「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

【短歌連作評】 水を照らされて ― 東直子「皿の上の水を照らす」を読んで カニエ・ナハ

2018-07-06 16:56:08 | 短歌相互評


東直子「皿の上の水を照らす」
http://shiika.sakura.ne.jp/works/tanka/2018-06-02-19273.html



校庭のトーテムポールと理科室のプレパラートが(声)おくりあう

という一首が連作中にあるけれど、東直子さんのこの連作は声にならない(声)にみちみちていて、私たちの「声」にしてしまうとこぼれておちてしまう、という気がする。トーテムポールとプレパラートの交わす、見えない、聴こえない、秘密の会話を見るともなく目にし、聴くともなく耳をすます、そんなふうに注意ぶかく、それでいてどこか散漫に、そこに置かれた歌たちに、ただふれるしかない、という気がする。歌にいざなわれて思いだすことどもならある。それらを思いだすままに記すにとどめることにする。ところで先日まで私は二週間ほどフィンランドへ行っていた。詩祭へ参加するため。川と川との間のカフェで、地元の詩人、レアリーサ・キヴィカリさんとふたりで朗読をした。テーマは「Blue/By the water/Prayer」。青、水辺、祈り。レアリーサさんは、水に関する自作詩を集めて「Water has a memory」と題された。水は記憶をもっている。白夜のフィンランドは深夜0時になってもまだ仄明るい。うすぼんやりとした月が、あたまの上の水を照らしている。





平泳ぎで海を越えていったこと小さな河童になっていたこと

器の中の水が揺れないやうに、/器を持ち運ぶことは大切なのだ。/さうでさへあるならば/モーションは大きい程いい。」という中原中也の詩のフレーズをあたまで口ずさみながらゴーグルを忘れた市営プールでえんえん平泳ぎだけをしていた。先日、空港でこんな話をしていた。ときどき、飛行機の荷物の中に隠れて自分たちを密輸しようとするひとたちがいて、しかしはるか上空の気温は想像を絶して低く、ときに彼らは凍った状態で発見される。あたまの水まで氷ってしまっている。





廃線の線路の上に幻の駅の名前をつらねて走る

わたしの廃線にはいつもいっぴきの蝶々が飛んでいて、その羽根に目をこらすと模様のなかにわたしには読めない文字で駅名がしめされている。





キーストーン百一年目の夏に入る女人禁制書斎公開

この歌がなにを歌っているのか私にはわからない。古い友人にすもう、と呼ばれていた子がいて、すもうは相撲部屋のおかみさんになるのが夢なのだった。相撲番組にかかわるアルバイトさえしていたとおもう。あるとき、夏、墨田川の花火大会のあとだったけれど、帰りに蔵前あたりの花火屋さんで手持ち花火を買って、近くの公園に寄った。さいご、先に落ちたほうがなにか秘密を打ち明けるのだといって、線香花火に火をつける。線香花火の仄かな火に照らされて、すもうの蚊に喰われたくるぶしが淡く明滅している。





ねじりつつはずす電球まろやかにホオジロハクセキレイの信念

切れた電球がチチチッと鳴く鳥たちのたましいはたぶんあんなかたちとひかりをしている(いた)のだとおもう。小説家の庄野潤三さんの晩年の作品に『せきれい』がある。庭に来る鳥や散歩道で見つけた花や毎日の食事のことなど、晩年のご自身の日常を日録風に描いた、本人がいうところの〈晩年シリーズ〉の一冊で、計十一冊になった。『せきれい』はその中の一冊で、この「せきれい」は夫人が家で練習するピアノの曲から採られた。このシリーズ中に、ほか鳥にまつわるタイトルに『鳥の水浴び』と『メジロの来る庭』がある。『庭のつるばら』と『庭の小さなばら』もあり、それぞれ別の本であるが、中身はほとんど同じである。「トウフ屋にはトウフしかつくれない」と云った、映画監督の小津安二郎のことをおもいだす。





続編をもたぬ物語として一対の指そろえて祈る

もちろん、優れた続編というものも少なくなくあり、たとえば映画『仁義なき戦い』シリーズでは、私は2番目と3番目がもっとも好きだ。あれらの映画のなかでは、いくつもの指が切断され、ラストシーンでは廃墟となった産業奨励館が映し出された。





一膳の箸、一箱におさまりて深夜しずかなテーブルの水

お箸にはつかったひとのたましいが宿るのだという。箸箱の中の箸の仮死。それにしても月が善い夜である。テーブルの水とからだの水の区別がつかない。





エナメルのような夜の道をゆく翼を持たず尾鰭を持たず

ときどき、夜に川沿いを散歩する。私の夜の川沿いの散歩道に、一か所だけ、スカイツリーと東京タワーが同時に見える場所(というか、箇所)がある。見ているうちに、ふと、ふたつの塔は川でつながっているような気がしてくる。ときどき、ランナーたちが目の前を往来し、鳥たちがふたつの塔を往来している。





おしなべて黙る待合室で観る無音のままのショップチャンネル

無音の待合室をおもいだすとき夢の中でいる水の中をおもいだす。いままで買ったものでほんとうは不要であったものはいくらでもある気がするいっぽうで、なにひとつ無駄な買い物はしなかったという気もする。「この小石が無意味なら、ほかのすべても無意味だ」というようなフェリーニの映画の中のせりふを朧におもいだすと、ショップチャンネルの案内人がいつのまにか観音さまのお顔に入れ替わっている。





白い含み笑いを向けるおかあさん私もう五四歳だよ

このところときおり、いまの自分の年齢のときの母がどんなであったかを思いだしている。母が、自分がその年齢になると自分がおもっていたよりも自分は幼くかんじると語っていた、その声とともに。いまの自分よりも年下の、そのときの母のことを思いだしている。





