つらつらきもの

着物屋の日々の営業の中で、感じたことをつらつらと。

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世につれ変わる着物の色。

2018-07-16 16:30:37 | 日記

先日、集荷に来た運送屋さんの若い女性に、「着物に流行ってあるんですか?」と訊ねられた。私は時々訪れる顔馴染みの彼女が、今日に限っていきなり着物の質問をしてきたことが意外だったが、ひと呼吸して「色かなあ」と答えた。

そこでこちらから、「君は着物が好きなの?」と問い返すと、「好きなんですが、子供がまだ小さいので、着物を着たくても着れないんです。」と言う。確かにこうして昼間働き、家では小さい子供たちの世話に忙しい毎日では、着物を着たくても着れないというのはよく分かる。いつか好きな着物を楽しんで着られる日が早く訪れることを望みたい。

着物の色というと、ちょうどこの日の午前中、私は古い年代物の夏物の在庫品を処分すべく、品定めをしていた。その中に麻の名古屋帯で朱赤のものがあった。今ではとてもこのような鮮やかな色目の帯を締める人はないだろうが、昔はこんな色の帯が当たり前に締められていたんだなあと思うと、色の流行というか、時代によって好まれる色は確かに変わるものなんだなあ思っていた。

そんな日の夜またまた着物の色について思うことがあった。

あるテレビ局で、着物好きのドイツ人女性との対談番組があり、その中で、このドイツ人女性の好きな着物を紹介していたが、それらの着物の色はとてもカラフルなものだった。

その時司会者の女性が、このドイツ人女性は外国人でしっかりした顔立ちだからこそ、このような個性的で大胆な色・柄の着物が着こなせるのではないかと言った。

彼女が紹介したお気に入りの着物は、おそらく一度も袖に手を通されたことのないものらしいが、”古着”だという。ということは、日本人が着るためにかつて作られた着物のはず。私自身、何十年か前に当たり前によく見かけた色柄の着物だった。決して平坦な顔立ちの多い日本人の中にあって、一部の濃い顔立ちの日本人のために作られた特別な着物ではないのだ。

それではなぜ、この司会者が感じたように、このような色の着物は、外国の人なら着られるが、現代の日本人には着られないというのだろうか?

私はその原因を考えるに、”流行”だからと一言で済まされない気がする。その時代時代の日本人の言わば”元気度”と大いに関係があるように思えてならない。

戦後、日本人の生活は貧しかったが、敗戦の中から立ち上がろうと人々は働きに働いた。やがて迎える高度経済成長の時代においても、エネルギーに溢れていた。元気だったからこそ、着るものの色や柄に負けることがなかった。

一方、現代の日本人は物質的には豊かになったが、精神的に相当疲れているのではないだろうか。例えば疲れている時に、大きな声でしゃべりかけられたりすると鬱陶しく感じるように、疲れている時に、力のある色、エネルギーのある色柄の衣服を着るのは余計に疲れる。だから、あまり主張しない色柄のものを着るようになったのではないだろうか。最近、この傾向は着るものだけにとどまらない気がする。クルマ、インテリア、家電はもちろん、webページまでも、白やグレー系統が圧倒的に多くなったと感じる。

もしも、そのようなことが原因としてあるのなら、そんな精神の疲れた”元気度”の下がった時代にあっても、外国人ではなく日本人で、あざやかで大胆な色柄の着物を着れる人、強くて元気な女性が出てきてくれることを望みたい。子育てに忙しい運送屋さんの彼女が、鮮やかな色の大胆な柄の着物を楽しんで着ている姿を見たいものだと思う。







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”のし紙”と表書に思う日本人の知恵

2018-04-19 17:47:33 | 日記


先日若い女性のお客様から、プレゼントの商品で何か良い品物はないかとご来店いただいた。

よくお聞きすると、公私共にお世話になった先輩が遠くへ行かれるので、何かプレゼントしたいということだった。

さらに、着物の好きな方だとお聞きしたので、それならばしゃれもののこんな”帯〆”はいかがかとお見せすると、すぐにこれなら先輩に気に入ってもらえそうなので、この”帯〆”にしますという返事。

