『えっけんさんの「むだづかいにっき」でむだづかいにっき♂:【文末のw】を読んで、思ったことを書く』という書き出しで始まる、『斬(ざん)』:『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。を読んで思ったことを書く。 ややこしすぎ
souryuuseiさんの『斬(ざん)』は、彼がブログを始めた直後から、その題名に惹かれてたびたび訪問しているブログの一つなのですが、なかなか「斬って」くれないなぁ、と思っていたところで、今回(といってもちょっと前の話ですけど)ようやく僕が斬られたわけです。
以下の引用部分は『斬(ざん)』:『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。からのものです。
僕は自分の気にいっている記事であれば、過去記事も埋もれさせることなく読んでもらいたいし、その記事が面白いと感じてくれれば、コメントやトラックバックがあれば、喜ばしいことだと思っています。読んでほしくない過去の記事であれば、削除してしまえばよいわけだし、古い記事にはコメントして欲しくないのなら、コメントの受付を停止すればいいわけですから。
とはいえ、ブログの過去記事って、始まったばかりのブログは別として、なかなか読まれていないのが現実だと思いませんか?
このブログの例でいうと、たまに「トラックバック」「ネットマナー」に係わる記事で検索か某有名ブログに送ったトラックバックから流れてきたと推測されるコメントがついていたりしますが、書いている本人は「うん、これ面白い、オレサイコー!」と思いつつアップした記事でも、思ったより反応がなくて、ガックシ、ということのほうが多いものです。
その点、駄文にゅうすさんは、僕も既に忘れかけていた古い記事を「気になったネタ」として取り上げてくれたことが何度かあって、「あ、駄文にゅうすの人、過去ログ読んでいる…」とやけに恐縮したりするものです。
大部分の人は、トップページに載っている最近の記事と、その少し前の記事しか読んでいない、あるいは読んでいても、コメントを残したりはしないものなんじゃないでしょうか。
出尽くした意見に、更に似たような感想・意見をコメントされても、レスのしようがないものですが、ちょっとでも新たな視点から捉えたコメントが注入されれば、その記事を書いた僕としては嬉しいものなんですけど。 そうは言っても、既に盛り上がりのピークを過ぎた記事に、新たにコメントをするのは、躊躇する人のほうが多いのでしょう。
「過去記事のリピートを少しだけ視点と表現を変えてUPすることがある」
これ、凄い嬉しい言葉です。僕自身、そういうつもりで同じような記事を書いていますし、「えっけんはまたこのネタかよっ」と思っている方のほうが多いでしょうから、あえて同じようなことを書いている僕としては、「ムッ、souryuuseiよ、おぬし、違いの分かるオトコよのぅ。ダバダ~ダバダ~(ネッスルのBGMを頭に思い浮かべて読むこと)」と僕の中でのsouryuuseiさん評価が、ぐぐっと上がったりするわけです。
視点と表現を変えてアップすることが「ブログの高等テク」というのは過大評価だと思いますが、文末のwに限らず、そうやってUPした記事には、比較的多くのコメントがついていたりするのです。
同じようなことを書くのなら、その元記事をそのまま、あるいは加筆修正して、日付を新しくしてUPすればかかる手間も少ないし、いたずらに記事のログが増えなくて良いのでは、という考えもあるかもしれません。
でもその方法だと、何故かは分からないけど、新たなコメントやトラックバックは貰えないのですよ。実際そういうことも試しているわけですよ。
問題提起型の記事を書き、いくつかコメントを貰えた所で、どうやらその記事の役割は終わったらしい、と思われることが良くあります。
で、記事を書いた僕としては「これはそんな程度の記事じゃないと思うんだけどなぁ……」と自惚れ全開ながらも、その記事をなんとかリサイクルしたい、と考えるわけですよ。
「その記事」を書いてから時間が経過しているわけですから、僕の考えがちょっとは変わっているかもしれないし、お堅い話題でも少し砕けた面白い文章で書けるかもしれないです。
文末のwと似たような話題というのは、過去に2度書いています。
僕も(笑)が好きなのですと、文字だけで自分の思いを伝えてみたいですね。
で、この3つを比べると、多少、僕の考えが変わってきています。
共通するのは「w」は嫌いだ、だからこのブログでは使わないで欲しい、という一つのお願いです。
これは言ってみれば「むだづかいにっき♂のローカルルールの提示」のつもりでした。
