思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

「空気が読めない」に思う

2009年08月05日 | つれづれ記

 今朝は、庭先の葉の裏側についている空蝉(うつせみ)を発見しました。「うつせみ」はやまと言葉で「現身(うつせみ)」の意味もあり、この世の人・この世・世間という意味もあります。

 7月22日の「仰天ニュース」というテレビ番組で「アスペルガー症候群」を取り上げていたことから、この発達障害のことについてその後ブログに書きましたが、その際にアスペルガー症候群とは何ぞやということで、

2004年の厚生労働省資料では、
○コミュニケーションの障害
○対人関係・社会性の障害
○パターン化した行動、こだわり
○不器用(言語発達に比べ)

と紹介しました。

 言い古された言葉ですが「空気が読めない(KY)」という言葉があります。これについては特に説明をするまでもありませんが、上記の発達障害の場合の「コミュニケーションの障害」「対人関係・社会性の障害」としての「場の雰囲気」「相手の意向」という健常者ならば持ちえているであろうものが欠如している状態にあたります。

 「空気が読めない」ということをそもそも言い始めたのはかの有名なイザヤ・ベンダサンの山本七平さんで「『空気』の研究(文春文庫)」で論述しています。

 意思決定を迫られた場合に、場の雰囲気、置かれた立場等を勘案しその結論を出して行くのですが、場に合っていないと「空気の読めない」レッテルが貼られることになるわけです。

 したがって「場」というものを、また「場」の中にある「わたし」というものをどのように思考できるかの結論になるように思います。

 それは場の論理で哲学的にも考察されてきたもので改めて場の論理は言及しませんが、視点を替えれば「世間」「世の中」をやまと言葉で言えば「うつせみ・うつそみ」の思考感覚までさかのぼることができるような気がします。

 このように展開していきますと「『世間』とは何か」ということになってきます。そこで参考になるのが、阿部謹也先生の研究成果で講談社現代新書からそのままの題名「『世間』とは何か」です。万葉から現代までの「世間」が論じられています。

 この本の表紙から引用します。

「世間」という言葉・・・家庭の中で親が子供に「日本社会では・・・・・」と話すことはそう多くはないだろう。しかし「そんなことでは世間に通用しないよ」などということはしばしばあるだろう。
 「渉る世間に鬼はなし」とか「世間の口に戸はたてられぬ」などの諺を知らない人もいない。
日常会話の中では、「世間」という言葉は今でも十分に生きているのである。
それどころか私達は世間という枠組みの中で生きているのであって、誰もが世間を常に意識しながら生きているのである。いわば世間は日本人の枠組みとなっているにもかかわらず、その世間を分析した人がいないという状況なのである。

ということで、世間についての解説がなされています。
 ここに「世間を分析した人がいないという状況」という阿部先生の意見があるのですが、このような主張は、先生の研究の視点の問題であって、上記に紹介しました山本七平さんの書籍もまた、山本さんの視点も無視されてしまいます。

 さらにして思考の視点、考察の視点となると道徳、倫理の研究と重なる部分が出てきます。ようは道徳・倫理・慣習・タブー(禁忌)を日本人はどのようにとらえてきたかに関係してきます。

 日本古代における道徳的なもの等の研究になるわけですが、そういう面の研究も当然あるわけで「空気が読めない」という話しは、機能障害を度外視にして大変興味深い研究課題のような気がします。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。