「詩客」今月の自由詩

毎月実行委員が担当し、その月に刊行された詩誌から1篇の自由詩を紹介します。

第16回 ―中本道代「帰郷者」(『接吻』(思潮社)より)― 野村喜和夫

2018-09-10 08:45:59 | 日記
  山裾の傾斜地はきちんと区分けされていたのに
  田畑の境目があいまいに崩れ
  崖の道は尖りを失い
  なだれ始めている
  夜には猪が押し寄せてくる

  猪たちの棲みかを見たことがない
  山の奥の人知れぬところ
  猪の家族は睦みあうのか
  吊り橋の下を谷川が流れ
  水音が夕暮れを呼び続けている
  冷えていく血族の魔
  空ばかり明るい夕暮れの下で
  追いかけてくる人の瞳が
  猪の色をしている
  振り向いたこちらの眼は
  猿の色をしているだろうか

  ぶどうの果汁を叔父と
  風の吹く野原で飲んだ

  遠い日
  谷川の石の下に埋めたノートから
  小さな秘密の文字の群れは流れ果てていったか


 本年度萩原朔太郎賞を受賞した中本道代詩集『接吻』の冒頭に置かれた詩。詩集タイトルの「接吻」よりも、詩集がこの「帰郷者」という詩篇から始まっていることのほうが、ひとまずは切実な意味をもっているように思われる。記憶によるにせよ、じっさいの帰郷を通じてにせよ、詩人は自分が生まれ育った場所に戻り、かつてそこで生きられたさまざまな感覚や思念を呼び寄せる。中本もそういう年齢になったということか。
 だがそれはただの郷愁、ただの過ぎ去った時間の追想ではない。それはそのまま、空間的にも、生の底知れぬ深みに言葉の錘鉛を下ろすという行為なのだ。いや、それも正確ではない。詩篇中の言葉を借りれば、「遠い日/谷川の石の下に埋めたノートから/小さな秘密の文字の群れは流れ果てていったか」というその「秘密の文字の群れ」を、あろうことか、詩人の現在のほうへと取り集め、復元し、もってその文字の意味するところをもう一度生き直そうという、困難な、しかし不可避的な試みなのである。なぜなら、いまを生きるとはそういうことだからだ。記憶と現在を結びつけることによって、いまのこの瞬間をかぎりなく永遠に近づけることであるからだ。詩集『接吻』を構成する「帰郷者」以下の詩篇は、ことごとく、その「秘密の文字の群れ」の復元にささげられているといっても過言ではない。それらを通して、長い年月をかけて結晶した存在の基底核のようなものが、文字通り底光りしている。未読の読者にはぜひとも繙いてもらいたい詩集だ。
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