わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

スカシカシパン草子 第8回 -鳩山郁子について 暁方ミセイ

2013-04-12 10:45:17 | 詩客
 鳩山郁子さんという、すごい漫画家がいる。もしまだ読んだことがないのなら、今すぐアマゾンか最寄の本屋で注文した方がいい。絶版になってしまっているものもあるけれど、いまならまだ手に入る。読む順番のおすすめは、まず最初に『スパングル』、次に『カストラチュラ』。この二冊でもし適性を感じてしまったら、先に言っておこう、引き返せるのは多分ここまでだ。決心がついたら『青い菊』『ミカセ』と、一気にいこう。最初の単行本『月にひらく襟』と『カストラチュラ』の続編『シューメイカー』、死者の最期を撮る写真家の話『ダゲレオタイピスト』、最新作品集『ゆきしろ、ばらべに』まで読んでもまだ中毒に苦しむようなら、画集『リテレール』を眺め暮らし、実際に自分でも「風切り」や「碍子」の蒐集をはじめてしまうといい。
 わたしが『スパングル』を最初に読んだのは、十六か十七くらいときだった。読みながら、何度も途中で本から顔をあげなければならなかったのを覚えている。一ページ読むごとに「こんな作家がいたなんて!」と打ち震えていた。緩慢で平和的なものにも、過激で暴力的なものにも、どちらにも飽き飽きしていたし、苛立っている年頃だった。『スパングル』とその次に手に取った『カストラチュラ』を読んで、鳩山さんの作品には、タナトス衝動とか、嗜虐欲とか、とんでもない暴力性や毒性が、水銀のように流れていると思った。けれど作品そのものはいたって透き通り、静謐な均衡を保っていた。
 この印象って、なんだっけな、としばらく考えて、昔テレビで見た、中国にある湖を思い出した。その湖は、完全に底が見えるほど透明で、青くこの世のものとは思えないほど美しいのだけど、プランクトン一匹も生物は生息していない。葉や木の枝が湖の底に落ちても、それを分解するプランクトンがいないため、腐らずにずっとそのままになっている。高濃度の塩分が溶け込んだ結果出来上がった、生物の全く棲めない、不朽の、完全透明の湖。それはなんだか、鳩山さんの漫画と似ている気がする。すべて美しいコマ。綿密に書きこまれた細部と、物語と関係なく突如挿入される、フェティッシュな、人体の一部や、装飾のパーツのクローズアップ。液体のように流れ込んでくる独白と、静謐なリズムを絶妙に崩さない台詞。完成された世界のなかの少年たちは、永遠にそこから出て行かない標本のようだった。
鳩山郁子さんの魅力は、その世界観の完成と、筆致の類稀な美しさだと思うのだけど、描かれた土地の光量や気温湿度、匂いや気配の表現も、 フェティッシュなこだわりの本領発揮といった感じ。はじめて読んだ当時、「ああ、一生モノの作品に出会っちゃったな」と思った。あれから八年経つけれど、読み返すたびに、途切れた描線は目の上で繋がり、浮き上がる模様は音楽になって、一層魅入られている。
 ちなみに鳩山漫画の放つエネルギーは、どうも実際読み手の身体にまで及ぶことがあるらしい。『カストラチュラ』を一気に読んだその晩、あまりに衝撃的だったのか、夢に「解剖学の天使」が出てきて、翌朝原因不明の熱で学校を休む羽目になった。わたしもわたしで入れ込みやすい少女だったのだろうけど、絶対にあれはファンディー・チュンが夢の中までやってきて、取り込みすぎた何かを奪回していったのだと続編『シューメイカー』を読んで確信している。なんちゃって。

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