俳句エッセイ わが愛憎句

毎月1回原則として第2土曜日に愛憎句のエッセイを掲載します。

第5回  上昇せよ 浮上せよ    豊口 陽子

2018-02-19 21:06:11 | 日記
旅人へ告ぐたんすにスルメの頭(かしら)        安井浩司

 三角なのである。
 そして、四角なのである。

 三角と四角はどのような形で交わっているのか。私は、三角は四角に重なりつつ、鋭角の部分は外にはみ出ていると思う。しかし、四角は平面ではなく、直方体である。もの言わぬフォルムの組み合わせが脳裏をかすめる。フリーハンドで描いた三角と四角。速い。かすれる。
 突如、頭上からファンファーレが鳴るのだ。
 旅人へ告ぐ!

 じつは今回の依頼が提示されるまで、この句は難解のまま遠くにあった。しかし「愛憎」という嫉妬のこもる言葉を目にした途端、なぜか突然脳を遡上したのである。読み下すやいなや私を射抜く鋭い直線や面の強さはどこから来るのか。情緒を纏綿とまとった日本語のなかで、一見無機質な、意味を省いたフォルムが時空を切って、切り拓いて垂直に上昇する姿を私は見たことがなかったのだ。
 ここまで書いて、真実私はこのまま筆を止めたい。一句の与える第一印象、それ以外は作品と作者との秘めたる交歓に費やす一生という時間を愉悦としたいのだ。一句の抱える謎は、言葉で解いた途端にのっぺりとした日常の風景に溶け、もしくは観念の固形物となりかねない。そのような思いを幾たびもし、私自身もそれ以上の句解をできたためしがない。しかし、今は覚悟を決めて、この脳中に突き刺さった句に分け入ることを試みようと思う。
 まず、「スルメ」は何を暗示しているのだろう。たとえば、次のような句を安井浩司は書いている。

たんすに裂けこがらしの神のスルメ         「赤内楽」
夜具の泣きスルメを貫くひもである         「 〃 」
旅人へ告ぐたんすにスルメの頭(かしら)       「 〃 」
番台に焼くふるさとのずるするめ          「中止観」
渤海このするめをえさに鼻唇乖(びしんかい)     「 〃 」
命(めい)としてふるさとに立つスルメの姿      「霊 果」

 たんすに裂けるスルメ。ひもで貫かれるスルメ。ずるするめ。命としてふるさとに君臨するスルメ。これらの句のスルメに作者は喩のはたらきを与えたのではなく、スルメという存在にどのようなはたらきを与えることができるかを試みたのではないかと思われる。その結果、スルメはそのひからびた異形のまま、かつて一度も俳句史上にあらわれたことのない〝呪的な生命〟を獲得したのではなかったか。

 志賀康は、その精密な評論集『不失考』(風蓮舎・平成16年刊)の〈安井浩司〉論において、「埜をやくやしじまの空に馬具ひとつ」(安井浩司)の馬具を次のように論考している。「野焼きはもと、木や草などの精霊を鎮圧する、山の神のつとめであったようだ。いずれにしても、農耕民族のやり方である。それと馬具を使う狩猟民族の血をともに受継いでいるのが我々だろう」と、この句に向かうに当たり、農耕と狩猟という二つの背景を示しつつ、次のようなモンゴルの伝承を語る。「モンゴルには英雄の偉業をうたった長大な伝承物語があって、それを語るにはまる九日かかるのだが、正確に語り終えると天から馬具が降りてきて、語り手はそれに乗って天に招かれることになっていたそうだ」と。そして「野焼きの煙が立ち込めるしじまには、異なる二つの方角から来た我々の祖先の神がいる」と読みの一つを示したあと、「しかしここは、もっと直截に、「馬具」はそのまま馬具として読んではどうだろうか」と書き、「野を焼く」の歴史性と「馬具」の地理性を共に抱え込んだ〝ありか〟への憧憬をこの句から読み取っている。かつて志賀を含む数人で「馬具」を論じ合った時の、馬具はやっぱり馬具なんだよね、という嘆息まじりの志賀の結論をなつかしく思い出す。志賀も指摘するように、安井浩司の句にある言葉は容易に喩に辷ることがない。それは、安井浩司が言葉という記号の奥にひそむ実体を深々と抱え、決して手放さないからである。スルメはスルメのまま「呪」を負うのだ。

 ここで別の疑問が湧く。「頭(かしら)」とは何だろう。私はつい今の今まで三角形のあたまだと思っていたが、考えてみればスルメの頭は胴と足のあいだに腸のように秘められている。では頭領という意味か。我を総べる者。しかしこれはスルメが頭領の代名詞となることでも、頭領がスルメの代名詞となることでもない。この一句のスルメは、ぺしゃんこの胴からひからびた足をおずおずと伸ばし、三角の〝あたま〟を持って箪笥の中にぺたりと横たわっているのだ。この日常の極にして醜なるものに呪性を与えたのは、「旅人へ告ぐ」といういずこからともなくひびく言葉である。声は次第に上昇する。浮遊する。私は急いで、いま呟いた独り言のすべてを閉じることにする。静寂(しじま)は戻る。

旅人へ告ぐたんすにスルメの頭(かしら)

 三角である。
 そして四角である。
 一句は蒼穹へ吸われてゆく。限りなく。たゆたいながら。

                                   (初出 『LOTUS』第11号 2008.7)
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