「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 短歌甲子園個人戦最優秀作品から読む傾向について 谷村 行海

2019-11-22 02:36:56 | 短歌時評

 全国高校生短歌大会(短歌甲子園)は毎年八月に岩手県盛岡市で行われ、今年で十四回目の開催を迎えた。この大会では岩手出身の歌人・石川啄木にちなみ、必ず三行分かち書きの形式で歌が提出される。大会は「甲子園」とついているとおり三人一チームによる団体戦をメインにしているが、団体戦参加選手・団体戦補欠の選手が全員参加する個人戦も合わせて開催されている。
そうした特徴を持つこの大会、ニュースや新聞などの各メディアでの取り上げ方を見てみると、報道の中心になっているのは団体戦で、個人戦に割かれる時間・紙面はやや少ないように思う。団体戦が大会の大半を占めている以上、当然と言えば当然ではあるが、少し寂しい気もする。そこで、今回は個人戦にのみ焦点をあてて短歌評を書いていきたい。そのなかでも、最優秀賞に輝いた作品を取り上げ、どのような傾向の作品がこの大会の最優秀賞に選ばれてきたのかを見ていくことにする。

 

  夕焼に飛行機雲のごと伸びる
  フルートを聞く
  階段半ば
(第八回 秋田高校 松岡美紗)

  長雨に
  濡れた葵の花のような
  ふるえる君の声に触れたい
(第十二回 福岡女学院高校 中村朗子)

  この街のすべてが
  灰になったこと
  忘れたような朝顔の花
(第十三回 宮城第一高校 鈴木そよか)

  日の香りかすかに残る文机を
  だきしめるように
  眠りたい春
(第十四回 飛騨神岡高校 玉腰嘉絃)

 まず四つの歌を挙げてみたが、比喩を用いた歌がずいぶんと多い。短歌は詩である以上、比喩を使うのは当然と言えば当然(私の師匠である今井聖も詩の要諦の一つに比喩を挙げている)だが、三年連続で比喩の歌が最優秀賞に輝いているのはおもしろい。しかも、上に挙げた四つの歌に使われている比喩はイメージがかなりしやすく、例えられているものとの距離も近い。「夕焼」の郷愁と「フルート」の青春性、「日の香り」と「」のあたたかさなどなど。私が普段メインに創作を行っている俳句だと、これほどまで距離が近い比喩はあまり見かけない。
 なぜこれほど比喩との距離が近いのかを考えてみると、個人戦のルールが大いに関係しているような気がしてならない。短歌甲子園の個人戦では、まず初めに会場に足を運んだお客さんによる投票審査が行われる。その投票数が多かった歌が審査員による審査という次のステージに進むわけだ。ということは、まずはお客さんに歌をしっかりと鑑賞してもらう必要がでてくる。歌人を中心とした審査員と異なり、お客さんのなかには日常的に短歌の鑑賞を行っていない人もいるわけで、そういった方々にも届く歌を作らなければならない。その際に最も効果的なのはこの比喩なのではないだろうか。当然ではあるが、比喩を使えばものごとがわかりやすくなる。そのため、短歌の鑑賞に不慣れな方々にも伝わりやすい歌になる。

 

  氷(すが)のよだ
  徒然(とぜん)が特(とぐ)に堪(こだ)えるな

  北国なまりで笑ってる月
(第四回 気仙沼高校 遠藤万智子)

 短歌甲子園の本戦には、北は北海道、南は沖縄まで全国津々浦々の学生が終結する。土地が違えば当然風土も変わってくる。最優秀賞作品にはこうした土地柄が反映された歌も多い。上に挙げた歌は二行目までのすべての漢字にルビをふり、方言によってそれを表現している(土地柄とは直接関係しないが、この歌にも比喩が使われている)。先ほど比喩の箇所で挙げた「この街の」の歌も宮城県の生徒が詠んだ歌であると考えると、震災による痛ましい被害が想起されてその土地の様子がはっきりと見えてくる。
 個人戦では審査員による審査の際、選手に対して歌に関する質問が投げかけられる。私は岩手出身である関係からほぼ毎年のように短歌甲子園を観戦しているが、歌に込めた思いなど、質問は歌を作った「あなた」について問うものが多いと記憶している。人は暮らしている土地の影響を少なからず受ける。まだ自由を手にし切れていない高校生にとってはその影響は大人よりも強いように思う。つまり、高校生にとっての「あなた」は土地と密接に関係している。したがって、土地柄が反映された歌はリアルな状況を詠めるため、内容面・質疑応答において強みを発揮してくるのではないだろうか。

 

  気づいたら
  変に帽子をかぶってる
  あなたがくれた最後の癖だ
(第九回 旭川商業高校 細木楓)

 高校時代、短歌にせよ俳句にせよ、創作を行っていると「高校生らしさ」ということばを聞かされる機会がかなり多かった。当時は大人の押し付ける高校生像を作品に反映させないといけないのかと憤慨していたが、大人になってからあらためてこのことばの意味を考え直してみると、どうにも違うように思えてきた。大人と比べると高校生の経験は圧倒的に少ない場合が多い。そのため、背伸びをして知らないことを書くとリアリティに欠けたり、ぼろが出たりする可能性が高くなってしまう。したがって、「高校生らしさ」とは高校生である今経験したことを創作に反映させなさいという意味だと解釈しなおしている。つまり、リアルがあるかどうか、それが重要なのだろう。俳句甲子園でこのことばがよく議論に挙げられているように、短歌甲子園も高校生の大会である以上、この「高校生らしさ」ということばとは切っても切り離せない関係にあると感じている。
 挙げた歌はこのことば、リアルをよく詠んだ歌だと思う。内容は恋愛に関するものだが、帽子の被り方という日々の行為・習慣によってそれが表現されている。こうした何気ないものでこの内容を歌うには、実際の経験が欠かせないことだろう。土地柄と同様、リアルな経験はやはり人の心をつかみやすい。

 

  故郷(ふるさと)といつの日か呼ぶこの土地が
  今の僕には
  少し狭くて
(第一回 盛岡第二高校 嘉村あゆみ)

  我の名を忘れてしまった祖母は今
  微笑んでいる
  桜満開
(第十回 八戸高校 小川青夏)

 大会の最大の特徴はやはり三行分かち書きによる作歌だろう。最優秀作品を見ていくと、この三行分かち書きの使い方では、一行目を長くし、対称的に三行目を短く収めることで余韻を残す使い方が多いと感じた。啄木の歌だと「東海の小島の磯の砂浜に/われ泣きぬれて/蟹とたわむる」(便宜上、この歌では/によって改行を表した)と同じ使い方だ。それに加え、「故郷(ふるさと)」は二行目と三行目の文字数を同じにし、「我の名を」は徐々に文字数が減っていくようにと書き方がさらに工夫されている。こうすることで、分かち書きによる内容への余韻に加えて視覚的なインパクトも読者に与えることになる。
 一方、前述の「氷のよだ」「気づいたら」はこの逆で、徐々に文字数が増える構成をとっている。どちらにせよ、内容面に加えて大会のこの形式をうまく活用できたかも審査に影響を与えていそうだ。

 

  喉元で
  母の涙の味がする
  姉が発つ日のきんぴらごぼう
(第二回 盛岡第一高校 戸舘大朗)

 さきほどは三行分かち書きの形式によって余韻を残している歌を取り上げた。余韻の残し方としてはこの形式をうまく利用するほかにも、体言止めを使用する方法がある。数えてみると、この体言止めを使った歌は歴代最優秀賞の十四首のうち、七首にものぼっていることがわかった。内容面でも考えて見ると、「喉元で」のようにどちらかというとネガティブ寄りな内容を詠んだ歌に体言止めを使った歌が多いようだ。確かに、余韻があったほうがこうした歌の場合は内容とも合ってくる。分かち書きにせよ体言止めにせよ、結局のところは内容に加えて書き方までもしっかりと見られているのだろう。細部までこだわれるかどうかが肝心なようだ。

