別に恥ずかしいことではないと思うのだけれど、つい最近まで悲しいという気分がどんなものか知らなかった。
ああ、これがそうなのねって体験をしたことがなかった。
いまは二十六歳の秋だ。
悲しみには実体がない。感情に実体があるってのも変だけど、怒りや喜びのようにそれ単体で生じる気持ちに比べると、悲しみは相対的にしか現れてこない気がするのだ。
かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり 前登志夫
この名歌に、首をぶんぶん振って同意したい。
見方を変えれば、悲しいと言うことは、それだけの明るさがあるわけで。
しかもわざわざそれを文字や音声にしようだなんて。
様々なところで使われる「かなしい」に出会うたび、僕は「かなしみ」そのものの位置からかけ離れた所でポージングする誰かの存在を感じてしまう。
もちろんそれは興ざめなことなのだ。
興ざめは悲しくないけれど虚しい。
「かなしい」は日本語話者のおもちゃなのかもしれない。
そんなこって、僕はこの言葉を連発する人や作品に出会うと、斜に構えてしまう。
それはポーズなんじゃないか?
ポーズなんだよね?
じゃあなんでポーズだって言わないんだよ。
でも、ポーズだとしてなにが不満なんだろうか。
騙されそうでムカつくからか。
かなしいをおもちゃにして自閉する他人が怖いのか。
悲しみ初心者の自分には判別がつかない。
とりあえず僕は未だに葬式が嫌いだ。
さいきん悲しかったことは秘密にしなければならない。
秘密にしないとこの文章が嘘になることに今気づいた。
祈るとは立ち止まること明日われがなくても回る地球の上に 武田穂佳
嘘かもしれない。
嘘でもいい、ということを彼らはポーズで体現しているのかもしれない。
ああ、これがそうなのねって体験をしたことがなかった。
いまは二十六歳の秋だ。
悲しみには実体がない。感情に実体があるってのも変だけど、怒りや喜びのようにそれ単体で生じる気持ちに比べると、悲しみは相対的にしか現れてこない気がするのだ。
かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり 前登志夫
この名歌に、首をぶんぶん振って同意したい。
見方を変えれば、悲しいと言うことは、それだけの明るさがあるわけで。
しかもわざわざそれを文字や音声にしようだなんて。
様々なところで使われる「かなしい」に出会うたび、僕は「かなしみ」そのものの位置からかけ離れた所でポージングする誰かの存在を感じてしまう。
もちろんそれは興ざめなことなのだ。
興ざめは悲しくないけれど虚しい。
「かなしい」は日本語話者のおもちゃなのかもしれない。
そんなこって、僕はこの言葉を連発する人や作品に出会うと、斜に構えてしまう。
それはポーズなんじゃないか?
ポーズなんだよね?
じゃあなんでポーズだって言わないんだよ。
でも、ポーズだとしてなにが不満なんだろうか。
騙されそうでムカつくからか。
かなしいをおもちゃにして自閉する他人が怖いのか。
悲しみ初心者の自分には判別がつかない。
とりあえず僕は未だに葬式が嫌いだ。
さいきん悲しかったことは秘密にしなければならない。
秘密にしないとこの文章が嘘になることに今気づいた。
祈るとは立ち止まること明日われがなくても回る地球の上に 武田穂佳
嘘かもしれない。
嘘でもいい、ということを彼らはポーズで体現しているのかもしれない。