ヤクルトでおうちを作りかけていた夕焼けせまる畳の部屋に

一本のヤクルトの中に含まれているという何億という乳酸菌の、その何億という数字をかんがえるとめまいがする。畳の目を数えるように乳酸菌の数を実際に数えたひとがいるのだろうか。乳酸菌が生きている、とか聞くと、じぶんのからだがすこしおうちになったような気がする。たぶん、おうちなんだ。





磨り硝子の窓がカタカタ音たてて眼鏡の子供同士の誓い

子どものころのことをおもいだすときまっさきに思い出すことのひとつは学校の窓硝子を不注意で割ってしまったことで、とても重大な罪を犯してしまったような気がしたものだった。しかし、つい先日も誤って家の硝子戸を割ってしまい、修理に七万円もかかったのだった。小学生のころ目がわるくなっていったころ、遠くを見ると視力が回復するとおそわって、そのころ窓際の席だったのだが、授業中、ずっと窓の外のできるだけ遠くを眺めていた。基地の近くの街だったので、ときおり飛行機がものすごい音を立てて近くの空を横切って、そのたびに硝子窓がこまかく振動した。できるかぎり空のいちばん奥を見つめていたのだが、それでも私の目はどんどん見えなくなっていった。





うれしそうに消え失せていく白線の思い出せないポニーテイルの

二年ほど前に私は『馬引く男』という詩集を出したのだけど、そのころ私は馬に憑りつかれていたのだった。二十篇ほどの収録作のうち、半分くらいは「馬」というタイトルの詩だったとおもう。そのころに貼った、いまもこの文章を打っているしごと机で、パソコンのモニターから視線をあげると、いくつかの馬にまつわる写真や絵が目にとびこんできて、そのなかの一つに眠っている馬の写真がある。Charlotte Dumasというアーティストの展覧会のポストカードで、眠っている馬の写真たちと、いままさに眠りに入ろうとしている馬たちをとらえた映像作品による展覧会だった。これらの馬は、軍用馬で、いまも、死んだ兵士たちを墓へ運ぶ役目をしているのだという。頭から眠りに入りはじめた馬の、尻尾がまだ、こちらがわにとどまって、たゆたっている。





甘い言葉をそそがれているさびしさをつまさきごしにふと伝えたい

深夜に電話がかかってきたが「ごめんいまげんこうかいてる」と短く返信すると「さびしいからねる」と返ってくる。そのひとのつまさきを思い出している。ペディキュアの塗りのこしがセザンヌの絵画みたい。





歩きながらこぼれはじめることばたち路地にはみだす緑にふれて

東京の東に住んでいるが、家々の庭先の植物が繁茂してほとんどジャングルの態である。東東京にはもちろん自然は少ないが、家々の庭先の植物によって、都内でも緑の割合が比較的多いのだという。おかげさまで、あの家の庭先にはジャスミン、あの家にはアガパンサス、あの家にはノウゼンカズラといったあんばいに、季節に合わせた花の散歩を楽しませてもらっている。ところで、アガパンサスという花を見るたびにマイルス・デイヴィスをおもいだす、というジャズ・ファンは私だけではないはずだ。後期マイルスの大阪でのライブを収めた傑作ライブ盤「アガルタ」と「パンゲア」があり、この二枚を合わせて通称「アガパン」と呼ばれているのである。横尾忠則によるジャケットも素晴らしい。ちなみにノウゼンカズラは英語ではトランペット・フラワーというのだという。





おだやかな静脈の色とけている花にしずかな真実たくす

赤い花かもしれないし青い花かもしれない。聖母の服が赤と青なのは動脈と静脈をあらわしているのだとどこかで読んだ記憶があるのだが、ほんとうだろうか。静脈を思い浮かべるとき反射的に夕暮れを思い浮かべるのは、中原中也が生前出版したただ一冊の詩集『山羊の歌』の巻頭に置かれた「春の日の夕暮」の末尾、「これから春の日の夕暮は/無言ながら 前進します/自らの 静脈管の中へです」のため。先日、中也と大岡昇平についての文章を書いた。中也記念館で今やっている「大岡昇平と中原中也」の関連企画で、9月に「大岡昇平の戦争と中原中也」という題で話す。大岡は戦争中、フィリピンの前線にて、夕暮、ふと中也の詩を口ずさんだのだという。『山羊の歌』に入っている「夕照」という詩である。「かかる折りしも我ありぬ/少児に踏まれし/貝の肉」という三連目が骨のようにひっかかる。貝の肉は花のようなものかもしれない。





新しい指紋をもらい生きていくアンドロイドのように、紫陽花

世阿弥の『風姿花伝』を以前からかたわらに置いていて、いま、白洲正子さんの『世阿弥』の中でそれをあらためて読んでいる。「秘すれば花」という言葉は、ずっと昔に、いわさきちひろさんの本の中で知った。彼女はこの言葉を座右の銘にしていた。自分の絵について、「消しゴム芸術」ということも言っている。紫陽花の、花のように見え、われわれがおうおうにして花と呼んでいるものはじっさいはガクなのだという。花とおもわせておいて花ではない、ほんとうの花はべつのところにある。





根の浅いうちに抜かれた草たちがひとしく乾く五月、夕暮れ

「びんぼう草のほんとの名前、知ってる?」とミドリがいった。「ハルジオンとヒメジョオンっていうんだよ。」「そんな素敵な名前があるのに、びんぼう草なんて呼ばれてて、ちょっとかわいそうだよね。うちのおかあさんなんてね、ハルジオンとヒメジョオンのこと、雑草のごとく咲いてる花って呼んでるの。」五月に生まれたミドリのことを、五月になり、ハルジオンとヒメジョオンを見るたびに思いだす。ミドリというのはあだ名で、彼女が大好きな『赤毛のアン』から採って、私がつけたのだった。大学のベンチで、夕暮れ、お喋りをしていた。私は「アン・ブックス」の中では二番目の『アンの青春』が好きだ。いま、本棚を探すと、いちばん隅に、そのころ読んでいた、付箋だらけの『アンの青春』(村岡花子訳)があり、そのころの、二十歳ころの私が、どんなところに付箋をつけているか見てみる。こんなところに目がとまる。

