 真実はこうである。

 「琉球が明や清の属国であったことは一度もありません。琉球人は、中国語を母国語として話したこともありませんし、中国に税金を納めていたこともありません。

琉球に中国の役所があったこともありません。

清の時代に、漢民族のように辨髪を強制されたこともありません。

明や清は、単なる貿易相手国」でしかなかったのである。

 もっと重要なことは、「沖縄は日本で最も大陸文化の影響を受けていない地域」(68p)。

 沖縄に伝わる音楽でも、そのことは証明されている。

『日本民族の魂の原点』が残っているとも仲村氏は言う。

 沖縄がイメージとして「外国」のように扱われたのは薩摩の政策だった。

薩摩が意図的に沖縄を外国のようにみせて、通商を独占する合法性を得たと同時に、幕府への発言力を担保できた。

パリ万博に出展したときも、薩摩の勲章は「薩摩琉球」であった。

  ペリーは日本に来る前に沖縄に寄港し、そのあとも沖縄へ寄港した

  明治維新はペリーの沖縄来寇から始まり、廃藩置県の最終処分(沖縄県)で終わった

 さて本書で評者(宮崎)が初めて知った事実がある。

 ジョン万次郎は薩摩が保護し、大抜擢したことは誰でも知っているが、万次郎が上陸したのは沖縄県糸満市大度濱海岸であった。

万次郎以下三人だった。かれらは七ヶ月も勾留され監視されていたが、島津齋彬が英語を操る日本人がいると聴いて鹿児島へ呼びよせ、以後の大活躍が始まる。

 この同時期に琉球には英語を操る通詞がいた。牧志朝忠という言葉の天才だった。

シナ語、フランス語も駆使し、ペリーが沖縄に来寇したときの通訳である。

ペリーは、牧志の英語力に舌を巻いたほどだった。

 ところが齋彬の急死によって事態は一変し、反齋彬派が琉球王府内で勢力を回復し、牧志らは冤罪で捉えられ拷問された。

十年の流罪を言い渡されるが、薩摩は英語教師を必要としていたため、牧志に薩摩からの呼び出しがあった。

釈放され。その薩摩へ向かう舟から飛び降りて自殺した(謀殺説も有力)。

これにより琉球王府は貴重な國際感覚をもった人材を失った。

 ところで本書はアマゾン国際政治部門で、第一位をつけ、多くの注目を集めていることは悦ばしい。
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書評 しょひょう : 余傑著、劉燕子ほか訳『劉暁波伝』(集広舎)

2018-02-16 15:04:03 | 書評

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 劉暁波は、なぜ全体主義の過酷な牢獄にあっても、「絶望」と戦えたのか
  最後の言葉は「わたしに敵はいない」

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余傑著、劉燕子ほか訳『劉暁波伝』(集広舎)
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 劉暁波の最後の言葉は「わたしに敵はいない」だった。

 キリスト教の影響を受けたと見られる、この一言が世界の人々を感動させた。

ノーベル平和賞に輝く民主活動家は、中国の監獄からメッセージを発信し、慌てふためいた中国共産党は遺族に火葬を命じたうえ、散骨を海にさせて、将来の影響力を抑え込むことに必死の形相だった。

 しかし物理的な墓は地上に残らなくとも、多くの人々のこころのなかに墳墓ができたのである。

 劉暁波の親友だった余傑は現代中国を代表する作家の一人である。

余は中国の監視から逃れ米国へ渡った。事実上の亡命である。

その余傑が精神を絞り込んで、書き上げたのが本書である。

 余は、こう書いた。

 「(遺言は)暴力を乗り越えて正義と和解を実現できる理念である」(中略)

「中国では、それはまだ幽谷のこだまのように空しく響くだけである。

しかし、劉暁波の提唱により、春雨のように『風に随って潜かに夜に入り、物を潤し細かにして声なし』(杜甫)と、人々にしみ浸みいることだろう」(351p)

 劉暁波は天安門事件の学生運動を支援し、学生を背後で鼓舞して「黒子」とも言われたが、長年の思考の蓄積をもとに書き上げた、「08憲章」を起草し知識人を奮い立たせた。

この憲章は忽ちのうちに全世界に伝播し、チェコの大統領バーツラフ・ハベルらが感動し、賛同を呼びかけた。

劉暁波は、何回も米国へ出国のチャンスがあったのに、自分の意思で中国に留まった。何が彼をしてそうさせたのか?