後日また来るので、その時までに”のし”をかけて、包装しておいてくださいとお帰りになった。”のし”の表書きは、こちらにお任せしますということだった。

そのお客様が帰られた後、のしの表書をどうするか、はたと考えてしまった。この場合の”のし紙”の表書きは何とすべきだろうか。”感謝”、”薄謝”、”粗品”、”お礼”はたまたこのほかにも何か適当な言葉があるだろうか。

もちろん今までよくしていただいた感謝の気持ちで贈られるのだから、ストレートに”感謝”でもいいのかも知れないが、感謝と言えば、"感謝状"などが連想され、ちょっと外れる気がする。それならば、よくつまらないものですがと贈り物を渡すことがあるが、へりくだって”粗品”はどうだろうか?これも商店のサービス品を連想させる。やはりお礼が一番しっくりくるような気がし、”御礼”とすることにした。

考えてみると、今までに私自身、のしや表書きにまつわる失敗談はいくつかある。

若い頃、のしについての知識がなかった時、"志”と表書きした金封をある席に持参したことがあった。恥ずかしながら、”志”が弔辞に用いる表書きであることを知らなかった。志は志でも”寸志”とすべきケースだったのだ。

また、お客様からのご注文で、婚儀の際の贈答品に蝶結びののしを使用してしまった。もちろん婚儀には結び切りを使用することは常識だし、私自身よく知っていたが、魔が差したというか全くのミスであった。お客様からは、大変お叱りを受けた。

また、あるお客様からお電話いただいた時のこと。
そのお客様の旦那様が亡くなられ香典を送ったのだが、その後お返しの品をいただいていた。そこで、そのお礼を言ったが、口が滑って「先日は”粗供養”をいただいてありがとうございました」と”粗”をつけてしまったのだ。確かにのしには”粗供養”と書かれていたけれど、私が粗供養”と言うことはない。全くの失言だった。失礼なことをしてしまったと大いに反省。

さらに、”志”関連でいうと、これは失敗談ではないが、ある造り酒屋さんに贈答用にお酒を注文すると、そののしには”粗酒”ではなく”粗志”と書いて配達してくれる。
恐らく自分の所で造った酒は上等で、粗酒とするにはいささか抵抗があり、同じ意味にはなっても、ヘリ下りをお酒にはさせず、差し上げる人の心にさせているのではないかと思っている。

このように、のしやのしの表書を、そぐわしく用いるのは、大変といえば大変だ。のし紙の種類も多く、水引にしても金銀、白赤、金赤等々。地域によっても違いがある。宗教によっても違う。昔ならば、慶弔始め様々な行事の、のしや表書についてのしきたりや決まり事など、日常生活の中で自然に身についたのだろうが、今や生活習慣が変化したことで、昔ならば常識であったようなことでも、知らないことが多い。事にあたって、ネットで検索したり、しきたりの本に頼るのは私だけではないだろう。

のしだけに限らず、日本には様々なしきたりや慣わしがあるけれど、最近の風潮で何でも省いたり簡略化することが多い。確かにその時は楽でいいように思えても、色々ややこしいことがあとで起こる場合がある。逆にそのしきたり通りに従っていれさえすれば、何も余分なことは要らず、スムーズに事が運ぶことも多い。

一見、古臭い慣わしやしきたりだと思えることが実は、それらの意味や決まりをちゃんと知っていれさえすれば、こんなに簡単で合理的なことはないのかも知れない。
最近になって、これは、物事を円満に進めるための、日本人ならではの知恵なのだろうと思えるようになってきた。
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難題ほど闘志わく着物のお困りごと解決。

2017-12-19 14:19:44 | 日記


先日お客様が「これが何とかならないでしょうか」と礼装用のバッグをお持ちになった。

お話をお聞きすると、汚れてしまったバッグをご主人が見て、自分が落としてやろうと汚れた部分に漂白剤をかけられたところ、その部分が変色してしまったということだった。

そこで、何とかならないか心当たりの加工先に相談してみるために、しばらくバッグをお預かりすることになった。修復できるなら、弊店にすべてお任せしますということだった。

そこで、ちょっと筋違いとは思ったが、まずシミ落とし屋さんにバッグを見てもらうと、つぶさにいったん変色したものはシミ落としでは無理という返事。そして変色した部分に上から染料を塗ることならできるという。

