思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

「幻の命」と「間引き」の話し

2012年08月13日 | 思考探究

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 「世界の終わり」の『幻の命』という曲を知っていますか?
 
 7月24日付でNHKで放送された「日本人は何を考えて来たか第7回」“魂のゆくえを見つめて~柳田国男 東北をゆく~ ”についてブログアップしました。
 
 ブログには書かなかったのですが番組では、徳満寺の絵馬が紹介されました。

 「柳田國男先生は神霊空間に感能できる資質のある方で、柳田先生が常民の心意現象の奥深いところまで、その民俗学者としての省察を及ぼすことができたのは、見る側の主体にそれを感能できる資質と体験があるからであろう。」と色川大吉さんは『日本民俗文化体系1柳田國男』(講談社)の中で述べた後で『故郷七十年』の次の文章を引用している。

<『故郷七十年』から>

  産褥(さんじゅく)の女が鉢巻きを締めて、生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なもので・・・・・障子にその女の影絵が映り、それには角が生えている。その傍らにに地蔵様が立って泣いているという意味を、私は子供心に理解し、寒いような心になったことを今も憶えている。

これが徳満寺の「間引き」の絵馬の話しです。この「間引き」については東北のみの話ではなく、その当時は全国的なことで深沢七郎作の小説『楢山節考』の映画にはリアルに捨てられた嬰児の姿にビックリしたことを思い出します。

 食糧難の場合は食料調達が最大の関心ごとですが、ある程度の食料の補償があると楽しみのない時代の関心ごとは性的欲求の満足ということになります。避妊具などというものがなかった時代、間引きは生児を人為的に処理して子どもの数を制限することで、江戸時代の後期における人口の増加が少なかった理由の一つとして、この風習があげられ、全国的な行なわれていたということです(『民俗学辞典』(柳田國男監修 東京堂版)。

 この民俗学辞典には最後に「この風習は・・・決して良いこととは思われていなかったが、生活上避くことのできなかったもので、今日の如き罪悪感は抱かれなかったらしい。」と書かれています。仁政を施したと伝えられている大名はこれを防止しようとして子どもの多い者には養育料や扶持米を与えるなどの制作を積極的に行っていたようです。

 私はこの問題について書いていなかったのですが、この番組を観られた方がこの「間引き」のリアルな話に驚き、コメントを寄せてくれました。

 その際ある若いバンドの多分「地球の終わり」というグループ名なのかも知れませんが彼らの「幻の命」という歌の最初の歌詞を添付され「どのように思いますか」という質問がありました。このバンドやこの曲について、わたしは知らなかったのですが、大変人気がある曲らしいのです。(※興味のある方は、「世界の終わり/幻の命」(YouTube)で確認してください。)

歌詞は、以下の通りです。

作詞 深瀬慧 
作曲 藤崎彩織
唄 世界の終わり
 
「幻の命」

白い星が降る夜に
僕からの賛美歌を
蒼い銀河の彼方にufoが
君を連れて消えてゆく

白い病院で死んだ
幻の命に
眠れない夜に夢で逢えたらと
蒼い月に祈るんだ

幻に夢で逢えたら
それは幻じゃない
僕もいつの日か星になる
自由が僕を見て笑う


嘘がきらめく夜に
偽物の花束を
青い銀河の彼方にufoが
僕を連れて消えて行(ゆ)く

白い病院で死んだ
僕たちの子供は
もうこの世界には居ないのに
何んで何も感じないんだろう

幻夢で逢えたら
それは幻じゃない
僕が幻になれた夜
白い星が空にふる

April 30, 2005
 Our child became the phantom.
 We named “the life of phantom”, TSUKUSHI.
 It was a night with the red moon blazing beautifully.
 
君のパパとママの歌

(※英文訳:2005年4月30日。私たちの子供は幻になりました。私たちはその幻を月詞と名付けました。それは美しい赤い月の夜でした。)

<以上>

意味がつかめない曲ではないのですが、寄せられたコメントには、

白い星が降る夜に
僕からの賛美歌を
蒼い銀河の彼方にufoが
君を連れて消えてゆく

白い病院で死んだ
幻の命に
眠れない夜に夢で逢えたらと
蒼い月に祈るんだ

の部分だけ書かれていたので、文脈の流れがまったくつかめず皆目統合されない分裂形の印象を受けてしまいました。

 しかし曲を聞いてみて全歌詞を知ると、「間引き」の話とともにコメントにこの曲が関連するかよくわかりました。

 人間は語る存在といわれますが、まさにそのとおりです。わたしは語られる文章の文脈に語り手の存在を置くとともに、語られた受け手として自分の理解を進めるのですが現実界(ラカンの言う)の話のようになってしまいます。