不意にアンは指さしながら叫んだ。「ごらんなさい。あの詩が見えて?」
「どこに?」とジェーンとダイアナは、樺の木にルーン文字(訳注 古代の文字)が書いてあるかのように、目をみはった。
「あそこよ……小川の底の……あの古い緑色の苔がはえている丸太よ。あの上を水が、まるで、櫛でとかしたような、なめらかなさざなみ音で流れているわ。それから、水たまりのずっと下の方に日光が一筋、ななめにさしているわ。ああ、こんな美しい詩って見たことがないわ」
「あたしならむしろ、絵と言うわ」とジェーンは、「詩とは、行や節のことを言うのよ」
「あら、そうじゃないわ」アンは山桜の花冠をかぶった頭をつよくふった。「行や節は詩の外側の衣装にすぎないのよ。ちょうど、あんたのひだべりや、飾りひだが、あんたではないと同じように、行や節自体が詩ではないのよ。ほんとうの詩はそういうものの中にある魂のことよ――そしてあの美しい一編は、文字に書きあらわしてない詩の魂なのよ。魂を見ることはそう、しじゅうは望めないわ――詩の魂だって、そうよ」


また、べつの付箋のつけられた、こんなところにも目がとまる。

「大丈夫、来年の春、また植えればいいわ」アンは悟ったところを見せた。「それがこの世のありがたさよ……春はあとからあとから、いつでもくるのよ」





夕暮れのプラットホーム透明な鞄のようにベンチに座る

私の育ったまちの駅はちいさな駅で、急行がとまらないので、各停を待っている間、何本もの電車を見送った。かたわらを川が流れていて、その向こうに山脈が見える。夕方には山の向こうに日が沈む。先日、十年ぶりくらいに、この駅を訪れた。私は駅のことをよく覚えていたが、駅は私のことをすっかり忘れていた。





むき出しの老婆の瞳わたしたちの仕方のなかった時もやしつつ

フィンランドに行く前に、フィンランドの映画を観た。カウリスマキのはだいたい観ていたので、カウリスマキじゃないやつ。「4月の涙」という。フィンランドは百年前にロシアから独立したとき、内戦が起った。この映画の主人公は負けた軍のほうの女性兵士だった。この内戦では女性や子供も多く戦ったという。フィンランドのひとたちはいまでもこの内戦についてあまり語りたがらない。たった百年前のことなのだ。フィンランドは男女平等がとても進んでいる国で、二〇〇三年には大統領と首相がともに女性になった。そのとき閣僚のおよそ半数が女性だったという。ところで、私がフィンランドに行っている間に、何人かの女性に、日本の映画で、お菓子をつくる映画を観たが(そして、素晴らしかったが)、知ってるか、と聞かれた。どうやらそれは河瀬直美監督の『あん』で、最近向こうのテレビで放映されたらしい。私はまだ見ていないのだけど、録画しておいたDVDを見付けてあって、この原稿を書き終えたら見たいとおもっている。樹木希林さんが主演している。樹木さんがおばあさん役で出ている映画が多すぎて、どの樹木さんがどのおばあさんだったか、あるいはどの映画がどの樹木さんだったか、わからなくなってくる。ある夕食の席で、女性映画監督といっしょの席になった。聞くと、フィンランドでも女性監督はまだまだ少ないという。小津が好きだというので、私が毎年十二月に訪れる小津のお墓の話をした。同じ寺に女優の田中絹代のお墓もある。田中絹代は日本で最初期の女性映画監督でもあった。いま、調べてみると日本最初の女性監督は坂根田鶴子というのだという。田中絹代の初監督作品より十七年も前に撮っている。日本最初の写真家なら知っている。島隆という。幕末に生まれて、明治時代に桐生で写真店を営みながら写真を撮った。私は彼女にあてて「島」という詩を書いた。世界最初の女性写真家はジュリア・マーガレット・カメロン。私は彼女にあてて「亀」という詩を書いた。私は彼女たち、写真家たちの瞳についての詩を書きたかったのだが、うまくいったかどうかはわからない。ちなみに世界最初の女性映画監督はアリス・ギィというのだという。私はまだ彼女の映画を見たことがない。


 *


それにしても、私は日本へ帰ってきてからすっかり夜型の人間になってしまった。失われたぶんの夜をとりもどそうとしているのかもしれない。しかし、じきに東の空が明るんでくる。じきに私はすこし眠るとおもう。水をたたえた、あたまの皿をかたわらに置いて横たわる。


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短歌時評133回 名古屋でシンポジウム「ニューウェーブの30年」をわたしは聞いた 柳本 々々

2018-07-06 16:09:04 | 短歌時評




2018年6月2日土曜日、名古屋。このシンポジウムは、加藤治郎さんの「ニューウェーブなんて存在するのか?」という問いかけではじまった。少なくともわたしのノートはそこからはじまっているのだが、たぶん今回のシンポジウムのひとつのキーワードは、〈ニューウェーブを前提にしない〉ということだったとおもう(以下は、わたしが当日ききながらノートに記したことでばちっと精確ではない箇所もあるかもしれない)。


ニューウェーブはこれなんだよ、これだったんだよ、と荻原裕幸さん、加藤治郎さん、西田政史さん、穂村弘さんの四人が後付けしていくのではなく、〈ニューウェーブってじつはぱっとつけられた名前があとでどんどん後付けされていったものだったんじゃないか〉ということを当時の実感とともに語ること。こういったニューウェーブに対する不信と実感が当日の語り口になっていたのではないかとおもう。


たとえば荻原さんはこんな発言をしていた。〈ニューウェーブは文学運動のために行ったわけではない。ニューウェーブはかたちのわからないもの、ずっと正体のない指標のようなもの〉だったと。


