Forth!

移転しました(2014/1/1)

Aspects

2012-02-19 | ヒストリ:近代MTS

まず修正のお知らせです。
前のエントリで書き漏らしていました。

サイトの「ドラマ『坂の上の雲』第3部レビュー」で言葉の間違いがありましたので訂正しました。
債権国を債務国と書いていた。あ、あほか…
はい。逆ですね!書いたつもりで間違ってたの典型です…
第1次世界大戦による大戦特需で日本は借金する方からお金を貸す方に変わりました。
日露戦争の時の借金というのは本当にその後の日本には枷になっていまして、端的に言うと借金で国が潰れかけました。
どういう状態かというと、借金の利子さえ払うのが厳しい状態になっていた。
  
日露戦争は日本が勝利した事もあり、戦後は陸海軍の発言力が強まっています。
しかしながら、戦後の世界的な技術革新のお陰で、日本は勝って先進国の仲間入りしたのに軍事的には後進国になろうとしていました。
海軍だけの話をとっても、そのまま何事もなく推移すればロシア以下の海軍力になっていたと考えられています(資金不足で軍艦の技術発展についていけない)。
 これだけを見て「だから」と単純に続けられる話でもないと思いますが、この状況の中で、テコ入れしたい予算増やせ、と陸海軍が主張するのは当たり前。
でもね、借金の利子さえ払うのが厳しいんです…
この中で軍備拡張を激しく主張する方がちょっとどうかしている。常識的に考えると。

実際にこの軍事費を巡って政府と陸軍がぶつかり、どちらが負けたかというと政府が負けた。
それが大正元(1912)年の2個師団増設問題になります。 
第2次西園寺公望内閣の時で、陸相が上原勇作。
上原は日露戦争時に第4軍の参謀長を務めた人物です。
陸相が勝手に辞めちゃったんですね。
 
総理大臣に相談もなくそう言う事ができるの?という話なのですが、戦前は出来ました。
憲法から言うと、総理大臣、内務大臣、以下閣僚は同列なんです。
各大臣の職務を総理する(纏める)のが総理大臣というだけで、各大臣を任命しているのは天皇です。
大臣は総理大臣を補佐するのではなく、天皇を補佐している。
だから、総理大臣がとある大臣を辞めさせたくても罷免ができないんです。そんな権限ない。
不都合な大臣を辞めさせたい時は、1)総辞職して再組閣する、2)本人を説得して辞表を出させる、このふたつしかない。
   
だから西園寺首相は困ったちゃん上原陸相を勝手に辞めさせる事は出来なかった。
その上陸海軍大臣は面倒で、現役武官しか就任資格がないんです(軍部大臣現役武官制度)。
予備役後備役に編入された元軍人や文官ではダメ。
要するに現役で陸海軍(のボス)がOKした人じゃないと大臣になれない。

上原が勝手に辞めたなら補充すればいーじゃん。候補なんて一杯いるでしょう?という話なんですが、この時、陸軍は後任を出してくれなかったんですね。
これでは内閣が成立しない。結局第2次西園寺内閣は倒壊します。
陸軍や藩閥のやり方はあまりに横暴だという事で、これが憲政擁護運動(護憲運動)という大正期の一大潮流になった大きな運動に繋がっていきます。
で、この軍部大臣現役武官制度を改正したのが海軍の山本権兵衛(第1次山本内閣)になるのですが、これはまた別の機会に。
 
こう書くと陸軍ばかりが悪者のような感じになるのですが、海軍だって同じように軍備拡張を要求してます(海相は斎藤実)。
陸軍はやり方が強引というか、やぼったいというか、要するにヘタクソ。
陸軍が悪目立ちするため、海軍は影に隠れがちですけれども。
山本が首相を務めた際、海軍の予算はいい感じで認められたりで我田引水だとか言われてましたし。
この時期…だけに限らず、陸軍悪玉海軍善玉という話になりがちですが、そんな単純な話でもないよなーと思います。
好きな人物や好きな分野・組織は、どうしても良く見たくなるというのは心情としてありますが。
多分知らないだけで、どっちにもいい点があるし、どっちにも悪い点はあるだろう。
でも陸軍のやり方はちょっと常識を疑うような、背筋が寒くなる事が多い。
   

 
訂正したページを見ていて思い出したのですが、こちらで黒井悌次郎の話を少し書いています。
ウィキペディアに書かれていた黒井の情報がという話で、歴史的な事ではありません。
 
