東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 城南 潤田~西山~大田方面史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2016年11月16日 | 歴史探訪他ウォーキング

 西山の荒神様を見学しおわると、次に西山院寮に向かいました。院寮は、稱名院に続く防陽八十八ヶ所霊場三十六番札所です。50年ほど前まで、ご住職夫婦が住んでおられたそうです。そして、小さなお店もしていたそうです。今は無人の寮ですが、当時、この寮を中心に前西山は賑やかだったのでしょう。

            今は無人の西山院寮、かつてはご住職夫婦が在住


 西山院寮の南側に傷んだ小屋のような建物があります。西山院寮よりも傷んでいます。窓ガラスが割れていました。屋根も崩れかけています。この建物は何なのでしょう。建て替える前の古い院寮なのでしょうか。地元の方も知らないようでした。いずれ朽ちて崩れるのではないかと思います。

 西山院庵より傷んだ小屋   手入れされた西山院庵    前西山のお地蔵様
  

 石山院庵を出ると、前西山の通りにお地蔵様がありました。比較的綺麗に維持されていますので、地元の方が綺麗に手入れているのではないかと思います。前西山の道をどんどん西に向かいました。うら寂しい道が続きます。そして,大田に入る幹道に入りました。しばらく歩くと、大田地区の広々として田んぼが見えてきました。収穫前の田んぼかと思っていたら、刈り取り後に生えたひこばえのお米が実っていました。

          大田地区の田んぼ、稲刈り跡に生えたひこばえ


 大田地区の田んぼを歩いていると、川で何かしている地元の方々がいました。測量をしているようでした。川の工事をするのでしょうか。しばらく大田の道を歩いて、山の急斜面を登りました。虚空堂に最短で行ける山道のようでした。急な道を歩いていると、窯のようなものがありましとた。お聞きすると、竹炭を作る窯とのこと。しかし、窯で竹炭を作っていた方が亡くなってからは、この窯が使われることはないとのこと。

  川を測量している方々   急な斜面の道を登る  今は誰も使わない竹炭の窯
  


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