続いて西田さんのこんな発言があった。〈ニューウェーブは運動ではなく社会現象〉。


こうした、〈正体のない〉や〈現象〉ということばが、ニューウェーブのなにかを語ろうとしていたのが当日の雰囲気である。わたしたちは今もうそれが〈あったかのようなもの〉として語るけれど、当事者たちは、それを今なお〈あったもの〉として正面から語るのを避けようとするのがニューウェーブのニューウェーブ的ななにかを物語っている。


穂村さんはこんな発言をしていた。ニューウェーブという言葉は、さいしょはただ単に一般的なことば、単に「新しい動き」として新聞記事用にニューウェーブと言っただけであり、それがのちに前衛短歌として誤読されたのではないかと。もやもやっとしたものが偶然かたちになったのではないかと。


この、偶然、というものも当日キーワードになっていた。加藤治郎さんはそれを受けて、ニューウェーブ勘違い説、誤認説といっていた。つまり、ニューウェーブは偶発的にできたものなんだと。だから、ニューウェーブは事後的な事件なんだと。


当日、わたしがきいて、はっきり学んだふたつの事柄は、まず、ニューウェーブとは、前提や所与のものではなく、当時、ふたしかな《あいまい》なものだったということ、そしてそのふたしかなあいまいなものが《偶然》かたちになったということである。


あいまいと偶然。これが当時者たちが語ったニューウェーブだったのではないかとおもう。


わたしが当日はっきりと学んだのはこのふたつだった。だからこれからもしニューウェーブを語ろうとするなら、まずニューウェーブを所与のものとしないこと、どんなふうにそれが後から後付けされていったのかのプロセスに目を向けてみること、また、どの時点で偶発的にそれがかたちとして定まる瞬間がそのつどあらわれたのかそれに目を向けてみること。そのふたつが大事になってくるのではないだろうか。


わたしが話をきいていておもしろかったのは、ニューウェーブを語る際の外との葛藤・折衝である。ニューウェーブを語ろうとすると、かならず、〈短歌の外〉の話がでてくる。当日、ワープロなどの当時のメディア環境の話や高橋源一郎さんや吉本隆明さんの名前もあがったが、ニューウェーブは〈短歌の外〉とかかわりをもってしまう。ところが〈短歌の外〉とかかわりをもちながら、〈短歌の中に巣くう亡霊〉を同時に呼び起こす。これがニューウェーブが(ライトヴァースにない)いまだに語られようとする〈何か〉なのではないかとおもう。それは外とつながる短歌の出口であると同時に短歌を短歌としてどこまでもつなぎとめようとする桎梏である。


つまり、ニューウェーブを語ろうとすると、あなたの短歌の位置が問われてしまうのだ。加藤治郎さんは、ニューウェーブは、いろんな意識がじぶんの中にあることの発見だったと語ったが、それはニューウェーブを語ろうとするものにもあらわれるのだ。今も。


なお、ニューウェーブのジェンダー性も大事な問題で、当日、前で話されていた四人はいずれも男性であった(これは現代川柳のイベントでもよく起こることだが、時々、ふっと、はっとすることがある。こうしたイベントのジェンダー性というのは常に意識はしていてもいいとおもう)。ニューウェーブとジェンダーをめぐる問題はこれからの課題になっていくようにおもわれる。わたしも興味があってよくかんがえている。


最後にひとつだけ。まったく関係ないようであるようなきもするのだが、わたしは、穂村弘さんが、話のなかで、「よくねるまえにかんがえています」と発言されたのが、きになって、「穂村弘:よくねるまえにかんがえています」とノートに記した。帰りの新幹線で、「よくねるまえに」わたしがかんがえていることはなんだろうとかんがえた。文学についてだろうか、死についてだろうか、言えなかった「はい」についてだろうか。どんどん暗くなって、夜になっていく。墓の群がみえた。ごおっという音がした。静岡あたりだろうか。わたしはねむんないでそれをかんがえていた。
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短歌評  短歌と翻訳 〜二つの短歌の紹介の事例〜 山口 勲

2018-06-23 21:29:44 | 短歌時評
短歌評を仰せつかった山口勲です。

知らない方も多いと思うので、私自身の自己紹介をすると、東京都内を拠点にする詩人・パフォーマー・翻訳者であり、イベントの企画や、詩誌の発行人です。

現在は千葉県、東京都でポエトリーリーディングのイベントの主催をしていると同時に、日本語で書かれた詩と日本語以外の言葉で書かれた詩を紹介する雑誌、「て、わた し」を発行しております。雑誌ではこれまで向坂くじらさん、堀田季何さん、瀬戸夏子さん、服部真里子さん、を短歌や詩、俳句、川柳などの形で紹介させていただきました。

書き手でいることよりも幅広い活動で一貫している気持ちは、マジョリティから外れた声を受け取ることです。私自身が重点的に翻訳しているのは移民または性的なマイノリティの書き手が書いたアメリカの詩です。

一般的にある文学ジャンルの「時評」は、その文学のジャンルに属す中堅ないしベテランの書き手がその文芸についての時事を書くことだと、いうのが私の認識です。そして「時評」の主な読者はその文学の書き手です。

半年前に短歌時評の依頼を受けた時、一度断りました。
編集部の気持ちは詩人としての立場で短歌を読んでほしいということで、十分にそのことはわかっていたのですが、私自身はそれを読みたいと思えませんでした


今回受けることにしたのは、歌人でない人間がある分野の時事について書くということはどういうことなのかということを少し真面目に考えたからです。

短歌周辺の事柄の中で、手元まで届かないけど気になることについて、なるだけ紹介すること。これを今回の私の中心に置きたいと思っています。これにより、私の記事は論説は少なくなるでしょうし、私の意見は力ではなく示唆に止まることが多くなるでしょう。
ただ、それによって少しでも意見の広がりを作ることができると幸いです。