随分前、もう数年前の話、偶々検索していて引っかかり該当ページに目を通した際、ひどく人格否定的な文が書かれていました。
とても印象的で、いまだに覚えています。
曰く、名前をもじって腹黒い悌次郎と呼ばれていた、とか、酷薄で傲慢で日露戦争時の部下の功績を横取りしたとか。
私はこの方の事を殆ど知らないので、本当にそうであったかは知りませんが、ちょっとびっくりした。
うわあ…(※初読時の感想)
人間性についてここまで断定的に書くなら、なにか確固とした資料が欲しいよね。でも注釈も出典もなかった。
えええ、これどうなの…(※初読時の感想)
それでね、今見たら消えてるの、この情報。
ウィキペディア、本当にすごいと思うけど怖いというか、そのまま使うのはどうかと思うのはここですわ…
ジャンルにもよると思うのですが。
 
参考に見たり、全体像を掴むのはすごく役に立つけど、ここで得た情報をそのままアウトプットするのは恐ろしくて出来ない(私は、です)。
知っている項目では明らかな間違いを見つける事もままありますし。
わざわざふりがな打ってるのに、そのふりがなが間違ってたりするし。おおう…
あれどうだったかな、と思ってさっき「平清盛」の項目見たら母親の話が既に変わってた^^;
前は確か祇園女御の妹で断定されてたぞ。
本当に手軽で便利ですごいけど、諸刃の剣というか、使い方次第だなーと思います。
  
で、黒井悌次郎の話、本当は一体どうなんだろう。
誰かご存じないですか。 



最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
水野広徳から見た黒井悌次郎 (MV)
2012-02-21 00:57:15
水野は8カ月間だけ、黒井悌次郎の直接の部下であったことがあります。

5年の長きにわたった戦史編纂からようやく解放されて、せっかく水雷艇隊司令という海軍軍人としての水野が一番生き生き出来るポジションにいたのに、コヤツはまたしても上官とゴッツンコして佐世保海軍工廠副官兼検査官に転じられてしまったのですが、その時の工廠長が黒井悌次郎。
下記は、水野の自伝「剣を解くまで」の一節です。

「しかも時の工廠長たるT・K少将(引用注/黒井悌次郎)と言えば、海軍部内切っての精力家、努力家、やかまし屋で、速筆達文、手も八丁口も八丁という敏腕家。殊に工廠事務に精通して居ると来たので、無経験の僕は全く手も足も出ない。照会文一つ書いても僕よりは工廠長の方がうまい。毎日呼び付けられて小言を頂戴するけれども、理屈の言えない実務であるだけ、経験の深い工廠長に対しては何分にも歯が立たない。謹慎の為やかましい親父の下にお預けの体である。僕としては憂鬱にならざるを得なかった。大弦急なれば小弦断つというが、上の方があまり勉強すると下の者は耐えられない。」

とまあこんな具合で、水野にとっては相当に煙たい人物ではあったようですが、でも腹黒いというたぐいの文言はありませんねぇ。

昨年徳富蘇峰記念館に行った時、たくさんの書簡のなかで、うわ~達筆だなあ!と思ったのは黒井悌次郎でしたねぇ。
線の太い字細い字がリズミカルに並んでて、掛け軸にしたらすごくサマになるんじゃないかと思いましたっけ。

人格をどうこうという記述をするなら、同時代の証言をきちんと挙げてやってもらいたいものですね。
返信する
>MVさん (ヒジハラ)
2012-02-22 21:57:48
水野、そうだったんですか。部下だったのですね。
調べれば誰か分かるような書き方でここまで表現されている所を見ると、それなりに言われる所が黒井にもあったのかもしれません。
でも引用を見ていると、優秀であるため気がつきすぎる、細かすぎる、それゆえ部下が大変、という感じです。
探せば他にも証言を残している人もいるかもしれませんが、これでは腹黒いとは言えないですねえ。
それに、性格的に合う合わないという問題も大きそうですが、精力家とか努力家とか、水野はちゃんと認めるところは認めていますし。

功績横取り云々にしても、悪口にしても、ここまで書くなら「こういう事を言っている人がいる」なりなんなり、根拠や出典を上げるべきだと思うんです…
正直あれを読んだ時はこれは名誉棄損だよなあと思いました。
く書いた人以外があの文章を削除したのではないかと思いますが、恐らく同じように感じられたのではないかなと。

長い文章を引用までして頂いてありがとうございました!
返信する