あからさまに「これがウチのルール。守れ」というのは好きではないのです。
ところが最初の2回は、その主旨が伝わっていなかった。
表現の自由と言われれば、それまでなんですけど、使う人がどういう意味をこめていようが、僕が自分のブログ内で「w」を使われるのは不快という宣言をすれば、普通は使わないだろう、と思ったのです。
その面では、最初の2回は失敗しているのです。
今回は、その記事のコメント欄で「シャレとして」使った方が複数名いるほか(これは不快ではなく、むしろ文意を汲んだ使い方であったと思う)、わざと僕を不快にさせようという目的で使った方がいたので、宣言通り「バカ認定」として削除させていただきました。
一方、「考え方が変わった」というのは(笑)などの括弧付文字についてですね。
僕は括弧付文字、嫌いな表現ではありませんが、S嬢のPC日記内で、括弧付文字についてこんなことが書かれていたのです。
『視覚に障害をもつ人がインターネットを楽しむ場合、音声読み上げソフトのお世話になります。その際に、括弧付文字は意味不明の音声にしかなりません』
※すいません、こういう意味のことをS嬢がお書きになっているのですが、どの記事(あるいはコメント欄)でなされたものなのか、失念してしまいました。分かり次第、正しい引用をさせていただきたいと思います。
(S嬢より本来の文章を、コメント欄にて通知いただきました。以下コメント欄より。URLはご本人の希望により表記を控えさせていただきます)
これ、かなり衝撃的でした。
僕は高校生の頃に椎名誠氏のエッセイにはまり、その頃の僕の文体は、椎名氏が書いていた「昭和軽薄体」そのまんまでした。
その後、多少自分の文体が変わってきていますが、現在は「比較的丁寧なおしゃべり口調・たまに罵声あり」というスタイルを使うことが多いです。
その場のノリで書いているので、おしゃべり口調が一番書きやすいし、リズム感のある文章にしやすいのです。文章にリズム感があると、必要以上に長い文章(僕のことだけど)でも、ちょっとだけ読みやすくなるものです。
ところが僕は、音声読み上げソフトでしかWEBサイトを楽しめない人の存在をまったく考えていなかった。
そうしたハンディキャップを持つ人が、こんなブログを楽しんでいることは、恐らくはないだろうけど、仕事柄バリアフリーというものに興味を持っている自分が、そうしたことに気付いていなかったのが、ちょっとしたショックだったのです。
そんなこともあって、括弧付文字を必要以上に使いたくない、と思うようになり、コメント欄ではともかく、記事中ではなるべく控えよう、と考えるようになりました。
もちろん、括弧付文字を減らしたくらいでは、音声読み取りソフト利用者には、そんなに意味がないことは分かっています。僕はフォントいじりが多いし、文字を大きくしたり太字にすることは、視覚的効果を理解できないと、文意が伝わらないのです。この辺は今後の課題なのですけど、とりあえず排除しても良いもの、自分の中で、あえて使う必要のないものは使わないようにしよう、と。
考え方が変わったのなら、それを記事にして新たに発表した方が良い、と僕は思ってます。
ころころ意見を変えるな、前と言っていることが違う、という人もいるかもしれませんが、他人の意見を見聞して、それを自分の糧とすることについて責められるのはおかしな話です。
一日の出来事を書き連ねる日記なら、過去記事を掘り起こして、書き直す必要はないし、事実が変わったから再UP、ということにはならないと思いますが、自己主張をするタイプのブログの場合、視点や表現を変えて書いてみるというのは、自分が考えつかなかった新たなコメントがもらえたり、前回の記事の時には参加していなかった読者の意見が聞けたりと、ブログの活性化には非常に使える手段だと思います。
例えば映画の感想ブログの場合でも、見た直後の感想と、それから1ヶ月経ってから熱がさめた時に書く感想は違ってくるのではないでしょうか。
いずれにせよ、一つの事象に対して違った目で見直してみる、というのは大切なことだと思うし、そうしたきっかけを得るために似た話題の記事を書くことは、有効な方法なのです。
余談ですけど、文末のwには他人の不幸は蜜の味のLSTYさんから、こんなコメントが寄せられていました。
LSTYさんは、比較的新しい読者だと思っていたので、僕がときどき、過去に書いた記事と似たような内容の記事を、新たな記事としてアップしているとことに気付いていることが意外でした。
で、僕に「今までの投稿と重複している」と提言してきた彼が、ご自身のブログでも同じ事をしているのがおかしかったです。
どうでした、何か再発見はなかったですか?