 ことばを使用する限り100%の意味理解はありえません。精神分析臨床医の斎藤環さんが『生き延びるためのラカン』(basilico)で、

<斎藤環著『生きのびるためのラカン』から。>

・・・・僕らはふだん話している「現実」とは何か、ということになるけれど、それは多くの場合、想像的なスクリーンに映し出された「日常世界」のことを意味しているんだよ。だからよく「虚構と現実を混同して」なんて言い方があるけれど、ラカン的な立場からは、むしろ誰にとっても虚構と現実との間に明瞭な線引きなんかできないということになる。つまり、この「日常」だって、たまたま「リアリティ」を少々濃いめに割り当てられた「虚構」の一種、ということになるわけだね。そんな馬鹿な、現実は唯一絶対なものに決まっているんじゃないか、と言いたい? でもね、それがあやふやだからこそ、僕らは虚構を虚構として楽しめるんだと思うよ。

<以上同書p176>

 この著書は若者向けに素人でもとてもわかり易く臨床医の立場でラカンの精神分析について語っています。

「幻の命」という詩、隠喩が多用され真相は「薮の中」ですが、言えることはあくまでも想像界(ラカンの言う)の領域です。隠喩がそれを物語っています。

 今の社会では「間引き」が現実離れした夢物語です。現代人がそのリアリティにびっくりするのは今に生きているからです。

 「今日の如き罪悪感は抱かれなかったらしい。」の民俗学的な解釈は真実なのだろうか。

 絵馬内の「障子にその女の影絵が映り、それには角が生えている」とその絵馬の奉納。

 世の中の怖さと魂鎮め的な想いがあったのでしょうか。

 番組では過去に発生した津波で亡くなられた人々の、死後の幸いの姿を描いた絵馬も紹介されていました。

 胡蝶の夢を胡蝶の夢として意味理解できる内は、分裂にはありません。

 想像界において、虚構と現実との間に明瞭な線引きなされている内はよいのでしょうが、幻覚的な、虚構的なものと一般的に言うところの現実が統合されると恐ろしいことになります。

 「幻の命」がどうして人気があるのかについては、幻覚、虚構好きの人、特に若い人はその傾向が強いのではないでしょうか。

 間引きは、時代的にあった事実、「幻の命」は体験なのか虚構なのか解りませんが、ここまでリアルに書かれているのですから、虚構なのだと思います。

 もしもこれが事実でさらに軽快な曲に乗せられ歌われるとするならば、・・・・・実際はこの詩で詠われているのですが・・・・・穏やかではない現実が理解できます。

 「白い星が降る夜に 僕からの賛美歌を」

 の一節で、間引きの絵馬の奉納に転化できるのでしょうか。しかし軽い。穏やかではない軽さを感じます。

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13 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-09-17 18:13:27
ただ単に中絶した話ですよ、幻の命は
そう思う人が多くなる時代 (管理人)
2012-09-17 19:15:14
>Unknown様
 コメントを期待していませんでした。感謝です。
 
>ただ単に中絶した話ですよ、幻の命は<

私もその通りだと思っています。深層では間引きの絵馬とに通底するところがあるように感じます。

「ただ単に」ていうのがどうも苦手で、現存在のリアルさを言葉にするのも思考力を高めるように思います。

絵馬にするのは魂のリアルな呪縛。この歌も軽やかに歌っていますが魂の呪縛でリアルさにおいてはお同じなんでしょうね。

 どうしてもこのブログにコメントしなければ、と思われたその衝動に不思議さを思います。
管理人に同感です。 (鵲のはた)
2012-09-22 22:14:49
わたしのブログ、週末になるとぐっとアクセス数が減るのですが、それでも、幻の命の記事だけは、ダントツです。この意味がわからなくて、ずうっと真剣の鋒(きっさき)を喉元につきつけられたような気持ちで、ものをおもってきました。
なにも背景を知らなくて書いた記事です。それでもものすごくなにかことばにならないものを強く感じたんです。
と同時に、新しいもの、ある精神の芽吹きみたいなものもね。

わたしのあの記事を読んでくださっている方たちは、毎晩おなじ人とは限らないでしょう。だけど、わたしとおなじように何かを強く感じ、それが何かを確かめたくて、共感したくて、来るんだろうと思います。
じぶんたちの都合でうばった何のつみもない命。
幻としてしまった確かな命。
その事実は決して消えない、消せないことを知っているこころが、はじめてものを考え始めるのだろう。
それらのこころたちは、なにも、ことばをいいません。しかし、かささぎはおそらくそうだろうとおもい、数字に納得しては、ひそかに安堵するのです。
ありがとう、どうもありがとう。上記コメントをのこしてくれたあなたにも。
継続的な思索へ (管理人)
2012-09-24 20:59:47
>鵲のはた 様
 「幻の命」の話題は非常に考えさせられます。さらに今回の「ただ単に」のコメントにも未だに考えさせられています。

