わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第90回 -瀧口修造- 山腰亮介

2013-02-16 11:38:39 | 詩客
 いまから三年ほど前、ぼくが大学二年生のときの話からはじめたい。
 横浜市の外れ、しかも横浜からイメージできる「都会」や「海」のイメージから遠く離れた山の中に、ぼくが通っている大学のキャンパスはあった。最寄り駅から徒歩二十五分。校門から校舎まではさらに三分。坂道を登る道を生徒たちは「登山」と呼び、晴れた日には遠望橋と名付けられたキャンパス内の渓谷――通っている学生もあまり知らないが、その下にはちいさなちいさな滝がある――に架かった橋からは富士山がみえる。冬には自動ドアをかいくぐった猫たちが校舎内の暖房に群がって昼寝をしている。教室でたいくつな語学の授業から逃避するように、窓から森を(キャンパスの周りは民家と森くらいしかない)眺めると、栗鼠が追いかけっこをしている。校舎の小道には蛇が出るとも聞くが、その姿を見たことは残念ながらなかった。
 そんな校舎で、ぼくは二人の決定的な詩人を知った。アルチュール・ランボー、そして瀧口修造。ランボーは授業のなかで。瀧口は図書館のなかで。
 ぼくのなかで、二人の詩人は切り離して考えることができない。だがランボーのように、書店にいけばいくつもの邦訳が文庫で手に入る詩人とは異なって、瀧口の詩集は一般の書店では手に入らない。テスト前以外は常に閑散とした大学図書館で、照明がゆき届かない本棚の片隅にある『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』を手にとり、それを大きな窓のあるテーブルの下で繙くと、風が枝を揺らし、木漏れ日がページを撫でていく。
 装飾を排した真っ白な詩集に刻まれた言葉たち。その言葉をひとつひとつ咀嚼してゆく。すると、不思議の国へと迷い込んだアリスのように、ぼくは異界へとすべり込む。

 やさしい鳥が窓に衝突する。 それは愛人の窓である。
暗黒の真珠貝は法典である。 墜落した小鳥は愛人の手に還
る。 蝸牛を忘れた処女は完全な太陽を残して死ぬ。 舞踏
靴は星のようにめぐる。
(「ポール エリュアールに」部分) 

 目の前の窓ガラスから差し込む陽光を、ぼくは信じられなくなる。この窓はほんとうに存在しているのだろうか。

夢がとどろき
星の均衡が小枝から失われた

(「風の受胎」部分)

 ここはどこだろう。これはほんとうにあった話なのだろうか。いま、記憶の断片を辿っていきながら、瀧口修造という詩人が通過したあとの世界にいる。おそらく、あの場所で瀧口修造という詩人に出会わなければ、ぼくは詩へとのめり込むことはなかった。瀧口によって、扉は開かれた。ぼくは図書館のなかで、鍵を見つけたのだ。
 さいごに、雑誌『本の手帖』に掲載された「手づくり諺」から瀧口の魔法の言葉を唱えて、終わりたい。


いろは匂えどイロハニホヘト。
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