 

  われらみな
  扉に鍵をかけている
  優しく2回,たたいてください
(第七回 福島県立葵高校 菅家美樹)

 最後に題に対するアプローチの仕方を見ていく。大会で作られる歌には必ず題が設けられている。昔は題からのテーマ詠でも良かったようだが、現在のルールではその題のことばを短歌のなかに取り入れることとされている。 
 この歌の場合は題が「」。扉からなにか別のものを想起せず、題のことばを中心にして歌が作られている。この文章の最後に引用に使用したサイトのURLを載せているが、ほかの作品についてもこのように与えられたことばをストレートに詠みこんで歌を作る傾向にあるようだ。
 対して俳句の場合ではどうか。同時期に開催されている俳句甲子園で見てみると、例えば題が「小鳥」だった際の句では「小鳥来る三億年の地層かな」(山口優夢)が詠まれ、これが大会の最優秀句に選ばれている。この句の場合、眼目になるのは題の小鳥ではなく地層のほうだ。俳句では二つのものを組み合わせる取り合わせがかなり使われるため、こういった差が生まれているのかもしれない。

 

 以上、歴代の最優秀作品からいくつかの歌を取り上げながら傾向を考えてきた。傾向を見ていくと俳句とのちがいのようなものもうっすらと見えてきて大変興味深く感じられた。傾向というものは大会の回数を重ねるにつれて変わっていくものだから、今後これらの傾向があてはまらなくなったり、新たな傾向が生まれたりする可能性も当然ある。岩手出身である関係で私はこの大会を観戦する機会には恵まれているから、次回以降もタイミングがあれば大会を観戦し、どのような歌が生まれていくのか見守っていきたいと思う。

 

歌の引用は以下のサイトから
・盛岡市HP内「全国高校生短歌大会(短歌甲子園)」
http://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/machizukuri/brand/1009739/index.html
・もりおか暮らし物語HP内「短歌甲子園」
http://moriokabrand.com/%e3%82%a4%e3%83%99%e3%83%b3%e3%83%88%e6%83%85%e5%a0%b1/tanka/

※引用カッコ内はルビ

 

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短歌時評第150回 2019年に<銀色> 水沼朔太郎

2019-10-28 22:04:21 | 短歌時評

  蒼井優が、まるで銀色。パソコンをおなかに載せてもういちど見る

 幸か不幸か、わたしはこの歌を無記名歌会の詠草として見ることができた。そのときに、いくつかの歌を連想した。〈あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな/永井祐〉〈窓の外のもみじ無視してAVをみながら思う死の後のこと/永井祐〉〈ぼくは約束を守れる AVを見ながらゆっくりする深呼吸/阿波野巧也〉〈でたらめなルールで騒いだチェスのあと主人公が死ぬAVを見る/我妻俊樹〉……一首目は蒼井優と永井祐、その永井祐の青い電車の歌という駄洒落的連想だけれど、それ以外の三首は男性歌人がAVを見る歌という文脈で浮かんだ歌だ。わたしの評もそこが中心になった。曰く、「ああ、なんかすごい感慨深いというか、2019年だなあって思いました。永井さんや阿波野さんや我妻さんにAVを画面で見る歌があったのを思い出したんですけど、そこではAVって言われるだけで固有名は出てこないんですよね。そこに固有名が登場して、しかもそれが蒼井優っていう」……AVを画面で見る男性歌人の歌の系譜からの2019年的ずらし、というのはこの歌のひとつの読み筋であるとわたしは思ったのだけれど、当日の歌会で主に議論の中心になったのは〈まるで銀色。をどう読むかだった。銀色という発想自体に驚きを持つひと、銀色に作者の価値判断を読みにいくひと、銀色は銀色のまま読みたい、というひと、銀色はパソコンの色から導かれているのでないか、と読むひと。読みは別れた。わたしは、銀色に作者の価値判断を読みにいった。ここで見られている蒼井優とはほぼ間違いなくお笑い芸人・山里亮太(南海キャンディーズ)との結婚会見上での蒼井優だろうが、その場面での彼女に〈銀色〉を連想する。オリンピックでは金銀銅の三つでワンペアだけれど、一般的に銀は金とペアを成す。金銀を二項対立的に捉えたときに表/裏、男/女、1/2というように。いま、金/銀と男/女とをあたかもパラレルであるかのように書いた。これは蒼井優が銀色と価値付けられた結果からの連想である。この〈銀色〉という価値判断を男女どちらの性別の作者によってなされたのかはこの一首にとって無視できないことだ。以上のような理由からこの歌は十名二首選形式の歌会で最多得票数を獲得したが、わたしは票を入れなかった。歌会の最後に、作者名が読み上げられた。作者は平岡直子。一首は後に『歌壇』2019年11月号の巻頭作品二十首中の一首として発表された。それからわたしは平岡にほかに銀色の歌があったことを思い出した。

  絶対に許してもらえないようなことをしたさが銀色になる/平岡直子

 初出は我妻俊樹とのネットプリント「ウマとヒマワリ」(1)。〈絶対に許してもらえないようなことをしたさ〉は「絶対に許してもらえないようなことがしたい、その気持ち」とも「絶対に許してもらえないようなことを(すでに)したのさ」とも読めるがいずれにしてもその後ろめたさに相当する感情が〈銀色〉になるという。この歌で歌われている〈銀色〉に掛かる修辞〈絶対に許してもらえないようなことをしたさ〉をダイレクトに蒼井優の歌に関連付ける必要は必ずしもないけれど〈銀色〉に作者つまり平岡直子の価値判断を読みたいわたしとしては関連付けて読みたい。とはいえ、別の一首のフレーズである〈絶対に許してもらえないようなことをしたさ〉をそのまま〈銀色〉に代入したからといって明確になんらかの思想、価値判断が見えてくるわけではない。〈銀色〉から平岡の蒼井優その人への感情、蒼井優が結婚することへの感情、蒼井優の結婚相手が山里亮太であることへの感情などなどがわかるわけではない。しかし、同時に、矛盾するように聞こえるかもしれないけれど、わたしはなにも平岡が完全にフラットに〈銀色〉という単語を使用したとも思わない。ここでわたしがフラットという用語で伝えたいニュアンスはそもそもフラットな言葉などは存在しない、という一般論よりももう少し感覚的な領域でのそれである。さて、AVを画面上で見ていた男性歌人はいちようにAVそのものを見ているわけではなかった。永井の歌では(外のもみじも無視されているのだが)AVをみながら〈死の後のこと〉が思われ阿波野の歌ではAVを見ることよりも〈ぼくは約束を守れる〉という意志が優先されぼくは〈ゆっくり〉深呼吸をする。我妻の歌では見ているAVの内容が〈主人公が死ぬ〉AVだ。これらの先行歌と並べたとき平岡の歌は明らかに違う性格を帯びている。〈蒼井優が、まるで銀色。パソコンをおなかに載せてもういちど見る〉。〈もういちど見る〉と書かれたことでわたしたちは何度でも〈もういちど見る〉ことができる。銀色の蒼井優を。

お詫びと訂正:前回のわたしの時評「2019年の『ピクニック』」において宇都宮敦の歌の読みをめぐるくだりで「うるしのこ」の対談記事を取り上げ引用した。そのさい、「他者が登場してばっさり斬られる。内心だけの出来事とも読みうるけど、自分の視点の先を行ってるから他者と思う。そこで、さらに抱きしめて弱さもまるごと肯定してくれるんだから、読者としてもその人には「敵わないよね」と思っちゃう。」(漆原)「自分では覆しがたいものを自分より先に察知していて、しかも大きな肯定をくれるところに、読者も主体に感情を移入して安堵しちゃうね。」(のつ)と記したが、正しくは両方とも漆原の発言だった。お詫びして訂正します。