コメントを寄せてくれた方は、どのような心情でこの言葉が出たのか、単純にそう思ったとしてもニヒリズムを離れて、その日本的深層を思うときがあります。
和歌にこういう歌があります。「人すまぬ不破の関屋の板びさしあれにし後はたゞ秋の風」(後京極摂政藤原の良経)
 この「たゞ秋の風」に使われている「ただ」に重なりある種の安堵感を感じているのではないかということです。ただ単ににすることによって安堵感を得る。
 こう見るとニヒリズムの克服にも見えてしまいます。
 森本哲郎さんはその著『日本語 表と裏』でこの「ただ」も含めた「どうせ」という言葉を語っています。
 日本の歌謡曲に多い「どうせ・・・・・」、今はそんなに使われていないと思いますが、投げ槍ではなく安堵の心・・・・このような思想もあるやもしれない。「幻の命」軽く歌うところに日本的な安堵もある、そう考えることもできますね。
Unknown (世界の終わり)
2012-12-05 18:40:19
私は世界の終わりさんが大好きです。
中絶をしたとかはよく分かりません。でも、最初のコメントされた方のただ単に…というのはちょっと…どうかと思います。
色々なことがあって考えてやったことだと思います。
第三者が勝手な憶測を自分勝手にいうのは変ではないでしょうか?
私の考えはおかしいでしょうか?
決して間違っていません (管理人)
2012-12-05 20:51:30
>Unknown 様
 コメントありがとうございます。
 音楽も含めて芸術は、作者の思いの作品です。そこに作者が意識的であろうと無意識的であろうと、その人自身の個性が織り込まれています。その個性は語ることはできませんが共感するところ、心が魅かれるものがあれば作者と重なる心を共有できます。

 それに反して違和感をもつのは、見る側である受ける側に作者と相反する思いが湧くからです。なぜその違和感が発生するのだろうか、それはそれぞれに個性があるからです。

 今回コメントをどうしてもしたくなった気持ちが私にはよくわかります。

>私の考えはおかしいでしょうか?

 決しておかしなことはありません。私のブログを読まれて、そのように意見をもたれそのように書き込みたをしたことは大変大事なことです。もっと言いたいことがあるならば自由に書き込んでください。

 私も新しい発想で湧いたらまた考えさせていただきます。よろしくお願いします。
「幻の命」と「鈴木先生」 (かささぎの旗)
2012-12-23 11:34:58
大門さん。
今朝なにげなくアクセスをみていましたら、幻の命がまたまたすごく増えていました。一度衰えた火が再び盛んになっている。
気になり、幻の命を検索用語として検索しますと、ここが一番目にヒットします。
驚きました。気づいていらっしゃいますか。
若者はなにもいいません。しかしだからこそ。
時代を思います。
軽い、明るいといいますが、ほんとうにそうなのでしょうか。
鈴木先生(はりつけます)、本日まで無料放映されています。
幻の命と一脈通う非常に繊細な、優雅とも言える、文明の爛熟が生んだ時代精神を感じ取ることができます。
そうなんですね。 (管理人)
2012-12-24 08:36:45
>かささぎの旗 様
 アクセス数というものをあまり意識していませんでした。
 そううなんですね。検索する言葉に過去ブログの言葉を入れると、「思考の部屋」が1ページ目に必ず出てくることがあります。
 最近誰も話題にしない程度の意識で見ていましたが、それは検索数が多いということでもあるわけですね。
 しかし文才がないことが嘆きです。思いの50%もあらわされていない。だからと言ってそればかりが言いたいことではないので困りものです。
 魂とも心とも訳されるプシュケーは、命とも訳される時があります。「息=呼吸=命なんですね。
 最後の一息まで思考を続けたい私です。ありがとうございます。
幻の命 (かささぎの旗)
2013-03-28 07:17:02
毎日引用ご紹介している保健医療経営大学学長ブログでも、正面から、医学的社会的文化的民俗的に、人工妊娠中絶のことを書かれています。短い文章で、なんの感情も交えずに。医師だからできることで、私には絶対できないことです。
しかし、ブログを続けることで、日々の暮らしに埋もれている「時代精神の発掘」に知らず関与できている気がしてきました。

学長ブログといい、思考の部屋さんといい、得難い貴重なログ友に、心から感謝申し上げます。
幻の命 小説 (かささぎの旗)
2013-05-05 09:35:52
という検索用語でのアクセスから拙ブログにたどり着かれた人がいました。
ひらくと、このブログが五番目くらいにあり、一番目には、若い人の書いたものらしい小説が出てきました。
これもご縁ですから、記録としてご紹介いたします。
(アドレス、貼り付けておきます。)
みょうな気分です。

影たちが響みとよもす揚雲雀   かささぎ

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