わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第213回―清岡卓行― 金川 宏

2018-10-10 19:15:08 | 詩客

 手元にある現代詩文庫(思潮社)『清岡卓行詩集』の奥付を見ると、1971年10月20日第7刷発行となっている。手に入れたのは高校を卒業する頃だったと思うが、何に魅かれたのだろう。


    遙かに遠浅のざわめく海の底を
    水平線へ向って歩く自殺者が
    しだいに静まる周囲の波の中で
    はじめて味わう完璧な孤独のように。

    追いつめられて真に戦おうとする弱者が
    親しい仲間の誰をも信じられず
    思いがけない別れの町角で ふと抱く
    悲しく冷たいこころの泉のように。

    どこまでも澄みきって遠ざかる青。
    しかし そこから滲みでる優しさだけが
    今日のぼくの夢のない痛みを支えるのだ。

    ああ 酷たらしい愛と怒りのうた。
    そのしたで繁茂する懐かしく不気味な都会よ。
    ぼくは沈黙の前に いつまで覚めている?


 最初の頁「未刊詩篇から」を見ると、「青空」と題された十四行詩(ソネット)が載っている。これに印がついていて何やら鉛筆で書き込みがある。その意味するところはもう自分でも分からなくなっているのだが、この詩篇から私が無意識に、詩人の肉体が奏でる「音楽」を聴きとっていたことだけは確かなよう思える。心を揺さぶられ、自然に「声」に出していたことを覚えている。

 詩歌を音楽の言葉を借りて語ることには、その本質を見失う危うさがつきまとうのを承知のうえで言うのだが、このソネットの旋律を「コード進行」として追ってみると、第一連は曲の基調となる静かだがやや重々しいトニックコードで始まり、第二連で同じ主題をマイナーコードで変奏し、それらを第三連の一行目、フォルテのロングトーンできっぱりと受け止め、続く二行で転回させ、詩人が偏愛する感嘆詞「ああ」で始まる最終連一行目が、セブンスコードで曲の頂上を形づくり、「繁茂する不気味な都会」というテンションコードを入れながらドミナントモーションをかけて、疑問符付の最終行で次第にテンポを落とし、冒頭に循環してゆく予感を漂わせながら終止するという、ほぼ完璧な楽曲を構成していることがわかる。
 清岡卓行は音楽に魅せられた詩人だ。幼少期は「ビクターの犬」と綽名をつけられるほど蓄音機の前をはなれなかったらしい。詩の題材においても、詩集の構成においてもその影響は晩年に至るまで著しい。このソネットにおける明晰で滑らかなコード進行も、音楽を聴きこんでいるうちに自然に身についたものであろう。
 この初期のソネットではあまり目立っていないが、読点を使わず一字空けと句点で微妙に休符の長さを調節するスタイルも多分に音楽を意識しているように思う。そして日本語の生理というか響き方をよく知っていて、無理に韻を踏もうとはしていない。清岡が終生ソネットという形式を意識して試みていたのは、このゆるやかな定型が詩人のなかに湧き出る音楽を表現するのに、打って付けの楽器だったからに違いない。

 もうひとつ、清岡の自家薬籠とした形式に、四行詩がある。


    まなびやへあさをいそげば
    やなぎわたほほをかすめて
    ゆめぢまたたどるがごとし
    ほほずりのひとはなけれど


 初期詩集『円き広場』におさめられた、四行詩八編のなかの「やなぎのわた」と題された一篇。五七調で一見類型的と見せながら、ひらがなで際立たせた音をひとつひとつ仔細に声にのせてみると、濁音を含んだまろやかなひびきと、「あさ」「わた」「ほほ」「また」「ひと」などやや速度をもった母音とがうまく響き合っていることがわかる。

 日本の伝統的な詩歌の響きを残す四行詩。翻訳詩の時代から、泣菫・有明をへて道造・中也、戦後のマチネ、俊太郎、稔、歌人の岡井隆にいたるまで、自由詩のなかで時代時代の名作を生みながら、命をながらえている西洋の詩形、ソネット。この二つの詩形への意識が清岡の詩の通奏低音を奏でている。それはこの詩人の肉体に刻まれた「時間」の意識に他ならない。それは、肉体が一拍一拍脈打ち呼吸する時間そのものであり、生きているということであり、音楽の一瞬にして流れ去ってゆく「時間」に通じている。清岡の詩はいつもそこから出発し、変奏を加え、散文にまで旅程をのばしても、そこにこのゆるやかな定型を中心とする音楽を響かせている。


   氷りつくように白い裸像が
   ぼくの夢に吊るされていた

   その形を刻んだ鑿の跡が
   ぼくの夢の風に吹かれていた

   悲しみにあふれたぼくの眼に
   その顔は見おぼえがあった

   ああ
   きみに肉体があるとはふしぎだ
                      


 第一詩集『氷った焔』の冒頭を飾る「石膏」は、この限りなく透明な二行四連ではじめられ、「*」で区切った後二行四連を繰り返し、二行二行三行の三連を二度重ねて閉じられる。ソネットの行を連にダブらせ、オブリガートを付けたような美しい変奏である。


   石膏の皮膚をやぶる血の洪水
   針の尖で鏡を突き刺す さわやかなその腐臭

   石膏の均整をおかす焔の循環
   獣の舌で星を舐め取る きよらかなその暗涙

   ざわめく死の群の輪舞のなかで
   きみと宇宙をぼくに一致せしめる
   最初の そして 涯しらぬ夜


 この「石膏」最終連の、音楽とシュルレアリスムの稀有な融合! 高校生の頃出合ってから半世紀、私がこの詩人を偏愛し続けている所以である。

(了)

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