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短歌時評第149回 傷口から産まれたもの 魚村晋太郎

2019-10-05 11:51:40 | 短歌時評

 

 門脇篤司の『微風域』を読んだ。現代短歌社賞を受賞した作者の第一歌集である。

  食道をしづかにくだる牛乳の朝を伝へる冷たいちから

門脇篤司『微風域』

  ぼうぜんと電車の外を眺むればあんなところにある室外機

  捨つるため洗ふ空き缶水道の水を満たせばふたたび重し

  ゆつくりと冷えゆく日々に根のあたりすこし溶けたる水菜を棄てる

 

 一首目は、喉から食道へ牛乳のつめたさがくだつてゆく身体感覚とともに、ねむたい意識が今日一日へむかつてひらいてゆくような感じを巧みに伝へてゐる。エアコンの室外機は、建物の裏側の結構あぶなつかしいところに取り付けられてゐることがある。二首目の主人公が呆然としてゐる理由はわからないが、なす術なくぼんやりしてゐる主人公の視界をそんな室外機が過る。「あんなところに」といふ表現がわれに帰つた主人公の意識とともにその直前の呆然とした感覚を読者に手渡す。

 不可逆的に過ぎてゆく時間のなかで、空き缶にふたたび中身が満たされることはない。しかし、捨てるために空き缶を洗ふとき水道の水が満たされて重さだけは元通りになつた。私は仄かな寓意のある歌が好きだ。寓意は分節化せず、つまりかういふ意味だと言い換へることができず、寓意の重たさだけを持つてゐることが望ましい。さういう意味での秀歌である。流通手段が進歩した現在、冷蔵庫に入れてゐるものが目に見えて黴びたり腐つたりすることは稀だ。しかし、時間がたつと確実にいたむ。四首目の「根のあたりすこし溶けたる水菜」にはリアリティーがあるし、上句の「ゆつくりと冷えゆく日々」に動かしがたい質感を与へてゐる。

 『微風域』の歌には様様な特質を見いだすことができるが、まづ注目したのは上記の四首に見られるやうな事物に主人公の意識を託すことの巧さである。そして、それらの事物が、従来の短歌で詠はれることの少なかつた事物であり、いかにも二十一世紀初頭のこの社会の閉塞した状況を反映したものであることが特筆すべきことだと考へる。

 

  ボーナスをはたいて猫を買ひしことなんでもなさげに後輩はいふ

  妻の手に我が手は触れていつぶりに感じただらう妻のぬくきを

  

 『微風域』の特徴のひとつに文語・口語混交の文体がある。一首目の「買ひし」は文語だ。「なさげ」は広辞苑にも載つてゐて、文語か口語か判断に迷ふところだ。たとへば「所在なさげ」とかであれば、文語脈で使はれてゐてもをかしくないかも知れないが、「なんでもなさげ」は、たとへば「よさげ」といふ語に隣接しさうな現代の話し言葉の雰囲気を纏ふ。

 「ぶり」といふ言葉は従来一年ぶりとか、一ヶ月ぶりとか、英語で言へばforの用法で使はれて来た。それが最近の若者言葉では去年ぶりとか、先月ぶりといふやうにscinceの意味で使はれることがある。もちろん文法的には誤用であるが、若い人たちのあひだではかなり市民権を得てゐるやうだ。先日、二週間ぶりくらゐで偶然あつた若い人から「こないだぶりです」と挨拶されてなんだか気持ちが和んだことがあつた。

 「ぶり」が疑問形になるとしたら従来は「何年ぶり」とか「何ヶ月ぶり」となるだらう。二首目は「」の好きなバンドのライヴに行つた折の連作にあり、「みんな肩を組んでひとつになろうぜ!」と詞書がある。「いつぶり」といふのは書き言葉としては今のところほぼ誤用、若者言葉、話し言葉である。一方で結句の「ぬくきを」には文語の匂ひがする。 

 最近の歌集には、その歌集の基調が口語であるか文語であるか判断するのは難しい場合がある。門脇の『微風域』の場合は、全体的には口語的な発想を芯にしてゐて、その上で先行短歌の影響を受けて部分的に文語的な変奏を試みてゐるといふやうに私には見える。そして、ここに引いた二首に関しては意識的に、文語と口語といふか、もつと正確に言へば、文語的表現と現代の話し言葉風の表現を出遭はせるといふ意識的な試みが行はれてゐる。文体の不統一をあげつらふよりも、さうした表現がどういふ可能性をひらくのかを見届けるべきだらう。

 この間、若手の短歌の文体について考究した時評が発表されてゐる。「短歌」9月号の歌壇時評「文語と旧仮名遣と句跨がりによって現れる蛇」で尾崎まゆみは、「平成という時代は、口語と新仮名遣を求めていたのだろう」としたうへで「ここ数年少し風向きが変わってきたようで、文語交じり旧仮名表記を選んだ第一歌集が何冊も出版されて、しかも高評価を得ている」と指摘し、若手の第一歌集の作品を具体的に検討してゐる。「文語交じり旧仮名表記」の作品として小佐野彈と藪内亮輔を、「口語を基本に文語交じり旧仮名遣」の作品として田口綾子、知花くららを取り上げてゐるが、そこからあぶり出されるのは「文語交じり」が一種のスタンダードになりつつあるといふ現状だらう。

 砂子屋書房のHPの月のコラム「詩の上枝、歌の下枝」の9月、「口語短歌の可能性」で田中槐は、「井泉」7月号に掲載された「欠けてはいないが〈偏り〉はある――語彙の延伸」で三上春海が導入した、〈文語文法〉+〈文語語彙〉、〈文語文法〉+〈口語語彙〉、〈口語文法〉+〈文語語彙〉、〈口語文法〉+〈口語語彙〉といふ分類を引用し、主に文語的語彙に着目して口語短歌について考察する。

 私自身、「短歌」9月号の特集「平成の宿題」に「口語=ライトヴァース、の終わり」を書いた。「短歌」の特集の私の担当は、昭和の終はりの『短歌年鑑』に塚本邦雄が寄せた「新風対位法」といふ一文を受け、塚本が注目した九人の当時の「新鋭歌人」のその後の活動を検証した上で、令和元年現在における世代交代を考察するといふ内容であつた。紙幅の関係で現在の若手の歌は三首しか引いてをらず、現在の「口語はニューウェーヴの口語とは韻律も湛えているものも違う。もはやライトヴァースとは呼べないのではないか」といふ発言も直感的なもので、具体的な検証は欠いてゐる。短歌の現在における口語の問題については、近いうちにあらためて書かうと思ふが、今回の私のこの時評の後半は、仮名遣についてエッセイ風に書かせていただきたい。

 尾崎まゆみが「短歌」の歌壇時評で指摘したやうに、現在、若手の第一歌集のなかにも、歴史的仮名遣で書かれたものが少なくない。

文体と仮名遣の組み合はせは、次の4通りが考えられる。

 

1 〈文語〉+〈歴史的仮名遣〉

2 〈文語〉+〈現代仮名遣〉

3 〈口語〉+〈歴史的仮名遣〉

4 〈口語〉+〈現代仮名遣〉

 

 無論、先に述べた通り現在では、ある歌人、ある歌集が文語と口語のどちらを基調としてゐるのか簡単には判断できない場合もあるが、便宜的に整理すると、この4通りといふことになる。門脇の『微風域』の場合は、1なのか3なのか微妙なところである。私自身の歌はおおほむね3にあてはまる。

