思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

マイケル・サンデル 究極の選択 ・許せる格差 許せない格差(1)他人の視点に立ってものを見る

2012年03月20日 | ハーバード白熱教室

[思考] ブログ村キーワード

 昨夜NHK総合で「マイケル・サンデル 究極の選択 ・許せる格差 許せない格差」が放送されました。

番組紹介には次のように書かれています放送予定
 
<内容紹介>
 あなたは企業の社長である。業績好調で100万ドルの余剰金が生まれたとき、あなたは100人の社員にボーナスをどう分配するだろうか。重役たちか。最も功績のあった社員なのか。それとも社員全体に平等に配分するのか。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授があなたに究極の選択を突きつける。
 
 今回のテーマは経済格差。今世界中で経済格差への怒りが噴き上がっている。先進国では景気の悪化で、若者の雇用が真っ先に切り捨てられ、医療や教育など社会保障が削減され続けている。一方で、一握りの成功者による富の独占が進んでいる。「格差」は、経済活動のためにはどうしても避けられない必要悪なのだろうか。それとも絶対に許されないものなのか。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が、日米中の若き知性とインターネット中継で結びながら、多彩なゲストを交え、格差をめぐる難問・究極の選択を突きつける。

出演 ハーバード大学 マイケル・サンデル教授
ゲスト 竹中平蔵 猪瀬直樹 古田敦也 眞鍋かをり ピース又吉

<以上>

 今回はとてもサンデル教授の政治哲学の白熱議論の姿とまとめの素晴らしさが見られ、日本人へのメセージが込められていました。

 議論内容は割愛し、最後の部分のサンデル教授の言葉を紹介したいと思います。

 総務大臣などをを歴任した経済学者竹中平蔵が議論雄最後に「サンデル教授が日本の議会議長であったなら」と言われた。

 その言葉は日本の参加者の気持を代表する言葉ではなかったかと思います。

そして最後にサンデル教授は次の言葉を残しました。

【サンデル教授】
 私たちは実に多くのテーマについて議論してきました。

 格差の差は許されないことなのか。

 私たちの社会は、あるべき正しい世界から遠ざかろうとしているのか。

 あるいは許される格差もあるのか。

 会社の給料や野球の選手に差があるからこそ人々はやる気を高め、努力をし成果を達成しようとする。

 それが社会全体にとってより良い結果を引き出している。そう言い切れるのか。

 大きな哲学的な問題にもぶつかった。

 「何が正義かは立場によって決まる。」という意見があった。

 かつてソクラテスはこう考えた。「正義とは最も力のある人間が決めるというものではなく、経済力や軍事力とは無関係に存在しているはずだ。

 自分の立場を超えて、誰もが納得できる、正義や公平さの基準があるはずだと!

 近代になってこの考え方を進めた人がいた。ジョン・ロールズ(1921~2002)という哲学者だ。

 彼は「無知のベール(verl of ignorance)」という考え方を称えた。それぞれの社会的地位や立場、お金の有る無しとは関係なく共通の正義を見い出そうという考え方だ。

 それはこういうものだ。

「あなたが無知のベールに覆われ、自分の立場も相手の立場も、能力、周囲の状況も何もわからないと想像してみよう。自分が金持ちなのか、貧乏人なのか、健康なのか病気なのか、情報がなのもない状況で“正義”が何かと問われた時、そのときのあなたの答えこそが正義についての真の答えだ。」

というものだ。このようにお互いにとって共通のルールを導き出そうとするときは、今自分がいる社会的立場から一歩離れ、他人の視点に立ってものを見る、というのが一つの方法だ。

 これにはあなたの想像力を発揮する必要がある。もし自分が打率わずか2割の野球選手だったら、もし貧しい家に生まれていたら、移民労働者だったらその時、人生についてどのように感じるか考えてみてほしい。

 さあ今日ここでの議論は、実にすばらしいものだった。全員がそれぞれの違いやお互いとの距離をのり越えながら正義や平等について考え、社会が抱える格差の問題にどう向き合いどう考えればよいか、手本を示すことができたと思う。

 参加してくれてどうおありがとう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 サンデル教授は、最後にジョン・ロールズの原理で終わりました。本来なら前回の「負担ありき自己」から「棚上げ論」批判へとなるところそうはぜずに、「相手のことを配慮して行動せよ」というカント的な格率を見るローズの原理を紹介しました。

 ジョン・ロールズの「公正」とは、「立場入れ替え可能性の確保」で「立場入れ替え」は即ち「相手の立場に立って」であり「可能性の確保」は即ち「配慮した行動」です。

 簡単な話でその通りの話しなのですが、それが昔から日本ではできない。そのような社会システムが構築されていない。そんな思いがしました。

 小さなシステムにおいては「折り合い」の思想はあったが、それが相似的に拡大できなかった。そんな歴史の中でこの議論が行なわれ、とサンデル教授の教示となった。

 サンデル教授が議長ならば、今の国会は多分成り立たなくなってしまうでしょう。

 絆、絆、相手との分かち合い・・・・この裏側に見えてこない足かせを外さない限りほんとうの意味で人々の求める社会は実現できないと思います。

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