souryuuseiさんの『斬(ざん)』は、彼がブログを始めた直後から、その題名に惹かれてたびたび訪問しているブログの一つなのですが、なかなか「斬って」くれないなぁ、と思っていたところで、今回(といってもちょっと前の話ですけど)ようやく僕が斬られたわけです。
以下の引用部分は『斬(ざん)』:『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。からのものです。
やっぱり、ブログには、記事の賞味期限ってのが
あるんでしょうね。これは、コメントが付いて
盛り上がるって意味でね。
Webサイトという括りでの、時間感覚では違うの
でしょうが、ブログの時間の流れは早過ぎる為、
過去記事が埋もれやすく、古い記事にはあまり
にも光が当たらなさ過ぎるって事なんだろうな。
僕は自分の気にいっている記事であれば、過去記事も埋もれさせることなく読んでもらいたいし、その記事が面白いと感じてくれれば、コメントやトラックバックがあれば、喜ばしいことだと思っています。読んでほしくない過去の記事であれば、削除してしまえばよいわけだし、古い記事にはコメントして欲しくないのなら、コメントの受付を停止すればいいわけですから。
とはいえ、ブログの過去記事って、始まったばかりのブログは別として、なかなか読まれていないのが現実だと思いませんか?
このブログの例でいうと、たまに「トラックバック」「ネットマナー」に係わる記事で検索か某有名ブログに送ったトラックバックから流れてきたと推測されるコメントがついていたりしますが、書いている本人は「うん、これ面白い、オレサイコー!」と思いつつアップした記事でも、思ったより反応がなくて、ガックシ、ということのほうが多いものです。
その点、駄文にゅうすさんは、僕も既に忘れかけていた古い記事を「気になったネタ」として取り上げてくれたことが何度かあって、「あ、駄文にゅうすの人、過去ログ読んでいる…」とやけに恐縮したりするものです。
大部分の人は、トップページに載っている最近の記事と、その少し前の記事しか読んでいない、あるいは読んでいても、コメントを残したりはしないものなんじゃないでしょうか。
出尽くした意見に、更に似たような感想・意見をコメントされても、レスのしようがないものですが、ちょっとでも新たな視点から捉えたコメントが注入されれば、その記事を書いた僕としては嬉しいものなんですけど。 そうは言っても、既に盛り上がりのピークを過ぎた記事に、新たにコメントをするのは、躊躇する人のほうが多いのでしょう。
えっけんさんは、過去記事のリピートを
少しだけ視点と表現を変えてUPするときがある。
それは、ブログの高等テクニックで、
過去記事に埋もれた事を再アップすることで、
新たな意見が出ないかを試みているんじゃ
無いのだろうか?と思う。
に、してもコレで分かるのは、如何に過去記事を
読まない人が多いかって事ですね。
読んでいても忘れてるって事もあるかな。
「過去記事のリピートを少しだけ視点と表現を変えてUPすることがある」
これ、凄い嬉しい言葉です。僕自身、そういうつもりで同じような記事を書いていますし、「えっけんはまたこのネタかよっ」と思っている方のほうが多いでしょうから、あえて同じようなことを書いている僕としては、「ムッ、souryuuseiよ、おぬし、違いの分かるオトコよのぅ。ダバダ~ダバダ~(ネッスルのBGMを頭に思い浮かべて読むこと)」と僕の中でのsouryuuseiさん評価が、ぐぐっと上がったりするわけです。
視点と表現を変えてアップすることが「ブログの高等テク」というのは過大評価だと思いますが、文末のwに限らず、そうやってUPした記事には、比較的多くのコメントがついていたりするのです。
同じようなことを書くのなら、その元記事をそのまま、あるいは加筆修正して、日付を新しくしてUPすればかかる手間も少ないし、いたずらに記事のログが増えなくて良いのでは、という考えもあるかもしれません。
でもその方法だと、何故かは分からないけど、新たなコメントやトラックバックは貰えないのですよ。実際そういうことも試しているわけですよ。
問題提起型の記事を書き、いくつかコメントを貰えた所で、どうやらその記事の役割は終わったらしい、と思われることが良くあります。
で、記事を書いた僕としては「これはそんな程度の記事じゃないと思うんだけどなぁ……」と自惚れ全開ながらも、その記事をなんとかリサイクルしたい、と考えるわけですよ。
「その記事」を書いてから時間が経過しているわけですから、僕の考えがちょっとは変わっているかもしれないし、お堅い話題でも少し砕けた面白い文章で書けるかもしれないです。
文末のwと似たような話題というのは、過去に2度書いています。
僕も(笑)が好きなのですと、文字だけで自分の思いを伝えてみたいですね。
