世界の詩最新事情

毎月1回原則として第3土曜日に世界の最新の詩を紹介いたします。アジア、ラテンアメリカ、中国語圏、欧米の4つに分け紹介。

第15回 于堅(ユウチエン/Yu Jian) ―中国― 竹内 新編訳

2018-06-12 20:51:14 | 日記
于堅(ユウチエン/Yu Jian)  1954年雲南省昆明生まれ。1984年雲南大学中文系卒業。「第三代詩歌」を代表する詩人。口語による創作の重要性を強調。第四回魯迅文学賞など受賞多数。詩集だけでなく散文集も多い。現在、雲南師範大学文学系で教鞭を執る。雲南作家協会副主席。
 次に紹介する詩は『彼何人斯(彼何人ぞ?・そもそも彼は何者です?)詩集2007~2011』(2013年・重慶大学出版社)から採っている。「彼何人斯」は『詩経』から引用している。

于堅詩2篇

老眼鏡

私はもう若くない 半人前の駄馬だ
老眼鏡をかけて世を遍歴しており
カレンダーはもう秋だとはっきり告げているのに それが見えない
向いのビルに散るべき葉はなく
美容整形され 顔が半分になっている
ガラスの目玉はあり余るほど付いているのに
舌の方はないがしろにされている それもいいだろう
この人生 真相を多く見過ぎた
今は こちら側の虚構の上に立ってもいいだろう
何事もあらましを言い 要点を言い 要旨を言うのだ
それは 深い道理を秘めた言い回し 重厚な一言 まるで預言者なのだ
かつての私は事実それ自体に拘り アガメムノン(注)がエーゲ海を
渡った様を事細かに詮索し 野心満々に
言葉の柄杓で海を計量して 危うく深みにはまりそうだったが
黒縁の 真鍮ネジ二個が嵌め込まれた老眼鏡に救われたのだった
それ以来 一切は見れども見えず 見えたとしても それは一号文字だけ
広大無辺の世界のことは当て推量もありだ この秋
塵ホコリは鋭く叫ぶ 私は虚構する 秋のものだと呼べる何かを虚構する
横から見るカバの姿や 山の中腹の将棋盤や
折しも夜の油田の上を流れてゆく鴉の書を

                    2009年

注=アガメムノン  トロヤ戦争におけるギリシャ軍の総大将。ホメロスの叙事詩『イリヤス』参照。

彼は詩人だ

彼は詩人だ 少し間抜けで 人様は生計やら結婚やら就職やら 海産物の値下がりやら
住宅ローンの利息の上昇やらを議論しているが 彼はあらぬ方を眺めてぼんやり
生まれつきが衆からはみ出し 軽度中風のペナルティが科せられているようだが
そっちには何もないよ 雲はまた消え 風は新たな塵ホコリを運んでいる バスは
黒煙を吐き 老いぼれエレベーターはアパートの昇降に喘いでいる 近隣は防犯ドアを
閉めている 彼は衆に従い 生と共にやってきた制度を我慢し 耐えている
偶に肺が縮んでも 素晴らしい情勢に支障なし 日は暮れようとし 黄昏の功績は不朽
ポーカーに興ずる小人たちも御開きだ 皆が次々に立ち上がって清算するとき
このけちん坊は どんな些細な記録も書き残し 砂漠の教会の
執事のように 羊皮紙を折り 胸の奥にしまい込んで 軽くたたいて
収める位置を定め ぐいと押さえる 退院したばかりの心の病に 酷似している

千年の詩国が 初めて文人墨客を軽んじている 市場は沸き立ちあふれかえり
牌坊(注①)の前 ゴロツキが壇上へ 回り灯籠の下 詐欺師が卓を叩いて憤る 詩人は
盛り場の繁華を避けて 狭い裏通りで庶民の後ろに付いて 美を継承し
仁を継承し 義を継承し 礼を継承し 智を継承し 忠を継承し 孝を継承し
善を継承し 温・良・恭・謙・譲を継承する 頭には迷信が一メートル積もるが
精神が文を組み立て ほのかな光のなかで安らかに暮らす それで充分 文中の言葉は
充分に見極められる 最後列で常に寝不足 母が頼りだ
コンクリートの隙間に菊が咲き 父が呼ぶ 湿っぽい天気 息子は帰宅する

