詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第13回 漫画を読む日常(第1回) 『BANANA FISH』のこと―― 望月 遊馬

2018-04-14 12:28:48 | 日記
 昨年、漫画『BANANA FISH』がアニメ化されることが発表されて私は衝撃を受けた。もはや伝説的な作品ともいわれているこの漫画のことを私は前から知っていたけれど、きちんと読んだことはなかった。アニメ化される報せを聞いて、これを機に原作漫画を読もうと思い、kindleで一気に読んだ。衝撃を受けた。この作品さえあれば、私は今までに愛したさまざまな芸術を投げうってもいいと思えるほどに、この作品の虜になってしまった。それから今に至るまで、ずっと『BANANA FISH』は、私をとらえ続けている。
 舞台はニューヨーク。ストリート・キッズのボスであるアッシュ・リンクスが、死の間際に男がつぶやいた「バナナ・フィッシュ」という言葉の謎にせまる序盤から、英二という日本人の少年と心を通わせあい、数々の闘争を切り抜けてゆくストーリーが丁寧に描かれている。
 まず、主人公のアッシュ・リンクスは、17歳の少年だ。金髪に緑色の目を持つ非常に美しい容姿の持ち主。それだけでなく、IQが200以上あり、また、桁外れの戦闘能力を持っている。彼の常人離れした才能に目をつけたコルシカ・マフィアのボスのゴルツィネは、彼を後継者に育てようとしている。ところで、このゴルツィネは少年愛の傾向があり、アッシュは彼の性処理の相手をさせられていたことなどもあり、彼らの間には確執があった。アッシュは年端もいかないころから、男性に対して体を売る仕事をさせられており、彼の生育環境は非常に複雑であったと言わざるを得ない。
 これ以後、ティーンエイジャーである彼は、自分の持つさまざまな才能が自分のまったく望まない理由で消費されていくことになる。彼は自分をとりまく周囲の環境が「にせもの」であると認識しており、この作りあげられた「にせもの」の舞台で、「マフィアの後継者」としてあるべき振る舞いをすることに強烈な拒否感を持っている。
 彼がほんとうに必要としていたのは「見返りなく自分のことを大切に思ってくれる存在」であり、また、そんな「存在」とともに築き上げていく「ごく普通の日常」なのだ。
 そして奇しくも、そんな「存在」と彼は巡り合うことができた。それが日本からストリート・キッズの取材にきていた英二である。英二は19歳。もともとは有望な陸上選手であったが怪我のために競技生活に復帰できないでいる。そんな彼は、底抜けにやさしく、また素朴である。さらに、他人の苦しみや孤独を感じとる特別な力を持っていて、その力は、アッシュの根底から発せられていた「SOS」を感じとった。こうして、アッシュと英二は、お互いがお互いをかけがえのない存在として認識することになるのだ。アッシュは、その後、巻きこまれるさまざまな闘争で、命がけで英二を守り、英二だけは傷つけないでくれ、と懇願する。そう、英二は、無敵のアッシュの唯一にして最大の弱点にもなったのだ。
 アッシュがもしも、マフィアの後継者としての「役割」を演じることを選んだとすれば、つまり自分の人生にとって「にせもの」であることを選んだとすれば、彼の将来は約束されたようなものだ。しかし、彼は英二と一緒にいる道を選ぼうとする。それがたとえ自らを破滅させる道であったとしても。
 「にせものにかこまれていきるよりずっといい」とつぶやいたアッシュはすべてを悟ったかのように見える。自らの破滅を受けいれて、けれども、英二からの無償の愛をやさしく浴びることを選んだ彼を思うとき、私はいつも作曲家のフレデリック・ショパンのことを思いだす。彼が、恋人であるジョルジュ・サンドと別れて、結核という病魔にむしばまれていた死の3年前に、彼は最高傑作ともいわれる「舟歌嬰ヘ長調Op.60」を作曲した。イタリアの舟歌のリズムに乗って扱われる3度の響きが美しい、自分の生をこえて遥かかなたの波間を望見しているかのように思えるこの作品は、とても死を間近にした人間が作ったとは思えない。まるで幸福と平穏に満ち溢れた美しい音楽である。彼は死の淵にあって、はたしてそこで何を見て、また、何を感じていたのだろうか。そう。ショパンは音楽に愛された人間だった。
 天才はどうして夭折してしまうのだろうか。こぼれおちてしまいそうになるものを、ちぎれてしまいそうになるものを、私たちはつなぎとめておきたいと切望する。けれども、それらは私たちの手を掻い潜って、もう手のとどかない場所へと行ってしまう。それを止めることはできない。拾い集めることもできない。
 ただ、私たちは彼らの奇跡のような「生の痕跡」を、たとえば、「芸術」によって残すことができる。ショパンは、「音楽」によって、そしてアッシュは、英二が撮った「写真」によって。
 詩を書くことが何を意味しているか、私は未だにわかっていない。けれども、作品を「残す」ことはできる。それによって、はたして私は何ができたのか、と言われれば自信を持って言える回答を持ち合わせていないけれど、未来にむけて書くことで何かを「残す」ことができるのなら、私は書き続けていきたいと思っている。
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