 これらの組み合はせのなかで、1と4が基本的な文体と表記の組み合はせであり、2と3はイレギュラーだと考へられる傾向があるが、この件について、ひとこと言つておきたい。1、つまり文語は歴史的仮名遣で書く、といふのは長い歴史のなかで培はれて来た原則である。それに対して、4、つまり口語は現代仮名遣で書くといふ原則と現代仮名遣それ自体は、敗戦の翌年、連合軍の占領下で拙速に決められたものである。ご存じの方には、何を今更といふ内容だが、若い方たちのなかには知らない人や、特に意識したことのない人も多いのではないかと思ひ、あへて書いておく次第である。

 1946年に告示された仮名遣、所謂新仮名は正式には「現代かなづかい」、1986年に告示されたものを「現代仮名遣い」といふが、本稿では一部を除いてどちらも「現代仮名遣」と表記する。

 「現代かなづかい」が告示された1946年、たとへば1928年生まれの岡井隆と馬場あき子は18歳である。岡井や馬場の世代は青年期をむかへるまで、学校のノートも、つけてゐたとしたら日記も、落書きも恋文もすべて歴史的仮名遣を使つてゐたはずだ。岡井も馬場も歌人として本格的にデビューして以降初期の作歌は現代仮名遣で行つてゐる。岡井は1975年の『鵞卵亭』から、馬場は1985年の『晩花』から歴史的仮名遣に戻る。

 わたしは、短歌をはじめる前に現代詩を書いてゐた時期があるが、その頃から歴史的仮名遣を使つてゐた。おそらく高校生の頃からである。念のため言つておくが、敗戦直後ではなくバブル景気の頃のことだ。当時も現在も多くの出版社が、文語の作品は歴史的仮名遣、口語の作品は現代仮名遣を採用してゐる。つまり、小説などの場合、原作が歴史的仮名遣で書かれてゐても現代仮名遣に変更して掲載されてゐる。

 はじめて自分で買つて読んだ詩が文庫版の、中原中也や萩原朔太郎だつた。中也も朔太郎も、どちらかと言はば口語的な作品が多いやうに思ふが、文語の作品もあるので、全体が歴史的仮名遣で表記されてゐた。気に入つた詩やフレーズをノートに書き写したりしてゐたもので、歴史的仮名遣が詩歌を読み書きするための言葉として十代のわたしのからだのなかに自然と入つてきた。当時、好きだつた梶井基次郎の小説集『檸檬』の復刻版を古書店で買つて宝物のやうに持つてゐた。それも当然歴史的仮名遣で書かれてゐて、梶井の小説からも気に入つた箇所の書き写しをしてゐた。私が歴史的仮名遣を使ひはじめたのは、ロックをはじめた少年少女が憧れのミュージシャンと同じギターを欲しがる気持ちと似てゐたのかも知れない。ミュージシャンのギターは高価だが、歴史的仮名遣はそれほど努力しなくても身につけることができた。

 歴史的仮名遣に親しみはじめた頃、現代仮名遣を導入した国語改革を批判する文章を読んだ。はじめに読んだのは丸谷才一で、はつきり覚えてゐないが『日本語のために』あたりだつたと思ふ。

 今回、この文章を書くにあたつて、丸谷才一編『日本語の世界16国語改革を批判する』(中央公論社1983年刊)を古書で求めて復習をした。現代仮名遣が敗戦直後、進駐軍の影響下で拙速に定められたといふことは覚えてゐたが、戦前の国語改革の推移についてはほとんど知らなかつたか、忘れてゐた。

現在まで使はれてゐる歴史的仮名遣は、元禄時代の僧、契沖が提唱した仮名遣を踏襲してゐる。江戸時代の仮名遣は幕府が定めたものではなく、例へば現代人がOSやワープロソフトを選ぶやうに個人の見識で選ばれたものだつた。国家が仮名遣を定めるといふ発想といふか必要性が生じたのは明治以降、近代国家としての日本が学校教育で国語を教へるやうになつてからだ。

 初等教育で教へるにあたつて、仮名遣を簡単にし、漢字の数を減らすとか、画数の少ない字体を考案するといふことが国語改革の社会的な動機だつた。それに加へて、西洋文明への今から考へると異常なほどの憧れや英字タイプライターに代表されるやうな利便性への欲求があり、国語改革の歴史のなかには、戦前から、漢字を廃止してすべて仮名文字にするべきだといふカナモジ論者や、すべてローマ字で表記するべきだといふローマ字論者が現れた。そして敗戦後の国語改革は、カナモジ論者やローマ字論者を中心に進められた。現代仮名遣は、かうした流れのなかで、改革反対派に配慮して「は」、「を」、「へ」など一部の助詞に歴史的仮名遣の痕跡を残すなどして拙速に定められた。カナモジ論者やローマ字論者たちは、現代仮名遣を足がかりとして、漢字の全廃や日本語のローマ字化を目論んでゐたらしい。実際、1960年代のはじめ頃までは、国語審議会の委員は互選で、カナモジ論者やローマ字論者が多数をしめる状態が続いた。その後、文部大臣の委員任命権が明確になり、漢字仮名交じり文が日本語の前提と明言されたのは1960年代半ば、「現代かなづかい」から20年後のことだつた。

 かうして概略を書くとさして面白くはないが、明治期から戦後に至る国語改革の歴史は、日本人のコンプレックスと希望が綯ひ交ぜになつた疾風怒濤の歴史であり、国語改革をテーマに大河ドラマが作れるほどだと思ふ。『日本語の世界16国語改革を批判する』は1990年に『国語改革を批判する』として中公文庫から文庫化されてゐる。こちらも現在は絶版のやうだが、古書では比較的探しやすさうなので、関心のある方はぜひ読んでみてほしい。

 岡井隆は2008年に日本経済新聞に連載された「私の履歴書」のなかで、「国語制度の改悪」を批判し、「これはつまり伝統をここで制度的に断ち切ることであり、新生日本のためには、これが必要だと、当時の指導的日本人は考え、占領政策もこれをあと押しした。わたしたち当時十代の歌人は、大人たちのこの決定を受け入れたのであり、その非をさとるのは二十年以上あとのことだ。」と苦々しく記してゐる。しかし、1946年当時、国文学者や表現者など一部の人人を除いて、国民の多くはこの改革を歓迎したやうだ。現代仮名遣とあはせて行はれた漢字制限(当用漢字の導入)によつて、新聞の紙面などは、戦中とくらべて明るくやはらかな印象になつたことだらう。戦争からの解放と新時代の幕開けをヴィジュアル的に象徴する出来事だつたにちがひない。また、合理的な考へが非国民呼ばはりされた戦時下の反動で「改革派」や「進歩的」な人人に勢ひがあつたといふこともある。さういふ意味で、伝統を断ち切るものであり実際にはそれほど合理的でない現代仮名遣は、戦争といふ日本人の大きな傷口から産まれた負の文化遺産であると言ふことができる。

   2017年、山田航が「短歌」の6月号の時評「もはや抗えないもの」で「文語旧かな表記」について問題を提起をした。山田は「歌壇」に掲載された目黒哲郎の連作「生きる力」を例に挙げながら「文語あるいは旧かなの文体を採用していながら今この時代のリアルを表現することは、もはや不可能になってしまったのではないか」と主張した。私はその年、「井泉」に寄せた評論「仮名遣いと、よどみについて」で山田の主張に疑問を表明したうへで次のやうに述べた。「短歌の作者は、実社会の言葉の世界とテキストの言葉の世界、ふたつの言葉の世界に向き合っている。テキストの言葉の世界は作者のからだのなかで実社会の言葉の世界に流れ込んでよどみのようなものをつくる。そのよどみが、実社会を見つめながら短歌をつくるうえでの力になると私は考えている。(中略)歴史的仮名遣い離れは実社会の言葉の世界に圧倒されてとテキストの言葉の世界へのアクセスが希薄になっていることの表れのように思えてならない。

