詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第19回 漫画を読む日常(第4回) ―『BANANA FISH』のこと②― 望月 遊馬

2018-10-13 15:38:39 | 日記
 漫画『BANANAFISH』のアニメ放送も中盤を迎えた。原作ではベトナム戦争下の世界を下敷きにして、ドラッグ中毒やギャングの闘争を描いていたが、アニメでは時代設定を現実にして登場人物たちがスマフォを使用するなどの趣向を凝らしている。物語の大枠は、1回目のエッセイで書いた通りだが、今回はこの漫画の主人公の青年アッシュの資質に、より焦点をあてて書いてみたい。
 アッシュの持つ資質は多様だ。寸分の狂いなく標的を打ち抜いてしまう華麗なる銃テクニック、もしくは男女関係なく人々を惹きつけずにはおかない美貌、あるいはストリートキッズを束ねる統率力。これらはアッシュが持って生まれた資質であり、また、コルシカマフィアのゴルツィネがアッシュを後継者として育てた帝王学によるところも大きい。そんなアッシュの資質のひとつに高いIQがある。彼のIQは180以上とも言われる。のちに、より専門的な検査を受けて210という数字をはじきだした。その出現率は1億人にひとりとも言われる。
 アッシュのような子どもをアメリカでは「ギフテッド」と言う。最近では『ギフテッド』という同名タイトルの映画も放映されたりして、その存在は日本でも認識されはじめている。そもそも「ギフテッド」とは、贈り物(gift)が語源であり神から与えられた才能といった訳もなされる。簡潔にいえば、天才児だ。その「ギフテッド」には、概してIQの高い子どもも含まれる。そして、ギフテッドの話題になると必ず出てくるのが、「人間関係の不調和」だ。具体的には、周囲との人間関係の構築がうまくできないで孤立してしまったり、粗忽者としてふるまったり、逆に、ギフテッドの女子は自分の高い能力を隠してわざと低い能力しか持っていないようにみせる傾向があるという通説がある。彼らは、望むと望まざるとにかかわらず、その資質によって得られたものの代償として、苦しみや悩みを抱えてしまう。ギフテッドは天才児だ、と簡単に解釈して済まされる問題ではなさそうだ。
 ところで皆さんは「MENSA」という団体をご存じだろうか。最近ではテレビでもこの言葉を耳にする機会が多くなってきた。「MENSA」とは、人口の上位2パーセントのIQを持つ者だけが入会試験を受けて入ることのできる非営利団体である。有名人であれば、女優のジョディ・フォスターや、日本人では宇治原史規などが名を連ねている。MENSAは月に一回ほどのペースで「例会」と称した飲み会を開いており、私もその飲み会に参加したことがある。「MENSA」に入る人はどんな人なのだろうか、といった好奇心からである。
 実際にMENSAの例会に出席すると、その顔ぶれは多種多様であった。大学で教鞭をとっているような人物から、ごく普通の会社員、無職の人までいた。彼らのなかには、明らかにMENSAの話題性に惹かれて入会した人もいたが、人間関係に悩んで、おなじような悩みを抱えている人たちと出会うことで、生きづらい社会をサバイブしようという、藁をもつかむ思いで入会してきたような人もいた。彼らは自らのIQに悩み苦しまされてきたと言える。そして、自分と同じようなIQの人たちと仲良くしたい、わかりあいたい、という団結意識があった。しかし同時に、そういうものが排他的であった、とも言えなくはない。その裏側には、自らのIQのたかさへの自負心や自意識のようなものも見えかくれする。
 ではアッシュはどうだろうか。彼は世間一般のギフテッドの定義のとおり、知的好奇心が豊富で、常に図書館で勉強したり、専門家も舌を巻くような高度な知識と論理能力を発揮する。彼は自らの知的好奇心に非常に素直ではあるが、一方で、その才能を自らの望まない場所で発揮せざるを得ないような状況に対しては、必要以上に拒否反応を示すのだ。彼は「ごくありふれたティーンエイジャー」になりたかった。結局はそこに帰着する。だから彼は、特別にIQが高いわけでもない、ごくふつうの男の子である英二を友とし、彼といることを望んだ。これは、IQが高いがゆえに周囲との会話がうまくいかない、もしくは、すこし傲慢な見方をすれば、周囲のレヴェルが低すぎてお話にならないから、自分と対等に話ができるような知的能力の持ち主としか付き合わない、といった「特権意識」を持つ高IQ者とは少し違う。アッシュはそのような差別はしないし、おそらくは、そういったことを基準に人間関係を構築していないのだ。たぶん、彼は膨大な知識量を持ち、それを利用すれば、非常に高度な議論を展開することが出来るだろう。しかし、アッシュは英二に対して自らの知識を披露しないし、かといって、英二の会話に自分をあわせているわけでもない。どこまでも自然なのだ。彼が素の自分でいられることこそ、彼の幸せだと言える。
 そう、アッシュは、多くのギフテッドの女子がそうであるように、自分の能力を隠してわざと低い能力しか持っていないように見せる必要もないし、なにも無理をする必要もない。そしてありのままのアッシュを英二は受け止めてくれる。幸せってそういうものじゃないのか。
詩の世界でも、かつて「IQ高官」といった言葉もあったけれど、ありのままの、自分の描きたいことがペンの先からさらさら迸り出るような、そんな創作が出来たら、どんなに幸せなことだろうか。
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