1日の終わりに ~森真理マンドリン教室~

マンドリンと共に暮らす日常のあれこれを、ほぼ毎日綴っています。

求められる音

2007年02月20日 | Weblog
昨日のライブは生音ではありませんでした。
ホールではなく、飲食する場所にステージがあるというスペース。
マンドリンのような楽器には、PAが必要なんだと思います。

すぐそばで弾いているのに音が別のところから聴こえてくる、という状態に最初は違和感をおぼえましたが、しばらくすると耳は慣れてしまうものなんですね。
少しエコーがかかったような状態に調整されていたようです。

そんなわけなので、がむしゃらに大きい音を出すこともなく、きれいなタッチでの演奏でした。
もちろんその中で、幅のある豊かな表現がなされているんです。
それがさらりと心地よく・・・。

となると、普段耳にすることの多い、うるさいほどの音量は必要なんでしょうか。
楽器の限界を超えた音は、迫力のある説得力のある音なんでしょうか。

音量はもちろん必要ですが、限度があります。
大きければいいというものではない。
オケでは、音が大きいのが偉い、上手いと思われるようなフシがありませんか。

私はそうは思わないんだけどなぁ。
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3 コメント

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私も (エジルド)
2007-02-20 22:40:24
シルベスさんと同意見です。
音量の大きい人が上手い、すばらしい!という風潮は、合奏団(アマ)にありがちだと思います。
それは、なぜか??
自分が上手だと思っている人は、もちろんしっかり練習をしてくる→それを周りに認めさせたい→そのためには、音を大きく出さないと聞こえない→だから大音量→それを聞いた周りの人は、あんな難しい所をバリバリ弾くなんてスゴイ!→自分もそうなりたい→だから大音量

単純に言えばこんな感じじゃないでしょうかね。
反感を買いそうだけど。。

楽器の限界を越えた音量を無理に出そうとしても、キタナイだけだし、第一、音楽になりません。。
そこのところが分かっていない人、この世界にゴマンといるような気がします。

過激な意見、失礼しましたー。
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まったく (ケンタロー)
2007-02-20 23:25:45
お二人の仰る通りだと思います。ギターなど音量ではマンドリンに遙かに及びませんです。しかし、しっかりと弾いていれば音量はなくても音は聞こえてきます。
いまそのように練習させられて(・・・して)います。
いま使っている楽器はハイテンションにも耐えられる楽器ですがローテンションを張って音色重視で練習中です。

>音が大きいのが偉い
なるほど、それでかの巨大マンドリンクラブではピアニッシモが出来なくなってしまったのですね。
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バリバリ (シルベス)
2007-02-21 09:30:14
エジルドさん、
そうそう、バリバリ弾きになる流れは、書いてくれた通りでしょうね。
音楽どうこうの前に、周囲にアピール。
これが問題だと思います。
「どーだ、まいったか奏法」は本当に困りますね。

ケンタローさん、
>しっかりと弾いていれば音量はなくても音は聞こえてきます
そうですね。
芯のあるp(ピアノ)は、きちんと会場の後ろまで通るものだと思います。
バリバリ弾きはうるさいだけで音にはなってないような。
かの巨大マンドリンクラブのあの人数で、心に沁みるような美しいpを奏でることができたら、本当に素敵だと思います。
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