 今でもおほむね同じやうに思つてゐるが、本稿ではむしろ現代仮名遣で短歌を書いてゐる人たちに、じぶんの手足の延長に思へるその仮名遣が日本人の大きな傷口から産まれてきたものだといふことを時折は思ひ出してほしいと言つておきたい。

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短歌評 笹井宏之『えーえんとくちから』の読みやすさと分かりにくさについて  平居 謙

2019-09-05 12:09:37 | 短歌時評

 笹井宏之『えーえんとくちから』は読みやすい。普段短歌を読むことにそれほど積極的でない僕は「短歌はここまで来ていたのか!」と驚いてしまう。笹井宏之は1982年生まれ。2009年に亡くなっているいわば夭折の歌人である。『えーえんとくちから』は2011年に刊行。2019年1月に文庫化された。文庫版の冒頭に「短歌というみじかい詩を書いています」とある。それゆえ本稿では、笹井の作品を「詩」と呼ぶことにするが、それでは彼にとって詩とは何なのだろう。
 読みやすいけれども、ある種の分かりにくさが確実に存在している。そこに辛うじて彼の短歌の存在理由がある。結論から言えば、その「分かりにくさ」を創り出している要素が「詩」なのだと思う。分かり易い事柄は新便記事で充分だ。誰もまだ気づいていない感覚、意識されたことのない観念に出会う時そこに詩が出現する。現代詩の場合も同じなのだが、その「自由な長さ」が逆に災いする。分かりにくさを醸し出す舞台設定を準備する時点で、読者は疲れて何処かへ立ち去ってしまうことが少なくない。誰かが「現代詩を読むにはそれなりのトレーニングが要る」と言っていた。それはそうだろう。でもそれだからこそ、「通」しかその世界を楽しむことは出来ない。短歌の場合、否、少なくとも笹井宏之の詩の場合、分かりにくさはすぐに伝わる。勝負は一瞬で決まるのだ。
 以下、本稿ではBest10を紹介することで、1人の若い書き手の短歌が「文庫化」という形で時代の舞台にせり上がって来た状況を時評として確認しておきたい。
    
   1 午前五時 すべてのマンホールのふたが吹き飛んでとなりと入れ替わる (P46) 

 これは一体どういう感覚だろう。ものすごく前衛的なイメージフィルムの世界だ。マンホールの蓋が吹き飛ぶというのは、現実には大雨で下水道が増水した場合などが考えられる。しかし、面白みとスピード感が「ウエットな感じ」を吹き飛ばしてしまうからだろうか。からりと晴れたもう明るい夏の朝、マンホールだけが次々と入れ替わる奇妙な世界を僕は想像した。君と僕。彼女のあのコ。互換不可能であるところに全ての存在価値はある。一方作品内現実では、ぽんぽんと横のマンホールの蓋に収まってしまう。誰かは誰かのスペアでしかない。そんな絶望もどこかに微かに匂っている。このどうしようもない感覚のことを、人はやるせなくて「詩」と呼びならわしている。

   2 この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい (P6)
 
 森で軍手を売るとは何? 誰に? 何処で? それは不思議なメルヘンを想起させる。森のまん中に、全ての人が自分自身のための野菜畑を持っている。その野菜畑で畑仕事をするためには、魔法の軍手を買わなければならないのだ。魔法の軍手で森の大木の幹に触れると、中から果物や野菜がごろごろ獲れる。ある日小さな男の子が、野菜ではなく本を収穫する。じゃがいもだと思って掘り出したもの、それは1冊の本だったのである。男の子は次から次へと本を掘り出す。どうしようもなくなって図書館を立ててしまう。こんなもの建てるつもりはなかったんだと彼は呟く。その男の子とは言うまでもなく、笹井宏之その人なのだ、という一つの儚い夢のような物語を僕はこの一行から夢想する。

   3 しっとりとつめたいまくらにんげんにうまれたことがあったのだらう (P21)
 

 蒸し暑い夏。ひやっとする感触のまくらカバーに触れると、それだけで喜ばしい気持ちになれる夜がある。まくらを抱くと、それだけでひんやりとしてどこか安心する。表現としてこの詩が優れているところは、それを「にんげんにうまれたことがあった」のだと言い表しているところだ。かつて人間だった体験があるから、まくらに触れる人と、分かり合うことができるのだ。はじめ僕は「まくらにんげん」に「うまれたたことがあった」という、私の過去の思い出せない記憶について歌っている詩かと思った。ちょっと変だが、それを否定し切る決定的な根拠を見出すことは出来ない。

   4 ゆびさきのきれいなひとにふれられて名前をなくす花びらがある (P40)
   5 だんだんと青みがかってゆく人の記憶を ゆっ と片手でつかむ (P73) 
   6 悲しみでみたされているバルーンを ごめん、あなたの空に置いたの(P38)

 4~6は「分かりにくさ」が低い分、詩としての気高さに若干欠ける嫌いがある。4の詩はしかし、それでも「きれいなひとにふれられて名前をなくす」なんていうのはロマンチックだし、しかもそれが人ではなく「花びら」のことだ、というワンクッションおいた形で描かれているのも面白い。「がある」で締められているものも、全てがそうではないんだ、という妙な不安感を煽る高度な技術である。5の詩は、誰もがおそらく注目するように「 ゆっ 」で勝負が決まる。余りにもインパクトが強いので忘れがちだが、薄れる記憶を「だんだんと青みがかってゆく人の記憶」というように実際の色彩に置き換えたところに一瞬の分かりにくさ=途惑いを生み、それが絶妙な詩との遭遇感覚を読者に提示するのだ。6の詩は僕の感覚だと「ベタ臭い」感じがしないではない。しかし、これを恋の悩みの共有として考えるとき、極めて高いリアリティが感じられる。

   7 昨晩、人を殺めた罪によりゆめのたぐいが連行された (P119)
   8 完璧にならないようにいくつもの鳩を冷凍する昼さがり(P 33) 
   9 わたしだけ道行くひとになれなくてポストのわきでくちをあけてる(P98) 

 7~9は「分かりにくさ」が僕には若干過剰な詩たちの例。7は、誰かを殺めたいという欲望によって、それを想像した人自身の「ゆめのたぐいが連行された」という詩。人を憎むと、自分の中の大切な何かが失われる。8の詩は面白いが分からないが面白いが分からない、と何巡もする。それでこういう風に考えてみた。うじゃうじゃとひしめき合う公園の鳩たちのいくつかにロックオンし、その中の何羽もが凍り付いたように固まって動かない様子を発見した「昼さがり」の瞬間ではないか、と。9は、「ポストのわきでくちをあけてる」私の、他の人に交じれない感覚。「道行くひとになれなくて」という言葉から、他の人ほど冷徹になれない自分の弱さをちょっと不甲斐なく思いながらも、ポストに付き合って一緒に口をあけて立っててやるという発想自体に気づくまで少し僕はぽかんとしていた。

   10 泣きそうな顔であなたが差し出したつきのひかりを抜くピンセット (P93)

 この詩に関しては、「まあ!こんなにも美しい詩もこの本の中にはあるのね!」という意味でこれを紹介するに留めておこう。


 笹井宏之『えーえんとくちから』は読みやすい。と最初に書いたが、本稿で述べたように「読みやすくて分からなくて、でも1周回って読みやすい」奇妙な代物。そしてその奇妙さが詩の命脈。笹井宏之の詩を読んでいると、「現代詩」というジャンルの、一般的に言ってだらだらと長いそのあり方の愚について少し考えさせられてしまった。