で、この3つを比べると、多少、僕の考えが変わってきています。
共通するのは「w」は嫌いだ、だからこのブログでは使わないで欲しい、という一つのお願いです。
これは言ってみれば「むだづかいにっき♂のローカルルールの提示」のつもりでした。
あからさまに「これがウチのルール。守れ」というのは好きではないのです。
ところが最初の2回は、その主旨が伝わっていなかった。
表現の自由と言われれば、それまでなんですけど、使う人がどういう意味をこめていようが、僕が自分のブログ内で「w」を使われるのは不快という宣言をすれば、普通は使わないだろう、と思ったのです。
その面では、最初の2回は失敗しているのです。
今回は、その記事のコメント欄で「シャレとして」使った方が複数名いるほか(これは不快ではなく、むしろ文意を汲んだ使い方であったと思う)、わざと僕を不快にさせようという目的で使った方がいたので、宣言通り「バカ認定」として削除させていただきました。
一方、「考え方が変わった」というのは(笑)などの括弧付文字についてですね。
僕は括弧付文字、嫌いな表現ではありませんが、S嬢のPC日記内で、括弧付文字についてこんなことが書かれていたのです。
※すいません、こういう意味のことをS嬢がお書きになっているのですが、どの記事(あるいはコメント欄)でなされたものなのか、失念してしまいました。分かり次第、正しい引用をさせていただきたいと思います。
(S嬢より本来の文章を、コメント欄にて通知いただきました。以下コメント欄より。URLはご本人の希望により表記を控えさせていただきます)
「顔文字」ってのは、「見える人」だけのモノなんですよね。
たいがい、括弧類や句読点、中点、句点は、
うるさいのでソフトに指示して読ませていないそうです。
PCに対しての技術革新で、
インターネットの世界は思いっきりバリアフリーに
近づいているんだけど、
「顔文字」ってのは、
また、壁を作っていく文化でもあるんですよね。
「絵文字」もね。
これ、かなり衝撃的でした。
僕は高校生の頃に椎名誠氏のエッセイにはまり、その頃の僕の文体は、椎名氏が書いていた「昭和軽薄体」そのまんまでした。
その後、多少自分の文体が変わってきていますが、現在は「比較的丁寧なおしゃべり口調・たまに罵声あり」というスタイルを使うことが多いです。
その場のノリで書いているので、おしゃべり口調が一番書きやすいし、リズム感のある文章にしやすいのです。文章にリズム感があると、必要以上に長い文章(僕のことだけど)でも、ちょっとだけ読みやすくなるものです。
ところが僕は、音声読み上げソフトでしかWEBサイトを楽しめない人の存在をまったく考えていなかった。
そうしたハンディキャップを持つ人が、こんなブログを楽しんでいることは、恐らくはないだろうけど、仕事柄バリアフリーというものに興味を持っている自分が、そうしたことに気付いていなかったのが、ちょっとしたショックだったのです。
そんなこともあって、括弧付文字を必要以上に使いたくない、と思うようになり、コメント欄ではともかく、記事中ではなるべく控えよう、と考えるようになりました。
もちろん、括弧付文字を減らしたくらいでは、音声読み取りソフト利用者には、そんなに意味がないことは分かっています。僕はフォントいじりが多いし、文字を大きくしたり太字にすることは、視覚的効果を理解できないと、文意が伝わらないのです。この辺は今後の課題なのですけど、とりあえず排除しても良いもの、自分の中で、あえて使う必要のないものは使わないようにしよう、と。
考え方が変わったのなら、それを記事にして新たに発表した方が良い、と僕は思ってます。
ころころ意見を変えるな、前と言っていることが違う、という人もいるかもしれませんが、他人の意見を見聞して、それを自分の糧とすることについて責められるのはおかしな話です。
一日の出来事を書き連ねる日記なら、過去記事を掘り起こして、書き直す必要はないし、事実が変わったから再UP、ということにはならないと思いますが、自己主張をするタイプのブログの場合、視点や表現を変えて書いてみるというのは、自分が考えつかなかった新たなコメントがもらえたり、前回の記事の時には参加していなかった読者の意見が聞けたりと、ブログの活性化には非常に使える手段だと思います。
例えば映画の感想ブログの場合でも、見た直後の感想と、それから1ヶ月経ってから熱がさめた時に書く感想は違ってくるのではないでしょうか。
いずれにせよ、一つの事象に対して違った目で見直してみる、というのは大切なことだと思うし、そうしたきっかけを得るために似た話題の記事を書くことは、有効な方法なのです。
余談ですけど、文末のwには他人の不幸は蜜の味のLSTYさんから、こんなコメントが寄せられていました。
えっけんさん、何かあったんですか?
どうもここ数日、今までの投稿と重複してるようですが、なにかお気に障ったことでも?
