田舎ものが人生経験の常識から政治・歴史をつぶやいていきます、言論も人を殺す武器となることを肝に銘じて

歴史、哲学等が嫌いだった青春時代、安保闘争から現在の集団的自衛権、原発、経済政策を素人が思うにまかせて綴るブログです。

北東アジア非核兵器地帯の設立で日本の安全保障が確保できるのか。

2015年08月09日 | 報道ニュース
 今日は長崎に核爆弾が投下された日、各種報道も安保法制議論・原発再稼働にリンクして核廃絶を訴えています。
 核兵器の非人間性、残虐性を語り継ぐことのみが平和を維持し核兵器不使用を担保してくれてるのでしょうか。
 日本には核アレルギーがあり、非核3原則とかを守れば平和が維持され、核攻撃にさらされることはないと思ってる人が余りにも多すぎませんか。
 このブログでは、憲法、安全保障、原発を含む核問題、外交問題等で私の意見は右寄りと思われているでしょう。
 私のように倒産寸前の零細企業で生きてきたものとして、報道マスコミの意見が違いすぎます。
 私の勉強不足から偏った意見なのか知りたくて、このブログを書いています。
 長崎市長は安保法制について言及したそうですが、慰霊式典で論争のある政治課題を持ち出すことに違和感を感じるのは私だけでしょうか。
 市長は、核抑止力に頼らない安全保障の検討を求め、「北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能だ」としたそうです。
 安保法制の議論そのまま、すべてが他力本願で「北東アジア非核兵器地帯の設立」ができたとして誰が監視し、違反者に制裁を加えるのですか。
 市長は政治家ですよね、政策に実現可能性・実効性が担保されなくてはただの人気取りではありませんか。北朝鮮をどう説得するのか具体的の示してほしいものです。他国の国民を拉致し、認めたにもかかわらず調査の報告すらせず、ミサイルや核開発を続けています。
 外交努力で北朝鮮と仲良くしたとしても、北朝鮮が国家として緊急避難的に核兵器を使用するかもしれません。
 そのことにも備えるのが国家ではないのですか。
 さらに言えば人類2番目の被爆地の市長として、再度いかなる核攻撃をさせない決意を語るべきではないですか。
 人類は核兵器を開発してしまったからには核廃絶は不可能だと思います。核兵器をすべての国が廃棄したとしたら米国の映画ではありませんがどこかの国やテロ集団等が核兵器を持ったら世界を征服してしまうでしょう。
核兵器には核兵器でしか対抗できないのは明白です。したがって一旦開発してしまった核兵器は抑止力として核兵器を所有するか、信頼するにたる警察国家が管理するしかないのではないですか。
 核兵器に関する世界各国の人々の意見も聞きたいものです。
 自民党議員が「法的安定性を軽視」「自己中の高校生を批判した」等まさにためにする批判・議論ではなく、戦わない国家が存立し繁栄を享受できるのか。
 徴兵制を軽蔑あざければ平和が維持できるのか。
 憲法9条が日本を守ってくれてるのか。
 戦う力を持たないものが平和・平和と言って国際紛争を避けて国際的信頼を受けられるのか。
 ひいては日本の経済的繁栄を未来に向け維持していけるのか。
 来週は終戦記念日です。戦争は悲惨で、自ら戦争を望む人などいないと思いますが、作戦とは言えない作戦で犠牲なった特攻隊員をくれぐれも自爆テロと同一視することがないこと祈りたいと思います。


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