(2019年1月 筑摩書房刊 680円)

 

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短歌時評第148回 重力に抗する言葉――ライトヴァース再考 岩尾 淳子

2019-08-27 23:26:50 | 短歌時評

 去る8月24日堺市で開催された「未来全国大会」でのイベントは短歌結社の大会においてジャズコンサートを行うことで関心を集めた。第一日目のイベントにジャズピアニストの山下洋輔をゲストに迎え、笹公人との対談、そしてミニコンサートが行われ、会場は熱気に包まれた。コンサートに先立っての対談では1970年代から80年代にかけて、山下洋輔がタモリたちと繰り広げたハナモゲラ語を駆使した言葉遊びの楽しさが存分に語られて会場を沸かした。また当時作られたハナモゲラ和歌も紹介され、山下がそれを魔術的に解読し、あるいは解読されないまま謎を残すことで、意味から解放される快感を与えてくれた。山下の話を聞いている中で、この言葉遊びはナンセンスな楽しみだけでなく、韻律面も含めて詩歌の本質に届いている側面もあり、かなり知的な遊びであったことに新鮮な驚きを感じた。
 このイベントには当初会員の中から、短歌結社の大会としてふさわしくないというような声もあった。実際、筆者も正直いうとそうした思いもあったことは確かだ。しかし、会場の高揚感を体験して、少し肩の力を抜いてみるのもいいのではないかと感じた人も少なくないはずだ。昨今の社会をとりまく困難な状況が、思考の硬直化を呼び込んでいる気がする。
厳しい状況が、ささやかな言葉の逸脱を「遊び」や「軽さ」として退ける風潮に流れているようで、息苦しさを感じる。
そこで少し古い話題で恐縮だが、気になったことなので少し考察したい。

● ヘビーヴァースとライトヴァース

 角川「短歌」5月号で「ヘビーヴァース 人間を差し出す歌」と題して特集を組んでいる。
特集の巻頭では「人間・命・短歌」と題して高野公彦、大下一真、栗木京子が鼎談している。その冒頭にあたっての編集部からの導入を引く。

 ――ライトヴァースが急速に発展した平成に対して、もう一度人間をキーワードにした時代が戻ってくる気配があります。作者の生きざまが反映している歌を挙げて、論じていただこうと思います。
 

 「人間を差し出す歌」というかなり挑発的なフレーズも気がかりだが、気になったのはタイトルにある「ヘビーヴァース」、それに対するライトヴァースへの認識のありかたである。
ここでヘビーヴァースというとき「人間の生きざまが反映している歌」を指しているらしい。ではそれと対置されるライトヴァースは「人間の生きざまが反映」されていない歌ということになる。また、編集後記では次のように書き足されている。
 歌いぶりや歌のテーマの軽重ではなく、そこに「人間が差し出されている」歌を「へビーヴァース」と呼んだ。
と補足しているが、これでは、ほとんどの歌がヘビーヴァースに含まれてしまうのではないだろうか。ライト・ヴァースは文字通り「軽い韻文」ということであるなら、歌いぶりの軽さを問題にしないなら、そもそもヘビーヴァースとライトヴァースの差異は存在しなくなってしまう。その結果、印象としてライトヴァースというのが、「人間の生きざまを反映」しない歌という認識だけが残る。社会の閉塞感や、生きづらさが煮詰まっている現代において、生きざまを反映した真面目で重厚な歌を詠んでほしいという意図はわかるが、そこでライトヴァースはもう役割を終えたように言うのはどうか。生きることはいつでも重いし、苦しみや悲しみと離れることはありえない。そうだからこそ、そこからほんの少し解き放ってくれる詩歌が求められるのではないだろうか。
 短歌界では、1985年に岡井隆が「ゆにぞんのかい」でライトヴァースを提唱したのを嚆矢としている。それから35年を経てライトヴァースはさまざまに変容し、短歌界に取り込まれてきた。今、ライトヴァースを「人間の生きざまを反映」しない歌として封じ込めてしまっていいのだろうか。また、そもそも「生きざまを反映する」歌を詠まねばならないとすることにも疑問を感じる。真面目な歌を詠むべし、という声のうしろにはどうしても硬直した通念が透けて見えてしまうのだ。
 最近の総合誌から軽い歌いぶりで印象にのこった作品をランダムにあげてみる。


                             現代短歌八月号
  飼えばきっと可愛い鴉ゆうぐれに失くした鍵もみつけてくれる   永田紅

                                歌壇八月号
  傘のなかはひとりの宇宙…ではあるが暮らしの人はごみ出しにゆく 三枝昴之

                              うた新聞八月号                   
  ほほえめる妻の遺影にウインクし「俺もう寝るぞ」と蛍光灯消す 杜沢光一郎
                             
                             現代短歌七月号
  傘させばうたへうたへと声がするそつちの方がたぶん空だね   清水正人

                                短歌七月号
  聞いたことのない鳥の声あたたかく流れ込む雨わたしは川だ   松村由利子

                             短歌往来6月号
  イーゼルを立てるとすぐに山が来て雑木林の背景になる     坪内念典
             

 軽やかな歌のよさを説明するのは難しいがあえていうと、押しつけがましくなくて、読む方の気持ちを柔らかくほぐしてくれることか。それは、うすい包み紙に水晶のような喜びや悲しみをくるんでいる懐かしさとでもいうか。しかも、詩的な想像力は無理なく身近な具体から立ち上がっており、その射程は案外遠くまで届いている。その「軽み」は究極的には「存在の儚さ」・「世界のかがやき」に触れるものだろう。
                    
●地球の重力に抗する言葉

 ではライトヴァースとはそもそもどんな韻文を指しているのか。1979年5月号のライトヴァース特集を組んだ「現代詩手帖」を思い出した。この特集がのちに80年代のライトヴァース興隆への起爆剤にもなったことは周知のことだ
あらためて誌面を見ると国内外の様々な詩人たちの論考が並んでいる。「ヘビー・ヴァース、ハイ・ヴァース」に対する概念として「ライト・ヴァース」について彼らなりの定義や解釈を自由に論じている。記憶に残っていたのは巻頭の対談での谷川俊太郎の発言である。谷川はライトヴァースについて次のように言う。

 ぼくの主観的な解釈でいうとライトヴァースというのは地球の重力に抗することを基本的に考えるのね。そう考えると優れた詩にはすべて軽みの要素があるというのがよくわかるんです。どんなに重ったるい詩でも詩というものは地球の重力に抗して人間の精神を高めるような感じがあるんじゃないかということは漠然と言えるんだけどね。

 ここで、谷川は直観的にライトヴァースの「軽み」を詩の本質と結び付けてとらえている。「地球の重力に抗すること」つまり、言葉で「人間の精神を高める」のが詩であり、優れた詩には「軽み」という要素が必ずある。軽やかに表現することで、現実の重力にあえて抗うことで思考が自由になり人間の精神は高められる。詩における「軽み」ということの意義を改めて認識する新鮮な言葉だ。

●ウィスタン・ヒュー・オーデン

 さて、この特集ではライトヴァースを運動として牽引してきた元祖でもあるW・Hオーデンの『ライト・ヴァース詩選序文』(1938年)からの抄文が掲載されている。オーデンはライトヴァースと「真面目な詩」のあいだに特に本質的な違いは認めていない。ただ詩人のありかたの相違を社会との関係性から二つのカテゴリーに分類している。少し長くなるが引用する。

