カメラを片手に

利休忌で蕾のリキュウバイは俗名

3.4℃と思ったより冷え込んだ奈良、午前中は曇り空から時折薄日も差し、
11時過ぎには一気に気温が17℃を越えるも、雲が厚くなってきている。
夕方から明日にかけ、南風の暖かな雨との予報です。
      11時、15.6℃、51%

今日は「京都裏千家利休忌」、わび茶を完成させた茶聖「千利休」の忌日
天正19年2月28日(新暦1591年4月21日)に、秀吉からの命で聚楽屋敷内で
切腹、その首は一条戻橋で梟首され た。
原因は10数説あるようだが、通説は改修を寄進した大徳寺山門「金毛閣」、
楼門の二階に自身の雪駄履きの木像(今日庵に現存 )を設置し、その下を
秀吉公に通らせたことが怒りをかったとされるが・・・
金毛閣落成の一偈「千門萬戶一時開」が秀吉の怒りをかったとも。
 
墓所は大徳寺聚光院で、大徳寺ではひと月遅れの3月27日は表千家、3月28日
は裏千家が利休忌を催されている。

死の前日書かれた遺偈(ゆいげ=辞世の語)を紹介します。
        人生七十 力囲希咄じんせいしちじゅう りきいきとつ
        吾這寶剣 祖佛共殺わがこのほうけん そぶつともにころす
        提る 我得具足の 一太刀ひっさぐる わがえぐそく ひとつたち
        今此時ぞ 天に抛いまこのときぞ てんになげうつ) 

意味は禅語を含み難解なものとされていて、語句の出典や解釈について
先学の多くの議論の積み重ねがある。(レファレンス事例詳細より抜粋)
・柴山全慶師の「利休居士の遺偈に就いて」禅学研究 第41号 昭和23年11月 
・『別冊太陽 日本人の辞世・遺書(日本のこころ 59)』平凡社 1987
            p14 芳賀幸四郎氏の偈部分の通釈の引用あり。出典の記載なし。
・Yahoo!知恵袋    
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1223992662  

またこんな記事 ”孫の宗旦に当てた心の叫びだ” とされる解釈も面白い
      人生七十にして悟るところあり
      侘茶とは凄いものである
      この侘茶の道を武器として天下に問い
      雄飛せよ
   
この頃に咲く小庭の「リキュウバイ・利休梅」、白い蕾が膨らむだけ。
            

開花は明日以降だが、この暖かさでサクラと競争か?
      

中国原産、バラ科の落葉低木で、明治末期に日本に入ってきました。利休の
命日の頃から咲きはじめ、清楚な白い花が茶人に好まれることから俗名の
リキュウバイと呼ばれるが、和名は「ウメザキシモツケ・梅咲下野」です。

ウメに似た直径4㎝ほどの花が、6~10輪ずつ枝先で円錐状に集まって咲く。
花弁と萼は各5枚。花弁は丸く、基部はくびれるのが特徴とされている。
      借用

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