マイ・シークレット・ガーデン vol.2

アニメ好きハハがネタバレ感想等をつぶやいてます。秘密のお庭へ遊びにいらっしゃ~い♪

大東亜戦争開戦の日

2013年12月08日 | モノローグ
京都議定書!
最近は下記のブログさまにちょくちょくお邪魔していたりいなかったり^^
お時間あったら若い皆さんに読んでもらいたい。


【ねずさんの ひとりごと 大東亜戦争開戦の日に思う 】


【真珠湾攻撃の日 : ダーリンはフランス人 in 韓国 】


【日本人は生存に値せず ~ ハル・ノート: かつて日本は美しかった 】


【アメリカの歴史の真実① - 日本が好きなだけなんだよ 】


【月見櫓 何故日本政府は、韓国を切り捨てないのか 】



大東亜戦争【不屈の武士道精神】





私が何かおかしいと思い始めたキッカケはフィギュアスケートでした。
ちょっと検索してみたら納得出来るサイトがぼろぼろ・・
それがいつの間にか歴史のお勉強に繋がってゆきました。

【浅田真央が戦ってきたもの - このページ内容は転載することが認められています。 】

大和撫子たちは頑張っています。
全員サッカーで行くわよ!と。

【あんたたちもっと驚きなさいよ バナー掲示の件(初出;12/08、12/09追記あり) 】



神風特攻隊 「命の使い方」~日本人として知っておきたいこと~




大東亜戦争末期
昭和19年6月15日 ついにサイパン島が陥落
B29による日本本土への直接爆撃が可能となった
さらに日本と南方の石油をつなぐ戦略的な要所であるフィリピンの攻撃に米軍が動いた

フィリピン本島

部下「大西中将、サイパンが陥落しました!米軍が来ます。」

・・・・・

大西「そうか、皆を招集しろ!!」

フィリピンを守る航空艦隊の戦力 零戦 わずか40機
これだけの戦力でどうしようもないことは明らかと思われた

大西「サイパンが陥落した、
ここは爆薬を250kg抱かせて体当たりするほかに確実な方法はないと思うが……」

隊員「やらせてください!」

この時、全員が両手をあげてこの作戦に賛成した
当時の隊員たちの士気はそんなものであったのだ

神風特別攻撃隊の編成である

特攻の父と呼ばれた大西中将が特攻隊編成直後
涙ながらに、隊員たちに語った言葉がある

「特攻は統率の 外道 である。」

「もう 戦争 は続けるべきではない。」

「ただアメリカを 本土 に迎えた場合、

歴史に見る、インディアン、ハワイ民族のように闘魂あるものは次々に各個撃破され、

日本民族の再興の機会は
 永久 に失われてしまうだろう。」

「しかし、 特攻 により、

敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができる。」


「そのために・・・・特攻を行ってでもフィリピンを 最後 の戦場にしなければならない。」

「しかしこれは、 九分九厘 成功の見込みなどない。」

「では、何故見込みのないのに、このような 強行、愚行 をするのか?」

「ここに信じてよいことがある。」

「いかなる形の講和になろうとも

日本民族 がまさに亡びんとする時に当たって、

身をもって防いだ
 若者 たちがいたという歴史の残る限り

500年後、1000年後

の世に必ずや日本民族は 再興 するであろう。」

この言葉を胸に隊員たちは飛び立っていった

みずからもメッセージを残して・・・・・




以下は動画(BGMの「キミガタメ」も良いです)をご覧下さい。



大西瀧治郎中将特攻作戦の真意
敗戦が決まった翌日の同年8月16日、大西中将は割腹自殺しました。


なんかね。
なにから話してイイのかわからなくてぐちゃぐちゃなんですが、
最後の特攻隊の動画。
私は、
戦争がどうしても避けられないことだったとしても、
特攻隊(回天なども)は非道いと思っていました。
けれど、この動画を見て考えが変わりました。
ねずさんの他の記事にも共通する意識があるんです。
ただの美談とかじゃないんです。
戦争を知らない、平和な日本しか知らない私たちにはわからない。
愛する国を守りたいという純粋な思いがあったと。
誰だって死にたくなんかはなかったと思います。
けれど、
日本はそこまで追い詰められていたし、
本土にいる家族、愛する人を守りたい一心だったと思うんです。
祈りに近いような・・
徹底的に国が滅ぼされても、
自分たちの行動でいつかこの国が再興なるなら・・と・・

最近になって、
やっとそんなことがわかるようになりました。
私の意識が変わろうと、蝶のはばたきにさえなりませんが、
戦後民主主義教育に浸かったこのお○さんの意識を、
彼の若者たちは変えてくれました。
ありがとう。
想いは受け継がれ続けると信じたい・・

大東亜戦争開戦の日

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