 詩人が興味をもつもの、身のまわりに見るものが、読者層のそれとほとんど変わらないとき、そしてその読者層がごく一般的なものであるとき、詩人は自分を特殊な人間として意識しなくなるだろうし、その言語は直截で、日常言語に近いものになるだろう。反対に、かれの興味や関心がたやすく社会に受け入れられないとき、あるいはかれの読者層が、仲間うちの詩人といったごく限定されたものになるとき、かれは痛切に自分を詩人として意識するようになり、その表現方法は通常の社会言語と大きく離れていくことだろう。

 ここで注目したいのは詩人の意識と、その詩的言語との関連である。自分を特殊な人間として意識しないときは日常言語に近づき、そうでないときは社会言語と大きく乖離してゆくという。つまり、詩人の意識によって言葉は軽くもなり、難解にもなる。あたりまえのことのようだが、詩的言語に関わる意識の要を言い当てていると思う。そして、おそらくは前者の意識に近いのがライトヴァースと推測される。オーデンは詩的言語の難解さについて次のようにも述べている。

 社会が不安定で、詩人が社会から遊離すればするほど、それだけ詩人はものをよく見ることができるようになるが、それを人に伝えることは難しくなる。

 ここからオーデンはロマン派の陥った孤立感のただよう陰鬱な詩について批判を加えたうえでバーンズを引き、「どんな深刻な問題も率直にのびやかに書くことができた」としている。そのうえで1930年代のアメリカ社会を背景にしながらライトヴァースの可能性について実に希望的に提唱している。

 そのような社会で、そのような社会においてはじめて、詩人は感受性の繊細さ、あるいは主体性を犠牲にすることなく、単純で、明快で、陽気な詩を書くことができる。なぜなら、軽くてしかも成熟した詩は、完成した自由な社会でしか書けないはずのものだからである。

 オーデンがこの文章を書いたのは1930年代のアメリカ社会を背景にしており、その民主主義社会を理想とするところには限界があったわけだが、オーデンが詩に託した希望は、かたちを変えながら現代にも継承されているはずである。それは「どんな深刻な問題も率直にのびやかに書く」ことができることであり、それは「感受性の繊細さ、あるいは主体性を犠牲にすることなく、単純で、軽快で、陽気な詩を書くことができる」、「軽くてしかも成熟した詩」。ただ、その後の80年代のライトヴァース短歌にはこのオーデンの「単純で、軽快で、陽気」な部分だけが取り上げられ、注目されたようにも思われる。

●ロバート・フロスト

 さて、2010年に刊行された『アメリカのライトヴァース』(西田克政著)によると「ライト・ヴァースそのものの定義が千差万別で、10人いれば10通りの解釈がありうるだろうし、ライト・ヴァースの選択についてもひとによって違ってくる」という状況らしい。この書のなかで紹介されているロバート・フロストの「雪の降り積もる夕暮」はアメリカ詩の中でも名作として知られている。この著者はそれをライトヴァースとして紹介する。
詩の全文を引用しよう。
   
  「雪の降りつもる夕暮 森のそばに佇む」
  
  この森がだれのものか、おおよそわかる
  彼の家は村にあるけれども
  わたしがこんなところに立ち止まって
  森が雪で覆われてゆくのを見ているとは思うまい

  一年中でいちばん暗い夕暮
  森と凍った湖のあいだで
  近くに農家ひとつないのに立ち止まるのは
  なにかおかしい わたしの子馬はそう思っている
 
  どうかしたのか問いかけるように
  体をぶるっと震わせ 鞍の鈴を鳴らす
  ほかに聴こえるのは 吹き抜ける柔らかな風と
  しんしんと降る雪の音だけ
 
  森は美しく 暗く 深い
  けれども わたしにはまだ約束がある
  眠りにつく前に 何マイルもの道のりがある
  眠りにつく前に 何マイルもの道のりがある

 この透き通るような言葉で書かれた静かで深い詩をライト・ヴァースとして紹介されていたことに驚きつつ、そのことを当然とも思えた。ライト・ヴァースはこのように美や死、あるいは永遠性といった深いテーマをしなやかに、また平明に歌う詩も含まれる。まさに谷川俊太郎のいう「地球の重力に抗」して「精神を高める」軽やかさを持っている。西田はこの詩を深く多面的に鑑賞し、分析をくだしながら最後の2行に言及する。

 フロストはアメリカの特質ともいえる、プラグマティックな卑近な現実をその後に持ち込むのである。それは人間社会の約束事という、生活を成り立たせるうえでの決まりきったしきたりへの執心である。視点をかえれば「美」(「芸術」)に見とれる瞬間の自己をいさめる、覚醒した自己は「日常生活」(「人生」)の重要性を再確認するかのように、自分に言い聞かせるのである。… フロストの中にある、諸手をあげて芸術をあるいは美という物を賞賛できない自我の意識が存在している複雑性にあるように思える。

 この解説はライトヴァースの一側面をよく捉えている。「諸手をあげて芸術をあるいは美というものを賞賛」することへの恥じらい、あるいは照れの意識は詩の言葉をより簡素にするように働くだろう。ここで言われていることは金関寿夫が「アメリカのライト・ヴァース」(現代詩手帖 1979年5月号)のなかで発言していたことと通じるように思う。金関は次のように書いている。

 「軽み」というのは、一般的に見て、私は一種の「照れ」だと思っている。深刻な主題を深刻な顔をして語る自己陶酔と野暮臭さに、作者自らが照れる気持ちから、それは出ている。

 この「照れ」の姿勢はひとつの詩学として1980年代の短歌の流れのなかにも深く取り込まれることになる。

●塚本邦雄と小池光

 さて、話が詩の方に逸れたので短歌の方にもどそう。短歌界でライトヴァースが受け入れられたころはちょうど前衛短歌運動が勢いを失っていった時期でもある。そのあたりの歴史的な意味付けが最近、さまざまに議論されているように思う。1985年に岡井隆がライトヴァースを提唱したことはそういう意味では時代の潮目を見通してのことだろう。その時代は軽さを旗印に掲げるポストモダンの潮流が席巻していた。
 歌壇五月号で加藤治郎が塚本邦雄の「軽み」について言及している。ライトヴァースに関わる貴重な意見なので参照しておく。

 「芭蕉の軽みどころか、凄みと等価値の軽みを私は志しています。それこそ、私の「変」です。」
 塚本邦雄、一九八六年の発言である(「短歌研究」短歌年鑑座談会)この年は、ライト・ヴァースが問題になった。歌壇では若者の口語文体による軽やかな恋の歌、都市風俗のスケッチという方向に収束した。もともと岡井隆の企図したライト・ヴァースは成熟した精神で人生を語るような大人の文学だったのであるが、そうならなかった。むしろ塚本こそが真正のライト・ヴァースだったといえるのではないか。

 加藤が指摘しているようにライトヴァースの軽みというのはある種の成熟を伴ったものと考えられる。歴史的にみてライトヴァースは貴族社会の言語遊戯を源流とする流れがあり、知的なソフィティケーションが要求される。前衛短歌の先陣をきって登場した塚本邦雄は、当初より一貫して戦争への憎悪がさまざまな方法論を駆使しつつ言葉を重層的に組み替えながらその作風を構築してきた。ただ中には、モダニズムを否定しようとしながらもその明るさが痕跡を残している歌もあるし、古典や、口語をとりいれてゆく中期以降の歌では、方法論から自由になり言葉が軽快に動いている歌も見られる。知的な言語操作による「軽み」を生む作品である。

  夢の沖に鶴たちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが   『閑雅空間』

  ほしいままに水のみたればわが歌の下句うらうらと風吹く紫苑   『歌人』

  明日より春休み無人の教室に青き白墨干菓子のごとし         『豹変』

  いふほどもなき夕映えにあしひきの山川呉服店かがやきつ      『詩歌変』

  遺産問はるるならばギリシアのオルゴール、麻衣、百合根十まり五つ  『風雅』

 戦争という重い主題を一貫して読み続けた塚本。しかし一方で塚本は言葉の遊戯性や言葉を自在にコントロールしつつ詩想を深めた世界を知悉していた歌人でもあった。塚本邦雄の歌の多様性、その幅の広さはさらに考察を深めていきたい問題である。

