わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第162回 ―シルヴィア・プラス―  荒川 純子

2015-11-18 08:39:00 | 詩客

 詩の活動を抑えてから十四年が経ち、ようやく動き出した。その間に詩を書いていない訳ではないが、私の引き出しには母、妻、女性の顔があり、一番奥にしまわれたのが詩人の顔だった。その顔をとりだせない間、私は自分に似た状況の女性詩人に共感し、その詩作品を読み、自分が詩人であることを忘れない励みにしていた。そのひとりがシルヴィア・プラスだった。
 彼女は美しく、才能があった。学校の成績も良く、若い頃より作品が雑誌に載り、男女交際も派手、奨学金をもらいイギリスへ留学、と理想的なプロフィールだが、彼女をよく知ると、複雑な状況に驚く。感受性の高い彼女は生まれてから「みんなのお気に入り」とお姫様のように扱われていたが、ぜんそく気味の弟の誕生と糖尿病の父の看病で祖父母や母の愛情はすべて二人に注がれ、嫉妬する。自分を可愛がってくれた最愛だった父も亡くし、その喪失感にずっとつきまとわれていた。
 スミス大時代に睡眠薬の自殺未遂から精神療法を受けるが、奨学金をもらいケンブリッジに留学しテッド・ヒューズと出会い結婚、テッドと帰国したアメリカでの教職を経て、イギリスへ戻り娘を出産。詩集「巨像」を出版し充実した結婚生活と思われたが、テッドの不倫から別居、そしてロンドンでの大寒波の年、彼女は三十歳。二人の子供をおいてガス自殺を図った。
 彼女にとって夫は父親を重ねていた存在だからこそ、別居は父の死を思い出させ、孤独感を増幅させたと思われる。夫不在の寂しさや心の傷、体調の悪さ、大雪でその日電話がつながらなかったこと、彼女が死を選んだ時にどうにもならない条件が重なり最悪の結果となった。彼女は女性、娘、妻、母、詩人である多くの顔を完璧に備えようとしていた。それは彼女が「女性」を「出産する存在(子供を産まないと地獄へ行く)」ととらえていたことや「作家」である自分は「母」である自分と一致し、「女」である自分は「作家」である自分に一致しはじめた、と自分の作品をとらえ、外からの反応を欲していた
 
 今やわたしは
 麦畑の泡立ち、海のきらめき
 子供の鳴き声は
 壁の中に溶ける。
 そしてわたしは
 走る矢となり

 わが身を断とうと
 飛び散る露となる、
 煮え立つ大鍋、

 真っ赤な朝の眼へと。   
                 (「エアリアル」8連目から最終連)

 彼女が自殺を決意したとき、子供部屋の窓を開け、ドアには目張りをし、ベッドにミルクを置いてからガス栓をひねった。子供を道連れにせず、二人の子供の生命を守る「母」を優先した最後の行動。この時代、子供を産み主婦になることが女性のあるべき姿だった。彼女もそれに逆らえず、そして逆らわなかった。
 現在に彼女が生きていたなら死ぬことはなかっただろうか。どの自分も完璧にこなすことは難しい、優先順位は変わる。たとえこなせなくても非難はない。しかし、きっと完璧を目指してしまう。シルヴィアも、私も。


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