梅雨明けの翌日の最低気温は21.3℃と、爽やかな朝を迎えましたが・・・
じりじりと照り付ける日差しで、猛暑日一歩手前の34.1℃迄上がった奈良。
11時、30.1℃、54%
NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はユリ科の「ヤマユリ・山百合」
夏に甘く強烈な香りを放つ山野草、多年生の球根植物です。
黄色い筋と赤い斑の入った、ゴージャスな花を咲かせ、「ユリの女王」とも
呼ばれることから、花言葉は「荘厳」と。
大和文華苑にて
なお大和文華館、この26日(水)・27日(木)は恒例の夏休み無料デーです。
今日から奈良市の小中学校は夏休みに入りました。
コロナ禍も明け?、子供たちには精一杯楽しんでほしいものですね。
さて先日の熊野三山への日帰り旅、最後は那智山、神仏習合時は一大修験道場
だった。花山法皇(かざんほうおう)が10世紀の末に一千日の瀧籠り修行をされ
西国三十三カ所観音霊場の第一番札所と定められた。
明治の廃仏毀釈により「熊野那智大社」から空堂となるも、西国三十三所の観
音霊場の第一番札所だったため、1874年に天台宗「那智山青岸渡寺」となる。
なお下の「補陀落山寺」は別院です。
HPによる由来は、1600年前仁徳帝の御代(313~399)にインドの僧「裸形上人」
が熊野浦に漂着して、那智の滝にたどり着かれ、きびしい修行を重ねられる
うち観世音を感得し、開基されたと伝えられている。
約200年後、推古天皇(593~628)の世に堂宇が建立され、大和から「生仏上人」
約200年後、推古天皇(593~628)の世に堂宇が建立され、大和から「生仏上人」
が入山され、秘仏の如意輪観世音を安置されている。
現在は「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産に登録と。
那智の瀧前駐車場から、直ぐの石段からの裏参道へと上りました。
海外からの方が杖を突きながら、多分参詣道として下りてこられた。
途中に「二の使」さらに上がれば「一の使」の札が
まもなく那智御瀧の「伏し拝み」という開けた場所に到着
大きくなった杉の大木で邪魔されるが、かつては那智の瀧が見えたはず。
斜面に、祇園祭では厄除けの花として飾られる「ヒオウギ・檜扇」が咲く。
トンボが小さな鯉池を舞う。 👇
1972年に再建のコンクリート製の三重塔(有料300円)、エレベーターも設置され、3階からは那智の瀧が真正面に見えるが、今回はX
石段をあがれば「尊勝院」の四脚門です。
裸形上人像などを保管され、那智の瀧の管理、さらに中世に上皇達が宿泊した中世行幸啓御泊所跡(和歌山県指定史跡)で、現在は執行職の屋敷です。
御宿泊所となったと。
この反対側には那智の瀧が見られる見晴らし台?
最後の石段には「熊野道」とも石碑が・・・
そのまま上れば「かけぬけ道・雲取越 登り口」になる。
左折すれば右は修理中の如法堂(大黒天堂) - 那智七福神を祀られる。
左は1342年建立の「梵鐘」で毎朝7時に。
その右隣には重要文化財、1322年建立、日本最古の「宝篋印塔」高さ4.3m
見晴らし台?からやはり那智の瀧をまずは見たいので・・・
25mの三重塔と133mの那智の瀧です。
西国第一番御詠歌の碑と滝のセットもよいのですが・・・人が邪魔して
本堂へと
大きな木が・・・樹齢700年の「タブノキ(イヌグス)」です。
正面に回り手水舎で浄めますが、清浄水で延命の水、源水はで那智の瀧水、
二回目ですが少し頂きました。
天然木の木肌が何とも優しいお堂、お参りさせていただきました。
天正18年(1590年)再建で重要文化財、高さ18m、桁行九間・梁間五間、一重・
入母屋造、向拝一間、こけら葺。豊臣秀吉の命により豊臣秀長により再建。
堂内外陣には豊臣秀吉寄進の日本一の大鰐口450㎏が設けられている。
なおかつては如意輪堂と呼ばれていた。
本尊如意輪観世音菩薩(秘仏・年一回秋)とは、如意輪、あるいは如意輪王と。
意のままに無数の珍宝を出すといわれ、如意宝珠の三昧に住し、つねに法輪を
転じて有情を摂化し、富貴、財産、智慧、勢力、威徳等願うままに授けると
前立の如意輪観世音菩薩を通じて、お参りできた有り難さと共に感謝を捧げた
本来は山門からなのですが・・・1933年建立で仁王様もおられると。