「詩客」今月の自由詩

毎月実行委員が担当し、その月に刊行された詩誌から1篇の自由詩を紹介します。

第14回 蜆・鈴木有美子 渡辺 めぐみ

2018-07-11 18:24:36 | 日記
 「白亜紀」は茨城県在住の詩人たちを中心とした同人誌である。発行人の星野徹氏が亡くなってから、武子和幸氏をリーダーとして白亜紀の会によって発行されている。この「白亜紀」151号(2018年6月1日発行)から今月は鈴木有美子氏の作品を紹介させていただく。

  蜆の日
鈴木有美子


蜆のままでいれば良かった

自分の足音が
やけに遠くの方から聞こえてくる
みぞれ混じりの雨のせいだ
近くの空き地まで
底なし沼になってしまった

だから さ
蜆貝のままでいれば良かったんだよ
いつの間にか隣にやって来た人が
そう言って わたしをなじる
なじられてもわたしには
自分が蜆でいたころのことが
どうしても思い出せない
だが もちろん
そんなことは口には出さない
言ったところで
わたしが蜆に戻れるわけもないのだし
だいいち
隣でわたしをなじり続けている人に
どんなに罵られることだろう

歩いているうちに
どんどん雨脚が早くなり
わたしは悲しくなってきた
本当に
わたしは蜆だったのかもしれない
青白い泥を吐きながら
水管を伸ばしていたのかもしれない
差し込む月の光も知らないまま
砂にまみれていたのかもしれない
ああ
それならどうしてわたしは
蜆のままでいられなかったのだろう

隣の人が
泣きながらわたしを打擲し始めた
きっと わたしのこころが流れ出て
蜆でいた日を想っていることに
気がついてしまったに違いない

どうして どうして
と 問い詰めながら泣いている
駄目なのに
泣いては
泣いたら
どんどん溶け出してしまうのに
ほら もうすっかり形もなくなって
わたしをなじることさえできなくなった

このまま蹲って眠ろうか
それとも 雨が沸き立つ水面に
つぎつぎ石を投げてみようか
月の光は届かないが
蜆たちが目覚めるかもしれないから

 この詩のどこに惹かれたのかを語るのはとても難しい。強いて言えば、それがこの詩を取り上げる理由とも言える。徹頭徹尾、恣意的な、生きる上でこの上なく役立たない作品であること、その独創的陶酔度の高さに脱帽させられる。
 なぜ主人公は前世が蜆であったのか、あるいは蜆から人間に転生したというほどのこともなく、今生のある日突然蜆から人間の姿に変貌し、蜆であった記憶をなくしたのか全くわからない。ただ、季節や自然との語らいのなかで、人がひとり生きてゆくことの哀感やたわいもない感動や得体の知れない不穏さに襲われるとき、人は帰属意識から解放され、それでいて所在なげな郷愁に襲われもすることを、しみじみと実感させてくれる詩行ではないだろうか。社会の規範も、そこで営まれる喧噪も、諍いもこの詩からは遠い。僅かに「隣の人」の「打擲」や「問い詰めながら泣いている」「なじる」という行為が他者の存在を意識させるが、この詩の魅力は、それらを実物大に表現するのではなく、外圧に翻弄されつつも、それらを視野の外にはじくほど、奇妙な官能性と執拗な自意識に絡め取られてゆく生命体の生きる息吹自体であるように思われるのだ。
 ある生命体の内部の液状の情動が世界を形作る時間。そこに無益な至上の詩が生まれるのかもしれない。
 最終連は示唆的だ。個体であった蜆が群を作るイメージが、ぬめぬめとしたこの詩の突き抜けない質感に未来を差し入れる。「蜆たちが目覚めるかもしれないから」けれどもそれも太古の夜明けのように固有の幻影的な未来図だ。詩が日常を忘れさせてくれるためにあるとしたら、最後まで企図を明かさない鈴木有美子氏ならではの世界の豊穣がある。

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