11月、朗読会へ参加することにした。会場は埼玉県飯能市。埼玉育ちながら飯能は初めてなので、奥武蔵周辺を観光して一泊(そして一杯)くらい…といきたいところだが、今回はトンボがえりだ。4歳になったばかりの息子を夫に託し自身は翌月に出産予定日を控え、しかも会の翌日は出店予定の文学フリマ。すでに十分すぎるほどの強行…産前さいごの祭りなのである。
この4年。文芸系のイベントごとにも、よく息子を連れ歩いてきた。文学フリマにポエケット……前橋ビブリオフェスティバルでは、一緒にステージに立ち朗読もした(彼は足にからまっていただけだが)。
以下、「子連れ」目線でざっくりとレポートしてみる。今後、子連れ参加をお考えの方へ、何かしらのヒントになれば幸いだ。
■文学フリマ(東京/第19回・2014年)・ポエケット(東京/第18回・2014年)
お客として行くぶんには、どちらも十分に楽しめる。こどもの性格や機嫌などにもよるが、ゆっくりじっくり見て選んで―というのは難しくても、下調べしておけば欲しいものを買って回るくらいは可能だろう。会場内はざわついているので「静かにさせなくては」と気を張ることも殆どなかった。むしろ、やさしく声をかけてくださる方や子と遊んでくださる方の多さに驚いた。
ただ混雑する時間帯はあり、特にポエケットは道幅も広くはなくベビーカーの利用も難しい。また机の角や積まれた本などもあるので、親の手を振りきって駆け回りたいタイプのお子さんは注意が要る。それと、ポエケットではゲストによるリーディングがある。息子は「腐乱ちゃんと恨乱ちゃん」にハマッていたが、三角みづ紀さんの朗読の際は、静まりかえる会場で三角さんよりも大きな声を出しかけたので、泣く泣く途中退出をした。出入り口付近で聴くとよいかもしれない。
一方、出店する場合は準備と協力が不可欠だ。うちの息子は激しく動き回るタイプではないが、それでも開始~終了時刻まではもたない。店番をお願いして連れ歩いたりブース裏で遊ばせたり…食事やトイレもある。複数人で出す場合はメンバーに、当日は近隣のブースにもことわっておくのがよいだろう。文フリでは関係性のある方との「合体配置」もおすすめだ。お気に入りのおもちゃや絵本、おやつ、着替えなどもお忘れなく。
■朗読会
場による。朗読される作品や顔ぶれにもよるが、会場の規模も重要だ。アットホームな会でも小さな空間ではやはり限界がある。他の皆さんにお気遣いいただくのも心苦しいし、こどもに我慢させるのもしんどい。規則や空気がどうこうというよりも実際、自分がきつい。会場が空いていて出入り自由であればリスクは減る。また、出演だけして即退出、であればやりようはある。
■勉強会・合評会・セミナーなど
これらはおすすめできない。静かな空間で肉声で話すものも多く、気難しい方や年配の方もいる。参加費の問題もある。「子連れ可」としている会をそもそも見たことがない。どうしても同伴しなくてはならない場合は、主催者へ確認しよう。
こんなところだろうか。連れ歩くタイプの“コブつき”詩人にはまだ会えたことがないので、いつかご一緒できたらうれしい。いずれは自分でも、子連れで参加できる場を企画してみたい。そして本音をいえば、「親子で参加できる」よりも「(主に母)親のたのしめる」場がいい。
女性が「子連れでイベント」というと、ほぼ自動的にパステルカラーのほのぼのとしたイメージがつきまとう。もちろん親子で体験できるイベントやワークショップの良さもある。声をそろえて童謡詩を朗読したり、リズムや韻にふれながら言葉遊びをしたり、他の表現とコラボレーションしたり、詩をつくってみたり……でもそれは、わたしよりも適性のある方がたくさんいるだろう。託児の問題はクリアしたいが「親子で活動しています^^ママ詩人です♪」的な趣味も志向もないし、重要なのは多様性だ(Twitterで「歌会」のお知らせをみていると、短歌の集まりはいろいろと幅があるように感じるけれど、どうなのでしょ…)。
ニーズがあればだが、いつか企画を起こすとしたらキッズスペースや派遣シッターを利用するなどして、しっかりと集中できる空間をつくりたい。詩と向き合う時間くらい、私性やら属性やらといったものは剥がしておきたいのだ。自分でいうがわたしは親ばかだと思う。息子愛がたかまりすぎて時々持てあます。それでも詩は別だ。そういうものではないのだろうか。
仕事や詩人団体の関係で年配の女性の詩人とお話ししていると、しばしば「あなたくらいの頃は“詩を休んでいた”」と聞く(男性から聞いたことは、今のところない)。ゴシュジンと離婚や死別をされてからはじけるように詩や詩集をつくり発表されるケースも幾度となくお見かけした。いや、遠い昔の話ではない。子連れで(または母親が子どもを置いて)イベント参加するときのポイントとして「配偶者(~親族)の説得」が何よりのネック、という話は今でも聞く。わたしの夫や親族は詩を読むことはないが放っておいてくれるし、イベントに出ると言えば留守を頼める。これが「有り難い」ことなのである。
わたしは「女性詩人」という括りに据わりのわるさを感じるが、それは幸福なことなのだろう。そして今はインターネットを利用して自室から作品を発表したり、つながりをもったりすることもできるし、“詩を休”まざるを得ない状況は変わっていくだろう。しかしながらわたしも、自分自身やこれからのひとが心地よく詩を続けていくため、できることはしていきたい。詩を愛するひとたちの「詩と生活」が、自由で豊かなものであるように。
……などとちょっと大きく、きれいなことを言ってしまったと赤らみつつ、デスクに指を置く。
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