短歌と翻訳

第一回は短歌と翻訳についてです。
日本歌人クラブは年に一回短歌国際交流機関誌The Tanka Journalを発行していますが、一般的に短歌がどのように海外で紹介されているかについて触れる機会はあまりありません。

念のため、さまざまな力をお借りして、ここ何年かの短歌雑誌における現代短歌の翻訳の紹介について調べていただきましたが事例を見つけることですら困難なものがありました。

しかしながら、日本語で書かれた現代短歌が日本語の外に出ることは歌人にとっても、短歌のあり方を考える上で重要なことであると思っています。具体的には理由は二つあります。

(1)現代短歌における「われ」とはなんなのかを考えるにおいて、優れた翻訳に対するさらなる解釈は別の地平を切り開くのではないか。

(2)短歌の翻訳は俳句・自由詩のそれとははるかに難しく、翻訳する人を育てることで日本文学全体に寄与するのではないか。

これはいずれも短歌という詩型が原因です。つまり、口語・文語を行き来することのできる十分な長さと議論の歴史。生活それ自体と触れる歌の内容。そして豊富な人称のある日本語という言語で書かれたことそれ自体。このいずれもの中心に短歌という詩型があるためです。

翻訳は言語間の移動であるとともに翻訳者にとっては短歌を読むということに他なりません。そして短歌を読み言語を移動させるということは、短歌を決まっている批評から飛び立たせるのではないでしょうか。

・現代短歌という場所に露呈するもの / 花山 周子
http://toutankakai.com/magazine/post/8065/


これまでも源氏物語はエドワード・サイデンステッガーやアーサー・ウェイリーの翻訳があり、また斎藤茂吉や宮澤賢治はいくつもの翻訳が出ています。現代短歌はどうなのかというとほとんどありません。
今回は、2010年以降に行われた英語による二つの短歌の紹介の事例を紹介したいと思います。


黒瀬珂瀾さんによるロンドン大学講義

未来の黒瀬珂瀾さんはイギリス滞在中の2012年に、ロンドン大学で講義を行なっています。

・ロンドン大学SOASにて特別講義を行いました
http://d.hatena.ne.jp/karankurose/20120216/1329440349

・現代短歌英訳作品集(SOAS特別授業)
http://d.hatena.ne.jp/karankurose/20120216/1329439596


ブログからうかがい知れるのは、現代短歌の中心にいる黒瀬さん本人により紹介されたことは多岐にわたることと学生の豊かな反応です。

黒瀬さんは翻訳のみならず、歌人がどのような媒体で歌を発表するか、そして相聞歌などの短歌の中での歌のあり方を紹介しています。
短歌の句の切れる位置に対する感度の高さや西鶴などを読むという知識の深さなどの学生の意識の高さも注目されます。

黒瀬さんの授業は短歌とそれに付随するカルチャーをどのように海外に紹介するかについて、今後も使える事例を提供してくれたと言えそうです。

さて、翻訳について。この授業での翻訳では中島裕介さんが短歌の選択に、堀田季何さんが翻訳に、と現役の歌人が関わっています。
英語の詩としても読めそうな翻訳をいくつかあげると、穂村弘さんの

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

の下の句が気になります。翻訳は

   Elephant dung
   on the savanna.
   Listen up.
   I'm languid – in pain – fearful –
   lonely.



となっており、4句目に「I’m」を入っていることに興味がひかれます「だるいせつないこわいさみしい」は主語がないことで場全体に広がっていく気だるさがあるのに対し、英語だと「I」と名指しされることにより詠み手が際立っていくように感じるのです。

また「さみしい」「lonely」の前に改行が入っていることも気になります。そのほかの言葉が外の世界の刺激の受容であるのに対し、この言葉が内的な刺激であることを如実に表す反面、五句目を半分に入るこの改行は創作に入るのかもしれない、と考え込んでいます。

他にも、佐藤弓生さんの「どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を」が英語の詩として出されても全く変わらない気がするのは翻訳家としての側面も言語に出るのだろうかと様々なことを考えさせられます。

Tanka on the Loose: Tanka x Translation

黒瀬さんたちによるロンドン大学の短歌の紹介は歌人たち短歌の紹介という側面を持つものでした。
短歌の紹介は歌人以外にも行われており、ここで取り上げたいのはTokyo Poetry Journalによるものです。Tokyo Poetry Journalは2015年に創刊した東京を拠点にする英語の詩の雑誌です。
吉増剛造さんの翻訳を行なったEric Sellandさんや、城西国際大学で教鞭をとり、日本の現代女性詩人を紹介する論文も執筆するともに日本語・英語の入り混じった詩のパフォーマンスで知られるJordan Smithさんたちを編集人に迎えるこの雑誌は日本語の書き手も紹介するバイリンガルな側面を持っています。

雑誌刊行のみならずイベントも積極的に行なっている日本では稀有な詩の雑誌です。

・Tokyo Poetry Journal
https://www.topojo.com/


このTokyo Poetry Journalが2018年4月に東京都墨田区にある書店・イベントスペースのInfinity Booksで開催した「Tanka on the Loose: Tanka x Translation」はカニエ・ナハさん、高柳蕗子さん、野口あや子さんの短歌を翻訳するとともに、原作者との朗読を行うという興味深いイベントでした。

私自身はこのイベントに伺えなかったのですが、とても興味があり、Jordan Smithさんにいくつかの質問をさせていただきました。

このなかから紹介します。(回答は英語でいただきましたので、英語はやっつけによる拙訳です)

