「欲望の体制」がこの世を支配している。このようにこの世を断言したくはないのですが「忖度」という言葉が乱れ飛び、「ヤバいよ!」「ヤバいよ!」と子供たちまでも意味も知らず流行(はやり)言葉として日常の中で使用し、何事かを察知する感覚が鈍化し続けているように見えます。
真なるもの、善美なるものがあっても、それにみずからを従わせ、それに向かって努力しなければならないという感覚をすでに持ち合わせていないのではないだろうか。
自分たちの福利のみを追求するという欲望の反乱が、この世を「欲望の体制」が支配していると言わしめます。
どう見ても「おかしい」と思うのですが、何かを期待するかしないのか、時だけが過ぎて行きます。
「罰当たりなことを」と思うのですが、「罰する主」が失せた現代では世論のみが頼りに思えますが、「世論」などは風評の域に止まり、「罰当たり」はいつしか過去の産物に、ひょっとすると思いも出されないことになってしまうのかもしれません。
「神は死んだ」のだろうか。
今や実存的無意識の理性や愛の叫びに主を観ようとするも精神的無意識は、真に発動することはなくなっているように思ってしまいます。
人間は期待された存在と、生きる意味を求めようとするも、時は流れ『夜と霧』は話題にも出てこなくなってしまいました。『生きがいについて』神谷美恵子さんが語ろうが、アルベール・カミュがその作品の中で「何ごとか」を教示しようが、聞く耳を持たない人が大半で「罰当たりなこと」は個人的な吐露の内にいつの間にか霧散してしまう。