「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 塔短歌会のセクシャル・ハラスメント対策のことなど 山口勲

2018-09-22 00:00:00 | 短歌時評

前回、詩客の短歌時評で私が描こうと思っていることを書きました。

  • 一般的にある文学ジャンルの「時評」の読者はその文学の書き手であること。

  • 短歌周辺の事柄の中で、手元まで届かないけど気になることについて、なるだけ紹介すること。

  • その結果、少しでも意見の広がりを作ることができると嬉しいということ。


です。



今回はとても一般的な話をします。



さて、私には2歳の息子がいます。
息子が文学をする相談を受けたとき、何をお勧めしようかということを考えたりもします。
親として考えるのは作品だけではありません、どんな人がその文学をやっているかということです。



私自身は残念ながら、後世に残るのは作品かもしれないけど、作品を書くのは人であることを知っています。
その上で、詩も短歌も俳句もラップも一人の人では成立しないことを知っていると、ついついどんな人がやっているだろうかと思うのです。



そして、結論から言うと、私は歌人とお話ししなさいと言います。
なぜなら、詩歌のジャンルごとに、twitterで検索もかけたりYouTubeで見た結果がそう言っているからです。



今回、「セクハラ」「ハラスメント」「ミソジニー」などの言葉を詩歌それぞれのジャンルとともに検索をかけて、見つけた発言をtogetterにまとめてみました。
すると、短歌だけが突出してハラスメントについて語っていることがわかります。


まとめ https://togetter.com/li/1268662

短歌は歌会におけるハラスメントからの身の守り方を書く歌人がいます。
加藤治郎さんのように警告をあげる人もいます。
塔短歌会では2018年9月号でセクシャルハラスメント防止の取り組みや窓口の開設を宣言しています。



塔短歌会の結社誌のセクシャルハラスメント防止の取り組みのページは二ページにわたるもの。
相談窓口に具体的な連絡先が記載されていることもあって、会員限定のページでの掲載でした。
これは規模の大きな結社であるからこそできる取り組みだと思いますが、他の結社も、そしてそれ以外の場所でも続いていって欲しいと思っています。



これまでの歴史の総括は行われたほうがいいと同時に、未来についての動きはもっと盛んに話すべきだと感じています。
これからのことを考えた時、自分は息子に歌人とお話しすることを勧めるでしょう。



とはいえ、なんで短歌では盛んに話されるようになったかはみなさんご存知だと思うのですが、触れて置く必要があると思っています。



  • 歌会などを通じリアルで知り合う機会が多いこと。

  • 学生短歌会などを通じ常に若くSNSに強い書き手を供給し続けていること。

  • twitterで短歌のことをきちんと発信し続けている有力な歌人が多いこと。

  • twitterを通して結社の外と繋がれることに喜びを持つ人が多いこと。

  • 上記の結果、限られた空間で起きた事件もtwitterなどで表に出ることが多いこと。


単に歌人はつぶやくのが好きなだけじゃないか!と言われそうですが、つぶやいているからこそ社会に追いつこうとする意思を持つ人が誰かも見えてきています。



他のジャンルを見ていくと、川柳は作品単位でパワハラをこき下ろす句が出ています。
ラップやMCバトルではライミングに対する明らかな女性に対する差別が横行している場面があり、アメリカのマイノリティ層のマッチョな価値観を理想的でない形で輸入してしまったことを思わせます。女性を性的なものとしかみなさない男性ラッパーのインタビューを垂れ流すメディアは価値がないと強く感じます。
それと同時に、椿やあっこゴリラなどの素晴らしいMCもいて、現場に行かなければならないなと感じます。
俳句、現代詩は。。。俳句は年齢層が高いことや現代詩はそもそも結社がないということも一つの理由かもしれませんです。純粋に声のあげ方がわからないのだろうなという気がします。声をあげてもどこに届くのだろうか



どのジャンルにしてみても、結論から言うと、「生まれながらにして男性であり性自認も男性」以外の人間が書き続け、人付き合いをするにはかなり強靭な心が必要で、ハラスメントに晒されることは覚悟しなければならないのだろう、と思います。
その中で、短歌の詠み手の有志はいまこの瞬間に声をあげ、新しく始める人を受け入れるという決意を出していると感じています



少なくとも塔短歌会の試みについては詩歌全体でもっと書かれてしかるべきです。
そしてもっと議論を大きく行うことができればと思っています。



最後に、今回はとても乱暴なことを書きました。純粋なことを書くと、全ては現場で人と会える東京での狭い話なのかもしれません。
私自身は残念な「生まれながらにして男性であり性自認も男性」として何かを起こす側であり、人が筆をおる原因を作る側にいます。
というか、していたし、これからもする可能性があると思っています。
自分が主催していること以外で人と深く関わらないように自分のことを律することにしたのですが、これまでについては取り返しがつかないし、
この文章もどの口で書いているのかという声が自分の中で鳴り響いています。



そして大多数の詩歌にたずさわる人はハラスメントと無関係であると思っています。
生きている間は詩は詩だけで完結しないということを肝に銘じるべきだと、日々思います。





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