「詩客」今月の自由詩

毎月実行委員が担当し、その月に刊行された詩誌から1篇の自由詩を紹介します。

第12回 青柳菜摘「san kaku no suki ma」 カニエ・ナハ

2018-05-24 04:22:11 | 日記
 ねむれないとき詩と小説のちがいについてかんがえるとき、あるいは「散文詩」だったり「詩的散文」だったりについてかんがえるとき、たいていさいごには「テレビ小説」にいきつく。「テレビ小説」でむかし「あぐり」という番組があった。わたしは見てなかったのだけど。吉行あぐりさんの伝記だった。あぐりさんは日本で最初期の美容師だった。夫・エイスケさんは日本のダダイズムを代表する詩人で、長男・淳之介さんは小説家で、長女・和子さんは女優で、次女・理恵さんは詩人で小説家だった。理恵さんについて、わたしはむかし、このサイトの「私の好きな詩人」というコーナーに書いた(「私の好きな詩人 第20回 吉行理恵」 2011年9月30日 )。わたしがはじめて手にした「現代詩文庫」が理恵さんだった。理恵さんは、もともと人づきあいが苦手だったみたいで、芥川賞をとったあとだったとおもうけれど、それがひどくなって、電話線を外してしまったらしい。いまは電話線を外したって電波はどこにでも届いてしまう。わたしの知人が電波アレルギーで、つよい電波をあびると痒くなる。だから日本にいると一年中たいてい痒い。そういえば痒いという字には羊がいて、ねむれないとき羊を数えてると痒くなる。理恵さんは何冊か詩集を出したあと小説を書いた。淳之介さんもはじめ詩を書いていたけれど、自分には不向きと早々に見切りをつけて小説にいった。「詩よりも詩的なもの」を書くのだということをどこかに書いていて、そのことばをこの10数年のあいだ、わたしは枕元に置いてきた。青柳菜摘さんの『san kaku no suki ma』という小冊子におさめられた作品は、短篇小説とのことだけど、とても詩的とおもった。というか詩とおもった。つまり、詩よりも詩的な。三章からなる。最初の章「一. 余震」の冒頭を書き写してみます。

三角の隙間からずっと出られないままぼくは何日も何十日も何年も引きこもって外のことばかり考えていた。ごうごうと火が燃え盛っていた。ということを知ったのもここに持ち込んだネットブックの7インチの小さすぎる画面の中で、こうしてぼくがいるこの場所の外のまた外のまたまた外の外の状況がカメラによっていつだって、例えばぼくが死んでしまったその時でさえ映し出される。画面に映っているのはいつだってぼくかもしれない。こんなことを考えている自意識過剰なぼくは絶対に画面になんて映らないかもしれないとも思う。どちらかと言うと映らない確率の方が高い。でも1分後がどうなってるかわからない。映すものがぼくしかなくなってしまっていることだってこの世界の世界の可能性としては存在している。きっと、画面の中のぼくはぼくであるとぼくは、気づけないだろう。実際気がつかなかった。小さな画面の中の小さな小さな数センチに満たないぼくに名前を付けてくれる人なんていない。「この人」「こいつ」「子供」「男」「男の子」「かもしれない」そう頭の中で理解したら、画面に映った単なる人でしかなくなる。

 ところであぐりさんは、3年ほど前に107歳まで生きて亡くなったのだった。淳之介さんは20年ほど前、理恵さんも10数年前に亡くなっている。テレビにて、あるいはテレビ小説にて、映し出される自分のもう一つの家族たちや自分たちを、あぐりさんは、あるいは和子さんは、理恵さんは、あるいは淳之介さんは、エイスケさんは、見ただろうか。ふいに流れてきたとして、それが自分たちであることに気づいただろうか。全国の朝のお茶の間に、自分たちとその人生たちをモデルにした、もうひとりの自分たちが人生たちが流れること。別の人間たちが過去の自分たちを演じること。姓こそ変えているものの(吉行から望月に)、名前はまるきり一緒のもうひとりの自分たち。かんがえたら、わたしだって2つの名前をもっていて、青柳菜摘さんもだつおさんというもう1つのお名前をもっていて、気づけば誰もが名前を2つか3つか4つくらいもっていて。ところで「san kaku no suki ma」という作品のさいごには日付が記されていて、「2017年5月24日(土)」、そのちょうど1年後の2018年5月24日(木)の深夜に、私はポータブルDVDプレイヤーで、録画した映画を観ていた。海岸に何万個もの地雷がいまだに埋まっていて、少年兵たちがそれを撤去させられている。見はじめて数分間でこれは神経がとてももたないな、と見切りをつけて、私はDVDの早送りのボタンを押して、あとは2倍速で見つづけた。おかげで軍曹が期待したのよりもだいぶ速い速度で地雷は撤去されていったけど、ときどき暴発して、私とは関係のない少年たちが、信じられないくらいの速度で、粉々に砕け散った。 

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