時代は日進月歩 だが何を言うというのだ 詩作とは即ち今の世を盛り立てること
よって懐中無一文 虐めてもよい奴 そんなふうに誰かが陰で言う
倉庫番が荷を放置 期限切れのことに夢中 一銭にもならない そうだよ
いつだって 何度も立ち退きのあった都市に 虚無の旧宅を見つけるのがうまいのだ
ちょうど春 高架橋下で躓き ものに摑まって 言葉を編んだ花冠を取り出し
肯き 嘲り笑い その後で些か酒を飲むふりをするが 一斗酒詩百篇は
受け継がず 久しく風雅の作は作らず 真の隠者は市井に隠れるのだ 誰もがあれか
これかでなければならない 畏まって座る無為の人に興味津々の振りをする 少々面倒だ
白湯を飲んで ほろ酔いの詩を書けば 雄々しい気概は漢にも唐にも劣らず ちゃんと
書きさえすれば どう書いてもよいのだ だがお天道様につっかかるつもりはない

道義が肉体と化しても 風采は上がらず 居住区に礼拝堂はなし 古くて無用の伝統
精神の仕事は一貫して文人の責任だが 勘定項目はなく コスト計算無用 損益は
自己責任 一字千金は 天上でやっと受け取れるのであるべきだ おお詩人 彼は
洪水のなかの石 訳も分からずに隠れている 自転車に乗り 歩き ボンヤリし
後を見る 身は詩人にピッタリかどうか? 小雨のなかをロバで剣門山に入り その
現実のなかで常に己のSサイズを演じて 些か「鶏群の一鶴」 些か時勢に疎く 些か
副業に精を出し 些か頼りなく 些か独り善がり 些か自惚れ
些か独断 些か高ぶらずへつらわず 些か己に安んじ 些か
プリミティブで 些か引っ込み思案で 些か反動的で 些か話が大袈裟 だが
言葉足らず 会計室にわだかまりを残すだけ そうだ もしこういう連中が絶滅したなら
浮足立つ国は 幾らか心地よくなるだろう 故郷の明月の下
月と私と影の三人(李白「月下独酌」) 孤独は実に高貴だ
黄鶴一たび去って復た返らず(崔顥「黄鶴楼」)仙人よ 壊れ傷んだ山河よ
おまえは広々とした心を保管しているよ

おお 李白よ こいつは痛快に飲んで感情の赴くままに歌い 横暴の限りを尽くすなど
出来っこないなどと思わないで欲しい この時代は唐代ではないのだ
詩人はぶつぶつ呟いて末席に侍っていながら 相も変わらず書きたい
大史公司馬遷にも恥ずかしくないように 一画一画はっきり書きたい
少しゆっくり書きたい 少しゆっくり もっともっとゆっくり
君は解体して没にするのが何とも速い 君は書くのが何ともゆっくりしている
「詩は志を言う」(『書経』) 表現法は三つ 賦と比と興(注②)
力は存分に発揮すべし 貸借はきちんと記すべし 正義はちょっとだけ述べる 宋朝より
ゆっくり 明朝よりゆっくりやれば 長安へ帰り着くのだ 樽酒で 文章を詳細に
論ずるのは杜甫先生か? 会議に行くにも タクシーが頻りに往来するので 先覚者は
自覚して脇に寄って 道を譲り 機を見て腰を曲げ ずり下がる靴の踵を引き上げるのだ

                               2008年8月4日草稿
                          2010年11月28日深圳にて改稿

注① 牌坊=旧時、忠孝貞節の人物を顕彰するために建立した建物。中華街などにみられる、屋根つきの装飾門に似ている。
注② 賦と比と興=『詩経』には3種の詩体、風・雅・頌があり、3種の表現法、賦・比・興がある。まとめて六義と言う。

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