わたしの愛憎詩

月1回、原則として第3土曜日に、それぞれの愛憎詩を紹介します。

第16回 ―吉原幸子あるいは詩そのものー  橋本 シオン

2018-10-13 15:28:44 | 日記
 去年初詩集を発表してから暫くの間、詩が全く書けなくなった。本も開けないし、とにかく字を見たくなかった。体調も崩すし誰にも会いたくない、という時期が続いた。エネルギーを使い果たしてしまった、そんな感じだった。
 燃え尽き症候群では、と言われると、それとはなんだか違った。思い返すと、詩集を作るにあたってエネルギー全てを注ぎ込み、枯渇してもマイナスから捻出するような無茶をしていたし、並行して会社を辞める為の手続きも行っていた。更に出版記念個展も企画していたもんだから、全てが終わった時には水分を失った野菜のごとく干からびていた。
 本を開くことも、ましてや詩を書くことも出来なくなって、体調も崩した。詩集を出して良かったのだろうか、なんて悩んでしまうこともあった。こんなことなら詩なんて出会わなければよかった。詩と出会わなければ、詩を書いていなければ、そんな恨み節を繰り返すようになった。

 私が詩と出会ったのは、大学時代のゼミだ。そのゼミは詩を主に扱っていた。それまで私は国語の教科書に載っている詩を読むくらいで、特段興味もなかった。なぜ詩のゼミに行ったのか、理由は忘れてしまった。
 ゼミの恩師が女性詩人を熱心に扱っていた。特に熱を入れて教えて頂いたのが、吉原幸子さんだった。大学で初めて出会った詩、吉原幸子さんの「無題(ナンセンス)」をここにひく。

  風 吹いてゐる
  木 立ってゐる
  ああ こんなよる 立ってゐるのね 木


 当たり前の景色を描写しただけなのに、言葉がこんなにも美しいなんて。出会った時の衝撃を未だに忘れられない。それくらい彼女の詩は魅力的に映り、手当たり次第に読み漁って、詩の世界へすぐにのめりこんだ。
 当時母との関係について悩んでいた私は、吉原幸子さんの詩に自分と母を重ね合わせ、女性とは、母とは一体何なのか。そういったことを考えるようになった。これが私と詩の出会いになる。
 もし詩と出会っていなかったら。母について今より悩むこともなかっただろうし、女性恐怖症もここまで酷くならなかっただろう。
 詩と出会ってなければ、詩なんて書かなければ、と憎む自分もいれば、詩と出会えて良かった、詩を書けて良かった、と愛おしむ自分もいる。詩そのものに対して、相反する感情を持ち続けている。乱暴な結び付けだと承知の上で、詩というもの自体が愛憎の対象なのかもしれない。最近はそんな風に思う。相反する感情を持ち続けながらも、詩の世界でまだもがいている。

略歴
1989年神奈川県生まれ、東京都在住。初詩集「これがわたしのふつうです」(あきは書館)より。ツイッターで色々発信ちゅう。

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