しかし、もう少し他に方法がないか考えたかったので、その場では加工を依頼することはせず、バッグを持ち帰った。

この変色のあるバッグを何とか工夫して、またお客様にお使いいただくには、バッグの繊維自体を元色に回復できない以上、変色部分を何かで覆い隠す方法しかない。色々考える中で、ふと思い浮かんだのが、変色部分をバッグと同色のシルバーの糸で花柄模様か何かの刺繍をして隠すという方法だった。

次に刺繍屋さんに聞くと、バッグそのものに刺繍するのは技術的にも難しい上、仮にできたとして費用がかなり高くついてしまうということでこれも駄目。他にもあれこれ考えてみるが妙案がなく、しばらくいったん頭からリリースすることにした。

それから二週間ほどが経ち、何も状況は変わらなかったが、とうとう一番初めにシミ落とし屋さんが言った通り、自分で上から染料を塗ってみることに決めた。そこで、染料屋さんにバッグを持って行き、同じ色の染料を買い求めた。

染料屋さんがこの銀は本物でちょっと高いけれどと譲ってくれた染料を、言われた通り、アクリルの接着剤と銀粉を7対3の割合で混ぜ、変色の部分に塗ってみた。すると、さすが染料屋さん”プロフェッショナル”、何とバッグのシルバーと銀粉の色がぴったりと一致した。

これで、何とか変色部分は分からなくなったので、お客様に納得していただけるとは思ったが、修正部分の染料のべっとりした感じがどうも気に入らない。そこで、やり直そうと思い、染料が乾かない内に一度ふき取ってみる。すると、生地のくぼんだ部分はふき取れず染料が入ったまま残っていて、例えば畳に粉をこぼして拭いても畳の目にまだ粉が残っているような状態だが、これが随分いい感じでなんだかきれいになりそうな予感。

そして今度は、ふき取った部分の繊維の表面を丁寧に1本一本塗ってみた。すると、先ほどのべったり感はなくなり、何とその部分に変色があったことなど嘘のように、きれいに修復できたのだ。

お客様にお持ちすると、変色があったことなど全く分からなくなったと大変喜んでいただいた。

今回のケースのように、時々、これが何とかならないだろうかと難しい着物を持ってこられるお客様がある。お客様が直してでも着たいという想いは、それだけ自分の着物に愛着を感じておられることに他ならない。これは我々にとっても嬉しいことであり、それだけにそのお困りごとが難しいほど闘志のようなものが湧き何とかしてあげたいといつも思う。

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「蔓文様」色々。「むかご」の蔓で思い出すお客様。

2017-09-22 21:42:18 | 日記


"暑さ寒さも彼岸まで”というが、彼岸に入り、すっかりあたりが秋めいてきた。

着物の文様で、秋の柄の一つに「蔓」がある。

「蔓」というと、「蔦」や「葡萄」の文様がすぐに思い浮かぶ。



「蔦文様」は古くから染織品などには蔓草と合わせて「蔦葛」(つたかずら)としてよく使われてきた。

また、「葡萄文様」は西方から中国を経て日本へ伝えられたというが、他の文様と組み合わされてよく使われる。
例えば「葡萄唐草」は、蔓、葉、実が装飾され、ゴージャスな文様で、元々仏教とともに中国から伝来した模様らしい。

そもそも「蔓草文様」というと一般的には「唐草文様」と同じ意味になるが、「唐草」、「牡丹唐草」、「宝相華唐草」(ほうそうげからくさ)、「アラベスク」など、たくさんの種類がある。

このように「唐草文様」は古く海外から渡ってきた文様であっても、着物の文様としてだけでなく、絵画や装飾品を始め様々なものに、日本人の代表的なデザインとして定着している。それは、紅葉の季節、蔓が他のものに絡みついた姿、古くからその風情が日本人に好まれたからだろう。

なぜ今「蔓」の話かというと、毎年この時季になると、この「蔓」が、あるお客様のことを思い出させるからだ。

実はもう随分前から、この時季になると弊店の竹垣の植え込みのあちこちから蔓が生えてきて、木々に巻きつくようになった。不思議なことだと思っていたら、その訳が後で分かった。