Q.今回の歌人はカニエナハさん、野口あや子さん、高柳蕗子さんでした。歌人の選択の基準について教えてください。

A.私たちは異なる方向性から歌を詠む歌人が必要でした。翻訳者にどっさりと重たい問題をくれる方向性が必要でした。そして私たちは皮肉から叙情まで広がる様々なしらべと、シュールレアリズムからロマンチックまでの幅広い様式を持つ歌を取り上げたかったのです。
 Andy Houwenさんは過去に野口あや子さんの翻訳に携わっていたことがあったので、野口さんを選ぶのは自然な選択でした。
 カニエ・ナハさんは現代詩人として知られており、歌人として知られていません。ですが、AndyさんとEric Sellandさんはカニエさんの作品に注目していました。実験的で才能のある自由詩の書き手が短歌に関わることで何が起こるのかについて私たちは関心がありました。
 私がカニエさんの詩集「IC」を高橋睦郎さんに見せた際、高橋さんがカニエさんの短歌についても高く評価されたのです。私は高橋さんの評価を信じました、そして短歌がどのように英語へと移されるかに関心を持ちました。
 高柳さんはEric Sellandさんの推薦によるものですが、私も彼女の作品が好きでした。私が読んだ高柳さんの歌集は「ユモレスク」だけですが、とても素晴らしい歌集だったので、私は彼女の他の作品の翻訳も楽しくできました。


Q.短歌の翻訳を通し、楽しかった部分、難しかった部分を教えてください

A.カニエ・ナハさんの

たしかこの辺りあの子の命日の辺りほとけのざのある辺り

は信じられないリズムと、素晴らしい不完全韻でできています。私はこのリズムと調べを残して翻訳したいと思いました。
 herbit nettles(ホトケノザ)にはルビに振ることで「仏の座」・「ホトケノザ」の持つ宗教的な意味と植物としての意味の双方を出そうと思いました。
 カニエさんはこの歌の中ではルビを使っていませんが、他の詩では使っているので、ルビを振ることが行き過ぎであるとまで感じませんでした。

その結果、私の訳はこうなりました


   certainly in this
   vicinity such proximity
   to the anniversary of her death,
   henbit nettlesseat of Buddha
   mark this vicinity


これをAndy Houwenさんによる同じ歌の翻訳、

   Yes, this is the place
   the place of that child’s
   memorial day
   the place where flowers grow
   called ‘Buddha’s seat’


と比べると、小さな選択の違いが大きな違いになっています。
 「命日」を訳すにあたり、私は「memorial day」ではなく「anniversary」を選美ました。一つには音の響きを重視したためです。certainly、proximity、vicinity、そしてanniversaryという単語はしらべの面でのつながりを作ります。私には「確かに」、3度も繰り返される(!)「辺り」、そして「命日」が似通った調べを持つことが大切に思えたのです。
 もっとも、Andyが「ほとけのざ」について「flowers grow / called ”Buddha’s seat”」のような形で花の名とブッダの暗示を表したことはいいと思うし、多くの短歌翻訳者と読み手はAndyのやり方を選ぶでしょう。
 私がルビを用いたのは、歌が期待する読みに対し、読者へ順応してもらうためなのです。吉増剛造さんの翻訳と論文執筆以来、私はルビに馴染んでいます。


 これと同時に、私たちの誰もが、高柳蕗子さんの

世は白雨 走り込んでは牛たちのおなかに楽譜書く暗号員

を完全に理解することはできませんでした。

 私たちは、牛に降り注いだ雨が牛たちの周りに楽譜のような模様を描いているのだとざっくり考えていましたが、高柳さんは私たちの読みを修正してくれました。暗号員というのは雨を避けるために牛の下に走りこんできたのだというのです。
 信じられませんでした。私たぢの誰もがそんな異様な状況を思いつきも調べませんでした。
 雨が和音のような音符を描いているから雨は暗号員であり、音符は私たちが解き明かさねばならない暗号なのだと私たちは考えていました。
 私たちはすっかり混乱してしまいました。

 この歌は、文脈における役割が短歌の中で強くはたらくことについての大きな学びになりました。詠み手は文脈に対し強い感性を持っており、この文脈の一部は詩の言語の中にだけ生きているのです。この状況はどう訳すかだけではなく、一般的に短歌を一般的に読むかの面でも議論になるのだと私は結論づけました。

この歌が「牛たちの下に走る」のであれば、私たちも状況を訳すことができたのでしょう。でも訳したところで誰が「走りこんでは牛たちのお腹に」を想像することができるでしょうか。


このほかにも私は質のいい翻訳を作るにはどうしたらいいかをSmithさんに伺ったところ、「文学・短歌をよく理解する人」と確認すること、そして「歌人と確かめることにすればもう一人の読者とも確認したほうがいい」という答えをいただきました。

今回は最近の短歌の翻訳や海外での紹介について紹介しました。ものすごく日本文学にも短歌についても詳しい人々がいたとしても紹介できる短歌は一部分でしかありません。歌人から、研究者から、双方の面からの紹介を通じ、もっと充実する可能性を秘めています。
 かつて源氏物語がエドワード・サイデンステッガーやアーサーウェイリーの翻訳によって日本文学を紹介したことと同じように現代短歌は日本文学のまた違った側面を紹介することになるのではないでしょうか。

今回は私が読めるものが英語であるということで、英米での事例を紹介しました。
他の言語ではどうなっているのか、興味が尽きることなく、情報をお待ちしております。

最後に、Jordan Smithさんがご自身で気に入っている翻訳を2首紹介します


たんぽぽが綿毛に変わる瞬間のおもわず恋、口にしてしまった

   A dandelion—
   the moment it drifts into fluff
   brings carefree love,
   which I
   let slip from my lips


(translation Jordan Smith)




両腕でひらくシーツのあかるさではためかせている憎しみがある  野口あや子

   between my arms, the brightness of sheets spread wide, fluttering with hate

(translation Jordan Smith)




最後に、今回の原稿では、Jordan Smithさん、中島裕介さんの力をお借りしました。
この場を借りて御礼申し上げます
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【短歌連作評】柳本々々「僕のちからではどうしようもないこと」の評 安福 望