LSTYさんは、比較的新しい読者だと思っていたので、僕がときどき、過去に書いた記事と似たような内容の記事を、新たな記事としてアップしているとことに気付いていることが意外でした。
で、僕に「今までの投稿と重複している」と提言してきた彼が、ご自身のブログでも同じ事をしているのがおかしかったです。
どうでした、何か再発見はなかったですか?
書いてて自分でも「あ、こっからまた話題の路線が変わっているなぁ」とか思ってました。
整理する為に、文中に傍線一本入れてみます。
お約束をこーゆー形でされるとは
正直、思っていなかったです。
で、率直な意見を申しますと、
「長げぇ~よ」
です。
まぁ~、長文記事はえっけんさんの代名詞の1つ
なのですが、敢えて言わせて貰えば、オレの
記事紹介の一連の話は、おおよそ見当の付く
内容だったのですが、S嬢さんの記事紹介の
内容は新しくって参考になりました。
こっちの方を大きく取り上げる方が
良かったんじゃ無かろうか?
と思ったので、この記事は2分割の方が良かったん
じゃ無かろうか?と思ったのですよ。
正直、オレは2回に分けて読みました。
せっかくのイイ記事が埋もれかねないな、と
どれだけ最後まで読む人がいただろうか?
と思いましたよ。
こんだけ長くなるのなら、
「ハンディキャップを持つ人」
の事を考えることも大事だけど、
そうじゃない人の事も考えては?
と思った次第です。
しかし、これも、また視点を変えて出す
事になるかもしれないから、それはそれで
いいのかな?と思ったりもする。
人のスタンスに意見するのは失礼かと
思いますが、感じた事を書いてみました。
‘紹介されて、嬉しい!!
ありがとうございます~!!’
コメントより、こっちの方が
好みでしょ?
今風に言うとトリビア~です。
「へー」ってことがよくある。
その一つが「音声読み上げソフト」でもあるんだけど。
あとね、
「へー」ってのでね、
「車椅子使用者♂は、女性のオシリの形に詳しい」
ってのがあって。
いや、ちょうど、視線の高さがソコにあるということで、日常的に視界の中に入っちゃうんだそうで。
どひゃ~~~。
コレ聞いてからね、
わたしは男性の車椅子使用者の方に「じゃあね」と言って、別れるときは、
にこにこと微笑みつつ、すすすすーーーっと、後ずさりをして、
「視線とケツ」から、一定の距離を取ってから、やっと安心して前を向くのだ。
これは? これは? これは?
「衝撃を受けました。」?
この数ヶ月間のgooブログで読んだコメントの中で、一番衝撃を受けました。
画面を見ることが当たり前だと思っていたので、音で読んでいる人の存在なんて考えていませんでした。
有難うございます。
過去記事を読み直すと、もう一度同じテーマで書いてみたいとか、こんなのは恥ずかしくて消してしまおう、とか、いろいろありますねぇ。
もうどこだかわからなくなってました。
えっと、リンク貼るのは、ちょっと「前後」が恥ずかしいので、長くなりますが、引用してコピペします。
話題は、わたしの「視覚障害を持つ」友人のHPの話でしたね。
引用始め
------------
彼はソフトを使った音声で画面を「読んで」るので、
彼のページにはアイコンというものが存在しない。
ああ、そうそう、
「顔文字」ってのは、「見える人」だけのモノなんですよね。
たいがい、括弧類や句読点、中点、句点は、
うるさいのでソフトに指示して読ませていないそうです。
PCに対しての技術革新で、
インターネットの世界は思いっきりバリアフリーに
近づいているんだけど、
「顔文字」ってのは、
また、壁を作っていく文化でもあるんですよね。
「絵文字」もね。
やっぱり、わたしは
「文字の力」を信じたいわ。
----------------
以上、引用終わり。
(笑)ってのは、音声読み上げソフト、どう読むのかしらね。
カッコをはずして読むと「ショウ」になるのかな。
「w」に至っては、もう「こういう意味だ」と説明されて、慣れるってことかな。
これは視覚に障害がある方でも、世代によって、受け入れの感覚、違うかも、ですね
参考までに、その視覚障害を持つ友人のHPの「視覚障害者へのエチケット」というコンテンツのアドレスを出しておきます。
表示される画面の「すっきり」感と、内容も興味深いので、是非。
http://members9.tsukaeru.net/coffee/link2.html
そんな感じで「リイシュー」を始めたわけです。
それ以前にも「バックナンバー」もやってましたけど。過去記事は、自分で読んでてもすごく面白いので、是非読んで欲しいですね。
下記がバックナンバーです。素晴らしい記事群!
http://blog.livedoor.jp/lsty/archives/7542617.html