「詩客」今月の自由詩

毎月実行委員が担当し、その月に刊行された詩誌から1篇の自由詩を紹介します。

第8回 「尻尾」 大西美千代 渡辺 めぐみ

2018-01-17 01:55:53 | 日記
 鈴木ユリイカ編集・発行の「サムシング」26号(2017年12月30日発行)が今年になってから届いた。毎号違う女性詩人ばかりが執筆する詩とエッセイの雑誌だが、ぱらぱらめくってゆくと、大西美千代氏のページの詩作品の最後に載っている「尻尾」という詩が目にとまった。全文引用させていただく。

  尻尾
大西美千代

前を行く若い女の人の
お尻から尻尾が出ている
まあありがちなことではある
あんなに鋭いハイヒールを履いているし
と思ったら
左から出てきたおじさんの
お尻にも尻尾がある
すり減った灰色の
お嬢さんのふさふさ尻尾にはかないそうもないけれど
まあ尻尾である

なんですかそれで
歩いてきた足跡を消してきたのですか
だからそんなに
ささくれだってしまっているのですか
あなたの尻尾

そっと手を回してみる
使い古した竹ぼうきのような尻尾に触れる
その先っぽに絡み付いている古い布切れのような
思い出が湿っている
 
(「そして、それから」十八号より)


 人間には尾てい骨があり、今も尻尾が生えているという前提で書かれた詩はそんなに珍しくはない気がするが、この詩の面白いところは尻尾の機能に対する発想だと思う。歩いてきた足跡を尻尾で消す、だからささくれだってしまうとか、尻尾の先に思い出が絡みついていて、湿っているとか、すべて詩人の創作部分だが、妙に実感がある。人は生きていく上で様々な経験を積み重ねてゆくが、その経験のすべてを思い出として持ち続けていたいとは限らない。罪の呵責や傷ついた思い出や別れの記憶など、消してしまいたい足跡かもしれない。それを尻尾がかき消すことで、しっぽのふさふさした毛が摩耗してみすぼらしい尻尾になってしまっているというのは、少し滑稽でもあるし、愛らしくもある。詩人は「おじさん」の尻尾が「若い女」のふさふさしたまだほとんど使われていない元気な尻尾に比べかなり消耗していることを蔑んでいるのではなく、恐らく自分の生きてきた人生を思いながら、同胞意識で好意的に眺めているのではないかと思う。
 「若い女」の尻尾に関する記述も活気があり、詩ならではの自明のことのような書き方に惹きつけられる。「まあありがちなことではある/あんなに鋭いハイヒールを履いているし」部分。ハイヒールは若さの魅力の象徴であるだけでなく、他人を牽制する攻撃的な、あるいは防衛本能に根ざした靴のスタイルかもしれない。そういう気分で歩いている人はまだ消したい思い出を持っていないから、尻尾も若々しく健在なのではないか。比較的短めのコンパクトな印象の詩だが、考えてゆくと広がりがあり、人生のしみじみとした哀感もある。「その先っぽに絡みついている古い布切れのような/思い出が湿っている」という時代色を感ずる触覚で捉えた最終の2行に余韻があり、心の隙間に忍び寄るような1篇だった。
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