四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

鬼寿(喜寿)の誕生日にセージ頂きました(感謝)。監査委員頑張ります。子どもの殺傷事件。安全は神話か。

2019-05-29 10:08:28 | 日記
●27日は私の77回目の誕生日(鬼寿/喜寿)でした。FBではたくさんの友達からお祝いのメッセージをいただきました。ありがとうございました。「鬼寿になりました。老骨を鬼骨に変えて、ますます世にはばかります。」と返信しました。94歳で市議選に立候補した神田さんに比べたら、そこまで行くまでに17年かかります。こんなところでヘタってはいられません。生きるという闘争心をじくじく沸き立させ、周りに「メイワク」掛けさせていただきます。
●青天の霹靂とまではいわないが、遠慮申し上げていた「議会選出の監査委員」に議会推薦頂き、就任することになりました。代表監査がすこぶる有能ですから、そばにいるだけでという小さなお声もいただきましたが、私の性格ではそれだけではつまらない。と言って難しい仕事である。研修会を探したが見つからず、アマゾンで「よくわかる自治体監査の実務入門」(公認会計士/村井直志・著)の本を購入しました。6月から監査の仕事が始まります。せっかく頂いたあたらしい分野です。しっかり勉強させていただき楽しく監査の仕事をします。
 
●昨日の朝、登戸駅前の通学用スクールバスの停留所で、子どもたちを襲った殺傷事件がありました。容疑者と思われる人は自殺したと報じています。第一報を聞いた時、大阪教育大学付属学校(池田小学校)で起きた事件を思い出しました。事件の背景等はこれからの捜査を待たなければなりませんが、安全な国ニッポンを根本的に考え直さなければならなくなったと思いました。私は今度の選挙で、「子どもの命を守る。子どもの学習権を保障する。子どもの自由を尊重する。そのために、教育改革市民会議の設置」を訴えました。もはやこれまでの明治以降の修身を基本とした教育制度を、子どもの自由を基本とした民主主義の原理に立った教育へ変える必要があると考えています。
●このような悲惨な事件や毎日発生している〇〇詐欺事件を見ると、ニッポンは「安全な国」であるという、何の合理的根拠もない過去からの神話のようなものを盲信するのではなく、現在の社会状況を科学的に分析し、子どもの命を守るには「守れる」システムの構築(これまでにシステムがあるなら変更)することが必要です。子どもの自由を尊重し、子どもの学習権を保障するにはどうすべきか。今の教育制度をどう変える必要があるのか。国や学校のこれまでの方針を徹底的に分解し、新しい教育システムをつくることで、同時に今回のような悲惨な事件を未然に防ぐことにつなげる必要があるのはないでしょうか。まさに、北本版セーフコミュニティ―が必要です。教育改革市民会議で、市民が議論し、私たちの問題として方向性を見出すことが重要ではないでしょうか。
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半分反論 (新野紘三)
2019-05-29 21:42:50
工藤さん、貴方の川崎市の登戸の事件のコメントを読んで半分違和感というか賛同できない面があります。「安全な国ニッポンを根本的に考え直さなければならなくなったと思いました。」は同感です。しかし「もはやこれまでの明治以降の修身を基本とした教育制度を、子どもの自由を基本とした民主主義の原理に立った教育へ変える必要があると考えています。」とありますがそんな大げさなというか制度改正で解決できるかな~ということです。かつて南極越冬隊長の西堀榮三郎氏が30年前に講演で言っていました。アメリカはルール(作業標準)を決めてそれを守らせて製品を作ろうとする。メキシコなどの異人種を受け入れてきているからやむ得ない面がある。例えば「リベット打ち」では5ポンドの重さのハンマーを1フィートの高さから打ち下ろすことと規定する。それで結果が得られると考える。ところが打ち下ろすスピードは人間だからまちまちである。従って出来はまちまちです。日本ではリベットが効くように打つことになっている。要は結果が狙い通りになることを重要視するわけです。あの事件もそんなことを考えると心の問題と思う訳です。心とは行き着くところは修身です。親を思う、子を思う友を思う、そし他人を思うそんなことがない限りこの問題は根本的に解決しないのではと思います。その為には子供の育つ環境がたいせつです。せめて制度的には離婚は子供は18歳前は許さないといった法律が必要ではないでしょうか。
コメントについて (四輪クドウ)
2019-05-29 22:29:38
新野さん、半分反論ありがとうございます。
この種の問題(事件)は心の問題でかたずくのでしょうか。私が行っている修身は、心の教育を否定しているものではありませんが、池田小学校の事件以来、事件当時者の犯罪心理学の人のコメント聴けば「心」に行きつくのでしょうが、それは治療の一環なのか、教育の効果なのかは私には不明です。
新野さんの切り口は確かに一理あると思いますが、現実にこれだけ続くと、心の問題と教育(社会)制度の見直しを組み合わせないと、実効性は高まらないのではとの考察です。
お目にかかった時に、いろいろ多方面にわたって話し合いができるといいですね。

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