 さて、もうひとりの歌人に注目したい。
 昨年の「日本歌人クラブ創立七十周年記念シンポジウム東京」で行われた永田和宏と三枝昴之の対談「前衛短歌が忘れたもの」が「現代短歌5月号」に再録されている。そこから二人の発言から引く。

 永田 …一般には穂村弘、加藤治郎、俵万智らの口語を使った軽やかな歌がでてきたあたりから前衛短歌が運動として使命を終えたんだろうといわれていますが、ぼくはね、端的に小池光だろうと思う。小池光は表立っては何も言わなかったけれど、前衛短歌が目指していたものを確実に否定した。何も起こらないことが大事なんだということを『日々の思い出』(一九八八)年の中でいっています。…
 三枝 小池氏の場合は時代が少し下がって前衛短歌を一歩、距離を置いてみることができるところで短歌と出会ったというスタンツの中で永田氏の今の発言を借りると、前衛短歌の嘘臭さが見えた。だけどぼくらには見えなかったんだよね。

 80年代後半から90年代への短歌史を眺望するうえで、短歌界の潮流の変化としてライトヴァースからニューウエーブという捉え方だけでなく、小池光の歌が大きく機能していたことを俯瞰的に指摘している。ここで注目したいのは、その小池の方向転換には少なからず、さきほどから検証しているライトヴァースの本質的な特質にかかわる「照れ」の姿勢の影響がみられることである。思い出してほしい。オーデンは詩人を二つのカテゴリーに分類していた。繰り返すが、一つ目はこうだった。

 詩人が興味をもつもの、身のまわりに見るものが、読者層のそれとほとんど変わらないとき、そしてその読者層がごく一般的なものであるとき、詩人は自分を特殊な人間として意識しなくなる。

 これはライトヴァース的存在論といえる。そして、まさに小池光の転換はここにあった。ライトヴァースとこの時期の小池の歌のファニーや風刺と共通性については『続 小池光歌集』の小澤正邦による解説文に早くに注目して分析されている。それを断っておいたうえで少し補足したい。『日々の思い出』(小池光)の後記から引く。

 「思い出」に値するようなことは、なにも起らなかった。なんの事件もなかった。というよりなにもおこらない、おこさないところから作歌したともいえる。…(中略)高級一眼レフで撮った〈芸術写真〉ではない。この間の〈芸術写真〉のはったりくさい感じがだんだんいやみにおもわれて来た。

 ここで小池がいっていることが三つほどある。一つは、どんな人間であれその一日はささいな気がかりにすぎてゆくということ。二つ目、なにも起らない、変哲もない日常の無意味性、つまり偶然性を基盤としたピュアな世界があること。そして三つ目は、大仕掛なヘビーヴァースがもつ通俗性への反感である。ランダムに歌を引いてみる。

  佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず

  さしあたり用なきわれは街角の焼き鳥を焼く機械に見入る

  くれなゐのボタンを押してゐたるときエレベーターはすでに来たりつ

  こどもといふトマトケチャップをわれ愛し妻愛し昼さがりの食事

  岡井式にととのへてゆく詩のかたちとほからずしてわが飽くとおもへど

 これらの歌は簡素で平易な言葉で日常を語りながら、そこはかとない哀感やユーモアの入り混じった着想のかろやかさがある。しかもこの歌の背後には平凡な日常を愛おしみつつ生きている時間があり、そうであるがゆえにその日常性の儚さも読んでいるように思える。また、5首目にひいた歌には作者の明晰な方法意識がメタ短歌的に詠まれている。小池の射程にあったのは、物語やテーマ性よりも、やはりライトヴァースの特質である平明な文体が可視化する「日常性」や、等身大の虚飾のない抒情であったように思える。

●岡部桂一郎の歌

 小池光の『日々の思い出』と軌を一にして1988年に岡部桂一郎の『戸塚閑吟集』が刊行されている。岡部桂一郎は戦前から活動しているにも関わらず、この歌集がまだ第三歌集という。岡部ほど、さきほどの「照れ」の詩学をくっきりとみせている人も少ない。そういう意味ではやはりライトヴァースの系譜に位置づけても無理はないように思う。ライトヴァースはその詩想から結果として口語に至ったということであり、そこに文語が混在することはあまり問題ではない。ようするに言葉に過剰な、あるいは重層性のある意味をまとわせていないということが肝要な点ではなかろうか。そこにあるのは無垢さや偶然性に根ざすシンプルな詩学であろう。岡部桂一郎の歌については河野裕子が強い共感をこめて書いている文がある。
 
  月と人二つうかべる山国の道に手触れしコスモスの花
 この歌にしても他にいくらでも別の表現を用意できる筈であるのに、ただ、このように、一見何ということもないシンプルな作りの歌に仕上げている。実作してみるとわかるが、この愛想の悪さはなかなかまねのできるものではない。つい一言余計な感想を入れてしまいたくなって、歌を暑苦しい通俗的なものにしてしまいがちな事が自他ともになんと多いことだろう。  「塔」(2002年4月号)

 岡部桂一郎の作品をいくつか挙げてみよう。

                       「戸塚閑吟集」
  ひとり行く北白川の狭き路地ほうせんか咲き世の中の事     

  道々に摘みたる花を捨ててゆくあずき色よりピンクが好きで    

  あの山は何と悲しい山でしょうはぜ紅葉して父のふるさと     

  鶏頭に陽ざしあたれり愕然と反戦の唄もうはやらない        

  長々と昭和終わるか雪の道晴れて遠くに人転びけり         

 想念を外に逸らしつつ意味をかるく削いでゆく。そこにはわざと歌を感動的にしたり抒情性を深めたりしたくない、つまり完成した形をわざと避けるような含羞がある。しかも、その平易な表現のなかに深い悲しみや、時間の深さも封じ込められているようにも思う。

●ライトヴァースの位相

 さきほどの加藤治郎の指摘のとおり、1987年には俵万智の『サラダ記念日』、そして加藤治郎の『サニー・サイド・アップ』が刊行される。それらの歌集はその軽快さ、陽気さ、そしてなによりも現代的な口語文体によりまぎれもなく以後のライトヴァースの流れを牽引していったことは確実だ。しかし、また一方では小池や岡部のように低い視線で日常を描き、過剰に意味を負わせない軽ろみのある言葉を成熟させながら、生活の深くに錨を下ろす歌が紡がれていたことも見逃せない。この二つの流れが互いに侵食し、位相を変容しつつライトヴァースの方法を深化させてきたともいえる。戦後はじめてライトヴァースの詩を公表した加島祥造は1979年の現代詩手帖に寄稿した文のなかに次のように書いている。

 ライト・ヴァースの軽さとは詩の表現の軽妙さをさすのであって、詩の主題の軽さをさすのではない。それは深刻とされる主題――愛や死や苦悩――を扱いうる点ではハイ・ヴァースと少しも変わらない。 (「現代詩手帖」一九七九年五月号)

 早くにこういう指摘があったことを確認しておかなければならない。この言葉からも類推できるがライトヴァースは「人間のいきざまを反映」しないただの軽い歌という認識は少し違うように思う。今はライトヴァースの手法がさまざまな位相で用いられており、短歌の表現に多様性を与えている。現代短歌はここ40年様々に模索を繰り返している。これからどう変化するのか予見はできないがライトとヘビーを往還しながら幅をもった世界を表現できる詩形でありたい。

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