詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第15回 漫画を読む日常(第2回) ―『ピアノの森』と「ショパンコンクール」のこと― 望月 遊馬

2018-06-12 21:21:36 | 日記
 みなさんは『ピアノの森』という漫画をご存じだろうか。2007年に映画化されて、2018年にはアニメ化もされている。森に捨てられたピアノを弾いて育った少年カイが、ライバルや仲間たちと成長していくなかでピアノの才能を開花させていき、紆余曲折の果てに、ショパンコンクールに挑戦する話だ。カイはいわゆる天才で、いちど聴いた曲をすぐに記憶してしまいピアノで再現する。そんなカイの演奏は型破りで破天荒、それなのに人々を惹きつけてやまない。そんな彼の才能を認め、自ら教師となって彼を育てたのが、往年の人気ピアニストである阿字野だ。彼は日本のピアノ界を席巻するほどの実力と人気を持ちながら、事故により愛する人を失い、さらに腕を負傷してしまい、ピアニスト人生を断たれてしまう。失意のなか、ある小学校にピアノ教師として赴任して、そこでカイと出会う。まさに運命的だ。
 また、この漫画を語るうえでかかせないのが、修平だ。修平はカイのピアノの魅力に取りつかれ、彼のライバルであり続ける。彼はまさにカイとは正反対のピアノを弾く。楽譜に忠実に「完璧」な演奏をするのだ。彼は小学生のときにピアノコンクールの地区本選で審査員満場一致の満点で合格するという快挙を成し遂げた。しかしそれでも、修平はカイへの劣等感を抱いていた。類まれな努力により「完璧」を追求したはずなのに、カイのピアノはその「完璧」を易々と超えていき常人の及ばざる領域へと踏み込もうとする。
 実は、修平が満点をとったコンクールに、カイも参加していて、予選落ちをした。その演奏や所作が破天荒ゆえに審査員が理解できなかったのだ。けれど、修平は予選落ちをした彼の演奏の方が予選通過した自分の演奏よりも「上」だと認めたのだ。芸術に優劣をつけることへの無意味の是非はともかくとして、彼はカイを超えようと努力する。それはもはや、彼の演奏に対する「執着」ともいえるかもしれない。
 天才であるがゆえに、常人が理解できずにコンクールで落選する――。これはよくあることだ。おそらく『ピアノの森』での、カイの予選落ちは、現実に起こった「ポゴレリチ事件」を下敷きにしているのではないだろうか。「ポゴレリチ事件」とは、1980年の「ショパンコンクール」で起きた事件だ。ユーゴスラヴィアから来たイーヴォ・ポゴレリッチという青年は、コンクールで破天荒な演奏を繰り広げた。それはあまりにも斬新な解釈で聴衆は熱狂したが、審査員のなかには拒否反応を示すものもいた。結果として、彼がコンクールの一次予選を通ったことに抗議して、審査員のルイス・ケントナーが審査を辞退、その一方で彼が三次予選で落選したことに抗議して、審査員のマルタ・アルゲリッチとニキタ・マガロフが審査を辞退。審査員のなかでも評価は賛否両論となったのである。とくに世界的なピアニストであったアルゲリッチが、彼の落選に抗議したことは、結果的にセンセーショナルな形で彼をスターダムにのし上げた。今や、ポゴレリッチは世界的なピアニストのひとりとして活躍している。いわば天才が天才を評価したことによって、彼の才能は「救済」されたのである。
 長いショパンコンクールの歴史で、このようなことはたびたび起こっている「ポゴレリチ事件」までの知名度はないものの、1970年のショパンコンクールでは、アメリカのジェフリー・スワンが予選落ちしたことで波乱が起きたし、最近では、2000年のショパンコンクールで、ルーマニアのミハエラ・ウルスレアサが同じく予選落ちして騒ぎになった。
 はたしてカイは、ショパンコンクールへの挑戦で、どうなってしまうのか。それは実際に漫画を読んで確認していただきたい。
 ところで、『ピアノの森』のショパンコンクールのモデルは、おそらく現実の2005年のショパンコンクールであろう。登場するコンテスタントが、現実の参加者のパロディのように思えるところが笑える。現実と照らし合わせて楽しむのも一興だが、ピアノを知らない人が読んでも、十二分に楽しい漫画だと思うので、機会があったらぜひ手に取ってみてほしい。

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