2018-06-01 16:42:43 | 短歌時評
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短歌評 わが短歌事始め 塚本邦雄『裝飾樂句』 酒卷 英一郞 

2018-05-21 22:48:55 | 短歌時評
 「なにもかも小林秀雄に教わった」との木田元の口吻に倣へば、わが短歌事始めは、なにもかも塚本邦雄に敎はつた。旣に何度か書き記したことではあるが、短歌も含めた短詩型事始めこそ一九六九(昭和四十四年)刋の學藝書林版『言語空間の探険』に遡る。其書には塚本邦雄歌集「裝飾樂句(カデンツァ)」抄が(原本全九章・二百七十首より四章百二十首を抄錄)。また前衞短歌のよき好敵手、岡井隆の「土地よ痛みを負え」九十二首抄が收められてゐる。
 『裝飾樂句』は一九五六(昭和三十一年)、塚本邦雄三十六歳時刋行の第二歌集。逆算すれば一九二〇(大正九年)生れと判明するが、實は一九二二(大正十一年)生れとの説は當時の「短歌研究」編集者中井英夫の獨創。とすれば刋行時三十四歳。集中の何首かと符合する。

 イエスは三十四にて果てにき乾葡萄嚙みつつ苦くおもふその年齒(とし)

 賣るべきイエスわれにあらねば狐色の毛布にふかく沒して眠る

 キリストの齡(とし)死なずしてあかときを水飲むと此のあはき樂慾(げうよく)


 つまり舊約聖書の假構を換骨奪胎することで、おのれの眞を再假構するといふ詩法の重層がみられる。昭和三十年代初頭といへば、俳句では社會性俳句なるものの駘蕩期であるが、短歌の世界の動向はいかなるものがあつたのだらうか。その一端が『裝飾樂句』の跋に窺へる。

 『水葬物語』的な世界から出來る限り遠ざからうと試みたこれ等の作品にも、僕が劇しく希求してゐた〈réalité〉は、やはり執拗な美意識にへだてられて、その翳を背後にくつきりとは投じてゐない。

 この〈réalité〉こそ塚本における社會性短歌と同義なのではあるまいか。
 
 われに昏き五月始まる血を賣りて來し靑年に笑みかけられて
 
 われの戰後の伴侶の一つ陰險に内部にしづくする洋傘(かうもり)も

 暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮(あたら)しモスクワ

 晩夏の屋根にタール塗りしが家ぬちの猜疑かたみに深からしむる

 赤き旗の背後のなにを信じゐる靑年か瞳(め)に荒野うつして

 忠魂碑建ちてにはかにさむざむと西日の中の辛子色の町

 サーカスのかかりしあとに冬草が濃く萌えぬ今年いくさ無かりき

 原爆忌昏れて空地に干されゐし洋傘(かうもり)が風にころがりまはる

 ガラス工場ガラスの屑を踏み平(なら)し道とす いくさ海彼に熄(や)む日

 われらすでに平和を言はず眞空管斷(き)れしが暑き下水にうかび

 爆擊の日もぬるき水吐きゐたる水道に死がしたたり始む

 いくさなくば飢うるものらに休日の夕迫りつつブリキ色の海

 かつて棄てられたる軍靴、春雨の運河の底をうごきつつあり

 市民らは休戰喇叭以後晴れてにくめり弱き骨牌(かるた)の王を


 あの美の使徒、塚本邦雄と云へども同時代人として避けられない戰後社會風俗への反證を、多くの社會性短歌なるものがやがてスローガンの復唱に搔き消されて行つたのに反し、物語に託された卓絕な暗喩がやがて讀み手の身内(みぬち)に微量にして永續の毒として注入されていく。
 實は跋文にはさらなる符合、暗合ともいふべき一語が祕されてゐた。

 今日、短歌はうたがひもなく「咒はれた詩」であり、まことに不幸な選ばれた者達の苦しんでたづさはるべき、ひそかな無償の營爲ではあるまいか。その營爲の限界を識りつつなほ、僕もまた最初の日から、自らの空しい内部について或ひは昧い自我を通じて、昂然と「敗北の詩」を創りとほして來た。

 その一語とは勿論「敗北の詩」。――高柳重信の戰後まもなく昭和二十二年の「太陽系」に發表された若干二十五歳の評論題名、句的刻印である。虛無と敗北の萌芽をしつかりとその背に印し、俳句形式を選び取ることの自覺を脚下に印す。振り返れば、塚本邦雄と高柳重信はともに處女歌集と處女句集とを、今となつては宿命的邂逅とも呼ぶべき乳兄弟として合せ鏡のやうに分かち持つ存在であつた。先の中井英夫の仕掛けた塚本の年齢詐術を用ひれば、ふたりは同じ大正十一年生れといふことになる。
 一九五一(昭和二十六年)、高柳重信の實弟の經營する、その名も「火曜印刷」から『水葬物語』は版行された。しかも本の體裁は和紙カバー裝を捲れば濃紺の表紙、そして附箋題。本體は袋綴ぢの和綴本。前年に同所から刋行された高柳重信の『蕗子』と同じ仕樣である。生憎といま手元には『蕗子』一書しかなく(なぜなら、塚本邦雄を知つたその時點で旣にして兩書は正しく幻の雙書であつたのだから)、これのみでも充分に塚本書の風韻を窺ふことができる。代表句「船燒き捨てし/船長は//泳ぐかな」の墨書入り。初版を手にしてみるまでは判らなかつたこともあり、正字體、歷史的假名遣ひで統一したであらう一本の、また諸本テクストの多くがさうであるところの、冒頭句としてあまりに有名な「身をそらす虹の/絕巓/(四字下がり)處刑臺」一句の「臺」は、新字體の「台」表記となつてゐる。
 塚本はどこかで俳句形式を、短歌形式に對する「義理のメシア」と名付けていたやうに記憶するが、一方、高柳重信の高弟、大岡頌司の一文に「(前略)どうやら、歌の方と俳諧とでは、その喩的花嫁ぶりや連綿の情態に若干の相違があり、垣根越しの噺も通じないものがあることを知った。」(『現代俳句全集』第五卷「大岡頌司集」自作ノート/一九七八年立風書房)との含みある表現もある。