遠方からご夫婦で来店されたお客様のご主人が、いたずら心で植え込みの何か所かにわたって「むかご」の種を植えられたらしいのだ。今度来た時に、「むかご」が成長した姿を見るのが楽しみでなさったということだった。

今年もしっかりと樫の木に巻きついている。「むかご」は山芋の一種で食べられるらしいが、私自身とりわけ食べたいとも思わない。しかし、所かわって料亭などで出されれば、「美味しいですね!」などと言いながらきっと珍しがっていただくことだろう。

これからも毎年「むかご」の蔓を見るたび、そのお客様のことを思い出すに違いない。
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美味しいコーヒー、よい着物って、いったい誰が決める?

2017-09-09 13:29:50 | 日記


先日、出張先でコーヒー屋さんに入った。いつもの通り満席で、入り口の予約リストに名前を書き、待合で待つことになった。

近くのラックには色々な雑誌が挿してあったので、その中から何気なくコーヒーについての小冊子を取り読んでいると、興味深い記事があった。

「コーヒーはいくら上質の豆を使っていようと、そのコーヒーが美味しいかどうかを決めるのは、お客の方だ」という内容の記事だった。

なるほど、コーヒーを提供する側が、これこそがうまいコーヒーだと思って出していても、人それぞれに好みのコーヒーの味がある。だから、そのコーヒーをうまいと感じるかどうかは、お客によるという意味で、至極ごもっともなことだと思う。

ともするとこだわりのコーヒー店の店主とか、確かに押しつけがましい雰囲気があるのは否めない。自分の店のコーヒーの味に自信を持つことは当たり前のことだけれど、必ずしもすべての人が美味しいと感じるわけではないことをどこか忘れないでほしいものだ。

このようなことは何もコーヒー屋に限ったことではなく、着物の生地を製造する丹後の機屋においても同じことが言えよう。

作り手がこれこそが最高の品質のちりめんだと信じ、情熱を持って製品を製造し、自信をもって製品を市場に提供する。しかし、実際にその着物を着用する人に、その生地の肌触り、風合い、着心地などがどのような受け入れられ方をしているかは分からず、必ずしも満足されているとは言えないのである。

例えば同じ着物にしても、”お茶”など座る機会の多い人が着られる場合と、留袖のように結婚式など限られた席にしか着られない着物の場合では、着物の傷み方も全然違ったものになる。したがって、お茶や、仕事で膝をつくような機会の多い人には、前身頃が擦れるので刺繍や縫い取りのない生地の方がお薦めだし、結婚式やパーティーなどに着られる着物は、より優雅に見えるよう光沢や風合いなどに優れた生地がふさわしいだろう。

だから本当は、最初から着物を着る側の人々のことまで考えたモノづくりができれば一番いいのだろうが、生産者側にに今までそのような想像や心配りが希薄だったように思える。

さらに、生産者だけでなく、実際その辺のことまで考えて着物をお薦めする販売員も少ないだろう。

そういえば、今までに自分自身も同じような過ちをしてきた。

お客様から黒留袖の別注品の注文をいただいた時など、着物の表地、裏地、比翼、おまけに長襦袢に至るまで、それぞれ一番重くて、品質がよいとされる生地を使用した。それがお客様に喜んでもらえると信じ、同時に自分も満足していた。

しかし、今から考えると、結婚披露宴でこの黒留袖を着たお客様は、さぞかし重かったことだろうと思う。あの当時の自分は、”量目の重いこと”イコール”高級・上質”と思い込んでいた。事実ちりめんの量目は、生糸がどれだけ使用されているかということであり、ちりめんの値打ちを決める大きな要素だからだ。

しかし、着るお客様のことを考えると、そこまですべてに重い生地を使用することはなかった。お客様が着やすい着心地がいい着物をお届けすることを一番に考えるべきであった。

昔に比べ着物を着る人が減り、着物を着る機会が減ることで、今まで当たり前だった着物の知識や、よい生地、よい着物について知る人も少なくなってきた。と同時にお納めした着物についてのお叱りもなくなってきた。

だから昨今の着物業界においては何でもありの風潮があるが、そういった時代にあっても、お客様にとって一番よい着物は何かということを常に念頭において、着物づくりをしていかなければならないと思う。
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