 「心の自由のために、彼は身体の不自由という代償を支払った」と余傑は言う。

 「どうすれば長期間もの牢獄にいる災厄に打ち砕かれずにすむだろうか? 

劉暁波は自身で体得したことを次のように語っている。

『極端に過酷な環境の中で、楽観的平常心を保ちさえすれば、時に襲われる絶望も自殺の毒薬にならずにすむ。

特段の災厄に遭っても、男に捨てられてくどくどグチを言い続ける女のようにならずにすむ。

なぜ自分はこんな不運な目に会うのだろう』といった自己中心の深い淵に陥らずにすむ」(286p)。

 精神的に惰弱となった現代日本の若者に、この書を読んで貰いたい。

 なお劉暁波の略歴は次の通り。

1955年12月28日、吉林省長春に生まれる。

文芸評論家、詩人、文学博士(北京師範大学大学院)、自由を求め中国民主化に尽力。

1988年12月から米国にコロンビア大学客員研究員として滞在するが、天安門民主化運動に呼応し、自らも実践すべく予定をきりあげ急遽帰国。

1989年6月2日、仲間3人と「ハンスト宣言」を発表。

4日未明、天安門広場で戒厳部隊との交渉や学生たちの無血撤退に貢献し、犠牲を最小限に止める。

その後、反革命宣伝煽動罪で逮捕・拘禁、公職を追われる。釈放後、文筆活動を再開。

1995年5月~1996年1月、民主化運動、反腐敗提言、天安門事件の真相究明や犠牲者たちの名誉回復を訴えたため拘禁。

1996年9月から1999年10月、社会秩序攪乱により労働教養に処せられ、劉霞と獄中結婚。

2008年12月8日、「08憲章」の中心的起草者、及びインターネットで発表した言論のため逮捕・拘禁。

2010年2月、国家政権転覆煽動罪により懲役11年、政治権利剥奪2年の判決確定。

2010年10月、獄中でノーベル平和賞受賞。2017年7月13日、入院先の病院で多臓器不全で死去(一説では事実上の獄死)。

 著書多数。日本語版は『現代中国知識人批判』、『天安門事件から「08憲章」へ』、『「私には敵はいない」の思想』、『最後の審判を生き延びて』、『劉暁波と中国民主化のゆくえ』、『牢屋の鼠』、『劉暁波・劉霞詩選』(近刊予定)
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書評 しょひょう : 西尾幹二全集 第十八巻『国民の歴史』(国書刊行会)

2018-01-10 09:16:37 | 書評

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 あの強烈な、衝撃的刊行から二十年を閲して、読み返してみた
  歴史学界に若手が現れ、左翼史観は古色蒼然と退場間近だが

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西尾幹二全集 第十八巻『国民の歴史』(国書刊行会)
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 版元から配達されてきたのは師走後半、たまたま評者(宮崎)はキューバの旅先にあった。

帰国後、雑務に追われ、開梱したのはさらに数日後、表題をみて「あっ」と小さく唸った。

 二十年近く前、西尾氏の『国民の歴史』が刊行され、大ベストセラーとなって世に迎えられ、この本への称賛も多かったが、批判、痛罵も左翼歴史家から起こった。

初版が平成11年10月30日、これは一つの社会的事件でもあった。もちろん、評者、初版本を持っている。

本棚から、ちょっと埃をかぶった初版本を取り出して、全集と比較するわけでもないが、今回の全集に収録されたのは、その後、上下二冊の文庫本となって文春からでた「決定版」のほうに準拠する。

