今年の2月のはじめに「一筆啓上・「母」への手紙」というタイトルで、福岡県丸岡市の「日本一短い手紙」の話を書きました。
まったく知らなかったのですが、この『日本一短い母への手紙 一筆筆啓上』という本のタイトルと全く同じ題名の東映の映画があることを知りました。
図書館で映画DVDも借りてくるのですが、このタイトルのDVDがあるのを発見、昨日観ました。
著書で紹介されて230通の作品の中の一通の短い手紙から伊藤亮二さんと澤井信一郎さんという方々がオリジナル・ストーリーで脚本化し澤井信一郎さんが監督した作品なのだそうです。
主演は「江戸城大乱」の十朱幸代。
共演は「螢II 赤い傷痕」の裕木奈江
「汚い奴」の原田龍二
で小林稔侍さんがお父さん役で出ていましたが早い段階で心不全で亡くなってしまい、映画は上記の3人が主に登場するストーリーの展開でした。
goo映画というサイトにこの映画のあらすじが書かれていました。
<あらすじ - 日本一短い「母」への手紙>
長野の装飾デザイン会社で働く前原真紀とその弟で大学生の宏は、建設会社で働く父・道夫のもとで、母が18年前に去ってから三人で暮らしてきた。
母の多恵は18年前に家族を捨てて別の男のもとへ走ったのだ。父はその後も恨み言ひとつ口に出さずにいたが、母に対してどんな気持ちを抱いているのか、真紀はそんな思いにとらわれていた。
そんな折り、父が心臓発作で急死してしまう。父の四十九日の報せを作りながら、いつしか真紀はワープロに向かって自分の気持ちを打ち込んでいた。「あの人と幸せでしょうか、お母さん。父さんは無口を通し逝きました」というたった二行の短いフレーズに母への思いを込めて。
偶然、この文章に気づいた宏は、真紀に内緒で“日本一短い「母」への手紙”コンテストに、それを応募してみることを思いついた。真紀の文章は秀作に選ばれ、それをきっかけに宏は別れた母を探し始める。
ついに探し当てた母・多恵は、銀座でクラブのママをしていた。宏は不思議なほど18年の空白を感じていなかった。多恵と宏は、母と息子として水入らずの時を過ごしたのである。そんなある日、東京での宏の様子を見に松本からやって来た真紀が、宏のアパートで多恵と鉢合わせしてしまった。真紀は驚きと怒りで多恵をひどくなじる。
18年前に家族を捨てたことに対する憎しみの言葉を浴びせられ、多恵には返す言葉もなかった。宏は多恵に一緒に暮らそうと提案するが、多恵はそれを断り、シンガポールで独り出直す決心を固めた。そんな矢先、宏が交通事故に遭って入院した。事故の知らせを聞いた真紀は、会社の上司でもある坂田とともに上京する。
その病院で真紀と多恵は再び出会うが、二人は言い争うしかできない。幸い宏は大事に至らず、多恵は黙って夜の病院から去っていこうとしていた。頑なだった真紀は好意を抱いている坂田に諭され、その言葉でようやく素直になる。真紀は多恵を追いかけて、「私、ずっとお母さんが欲しかった」と18年の思いのたけをぶつけると、泣きながらきつく抱き合うのだった。その翌日、シンガポールへ向かう多恵を乗せた飛行機は、晴れわたる青空の中に静かに溶けていった。
<以上>
『 日本一短い「母」への手紙』の秀作に選ばれた、
「あの人と幸せでしょうか、お母さん。父さんは無口を通し逝(ゆ)きました」
(東映DVD日本一短い「母」への手紙 から>
という長野県の方が出された作品を上記のとおり伊藤亮二さんと澤井信一郎さんがオリジナル・ストーリーで脚本化したのですが、
作品を出されたのが長野県の伊藤岬さんという方なので、諏訪湖が出てきますし伊藤亮二さんという方はこっそり姉の手紙を出された弟さんのような気がします(まったくの推測)。
「あの人と幸せでしょうか、お母さん。父さんは無口を通し逝(ゆ)きました」
この短い文章から私ならどんなストーリーが展開できるだろうか?
当初本を読んだ時にこの作品も秀作の中に見たのですが、「訳あり」程度で2月のブログにも取り上げませんでした。
言葉というものは「言語遺伝子」FOXP2という、第七染色体の長腕部に存在する遺伝子が関係しその遺伝子は、今から10万年前ごろに発生しているようです。文字になると1万年ホモ・サピエンスが定住したころからの発明になります。
言葉は不思議なものです。
・あの人と幸せでしょうか、お母さん。
・父さんは無口を通し逝きました。
この二つの文章からなる1通の手紙。
人の人生、他人の生き方、家族の物語・・・・・。
欲望、怒り、赦し、愛、子の思い、母の思い・・・・応募に参加する。
お母さん役が十朱幸代、私の好きな女優さん。
三人で幸せに暮らすのかと思いきや、最後はシンガポールへ向かう(新たな人生の旅立ち)母で終わります。
「いつかまた会おうね」・・・。
「言葉の背景にあるもの、立ち現われるもの」・・・今朝はこんな話を書くことにしました。