「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 切っ掛けとして 森本 直樹

2018年10月22日 | 日記

 少しだけ前の話になってしまいますが、現代短歌9月号の特集であった歌人の俳句がとても、面白かったです。この特集では正岡子規や俳句を作る歌人についての評論、歌人俳人を交えた座談会、短詩論、歌人が作った俳句連作など。大変なボリュームで、短歌も俳句も作る自分にとっても考えることが多かったです(大変面白かったので、ぜひお読みください!)。

 いくつか好きな俳句を挙げます。

夏薊ぎらぎらと冷え繁りたり/川野里子「あそこ」
 夏薊の花は針がたくさん飛び出たような形をしているうえ紫色で。一本だとぎらぎらとは感じませんが、繁っているのであれば話は別のような気もします。薊に含まれる魚の字の質感、ぎらぎらの寒色系のオノマトペを受けての冷えという語の強さに、人里離れた風がよくとおる野原のような、ちょっとした非日常を思いました。

夕立や監視カメラは向き向きに/魚村晋太郎「真上」
 ある空間の全てをおさめるために監視カメラはバラバラな場所で様々な向きで設置されます。そして、基本はずっと与えられた役割をこなすために同じ場所を撮り続けます。ところで夕立はいつも唐突で、夕立を浴びるときに急に世界から切り取られてしまったかのような気持ちに僕はなります。夕立による現実の転調と監視カメラの対比も面白いですし、夕立によって慌ただしくなる人間の様と向き向きという語が響きあっていて面白かったです。

刎ねられし蛇いまだ指咬む力/堀田季何「齒齒齒」
 かっこいい一連でした、タイトルが「齒齒齒」で、齒という文字が連作中に散りばめられていましたが、この句には齒の文字がなくだからこそ目を引いたのかもしれません。刎ねられて死にゆくはずの蛇の力への驚きもそうですが。もしかしたら蛇に咬まれたことで血が流れたかもしれません。生きている証としての血を流すことができる指と、血を流しながら死にゆく蛇との対比。指を咬むという行為による生と死の交じり合いが美しいなと、思いました。

くちづけを待つ噴水の芯となり/鈴木加成太「綺譚」
 くちづけを待つその時間を噴水の芯として過ごす。噴水の芯とは。その空間の中心に主体である私がいて、まっすぐとちょっとだけ背筋が伸びているような感じでしょうか。感情の湧き上がってくる様子としても読めそうです。噴水の水は高くまであがり陽を受けて周りに降り注ぎます。そんな祝福感もあるのでしょうか。どんどん読みが生まれてきそうな、一句の中に流れる物語が素敵です。

 俳句と短歌の境目をどう超えるか、それはもう人や立ち位置それぞれとしか言いようがないのかなあ、と思いつつ。この似て非なる二つの詩形に関心を持つ切っ掛けとして、充実した特集でした。

 

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