白い雨粒、透明な霧雪

気まぐれな物語
脳梗塞後の時間、漂う太陽と月に浮かぶシルエット

九鬼周三

2020-04-17 13:53:55 | 学び
 「いき」とは。
やせ我慢と諦め  どちらも心の強さが必要

 追求 → 自分らしさ、自由が得られる。

 永井荷風は、妻を持つこと、家庭を「諦め」、「やせ我慢」をして
自由に生きたのではないだろうか。

 私は、そんな荷風先生をみて「らしさ」「自由」な生き方を感じる。
自分もそんな風な生き方ができたら、どんなにいいだろうと考える。

 恋愛の先に進めない、進まない「やせ我慢」「諦め」は、いきというより
野暮なのかもしれない。
 そんな生き方しかできない荷風先生に「らしさ」は感じるが、完全に
「自由」ではない。

 好きな女性と所帯を持つ、思うままの「自由」。その果てに訪れる
縛られた「不自由」が見えている。

 そんな人生に「不自由」」を感じている。それから逃れる人生に対する「諦め」。

 私の私見であるが、荷風先生は、「自由」に見えたが、「不自由」な人生を
「諦め」、やせ我慢して生きた。

 一面「いき」であるが、その裏に「やせ我慢」して「諦め」ている荷風先生がいる。

 それが、「いき」だとは言いにくい。
 その寂しさは、「わび・さび」なのかもしれない。
 私は、荷風先生を「いき」だと思っていたが、今は「わび・さび」の人では
 ないかと考えが変わった。

 どことなく寂しさの感じる荷風先生を「いき」に感じる。

書誌学・古文書学  TV 感想

2020-03-21 14:00:30 | 学び
 放送大学TV 感想

 最古の文字は、 メソポタミアの粘土板文書というものでした。
 BC3000前です。 古拙文字といわれ、麦の絵で記号のようでした。
 穴が5つ空いていたので、数を表しているようでした。
 記憶の外部保持のためではないかとのこと。

 日本・・・漢字の輸入の前に文字があった。
     ハングルに似ている文字。47文字。48文字の説もあり、
    まだ、公式にはっきりと認められていないそうです。
    AC400年ころ。

 翻字・・・現代の文字に書き換えてみる。まず、この作業があります。
 話す時は、日本語、書く時は、中国語の時代が、ありました。

 何千年も前から「書き残す」ということが、習慣だったようです。
 先人たちの努力や日々の営みにより、私たちは、ブログに書く、残すと
いう行為を引き継いでいると思うと感慨深いです。

 1000年後、2000年後の人類に読まれても恥ずかしくない文章を書き残したい
と思いました。立派な文章が、書ければそれにこしたことはありませんが、少なくとも
読まれてがっかりされないような、悲しい思いをさせないような先人でありたいです。
 馬鹿馬鹿しい文章も、いとおしく思われればいいですね。









寛永文化

2020-03-14 09:29:35 | 学び
寛永文化
1624~1644

俵屋宗達・・・風神雷神図、源氏物語屏風
狩野探幽・・・幕府御用絵師 江戸城、二条城の障壁画
土佐派・・・宮廷 絵所預 (大和絵)

建築・・・桂離宮(王朝の風情、書院、茶室、庭園が一体となっている。)
    江戸城、大名屋敷、日光東照宮

林羅山・・・朱子学
小堀遠州・・・侘び茶の東山文化と王朝文化を総合した、茶の湯「綺麗さび」を
     広めた。
 なにかが足りないという意味を含んでいて、不完全な状態に価値を見いだそうとする美意識。それと、華やかな美しさ、明るく研ぎ澄まされた「綺麗」を合わせた概念。

 感想

 これらは、国宝、名所、作法、手本などとして、現在まで受け継がれている。
このころの精神性に学ぶ必要があると感じた。
 現代でもこれらの考えた方を受け継いでいるものは、後世に残っていく
であろう。それらを見る目を養いたい。そのためには、王朝文化、北山、東山、寛永、
元禄文化、(限がない)、できるだけ味わってみたい。

 今でも、京都観光、展覧会、茶道、華道、プレバト(俳句)、短歌、日本庭園
 などなど、私の知らないものもたくさんあると思うが、外国人にも楽しんで
 もらっている文化だと思う。

  まだ、ほんの少しも味わえていない気がする。









心敬

2020-03-12 21:33:22 | 学び
放送大学TV

 心敬 ささめごと ひとりごと     連歌
 
宗祇   和歌 連歌

  1502年他界   世にふるも 更に時雨の やどり哉

 冬の通り雨のごとく はかなく無常である

 侘びの美意識

 ◎侘び茶
  祖 村田珠光  
     それまで茶道具は、中国製のみであったが、日本製も
     取り入れるようにした。

  武野紹鷗 珠光の弟子
    茶の湯は、隠遁の心で、禅の精神を秘めた侘びを根本とする。
    仏法の意味も知り、和歌の情を感じ行うべきである。

 
 茶の湯、連歌、仏教、禅 どれか一つではなく、それぞれがつながって
 おり、それぞれを深く知ることで、全人的に深みが増すのかもしれない。

  教養を深めることかもしれない。

  世にふるも 更に時雨の やどり哉

  これを胸に日常を過ごしたい。無常の中に永遠が。
  永遠を望むなら、無常を意識することかもしれない。

  冬の通り雨    はかなき無常
 
  何度も味わうべき言葉かもしれない。


      

 














カウンターカルチャー 2

2020-03-12 15:36:06 | 学び
 放送大学TV
A.
ボブ・ディラン
 ひとはいくつ道を歩けば 人並扱いされるのか
 ハトはどれだけ海を渡れば 砂の浜で安らげるのか

 どれだけ砲弾が空を飛べば 撃ってはならんと決まるのか
 答えは、友よ、風の中 風に舞っている

 B。アイケデリック・パーティー
  当時、合法であったLSD

 麻薬取締官につかまるという歌詞 ボブ・デュラン
 
 ビートルズ・・・LSD、東洋思想を歌う。
   すべての思考を脇において 虚空に身を委ねなさい
   輝いている ほら輝いている

  サイケデリック フェスティバル
 ジャニス・ジョップリン

 いつの間にか快楽追求社会の商業メッセージに

 実際は、人種差別などなくなりはしなかった。

 ドン・ファン ヤキ族呪術師の教え 植物により幻覚をコントロールし、
 非日常から現実にとらわれていることを見直す手法をとっていた。

 70年代以降、カウンターカルチャーは、経済に取り込まれていった。

 経済活動、価値基準も逸脱していた、カウンターカルチャーの思想が、
 現在では、社会的価値を高めている皮肉がある。
  
感想
 ビートルズが、教科書に載り、ボブ・デュランが、ノーベル賞、
 ジャズのクールは、ブランド化している面もある。

 反体制、非体制が、体制的となったことに、当時のピッピーは、
どう感じているであろう。また、さらなる虚無感にさいなまれるであろう。

 ヒッピーは、自分たちの思想を社会が理解し始めたとは見ないであろう。
 非社会であることが、アイデンティティーだから、と私は考える。
 私が、ピッピーだとしたら、そうである。