他の愛誦歌を。

 愕然と干潟照りをり目つむりてまづしき惡をたくらみゐしが

 水に卵うむ蜉蝣(かげろふ)よわれにまだ惡なさむための半生がある
 
 死が内部にそだちつつありおもおもと朱欒(うちむらさき)のかがやく晚果

 漕刑囚(ガレリアン)のはるけき裔か花持てるときもその肩もりあがらせて

 屋上苑より罌粟の果(み)投げてゐるわれとわが生くる地の昏き斷絕

 まづしくて薔薇に貝殻蟲がわき時經てほろび去るまでを見き

 黴びて重きディスクの希臘民謠(ギリシアみんえう)の和音を愛しつつ零落す

 ジャン・コクトーに肖たる自轉車乘りが負けある冬の日の競輪終る

 北を指す流木にして解(と)かれたる十字架のごとふかき創もつ

 娶りちかき漁夫のこころに暗礁をふかく祕めたる錆色の沖

 硝子工くちびる荒れて吹く壜に音樂のごとこもれる氣泡

 羽蟻逐はれて夜の天窓にひしめけり生きゐれば果てに逅ふ鏖(みなごろし)

 「キージェ中尉」の樂ながれ來て寒天は慾望のごと固まりゆきつ

 腐敗ちかきレモンに煮湯そそぎつつ親しもよ輕騎兵ジュリアン

 道化師と道化師の妻 鐵漿色(かねいろ)の向日葵の果(み)をへだてて眠る

 熱鬧(ねつたう)にひるがへる掌(て)よ夜にひるにかがやけるもの喪ひゆけり

 狷介にして三人の美しき子女有(も)てり 風のなかの翌檜(あすなろ)

 血紅(けつこう)の魚卵に鹽のきらめける眞夜にして胸に消ゆる裝飾樂句(カデンツア)

 イエスに肖たる郵便夫來て鮮紅の鞄の口を暗くひらけり

 アヴェ・マリアの忘れゐし節(ふし)おもひ出づ死魚浮かびたる午(ひる)の干潟に

 湖水あふるるごとき音して隣室の靑年が春夜髪あらひゐる


 集中、次の一首

 三十歳 アレクサンドリア種葡萄黑き一つぶ喰みてあと棄つ

 は、およそ十年後、岡井隆『眼底紀行』中の

 掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に

 の絕唱が呼應し、

 また、高柳重信の

 船燒き捨てし
 船長は

 泳ぐかな


 の後日譚として、次の一首がある。

 船長のただよふ一生(ひとよ)果つる日を陸に淡淡し豚の鹽漬

 また、これは「桃源の鬼 西東三鬼句集をめぐって」(塚本邦雄評論集『夕暮の諧調』所收、昭和四十六年人文書院)で

 高度千メートルの空より來て卵食ひをり鋼色(はがねいろ)の飛行士

 が、西東三鬼の

 冬天を降(お)り來て鐵の椅子にあり  『旗』

 紅き林檎高度千米の天に嚙む    〃

 からの類想であることを告白してゐるが、次の三首もさもあらむ。

 つつしみて生きむ或る日を來し少女昏き地に蛇描きて去れり

 少年發熱して去りしかば初夏(はつなつ)の地に昏れてゆく砂繪の麒麟

 夏曉の子供よ土に馬を描き 
  『旗』

 そして、少女の描く昏き地の蛇には久生十蘭の短編よりの恩寵も。また、

 晩夏うちら暗きサーカス 白馬は少年のごと汚れやすくて

 白馬を少女瀆れて下りにけむ
  『旗』

 しかし、集中でなぜか一番心惹かれたのは次の一首であつた。

 榮ゆることなく晩年は到らむにこのシグナルの濁る橙黃(たうくわう

 二十歳に成るかならぬかのわが身には、晩年とは遙か遠く臨むべくもない時閒の集積の彼方である。宿命論的に晩年を確定したかつたのか、あるいはある種の不安から生ずる膨大な觀念に打ち拉がれて、むしろ不幸の約束手形こそがその時の自身に必定であつたのか。高柳重信は先述の「敗北の詩」において、「俳句形式の発生そのものに、この敗北主義をひしひしと感じる」とし、さらに「(前略)そこに虚無的な何ものかが生まれて来るのではなかろうか。それは、年齢にかかわりなく訪れる晩年の意識の芽生えと、どこかで繋がっている」との決定的指摘をしてゐる。一歩進めて、たとへば大岡頌司は序數第三句集(多行俳句形式による句集としては第二句集)『花見干潟』の跋にて、高柳重信における大宮伯爵ならぬ浦島太郞を「歳月のなかに攪散してしまつたおのれを、浦島とよんで、私を招喚」させ、かう告げる「必要を走る老人。想ひ出を活かすためには、人はまず齢をとらねばならぬかも知れぬ。私は老年をなつかしく想ふのである……」。ここに至つてはや老年時閒の懷舊が先取される。倒逆的時閒奪取の詩法が認められる。もとより若きがゆゑの不在立證ではある。高柳重信創刋の「俳句評論」系にみられる獨自の倒立した時閒觀念。死より演算する差し引きの詩法……。
 
 さても無手勝にやをら押取り刀で押しだしてはみものの、石川淳ではないが、ペン先が考へ、頭で書くとは斯くも己が身を削り出すものなのか。行く立ては、とんだ藪に迷ひ込んだ始末。この先如何なることやら。ひと先づペン先、否、子鼠(マウス)を收めたい。
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