東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷 教念寺跡などを散策

2015年12月09日 | 歴史探訪他ウォーキング

 このところ午前中は農作業をして、午後は史跡調査探訪に出かけています。今回は最初に、麻郷浜城にかつてあった教念寺跡を調査しました。江戸時代の記録に、麻郷にこの寺があったことが記載されています。永禄6年(1563年)に建立され、明治4年に麻郷から牛島に移転しました。ちなみに、教念寺建立後50年位以内に、大恩寺(1570),正信寺.円立寺.誓立寺(1586),専福寺(1592),龍泉寺(1615)などが建立されています。今、教念寺跡地には何も残っていません。五輪石や土台跡もありません。古そうな墓石が二基立っているだけです。

     教念寺跡、古そうな墓石が二基          教念寺跡近くの祠
 


 町作りと寺の建立はほぼ同じ時期が多いと思われます。それを考えると、今の田布施の街並みより浜城周辺の方が歴史が古いのかも知れません。明治以前、浜城や米出は賑わっていました。周東地区の主要官庁でもあった上関審判勘場の跡や漢学者亘理南山の石碑にその名残を見ることができます。明治の初めになっても賑やかで、三階建ての呉服屋などがありました。
 賑わいの変遷や政治的な理由などにより、お寺が移動することはよくあったようです。明治初期多くのお寺が廃寺になりましたが、教念寺の場合は廃寺ではなく牛島への移転の道を選んだようです。来年は八島をウォーキングする予定ですが、再来年は牛島をウォーキングして教念寺を訪れたくなりました。

 蓮輪のお地蔵様跡         蓮輪お志荷様の祠        井神山中の祠
  

 地元でもこの地にお寺があったことを知る人はほとんどいません。わずかな名残として、 この場所を教念寺藪と呼んでいます。ところで、教念寺への細い道の途中に祠がありました。何の祠か分かりません。近くに住む同級生Kさんを訪ねましたが分からないとのこと。Kさんの御母堂に聞いてみるとのこと。これら山や藪の中の祠は、忘れ去られる運命のようです。続いて、蓮輪のお地蔵様跡やお志荷様の祠を訪ねました。そして、麻郷井神の山中にある祠も訪ねました。近所を散策している方に聞きましたが、祠があることすら知らないようです。 

                  丘上の眺めが良い場所に建つ荒神様の祠


 続いて助政の祠を訪ねました。以前から祠があることを聞いていたため探しました。焼場跡から古道に入り探しました。すると、意外にも麻郷小学校前の信号機から東50m位の丘上にありました。眺めの良い場所です。そして、その南の道向かいにも小さな祠がありました。たまたま庭木を手入れしている方に祠についてお聞きしました。すると、両社祠ともに荒神様とのこと。それぞれ別の班が管理しているとのことでした。

    道向かいの小さ目の荒神様           助政の荒神様から鳥越方面を眺めて
 

 丘上に立つ荒神様は、10月15日に当屋の家に皆が集まり飲み食いのお祭りをするとのこと。どの荒神様の祭りも、その昔は当屋の家に集まっていました。しかし、最近は当屋の家ではなく集会所に集まることが多くなりました。助政のこの班では今でも当屋に集まる習慣が残されているようです。片方の小さな荒神様はお祭りをしていないそうです。
 その後、別の山中の古道跡を歩いていて道に迷ってしまいました。藪をかき分け倒れた竹をまたぎながら古道跡をどんどん歩いていると、ひょっこり麻郷幼稚園前に出ました。この付近はたくさんの犬がいるようです。吠えるのでここを退散することにしました。

         麻郷地区の山を中心に散策しましたが、歩いたわりには成果少なし

コメント
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