詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第16回 栞時間(第2回) ガラスの壁の見つけかた 川津 望

2018-07-04 00:27:05 | 日記
 寝室からダイニングを通って、物干し場まで風がとおる。眠れないひとが欄干に頬杖をついて星をみている。目で追いきれないものでも短い時間に起きたことを確かに記録しているので、朝へ向かっている。
 蒲団のなかで両あしくびをただ両あしくびとあらわさずに身につける。寝返りを打ち、たとえ手に余る自分と出会うときにも、住居は生活を保留してくれる。「少々お待ちください」、電話口、えいえんにやって来ない者によって裸にされるようにだ。
 喉がかわいてニトリで買ったグラスに水を注いだ。底に七色のテントが見える。深夜、暗い部屋で底からプラスチック越しにライトをつけると、天井にきらきらと波の模様が映り、ライトをまわすと揺らぐ色は更に変わった。
 昼間、久しぶりに化粧をして出かけた。電車を乗りつぎ動きと動きの連結部、ついてゆけないものをそれらしく見せるために、車内に置き忘れられそうになったスマートフォンを持って、サラリーマンを追いかけた。会釈されつつサラリーマンの腸内にプラスチック片が引っかかっていることを想像した。帰ってきて家の電気をみな消した。残っていたのは意識だけ。
 明日何しよう。どうしようもなくそう思った。保存し忘れた文書データのような日々をやり過ごしている。なにごとかはやっているのだ。作曲をし、企画の打合せをし、公演本番のための準備は怠らない。わたしは回遊魚だ。泳いでいないとしんでしまう。そして本能的に激突できるガラスの壁を探している。
 星に眠気を与えられて、隣の和室から寝息がきこえだした。グラスとライトを椅子に置いて、そのひとを見に行った。わたしとは別の世界へ着陸した顔は、穏やかだった。
 このひとのみている夢を燃やしたい。
 エレベーターのひとつは点検中だった。団地を抜けると夜風に髪がうなった。自動販売機の列、クリニック、塾……、

 二艘の舟がすれ違いました。「ユカワさんとの思い出は大切です。でもユカワさんと一緒にいるとどうしてもモガミさんの記憶がよみがえってしまう。ユカワさん、もうお会いすることはないでしょう」

 がらんとした広場のベンチに座った。反芻するものがガラスの壁を見つけないための約束であってはいけない。

「馬の首を取りにゆかなければならなかったんです。新潟の農家で、譲ってやるよ、と言われましてね。しかし車で引き取りに行った帰り、異常な睡魔におそわれた。一瞬、巨大な影が視界を覆って、あわててハンドルを切りました。そしてギトギトのアライさんが向こうの舟に乗っているのを見つけ、声をかけました」

 マラソンをするひとが広場を横切って行った。イヤフォンを装着したまま時おり笑うひと、握っているスマートフォンケースが変わったデザインで、ほどなくランナーが昼間のサラリーマンだと理解できた。ひとは思いがけず近くに住んでいるものだ。コンクリートの道を蹴りながら走る速度をわたしもあげてゆく。

「モガミさんは普段はにこにこしているけれど怒るとひとを100パーセント、極めて理性的に否定できる人物でした。荒れていたのだと思いますけど。でもモガミさん、ひとたらしで、なかなかひとはそういう面に気付かない。ユカワさんがいたころは皆でテントを建てていたけれど、あの頃のひとはほとんどいなくなって、今は外部の人間に建ててもらっているんですって」

 結局、サラリーマンを見失った。梅雨が明け、大気がむっと威圧してきて疲労を覚える。背なかが汗だくなまま、倒れた。こわごわ呼吸する高さで草花はにおった。

「ひとが亡くなって、本番と重なって通夜へ行けなかったのですが、父母とわたしの名前はなかったといいます。セレモニースタッフが「ご親戚の方ですか」と言ったので「親戚もなにも、亡くなったひとの息子だよ」と父は答えたみたいで。父がモガミさんのうしろに座ると、なんでここにいるんだ、という顔をしたらしいですよ。睨みつけてはじめて、父はモガミさんの眼窩には目玉がおさまっているのではなく、仏壇、曾祖父の写真、風呂場の手すり、神棚、本尊、トイレットペーパー、グッチのバッグ、株券がぎゅうぎゅうに詰まっていることに気づきました。だからモガミさんは泣いていたのです。亡きひとを偲ぶためではない、単純にまぶたがさがらなかったのです」

 馬の首が川をひとすじに流れていった。「アライさん、おげんきで」「ユカワさん、さようなら」

 エレベーターをあがり、706号室のドアをしめるとそのひとは起きていた。眠れなかった、という。外で電話をかけていたの。だれに。さあ、寒くてからだじゅうスース―したわ。汗をかいているね、シャワーでも浴びなさい。じんましんが出来ている、そういえば化粧をとっていなかった。激突するガラスの壁を見つけるために群れをなして泳ぐ魚たちは、その鱗をこすりあわせ、ひとかたまりの筋肉痛になるのだろうか。
 風呂釜のガスがなかなかつかない。寝室に戻ると椅子にのせたグラスには水滴がつき、いかにも何かうまれそうで気持ちがわるく、急いで流しに捨ててしまった。
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