それゆえ新しく柏原竜一、中西輝政、田中英道氏らの解説が加えられている。

 初読は、したがって二十年近く前であり、いまとなってはかなり記憶が希釈化しているのは、印象が薄いからではない。

その後にでた西尾さんの『江戸のダイナミズム』の衝撃と感動があまりにも大きく強烈だったため、『国民の歴史』が視界から霞んでしまった所為である。

 というわけで、正月休みを利用して三日間かけて、じっくりと再読した。

こういう浩瀚な書籍は旅行鞄につめるか、連休を利用するしかない。

 そしてページを追うごとに、改めての新発見、次々と傍線を引いてゆくのだが、赤のマーカーで印をつけながら読んでいくと、いつしか本書は傍線だらけとなって呆然となった。

 戦後日本の論壇が左翼の偽知識人にすっかり乗っ取られてきたように、歴史学界もまた、左巻きのボスが牛耳っていた。

政治学を丸山某が、経済論壇を大内某が、おおきな顔で威張っていた。

それらの歴史解釈はマルクス主義にもとづく階級史観、共産主義の進歩が歴史だという不思議な思い込みがあり、かれらが勝手に作った「原則」から外れると「業界」から干されるという掟が、目に見えなくても存在していた。

 縄文文明を軽視し、稲作は華南から朝鮮半島を経てやってきた、漢字を日本は中国から学び、したがって日本文明はシナの亜流だと、いまから見れば信じられないような虚偽を教えてきた。

 『国民の歴史』は、そうした迷妄への挑戦であった。

だから強い反作用も伴った社会的事件なのだ。

 縄文時代のロマンから氏の歴史講座は始められるが、これは「沈黙の一万年」と比喩されつつ、豊かなヴィーナスのような土偶、独特な芸術としての高みを述べられる。

 評者はキプロスの歴史博物館で、ふくよかなヴィーナスの土偶をみたことがあるが、たしかに日本の縄文と似ている。

遅ればせながら評者、昨年ようやくにして三内丸山遺跡と亀岡遺跡を訪れる機会をえた。

弥生式の吉野ケ里でみた「近代」の匂いはなく、しかも発見された人骨には刀傷も槍の痕跡もなく、戦争が数千年の長き見わたって存在しなかった縄文の平和な日々という史実を語っている。

 魏の倭人伝なるは、取るに足らないものでしかなく、邪馬台国とか卑弥呼とかを過大評価で取り上げる歴史学者の質を疑うという意味で大いに賛成である。

 すなわち「わが祖先の歴史の始原を古代中国文明のいわば附録のように扱う悪しき習慣は戦後に始まり、哀れにも今もって克服できない歴史学界の陥っている最大の宿唖」なのである。

「皇国史観の裏返しが『自己本位』の精神をまでも失った自虐史観である悲劇は、古代史においてこそ頂点に達している」(全集版 102p)

 西尾氏は中国と日本との関係に言語体系の文脈から斬りこむ。

 「古代の日本は、アジアの国でできない極めて特異なことをやってのけた、たったひとつの国である。

それは中国の文字を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。

中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでも維持する。

これは決然たる意志であった」(92p)

 「江戸時代に日本は経済的にも中国を凌駕し、外交関係を絶って、北京政府を黙殺し続けていた事実を忘れてはならない」(39p)。

 こうして古代史からシナ大陸との接触、遣唐使派遣中止へといたる過程を通年史風ではなく、独自のカテゴリー的仕分けから論じている。

 最後の日本とドイツの比較に関しても、ほかの西尾氏の諸作論文でおなじみのことだが、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の偽善(ナチスが悪く、ドイツ国民も犠牲者だという言い逃れで賠償を逃げた)の発想の源流がヤスパースの論考にあり、

またハイデッカーへの批判は、西尾氏がニーチェ研究の第一人者であるだけに、うまく整理されていて大いに納得ができた。

 蛇足だが、本巻に挿入された「月報」も堤尭、三好範英、宮脇淳子、呉善花の四氏が四様に個人的な西尾評を寄せていて、皆さん知り合いなので「あ、そういう因縁があるのか」とそれぞれを興味深く、面白く読んだ。

 三日がかりの読書となって、目を休めるために散歩にでることにした。

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